第56話 大好きな悪役令嬢に祝福を
「綺麗だねっ!」
「綺麗ですよ~」
ネルとクラリッサが手放しでドレス姿と宝石をほめてくれる。
私には不釣り合いな宝石たちだ。けれど宝石に罪はない。
「ありがとうございます」
「自分の気持ちに素直になるんだよっ!」
とネルが言う。
「……何のことですか?」
「一日くらい
クラリッサもよく分からないことを言う。
「ところで弟を見ませんでしたか?」
「レオ様は帰ったよっ」
そんなことがあるのでしょうか。
……。
シャイロックのチョコレートの固形化に成功した話が、長々と続いている。
招かれた貴族や有力者、金持ちたちの中央のテーブルにはいくつかのチョコレートが並んでいた。
だがそれらはカカオの脂分を完全に溶け込ますことができず、所々に白い点や線が入っている。光沢もまだまだ、足りていない。
カカオの風味も消えていた。
それでも今までのチョコと比べれば格段においしく、食べやすくなっている。
聖女アリシアが一口食べて言う。
「まぁ、おいしい」
その声に、招かれた貴族や有力者、金持ちたちは声をあげる。
その反応にシャイロック親子は満足げな表情を浮かべた。
「みなさんはチョコレートがお好きですか?」
聖女が語り掛けると、皆口々にチョコレートの思いを口にする。
「もちろんですよ」
「身体にもよく、味もおいしい」
「ですが固形のチョコレートは食べたことがない」
「さすがはシャイロック家。飛ぶ鳥を落とす勢いとは、まさにこのこと」
そして皆がシャイロックの許可を得て、チョコレートを食べ、その味に絶賛の言葉を述べていく。
そのざわめきが収まる頃合いに聖女が、透き通る声を出した。
「私のおすすめの職人もチョコレートを作っているのです」
魔力が乗っているかのような、魅惑的な声だ。
「今日は固形のチョコを食べられると、皆さんがそれを楽しみにしていると聞いて、その職人のチョコレートを持ってきました。持ってきてくれますか?」
聖女は何も知らない少女のような屈託のない笑顔で言った。
それは貴賓としてあるまじき行為で。
この社交場を壊すような。
純粋で何も知らない、残酷な子供のような提案だった。
その声に、聖女の塔の者たちが動く。冷汗を浮かべながら。
まるで脅されているかのように。
チョコ料理の数々が運ばれてくる。
白い料理人の格好をした男性……エルも現れた。
今日は無精ひげがなく、びしっとした料理人の格好をしている。
ここに至ってようやく気付く。
ヴァイオレット家の気配に。
ザッハトルテ、ショコラテリーヌ、ティラミス、チョコフォンデュ、チョコレートパイ、チョコレートムース、ガトーショコラ、生チョコ。
固形化の成功により、別物のようにおいしくなった飲むチョコレート。
チョコのアイス。
そしてその他様々なお菓子たちに、チョコレートが添えてある。
「こ、この人は、私の、お、おすすめの料理人でっあのっそのっかっこ……ごほん」
なぜか一番動揺しているのは聖女アリシアであった。一瞬恋する乙女のような顔をした気がする。
「料理の説明は彼にお聞きください。チョコレートを作った職人は他にいます」
そそと、アリシアはエルの近くへと移動する。
それはシャイロック親子に、彼がつまみ出されないように守ろうとしているようだった。
流石のシャイロックも聖女には手出しできない。
エルが無愛想に一礼だけした。時折、顎を触っている。
聖女はその顔をじっと見ていた。
そして極めつけは、運ばれてきた美しいチョコレートの花々。
シャイロックのチョコと違い、うつくしい光沢をまとったチョコが、花を成している様は圧巻だ。見る者の目を奪ってしまうほどに。
会場を感嘆のため息が包んだ。
だが、それはセレニアムを模した花で。
ヴァイオレット家の象徴だった。
チョコレートの宣戦布告。
花の意味を理解した人々は、感嘆をざわめきに変える。
聖女の手前、シャイロックは妨害することができない。
エルが発言する。
「あ~ごほん。チョコレートは様々な料理に使えます。ですが、まずは固形のチョコレートの本来の姿を皆さんに楽しんで欲しい。本当の楽しみ方を知ってください」
エルの前には、綺麗に積み上げられた、宝石のような光沢を誇る固形のチョコがあった。
板チョコを一つ手に取る。
そして割ると、会場に小気味の良い音が響いた。そして目を閉じて香りを楽しむ。口に入れ、くちどけを楽しみ飲み込み、笑顔を浮かべた。
それは、やわらかな表情で。
「チョコレートの程よい硬さと香りも楽しんでください。その後はくちどけを。常温で固体、口の中の体温で液体に変わる、魅惑のお菓子を楽しんでください。チョコの風味やくちどけの違いは無限の可能性を秘めています」
貴族や有力者たちはおそるおそる、そのチョコを取ろうとして――。
シャイロックの当主は顔を青ざめさせ、肥満のだらしない身体を震わせた。
我慢がならないと。
「こ、これはどういうことですかっ! 聖女アリシア様! 今日は我々のチョコレートを発表する場でっ! こんな、こんな、背後から襲うような真似は!」
「そうでした? 今日はチョコレートを楽しみにしている人が来ると聞いていたので、気を利かせたのですが」
と聖女はかわいらしく小首をかしげて、塔の世話役に視線を送る。
汗をだらだらと流しながら、女性達がこくこくと頷く。
「お、おいしいっ!」
遠方からやってきた貴族の婦人が声をあげた。
皆の注目が集まり、あわてて口を手でふさぐ。
けれど我慢ならないとばかりに、聖女に近づき言った。
「せ、聖女様っ! こ、このチョコレートはどこで買えますか? 私、これを持って帰りたいのですっ! 皆に自慢したいっ! 誰が作ったのですか? その職人の名をっ教えて下さいっ!」
貴族にとって物の価値を見定める瞳は、時に金より価値あるもの。
遠方からはるばる来ている彼女にとって、このチョコは金より大事なこと。
ここでの恥より、領地に帰ってからの利を取ったのだろう。
聖女アリシアは皆の注目を集めるように、身体を動かす。
「この、宝石のようにうつくしく、おいしいチョコは」
時間を置いて伝える。
「シャルロッテのチョコレートです」
シャルロッテを知らない者はいない。ヴァイオレット家のできそこない。
皆そう覚えていた。
ヴァイオレット家の唯一の隙であり、汚点であり、嘲笑の的だったから。
お菓子狂いのうつけ者がいる。
シャルロッテというらしい。皆、噂を楽しんでいた。
「覚えておいた方がいいと思います。ヴァイオレット家の奇才シャルロッテ・フォン・ヴァイオレットの名前を。そしてみなさんは誰につくべきか今一度考えた方がいいでしょう。私は確信しています。幾百幾千の宝石より、彼女の存在の方がはるかに価値があると」
聖女は身に着けていた、シャイロックの宝石を全て外して言う。
そこには先ほどの少女のような、屈託のない顔はない。
確信を得た妖艶な大人の顔で。
「噂を聞いたことがあるでしょう。皆さんの知っている通り、シャイロック家が目の敵にしているのが、シャルロッテ様。今が人生の岐路。判断を誤れば、きっと後悔することになりますよ」
貴族や有力者、金持ちたちがアリシアの言葉に、チョコに殺到した。
聖女の言葉には魔力が乗っている。
聞く者を魅了してしまう力があった。
そう思われても仕方がないほどに。
彼らを背に、聖女アリシアはエルの元に行き、少し飛び跳ねて何かを受け取って、つかつかと私の方へと来る。
「セシリア様にはこれを」
手紙と包み。
手紙を見る。
規則正しい大きさと等間隔で書かれた几帳面な、丸みを帯びた文字。
それはシャルの字で。
『お菓子同盟。約束覚えている?』
覚えていた。けれどそれは幼い頃の、ハインリッヒを背負っていなかった頃の誓いで。
包みを開けた。
穢れを知らない真っ白な色が現れる。
「なにこれ……」
つぶやいた。
「なんですか、これ……」
救いを求めるように聖女を見た。
「チョコレートだそうです」
「そんなはず、ありません」
チョコレートのはずがない。
カカオ豆から作るチョコレートは黒くなる。
それは何千回と繰り返しても変わらない事実だった。
産地を変えようが、不変の現象。
だから白いチョコレートなんて存在しない。
「ホワイトチョコレートだそうです。まだシャル様しか食べたことがないのですよ。食べた方がいいと思います。私にはその味の価値を本当の意味で理解できないのだと思います。ですが、きっとセシリア様にはわかるはず。このうつくしいチョコレートの本当の味を。セシリア様に贈る、シャルロッテのちょこれーと、なのですから」
ホワイトチョコレート。
圧倒的な白さに目を奪われる。
チョコを食べる作法をする。
一口の大きさに割ると、小気味よい音が鳴った。
香りはミルクのような香り。十分に楽しみ、口に入れる。
ただ口の中で、溶けていく。
やさしさに溢れた繊細なチョコレート。
渋みもない、苦みもない、あるのは旨味と、やさしいあまさ。
どこまでもあまさが広がっていく。
けれど私は知っている。
この甘さを創り上げるために、どれだけシャルが苦悩したのか。
何年、何十年の苦しみと屈辱を味わってきたのかを。
でも苦みなんて一切なくて。
これは苦しみの果てに生み出されたチョコレートで。
それを一切感じさせない、この穢れの無いチョコレートの本当の味を知っているのは私で。
甘いのに。どこまでも甘いのに。
彼女の苦しみとそれ以上の情熱を感じてしまって。
シャルという職人の努力を想像してしまう。
毎日毎日一生懸命作っていたのではないだろうか。
朝起きて作って、寝ながら作って、作りながら寝て、起きてまた作って。
毎日毎日。
失敗と苦悩を繰り返して。
つらいことも苦しいことも知って。
そんな彼女が創り上げたチョコレートは、どこまでも甘いもので。
ただ相手を想うやさしさに満ちていて。
聖女アリシアが言う。
「私はあなたのことを知りませんが……。失ってはいけない、出会いはあると思いますよ。あぁそれと――」
「――大好きな幼馴染に祝福を、だそうです」
身体が弾かれた。
心の奥底から湧き上がる思いに、身体が動いてしまう。
「外にあなたの幼馴染の二人が待っていますっ! その方たちに場所を聞いてっ!」
聖女が叫んだ。
セシリアは飛び出す。
全て振り切り。ただただ、飛び出した。
……。
混乱が入り乱れる中で、娘が出ていく背を、ハインリッヒ当主レオナルドはおだやかに見ていた。
そこに詰め寄るのは、シャイロック商会の当主とガイウス。黒茶よりの金髪の当主の男は、でっぷりとした肉に顎が埋もれ呼吸も難しそうなほど。ガイウスは父の後ろで、ぎゃあぎゃあ叫んでいる。
「やってくれたなクソネズミが! このドブネズミのクズ貴族が! これは報告するぞ! 全て貴様の差し金だろ! この社交界をめちゃくちゃにしやがって! 俺の顔に泥を塗りやがってっ! 王都に行って、全てを包み隠さず話してやる!」
「大変申し訳ありません。そして構いません」
頭を下げたが、何も悪いことはしていないと、威風堂々とした謝罪だった。
ハインリッヒ当主、レオナルドは背を伸ばす。
シャイロック親子は罵倒の数々を投げつけていく。
「薄汚い卑怯者が!」
「お褒めの言葉の数々、誠にありがとうございます」
貴族の罵声は誉れ。民衆の罵倒こそ恥と知れ。
成金貴族の歴史が違う。ありとあらゆる罵倒を受け続けたハインリッヒに、貴族の罵声は通用しない。
「くそっ! 糞がっ! ただじゃおかない! これは必ず報告する! そしてヴァイオレットも後悔することになる! ハインリッヒは裏切り者だ! 立場が変われば必ず裏切る! 誇りも何もない成金貴族が!」
「一体何の話をしていることやら。まだ婚約の発表はしていないでしょう? 婚約の話は確かにあった。だが娘はたいそう嫌になったようだ。婚約は破棄させてもらう。しかし、おいしいチョコがあって助かった。皆夢中だ。それはシャルロッテ・フォン・ヴァイオレット様が作ったらしいな。すばらしい職人だ。私たちハインリッヒは、彼女に心からの敬意を」
シャイロックの当主は震えた。
全ての話をひっくり返したのだから当然だ。
シャイロックの指先の宝石達がこすれカタカタと音が鳴る。
「戦争だ……」
シャイロックからの宣戦布告。
「経済戦争だっ! ハインリッヒ! 容赦はしない! お前たちをつぶしてやる!」
シャイロックの当主はたるんだ身体を震わせ叫ぶ。
「ええい! 何をしている! ハインリッヒをつまみ出せっ!」
ハインリッヒの関係者は全てつまみ出された。屋敷の外へと。
裏切り者にふさわしく、服を泥にまみれさせ、地面に転がる。
けれど誰一人それを恥とは思わない。
貴族の罵声は誉れ。民衆の罵倒こそ恥と知れ。
ハインリッヒの当主は泥を払うことなく、立ち上がって言った。
「さて、これからヴァイオレット様の靴でも舐めに行くか」
クラウスは泥を顔につけたまま言う。
「そうですね。今の私は、ハインリッヒ執事のクラウスですから。メイドの靴だろうと舐め上げてみせましょう」
その言葉に従者たちもただ、粛々と二人に付き従う。
「我々に退路はない。ヴァイオレット家に嫌われてはおしまいだ。一世一代の謝罪と誠意を。だが……靴を舐め過ぎて嫌われないようにしないとだな」
「えぇ。嫌われては意味がありませんから」
二人は笑いあった。
歳は違えど、苦楽を共にした二人だ。
「娘にはかわいそうなことをした」
「これからはセシリア様のしあわせを願いましょう」
二人は頷く。
「ところでクラウス。シャルロッテ・フォン・ヴァイオレットはどんな人物だ? 今一度詳しく聞かせてくれ。他にも主要な人物を」
「えぇ。シャルロッテ様は――」
服を泥で汚したまま、肩を回しながら、彼らは颯爽と歩く。
ハインリッヒの矜持を脇に押しのけ、娘のしあわせを胸に、ドブネズミのようにしぶとく立ち回るために。
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