第36話 おうちデート?はココアとチョコを①
「デュークを送ってくるでごぜぇーます」
「……え? 今日シャル来るんだけど」
「そっちの方が面白そうでごぜぇーますから」
呼び止める間もなく、彼女は軽やかに玄関の外へと出て、飛び立った。
飲み歩いているデュークを捕まえて、送っていくのだろう。
俺はおとなしくシャルを待つことにする。
久しぶりの独りの時間で、暇を持て余してしまう。
お菓子作りをしようにも、一度始めたらシャルの相手はできないし、彼女が来てから作りたい料理がある。
もう準備はできてるし。やることがない。
暇だな……。
発酵したカカオ豆の選別をもう一度する。
豆の大きさと太さで分けることに熱中していると、呼び鈴が鳴った。
玄関のドアを開けると、そこにはシャルがいて。
普段、屈託のない笑顔で真っすぐにこちらの顔を見てくれるのだが、今日は視線をそらしてどこかよそよそしい。
庶民的な簡単服だが、淡い色合いの清楚なかわいいモノを着ている。
さすが伯爵家のご令嬢。輝く金髪に青い瞳、着飾っていなくてもお嬢様オーラというのはあるのだとわかった。
「こ、こんばんはっ」
残念ながら今は朝だ。シャルはびくびくと怯えながら周囲を警戒している。
身柄を狙われている賞金首のように。
あるいは罠だらけの遺跡に入る冒険者のような様子だ。
「おはようシャル。ユキナさんか誰か、メイドはいないのか?」
「や、屋敷にいる時はいた」
そりゃそうだろ。
一人で来たと言いたいのだろう。
メイドを連れてきてもらっても良いと伝えたはずだが、みなこの状況を楽しんでいるように思えた。メイド達の顔が目に浮かぶようだ。
しかし、伯爵家のお嬢様一人は信頼し過ぎな気がするが。
「え、エル君っ。り、リッタは?」
「今日はいない」
「ぅぇ!?」
シャルはちょっと飛び跳ね後ずさる。絶望しているようだ。
あるはずの頼みの綱は既になく、始まりから絶体絶命かのように。
流石にかわいそうになってくるな。
「今日はやめとくか?」
「だ、だいじょうぶっ。お邪魔しますっ」
そろりそろりとシャルは家の中に入る。
小さな家に伯爵家の貴族。
不思議な光景だ。
庶民の家が興味深いのかシャルはキョロキョロと周囲を見渡している。
「いい匂いっ。お菓子の匂い? ……物置?」
俺とリッタの家最大の広さを誇るリビングを見て、とんでもないことを呟く。
頭に手を置いて、優しく揺する。
わわっとシャルは嬉しそうに揺すられていた。
「ここはシャルの家だと、会食の場だな」
「エル君面白いこと言うねっ。お手洗いより小さい会食の場なんてないんだよっ」
けらけらと笑っている。
貴族の中の貴族の素直な感想だった。
「甘い匂い。お菓子の匂い。いい匂い」
とシャルは口ずさみながら、ぺたりとソファーに座った。
機嫌はかなり良さそうで興味も色々あるようだが、緊張しているようだ。そのまま、借りてきた猫のように一旦座った場所から動こうとしない。
興味があるが緊張で動けない。シャルの感情が伝わってくる。
その様子に笑ってしまう。
もう少し見ていたいとも思うが、可愛そうだな。
シャルの緊張をほぐすためにも、さっそく本題を提供することにしよう。
「ちょっと待っててな」
「う、うんっ! ま、待つねっ!」
シャルは少し安心したようだ。
キッチンでココアを作る。
カカオの選定、発酵、豆の大きさと形分けに焙煎、分離に粉砕、搾油……さらに粉砕と一から作ったココアパウダーだ。これとチョコを準備するのに一日かかった。
ココアパウダーと砂糖、極少量の牛乳を入れ、焦がさないようにゆっくりと温め、艶が出るまで練り上げていく。すると、うつくしい色と光沢感が現れる。
少しずつ牛乳を足していくと、ココアのうっとりする、いい匂いが漂ってきた。
花の香りもすると思ったら、いつの間にか傍らにはシャルがいて。
興味津々といった具合に、ココアを見つめている。
全然待てていない彼女に笑ってしまう。
ココアの甘い匂いに釣られたようだ。
さっきまで動く気配がなかったというのに。お菓子となると緊張など吹き飛んでしまうのだろう。
ココアが沸騰する直前に火を消す。
「こ、こここ、これ、なに!? エル君!」
ココアをコップに注いで、シャルに渡す。
湯気とともに、ココアの甘い香りが部屋に満ちていく。
「ココアだ。チョコと同じカカオからできている。熱いから気をつけてな」
「いい匂いっ! やさしい香りっ。ふわあ……お、おいしい……おいしいよっ」
ふーふーと息を吹きかけ、ゆっくりと飲んで、きらきらとした瞳を向けてくる。
続いてシャルは疑問を口にした。
「これってチョコとは違うの? でも全然ざらざらしてないし、牛乳にしっかり溶けてて……匂いも違うっ」
俺はしっとりとさらさらの中間のようなココアパウダーを示す。
「これはチョコになる前のカカオから脂分を分離したものだ。ココアパウダー。ココアバターという油分を分離すると、水分に溶けやすくなる」
「ココアパウダー……ココアっ。いい香りっ。ココアっ。やさしい匂いがするねっ」
シャルの表情はころころと変化していく。味を楽しむ顔であったり、どういったものか分析するような表情であったり、香りを楽しんだり。
「椅子持ってきてココア飲みながら座って見ててくれないか? ココアパウダーでココアの生チョコを作るから」
「い、椅子いらないっ!」
シャルはふんふんと身を乗り出して集中している。
そうか、と笑ってココアパウダーを器に入れる。
砂糖を加え、混ぜ合わせていく。水を加え、粉っぽさがなくなるまでかき混ぜる。
するとしっとりとした生地になった。均等な厚みに整形し冷蔵ボックスにいれる。
「時間が経つとこれになる」
今日はシャルにチョコの沼にハマってもらうための日なので特別だ。
あらかじめ冷やして準備しておいた生地を見せる。
シャルはこくこくと操り人形のように頷いていた。
ココアから作った黒い生地を一口サイズに切り分けていく。
調理台に茶色のココアパウダーを敷き、切り分けた生地を乗せる。
ムラができないようにパウダーを生地全体にまぶすと完成だ。
「食べてみてくれ」
「うんっ」
ココアパウダーから作った生チョコを食べたシャルは固まった。
ぽろぽろと涙を流す。
「……っ!」
手をぱたぱたと動かしている。
ココアを飲みほっと一息ついた。
「うっ」
やがて唸り始めた。
「うううううっ。うううううっ! エル君っ! エル君エル君っ! ごべんねぇ!」
泣きながら縋りついてくる。
想像していた展開と違って焦ってしまう。
「やっぱりぃっ! やっぱりぃ一緒にぃいいっ! お菓子をっ!」
やっぱり一緒にお菓子道を進んでほしいと泣かれてしまう。
ごべんねぇ! ごべんねぇ!
と泣きわめき、涙でべちゃべちゃになっていく。
うれしい反応だが、俺が求めているのは違う効果だ。
俺はシャルの涙を指先で拭っていく。しかしシャルの小さな身体に感情が収まりきらないのか、一向に涙が止まる気配を見せない。
シャルは、うう~と無警戒にこちらを見上げ、されるがままだ。
赤ちゃんのように柔らかいほっぺだった。
拭っても拭っても涙が止まらない。
涙が出るのもお菓子なら、止まるのもお菓子だろうと諦め、ハンカチを渡して話を進める。
「ココアも奥が深いのだが、シャルに知って欲しいのはチョコレートだ」
「ぅぇ? ちょこ? どこ?」
「これだ」
四種類の固形のチョコを準備していた。
一人で一から作るのは大変で、結局徹夜になってしまった。
チョコレート。
異世界人が苦心の末、創り上げた、人の心を虜にする魔法。
これを口に入れた瞬間から、シャルの人生は変わってしまうだろう。
それだけの魅力がある。
異世界の人々の執念が詰まった魔法のお菓子……それがチョコレート。
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いつも時間をかけて読んでいただきありがとうございます。
本当に励みになっています!
長くなってしまったので、二話に分けます。
章の完結目指して頑張りますので、引き続きよろしくお願いいたします!
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