第51話 大切な人へ贈る、ちょこれーと


「カーター君。久しぶりだな」

「……エルさんが絡むと、めちゃくちゃ忙しくなるの、何でですかね」

 カーターは少しやつれているようだ。

 だが、寝不足と達成感の両方が混在している顔をしていた。

 疲れているようにも見えるが、狂ったように笑顔が張り付いている。


「今回はシャル……というかヴァイオレット家だな」

「いや、本当うれしい悲鳴ではあるんですけど。圧がすごくて」


 カーター家に直接乗り込んだのは、ヴァイオレット家の奥様、ロザリエッタらしい。鍛冶師の元に、貴族の大物が自ら行くことは珍しい。

 それは恐ろしいほどの圧であったことだろう。

 一家、親族総出で、魔工具を作ったとカーターは屈託のない顔で語っている。


「シャルロッテ様、しれっと改良加えた図面紛れ込ませていましたからね。前と一緒ならまだ苦しいで済んだのですけど。控えめに言って地獄でした」

「そうか」

 バイオレット家の情熱に巻き込まれた、カーター一家に思わず笑ってしまう。

「だが名誉なことだ。一生安泰だな」


「それは言いすぎですよ、エルさん」

 はは、とカーターが笑う。

 それはどうだろうかと思わずにはいられない。

 期待に応える者をヴァイオレットがどう扱うか、分かりきった話な気がする。


……。


 シャルの屋敷の広間のいくつかが、完全にチョコレート工場になっていた。

 敷き詰められた魔工具に、世界各地から次々送られてくるカカオ豆の麻袋。

 ヴァイオレット家独自の流通経路なのだろう。


 誇りを懸けた、貴族同士のチョコレート戦争の様相だ。

 シャイロックは油断しているだろうが。

 ヴァイオレット家は完膚なきまでに叩き潰すつもりで、着々と準備を進めている。


 シャルは大好きな幼馴染と情熱のために、純粋な気持ちで最高のチョコレートを追求しているようだったが。


 だが、他の者は違うようだ。

 健気なシャルには愛されるという才能があったから。

 屋敷には虎視眈々こしたんたんと復讐を誓う悪鬼たちで溢れていた。

 少しでもシャイロックの味方をする言葉を発すれば、襲われそうである。

 世の中には敵に回してはいけない人というものが存在する。


 特にロザリエッタとユキナは戦略を練っているようで、情報収集と地盤固めに注力しているようであった。


……。


 チョコを作るために動き続ける魔工具の数々は壮観だった。

 世界の在り方を変えてしまうと確信するほどに。

 だからこそ慎重でなければならないと思う。

 世界を相手取るにはまだ分が悪いと思えるから。


 日常のありとあらゆる魔工具化を急激に進めれば、世界各地の様々な既得権益による圧に潰されるであろう。たとえヴァイオレット家であろうと。


 きっと多くの人が職を失い、溢れんばかりの恨みを買うことになるだろうから。そして多くの人を敵に回せば、人は論理で動くことはなくなり、感情で動き始める。

 誰か一人が石を投げれば止まらない。

 飢えた子を抱えた母親が悲劇を叫んだら、皆、絞首台に固定されることになるだろう。

 人の歴史はそう出来ている。


 良い物を作れば好い未来が訪れるわけではない。

 歴史が証明している。この世界だろうと、異世界だろうと変わらない事実だ。


 だが、今回はロザリエッタの協力を得ている。

 ゆっくりと着実に地盤を固めていき、少しずつ魔工具化していけば、さらなる飛躍を持って、圧力に対抗できる力を蓄えられることだろう。


 理想はアクアテラの地元民に慕われているハインリッヒの協力があればいいのだが。そうなれば怖いものはないと思える。前にハインリッヒのセシリアの様子を見たが、シャルに負けず劣らずの才気を持っているように思えた。


 努力の伴った才気。賢さもそうだが、政治的にも長けていそうな、バランスの取れた子だった。シャルとひと悶着があったようだが、シャルが彼女を嫌っていない所を見るに相当善い子なのだろう。


 シャルは悪意に敏感だ。

 幼いころから一身に、そういった目で見られてきたから。

 そういう子は、常に人の顔色を伺う。

 信頼してもいいかどうか、びくびくと観察しながら。

 シャルが懐くのは性根の良い子ばかりなのが分かりやすかった。

 今は悪鬼になってしまっているが、メイド達を見れば明らかだ。


 一日動かし続けていた摩砕まさいの魔工具から作ったチョコの試食品を、シャルが持ってきた。

 ふんふんと挑むような瞳で。

「エル君っ。できたっ、できたぞっ」

 つらいことを吹き飛ばす屈託のない笑顔で、けれど前よりずっと強くなったような、未来を信じて疑わない顔だった。

 チョコへの愛も痛いほど伝わってくる。


 板チョコ。

 一口サイズに折ると、聞いたこともない小気味の良い音が鳴った。

 その時点で、チョコの概念が崩れ去る。

 匂いはとてもやさしい。色も宝石のようにうつくしかった。

 一口食べると、みるみる舌の中で溶けていく。

 濃厚でありながらやさしい香り。

 中毒性のある甘い味。

 普段は固体でありながら、口の中で液体になる魅惑のお菓子。


 ここまで完成しているとは思わなかった。

 これならもっと別の解決策があったのかもしれない。


 異世界レシピを起動する。

 チョコの項目が埋まっており、数々のチョコ料理の製作が可能になっていた。

 

「このチョコはすごいな。本当にすごい。想像以上の成果だ。シャルの情熱は本物だ。よく頑張った。これが異世界の人が追い求めたチョコか……」


 感動せずにはいられない。異世界レシピを閉じ、そしてシャルを見た。

 シャルは目にいっぱいの涙を貯めてこらえていた。

「本当にすごいことだ」

「っ! っ!」

 ぱたぱたと腕を動かしている。

 その頭を撫でて言葉を続けた。


「チョコの物語にはまだ先がある」

「……まだ、先があるの?」


「あぁ。異世界のチョコの四大発明の一つ、ミルクチョコレートだ」

「……ミルクチョコレート。ミルクと混ぜようと思ったけど、うまくいかないよ。だって――」


「そうだ。何度も実験を繰り返したシャルは感じているだろうが、チョコは水分と相性が悪い。カカオの油と水が親和性が悪いからだ。……だから水分を極力飛ばした濃縮ミルクを加える。そして温めて混ぜる間に水分が蒸発すると、ミルクチョコレートができあがる。そこがチョコの頂きの一つだ」


 シャルは返事もなく、弾かれたように飛び出した。

 答える間も惜しいとばかりに、実験へと向かったのだろう。

 ミルクを加えることで、ミルクチョコレートの最適解はまた変わってくるはずだから。少しでも早く、最高のチョコレートに出会いたいという思いが伝わってきた。


 情報収集に行っていたメイド達が続々と帰ってきて、ユキナに報告している。

 

 ユキナから聞いた話では。

 シャイロック商会がチョコの固形化に取り組んでいるとのこと。

 二カ月後に婚約の発表をするとのことだ。


 チョコ開発と魔工具の手柄と、婚約の発表を同時にするのではないか。

 そしてシャイロックを良く思っていない、反対勢力……ハインリッヒの従業員たちを惹きつけ、結束を高めようとしているのではないか。

 さらに招待客に貴族、要人を呼び、シャイロックのチョコを有名にしようとしている。


 そういった趣旨の内容であった。


「ですから、その場でシャル様のチョコを何とか、ぶつけたいのです。偽物に本物を。そして、シャル様への疑惑の払拭を果たしたいのです……そして、願わくば……圧倒的な屈辱をシャイロックに」


 最後の一言だけ声が冷えていた。

 ユキナの目が色彩を失っている。

 美人の輝きを失った瞳は、かなり恐ろしい。

 その言葉にメイド達が皆、漆黒の闇を瞳に宿す。

「「「シャイロックに屈辱を」」」

 悪鬼使いと悪鬼の連帯感が恐ろしいので本当にやめてください。


「そしてハインリッヒを軍門に下らせます」

 ユキナが憎々しげに言った。

 シャル様の願いだから仕方なくです。とつぶやいている。


 だが、それを実現するためには圧倒的な格の違いによる勝利が必要だった。

 恥も何もかもを捨て、ヴァイオレット家にすり寄る他がないと感じるほどの。


「ですが、ヴァイオレット家はその社交界に呼ばれていません。アクアテラの、めぼしい有力者とのつながりもありません」

 ユキナが唇を嚙みながらくやしそうにする。

 ユキナはどうしても婚約の場を滅茶苦茶にしたいようだった。


 婚約には箔が必要なはずだ。

 シャイロックはそういう一家。


 アクアテラで最も名誉なことは、とある人物から最高の評価を得ること。

 老若男女誰もが知っている周知の事実が一つある。


「相応しい人物がいる」

 ユキナは驚いたように目を見開いた。

「貴族の知り合いが、いるのですか?」


「貴族ではない。聖女アリシアだ」

 ユキナとメイド達は予想外の名前に開いた口がふさがらないようであった。



……。


「聖女アリシアとして、協力してくれ。報酬はオムライスだ」

「……ぷいっ」


「オムライスではダメか?」

「いつもオムライスに釣られると思わないでくださいっ」

 黒髪のアリシアが叫んだ。今日は手強いのかもしれない。

 どうやら子猫の逆鱗に触れたようだった。

 近づこうとすると威嚇される。


「そうか、ならクリームシチューか?」

「私、今怒ってるんですっ。すっごくすっごーく怒ってるのっ。デュークさんみたいに食いしん坊扱いしないでっ」


 アリシアは街角勇者亭の従業員の服を着ている。

 少し前にアリシアに似合う服を、街の服飾店で特注した物だった。

 いつもその服を着ると嬉しそうなのだが、今日は頬をぱんぱんにしている。不機嫌であることを知ってもらいたいという風に。とてもかわいい。まるで反抗期。


「アリシアがおいしそうに食べる姿が好きなのだがな」

「ず、ずるい、最低ですっ」

 とアリシアはぷんぷんしながら、ぽすぽすと叩いてくる。

 叩くのをやめて涙目で睨み上げてきた。

 元がたれ目なので、実際には上目遣いのようであったが。


「……まさかエルさんが、私を聖女として利用しようとするなんて思いませんでしたっ。言っておきますけどっ。チョコ美味しくなかったら絶対に協力しませんからっ。絶対にっ。ぜ~ったいにっ。……厳しくするからなぁっ」

 ぷりぷりと怒りながらも、全身全霊といった感じでチョコを眺める。


 俺はアリシアの前で板チョコを割って見せた。

 ぱきっと小気味よい音がなる。

 香りを楽しむ。


 アリシアも同じようにして、あっという間に、しあわせそうな顔になった。


 人慣れした猫の餌付けくらい、チョロそうだ。

 そしてこのチョコは最高の一品。

 結果は目に見えている。

 アリシアが小さな口で、一口食べた。

「お、おいしいっ! な、なにこれっ! あっ――」

 即落ち聖女だ。

 目を見開くと同時に声を出す。慌てて口を押えた。

 だがもう遅い。言質はとった。


 アリシアは頬を真っ赤にして、キリっとした顔を作る。

「ほ、報酬も忘れないでくださいねっ!」

「あぁ」


「それと沢山私のことほめてくださいっ! 心を込めて沢山っ!」


「アリシアはえらい。いつも頑張っている。ありがとうな」

「……うんっ」

 俺はチョコをはむはむとしあわせそうに食べるアリシアを心を込めて褒める。


「みんなが平和に暮らせているのもアリシアが我慢してるからだ。アリシアのおかげなんだ。これはすごいことだぞ。偉いぞ。俺は朝起きるといつもアリシアに感謝しているんだ」

「……えへへっ」

 チョコを食べてうれしそうに、にへら~と笑みを浮かべる。


「アリシアの食べる姿かわいいぞ」

「かわいいは禁止ぃっ!」

 無事、心強い味方の協力を得ることに成功した。

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