第3話

 公園の個室トイレ。その扉の向こうから、ぐすぐす鼻をすする音がする。

 お漏らししちゃったしらはなさんは、飛び跳ねるように個室トイレにこもり、内側から鍵をかけた。


 10年ほど前。小学生になってたかどうかの妹が、外でびちょびちょうんちを漏らしたことがあったな。

 当時妹に甘かった僕が、おねだりされてアイスとジュースを買ってやったからだろう。あいつは当然のように、冷たものを遠慮なく腹に詰めこんでいたから。


 あのとき、どうなったっけ? 親にバレるのを恐れて、ふたりでどうにかごまかそうとしたけど、バレてふたりとも怒られた気がする。よく覚えてないけど。

 確か妹が、汚れたバンツをゴミ箱に捨ててバレたんじゃなかったっけ? さすがにゴミ箱はバレるだろう。


 でもあのときの経験があったから、多少は冷静になれてるのかも。妹よ、お前の愚かさは無駄じゃなかった。


「僕んち近くだから、タオルとか持ってくるよ。すぐに戻るから、ここにいてね」


 ここから家までは100mくらい。走ればすぐだ。

 だけど「ここにいてね」って、どこに行けるっていうんだ? あんな姿で。

 僕は急いで家に帰えると、必要なものをバッグに詰めていく。


 テッシュとタオル、ウエットテッシュもいるかな。

 それに、着替えもだ。


 白野花さんと妹は、身長的にそれほど変わらないと思う。150cmから155cmの間くらい。

 妹は胸が無駄に大きいから、控えめでおしとやかな感じの白野花さんとは体型が違うけど、同じ服が着れなくはないだろう。大は小をかねる的に。


 ひとつ年下の妹は、中学3年生。受験生だ。この時間はすでに帰宅して、部屋で勉強をしているはず。

 で、その予想通り、妹は自室にいた。勉強はしていなかった。ベッドに寝転んで、マンガ読んでいやがった。

 余裕だなこいつ。受験、あきらめてるのか。


「なぁ、お前の服貸して欲しいんだけど」


「にいが着るの?」


 マンガから顔を上げるに答える妹。


「そういう冗談いっている暇ないんだ。友達が……」


 どう説明しよう。ウソはつきたくない(バレるとあとで面倒くさい)けど、正直にはいえない。


「塾で一緒の女の子の友達なんだけど、ジュースこぼしちゃって、なんか下着まで濡れてるらしい。今は、くらげ公園のトイレにいる。着替え貸してあげたいんだ」


「ふーん、ドジっ子なんだ? 連れてくればよかったじゃん。お風呂かしてあげれば」


 確かにジュースで濡れたら、その反応は当然だな。でも、それはウソだ。あの状態の白野花さんを連れてくるわけにはいかない。ここまで歩かせるのか?


「いいから、適当に貸してくれ」


「パンツも?」


 妹がマンガを閉じて、身体を起こす。


「ダメか?」


「新しいのあるからいいけど。さすがに使用済みは貸しにくい。ブラはいいよね? サイズがさー、ほらあたし、おっぱいおっきーじゃん♡ クラスで一番おっきーじゃん!」


 どうもでもいい。妹のバストサイズに興味がある兄は、世界中探したってそうはいない。そして僕は、そんなのにまったく興味がない普通の兄だ。むしろキモいんだよ。


 とはいえつまらないことをいいながらも、妹は服を見繕みつくろってくれる。


「かわいくコーデしよっか?」


「いいから早くしろ。待ってるんだから」


「わかりましたー。にいがそんな真剣な顔するなんて、よっぽどかわいい人なんだね。お近づきのチャンスなのかにゃ!?」


 これ、答えがちょっと複雑なやつだ。だけど妹の思考ならトレースできる。


「あぁ、かわいいよ、お前の次くらいには。だから早くしてくれ」


 これが正解。女の子はときどき面倒くさいけど、その面倒くささの対応を間違うと、後々痛い目を見るのはこちらだ。


 急がないと。もう夜だし、さびれた児童公園のトイレにくる人はいないと思うけど、断定はできない。


「ほい、どーぞ」


 妹が見繕ってくれた着替えを、タオルやテッシュを詰めたバッグに入れ、僕は急いでくらげ公園に戻った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る