第50話 情熱の花


「な、なんでっ……」

 翌日、シャルが研究室に入ると、魔工具の魔術回路部分が壊されていた。

 切り刻まれた論文が散らばっている。

 みんなで取得したデータも燃やされた後がある。


 エイラが一人立っている。


「エイラ先生っ……どうして?」

「シャルロッテ様……今日は帰ってください。研究はできません」


「で、でも……」

「帰りなさい」


 友人も失い、思い出も、研究場所もなくなった。


 ただチョコを作りたかっただけなのに。

 どうして。


 シャルはふらふらと研究室を後にした。


……。


「シャル、どうしたでごぜぇーますか?」

「え? ……リッタ? なんで?」

 目の前にリッタがいて。


「なんでって、ここは街角勇者亭の前でごぜぇーます」

「……あ」

 目の前には『街角勇者亭』。

 リッタ、エル……非番のメイド達がいた。


 リッタの眠そうなやさしい目が、いつもと違う。怒っているような気がした。

 今度はリッタも怒らせてしまったのかもしれない。


「ごめんなさい」

「謝る理由がわからねぇーです。……エル!」 


 メイド達が駆け寄ってくる。泣いてはいけなかった。

 事情を話すわけにもいかない。

 ハインリッヒとヴァイオレットの対立にしてはいけないから。

 これは個人間の問題で。

 セシリアとの一時の喧嘩だ。

 セシリアとの関係を修復する可能性を摘み取るわけにはいかない。

 

 遅れてエルが近づいてくる。

 いつもと変わらない表情に安心して涙がこぼれそうになる。

 やさしい言葉をかけられたら、きっと事情を話してしまう。


 涙ながらに。

 助けを請うように。

 どれだけつらいのか、酷い目にあったのか、話してしまう。

 被害者面で、悲劇のヒロインのように話してしまう。

 そしたらきっと、メイドも、リッタも止まらない。

 対立は決定的になってしまう。


 だが、エルの言葉は想像していたものとは違った。


「チョコはづくりはどうした? こんな所にいる暇あるのか?」

 冷たい言葉に聞こえた。

 心配して欲しい。

 心配してくれるはずだと、勝手に期待していたことに気づく。


「……っ。……ち、チョコ、もう嫌いになったっ」

 思ってもいない言葉が口から出た。

 メイド達もリッタも顔を見合わせる。


「そうか」

 理由も聞いてこない。

 失望しているように感じた。

 お前のお菓子に対する情熱はそんなものかと、いつもの無表情で。それは普段と変わらないのに、今日は馬鹿にされている気がした。

 エル君にそう思われるのだけは許せない。


「っ! だってっ……大学でダメって言われたっ! だから、もう研究できないっ! 魔工具も壊れたからっ! だ、だから、チョコなんて嫌いっ!」

 だから話してしまう。

 誰も心配しないような強い言葉で、口調で。


「チョコづくりはどこでもできる。大学でやる必要はない。誰が作ろうと、どこで作ろうと、チョコの価値は食べた人が笑顔になるかどうかだ。研究できない道理などない」


 いつでも正しい言葉ばかりを並べる。

 今欲しいのはそんな言葉じゃない。

 弱い人の心が全然わかってない。

 正しいことばかりが正しいわけではない。


 人には感情がある。能力も違う。我慢強さだって。

 何より世界には、分不相応という、夢のない理不尽な言葉がある。


 シャルは叫ぶ。

 打ちのめされ続けた、人生を吐き出すように。


「……っ。それは、エル君だからだっ! 私はエル君とはちがうっ! ヴァイオレット家のぽんこつの、出来損ないのシャルロッテだっ! みんなに馬鹿にされてばかりの、シャルロッテだっ!」

「シャル様……」

 メイドたちが悲しげな表情をしている。


 シャルは縋るようにエルを見た。

 弱いから。

 守ってもらわないと生きていけないから。

 取り繕った笑みで。

 媚びるように。


「チョコづくりなんて無理だった。そうなんだっ……もう、た、食べるだけでいい。え、エル君、お菓子、つ、作ってよ。お金なら、いくらでも出すから。そ、そうだ、うちで働いてよ。お金なら、いくらでも出すよっ。ほ、ほら」


 出会った時のように、マジックパックから金貨を次々に出していく。

 出会った時は伝えることができなかった。


 今は伝えたくもないことを伝えている。

 エルが多くの人の笑顔を見たいということを知っていた。

 その姿を好きだという気持ちもシャルは持っていた。

 ヴァイオレット家で飼い殺しにしてはいけないということも感じていた。


 でも、口がとまらない。どうしてなのかわからない。

 こんなことを言いたいわけじゃない。


 エルは出会った時と同じように、金貨を受け取らなかった。

「誰かの評価なんてどうでもいい。シャルがどうしたいか聞いている」

「だ、だから私は……が、頑張ったけど無理だったから……」


「チョコづくりは確かに大変だ。逃げてしまっても俺は仕方がないことだと思う。今あるチョコでも十分うまいしな。大切なモノを失ってまで追い求めるものでもないのかもしれない。……だが、一度きりの人生だ。追い求めることで、見える景色も、出会いもあると思う」

 酷い言葉に聞こえる。

 頑張った人間に、鞭を打ち、さらに頑張れと言うような。


 リッタが続けて言った。

「あたし達はシャルを見捨てねぇーです。本当はどうしたいんでごぜぇーますか? シャルの本音を聞きたいのでごぜぇーますよ。難しいことはどうでもいいんです。心の声を、聞かせて欲しいでごぜぇーます」

 それはエルの心を代弁しているような、やさしい声だった。

 いつもの眠そうな瞳で、やわらかい表情を作る。


 シャルは震える声を出す。

 そんなの答えは決まっている。

「本当は、ちょこ、好き」

「あぁ」


 どれだけ現実に打ちのめされようと、好きなものは好きだった。

 不幸になったとしても嫌いになんてなれない。

 心の底から好きが溢れて止まらないから。


「……ちょこ作りたい」

 本当に本当に好きだった。

 匂いも、くちどけも、見た目も、味も。

 ほんの少しの工程で変わる風味も。

 その繊細さと無限の可能性が、何よりも愛おしい。


「そうでごぜぇーますか」

「ちょこ、もっと作りたいっ!」

 シャルはエルを真っすぐに見上げて言った。

 エルが笑みを作り、頭を撫でる。

「あぁ。なら頑張れ。ようやく見つけたやりたいことだ。途中で投げ出すのはもったいない」


「でも……研究の場所」

「シャルが一番すごいと思う人に情熱を伝えればいい。もしだめなら俺たちが何とかしよう。けど、最適解はその人を頼ることだ。俺たちでは金を稼ぎ、土地を買い、設備を整え、材料の流通経路を確保し、と時間がかかりすぎるからな」


「……一番? ……っ!」

 一番すごい人。厳しくも自分に努力しろと言ってくれた人。

 シャルは震えながらも拳を強く握った。


 そしてメイドにおびえた声で言い放つ。

「……大学、やめるって……、ううん。もう辞めたって、家にも帰らない、屋敷に立てこもるって、連れ戻せるものなら連れ戻してみろって、お、お母様に伝えて」


……。


 メイドがシャルの部屋に駆けてきた。

 ノックもせずにドアを開け放つ。

「奥様が来ました!」

 メイドに伝えてから四日。

 連絡してから二日だ。

 急いで来たのがわかる。


 玄関で待つ。

 セレニアムの花を模した家紋をつけた馬車が到着した。

 月の出た夜の間だけ咲くという、セレニアムの花言葉は『秘めた情熱』。


 その到着は想定よりもずっと早い。


 怒られるのは間違いない。

 留学中の貴族の自主退学など聞いたことがない。

 前代未聞だ。

 だが伝えなければならない。

 震える身体でシャルは母を待つ。


 馬車を降り、つかつかと目の前に来た母はいつもの強い瞳でシャルを見る。美しく苛烈な瞳と容姿。ヴァイオレット家を体現するような人。


 シャルとは真逆の見た目。

 だが、今のシャルには成したい夢があった。成し遂げたい覇業がある。

 何より、大好きな幼馴染に伝えたい想いがあった。それはきっと今より最高の、チョコレートでないと伝わらない。そう、シャルは信じている。


 開口一番シャルは母に向かい想いを伝えた。

「お母様、協力してくださいっ。ちょこれーとを作りたいっ。世界で一番美味しいちょこれーとを、作りたいですっ。努力しますっ。私の全てを捧げますっ、だからっ」

 シャルは涙をいっぱいに溜めて、母と対峙する。


「……どうして?」

「お菓子はっ、人をしあわせにするものだからっ」


「それだけ?」

「お菓子が人を不幸にするなんて信じないっ。みんなに笑顔になって欲しいっ……かなしい顔、してたからぁ……だから、ちょこれーとを完成させたいっ。みんなを幸せにする、夢のちょこれーとをっ!」

 支離滅裂だった。

 事情の半分も伝えられていない。

 だが、気持ちは痛いほどに伝わる。

 夢という、むき出しの感情そのものだったから。

「そうですか」


 奥様がじっとシャルの様子を見る。

 奥様はシャルを一切責めなかった。

「ならヴァイオレット家の名誉にかけて、盗人猛々しい輩をぶちのめしなさい」


「怒らないの?」

「なぜ怒る必要があるのですか?」


「だって……」

 シャルは研究を盗んで、逃げるように大学を辞めたようなものだ。事実は違うにしても結果はそうだった。

「研究……」


「シャルが研究を盗む? そんなことするわけがありません」

「……うっ」


「私の娘はそんなことをしません。バカにしているにもほどがある。あなたはやさしい子です。誰かが傷つくことを故意にする子じゃ、ありません。そして、あなたは誰よりもお菓子を愛している。私に怒られても怒られても、好きであり続けるほどですよ」


「だから――」奥様は鬼を背に宿らせて言った。

「見返しなさい。何度でも理不尽に立ち向かいなさい。心折れても、唾を吐きかけられても、友を失っても……人生を捧げると決めた物を否定してはいけません。……あなたは、誰にも消せない情熱を胸に秘めた、ヴァイオレット家の女なのですから」


「うっ――」

 シャルは涙をぼろぼろとこぼし下を向き、拳を強く強く握る。

「ううううううっ」


 うれしかった。

 誰よりも自分を信じてくれる人が、母親で、うれしかったのだ。

 うれしくてうれしくて仕方がないから涙が流れる。


「下を向くのはやめなさいっ!」

「うううううっ!」


 シャルは顔を上げた。そのほっぺは真っ赤で、涙をぼろぼろ流しながら握った拳を突き上げる。

「研究っ実験っ頑張るっ! わたしはシャルロッテ・フォン・ヴァイオレットだからっ!」


「ユキナぁ!」

「はい、お嬢様っ!」


「手伝ってっ!」

「もちろんです! メイド一同、不眠不休でぶっ倒れても、この命尽き果てるまで頑張りますっ!」


 メイド達は拳を突きあげる。

 ヴァイオレット家の奥様という最強の味方を手に入れた彼女たちに、怖いものはなかった。


 シャルの涙と、ヴァイオレット家の女性たちの意地が屋敷にとどろいた。


「ユキナ」

「はい。奥様」


「私は私の仕事をします。私にできる全てであなたたちを支えます。何が必要か精査なさい……」

「はいっ!」

「これはヴァイオレットとシャルロッテの、誇りを懸けた戦いです。死ぬ気で働きなさい」


……。


 ユキナは屋敷を飛び出した。

 エル様、リッタ様に迷惑がかかろうと、嫌がられようと、地面に頭を擦りつけようと、どんな手段を用いようと、必ず全面協力してもらわなければならない。


 最高の協力者の存在が必要だったから。

 ユキナの頬に涙が伝る。

 ようやく、ようやく願いが叶うかもしれない。

 いや絶対に叶えて見せる。


 これはいつも馬鹿にされてばかりのやさしい女の子が、世界を見返す物語のはずだから。



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