第37話 おうちデート?はココアとチョコを②
作り方を変えた、四種類の固形のチョコを器に並べる。
「え、エル君……チョコは飲み物……無理やり冷やしたの?」
「ココアバターとの兼ね合いでチョコは固体になる。すずしいくらいの温度で固まり、人の体温で液体になるんだ。つまり普段は固体で、口の中に入れると溶ける。異世界の人々を虜にし続けた最高のお菓子の一つだ」
シャルはチョコ……とつぶやいた。
「条件を変えて作ってみた。違いがわかるはずだ」
まずは一番上手くできた、色艶のよいチョコ。
これでもまだ完成にはほど遠い。ところどころ油分が粒として現れているし、なめらかな触感とは言えなかった。
シャルは匂いを楽しみ、ほっぺを真っ赤に染めて、一つ口の中に入れた。
噛んでもいないのに、溶けていくのを感じているだろう。
「うっ」
目をまんまるにして、固まっている。
お湯で口を濯いでもらって、次は別のチョコを食べてもらう。
チョコレート。
よい香りで、なめらかな触感を持ち、繊細でうつくしい魅惑のお菓子。
アクアテラで一般的に知られているチョコレートは飲み物で、油分が残っているため水分にも溶けにくく、粒が残り、ざらざらでギトギトとしたもの。風味と甘さが同居しているため、それでも美味しいのは間違いがない。だが、異世界レシピを読み解く限り、異世界のチョコは、味、見た目、風味、匂い、くちどけ、全てが完璧だ。
シャルはチョコを口に入れる。お湯で口を濯ぐ。そしてまた別のチョコを入れる。
もぐもぐと口を動かし、飲み込み固まった。
やがてシャルが動き始める。
「全部、おいしいっ……けど、味も風味も全部ちがう。それに見た目も、硬さも、口溶けも、全然っちがうっ! 全部! 違うよ! 全部っ!」
これこそがチョコレートの浪漫。
一生を懸けても到達できないと思える高みが存在する。
カカオ豆の選定、発酵、乾燥、焙煎方法、砕く、挽く、コンチングにテンパリング、成型……温度や湿度、時間。全ての工程で、その一つでも掛け違えるだけで味や風味、口溶けが変わってくるのだ。
加工の度合いや方法によって全く違う味わいになる。
最高のチョコを追い求めるためには、人生を費やす必要がある。
チョコの高みは遥遠くにあるのだから。
その高みに至って、初めてチョコを使った料理が生まれていく。
恐ろしいことにチョコが完成してからが、さらなる異世界料理の始まりだ。
チョコを使った魅惑の料理の数々がある。
異世界人の、食への執着は狂気の沙汰。
乾いた笑いしか出ない。
「最高のチョコを作ることができれば、さらに多くの料理が生まれる」
異世界レシピを起動させる。
おそらくチョコだと思われる項目が虫食いに、塗りつぶされていた。
この異世界レシピという魔導書を納得させるチョコを生むことができれば、虫食いになっている項目が埋まっていくことだろう。
俺の作ったチョコでは、異世界レシピのチョコを使った料理の項目が埋まらない。この魔導書にとって、まだチョコと呼ぶに値しないモノだという証拠だ。
もちろん勝手に俺の中で、虫食い部分がチョコだと想像し作ることはできる。
実際にそれで作ったことさえあった。
十分にうまいものだったが。
俺も初めてチョコを作った時は感動した。こんなうまいものがあるのかと、興奮したのだ。だがほんの少しの掛け違いで、食感や味に違いが出ることがわかった。作っても作っても異世界レシピの項目は埋まらない。
幾千幾万と製造条件を変えて作らなければ、異世界のチョコには及ばないのだろう。
チョコレートを創り上げた異世界人の情熱は計り知れない。
どれだけの執念が、このお菓子に詰まっているのか。
そしてどれだけ多くの人を虜にしてきたのか。
異世界レシピには、チョコを使った料理だと思われる項目が星の数ほど存在した。それを見るだけで、その情熱と異世界人の偉大さが伝わってくる。
「世界で一番美味しいお菓子を目指すのなら、チョコが必要だ。そしてチョコは製法の違いで味が変わる。俺は基礎的なチョコの作り方は知っている。だが研究する時間も根気も金も、人脈もない」
ここにチョコを製造する知識がある。
そしてシャルは人脈と金と場所と環境を用意できる可能性を持っている。
何より、神様は、彼女の小さな身体に溢れんばかりの情熱を詰め込んだ。
情熱は、世界に革命をもたらす、もっとも必要な資質だ。
「……シャルはどう思う? シャルならどうしたい?」
彼女の答えは分かりきっている。
お菓子好きがチョコの魅力の片鱗を知って挑戦しないわけがないから。
シャルの頭の中では何かが駆け巡っているのだろう。
活動が停止している。呼吸をしているかもあやしい。
シャルはきっと俺が思っている以上にお菓子への情熱を持っている。
世界をひっくり返すシャルの魔法がここにある。
きっと彼女の好きは世界を変える。
それが見てみたい。
だからきっかけを与える。
わかりやすい言葉に変えた。
俺は確信している。
「……チョコレートを究めることは、世界で一番おいしい、世界中の人々に愛される、しあわせなお菓子を生み出すことだ」
シャルの瞳孔が開いた。
彼女の青い瞳が輝く。流星の瞬きのような輝き。
シャルは諸手を挙げて飛び跳ねた。
「ううううううううっ!」
だが、今日はいつもと違い、俺の懐に飛び込んでくるほどに。
こんな真っすぐな好意は初めてで少し照れてしまう。
神様は、小さい女の子に入りきらないほどの情熱を詰めこんでしまった。
だから挙動不審になってしまう。
悪いことでは決してない。発散する先があれば、何かを成すはずだから。
「全く同じ動きで、製法する技術が欲しい。そして、色々なカカオで、温度や時間を変え、最高のチョコを作る条件を導き出して欲しい。人の手が加わるのは、安定したチョコやココアが出来た、その後だ」
「同じ動き……っ」
シャルも気づいたようだ。
魔術回路に魔力を込めることで決められたように動く魔工具。
アクアリス魔法大学ではそれを学べるようであった。
チョコ作りに特化した魔工具の製作。
チョコとココア。
発酵したカカオ豆をすりつぶしたものがカカオマス。カカオマスにはココアバターという脂肪分が含まれている。ココアバターを加えたものがチョコ。ココアバターを分離し細かい粒にしたものがココアパウダー。
つまり第一段階はココアバターの抽出。
ココアとチョコの存在を区別することが第一歩。
既存のカカオ豆の選定。
ゆくゆくは適した栽培方法の確立。
おいしいチョコの製法調整、製法の開発に保存方法確立。
……やることだらけだ。
人脈と金と場所と環境と発想と、根気……失敗に折れない心が必要。
だが、間違いなくお菓子の世界に、いやこの世界に、革命がおこるはずだ。
……。
それから、シャルと発酵したカカオ豆からチョコを作っていった。
何時間とかかる地道な作業だ。
だがシャルに飽きる気配はなく、顔を真っ赤にして興奮していた。
けれどシャルは一言も発さない。
時折、何かを訴えるように、ぱたぱたと腕を振っているだけだ。
遅くなったことに心配したユキナが家を訪ね、シャルの手を引き帰っていった。
後日彼女から聞いた話では、シャルは三日三晩寝込んだらしい。
刺激が強すぎたようで、知恵熱が出たようだ。
何をしたのかされたのか、メイド達の中で一騒動あったらしい。
メイド達に会う度に、責任、と小声で言われた。
誤解である。
だが、シャルは本当のお菓子好きだ。
小さな身体に計り知れない情熱を持っている。
きっとシャルならうまくいく。俺は彼女の成功を楽しみにしている。
これをきっかけに俺の夢の一つである、レシピの発展と広がりにつながればいい。
いつか世界で一番おいしい料理の誕生と笑顔を願って、シャルの発明を楽しみに、今日も料理を作っていく。
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