第35話 街角勇者亭


 夕方から『街角勇者亭』で移動式屋台のお披露目をしていた。

 酒飲みのつまみは、作り置きの燻製、だし巻き卵、てんぷら、ティアルフィッシュのカルパッチョなどなど。

 パイ、肉詰め、豚汁、ポトフ、ハーブピクルス、シーザーサラダ、各種チーズ。

 デューク用はガーリック肉ライスに、バイソン肉のステーキを乗せたもの。

 シャルやお菓子好き用に、家庭的で素朴な、パウンドケーキやくるみとフルーツのトルテ。

 エールなどの酒や飲み物。

 様々な料理を準備した。


 特別な挨拶などない。

 来た知人から順に、思い思いのタイミングで飯と酒を飲んでもらうだけの気軽な会食だ。来る時間も自由、帰る時間も自由の、日頃の感謝を込めた祝いも兼ねている。


 みな笑顔で好きなように楽しんでくれていた。


 だが、いつも我がことのように喜んでくれるシャルだけ不機嫌だ。

 ユキネが『花のクレープ屋』で働くことに決まったため、営業時間を短くせずに済んだが、俺がお菓子道から浮気していることが嫌だったようだ。


 ユキナが申し訳なさそうに事情を説明してくれた。


 シャルの不機嫌な顔も少し愛らしく笑ってしまう。

 性格の良さがにじみ出ているというか。

 必死に、私不機嫌ですという顔を作っているように見える。


 シーザーサラダを食べているシャルに近づく。

「まずかったか?」

「……味はおいしい」

 シャルは口を尖らせて、心底悔しそうに言った。


 ようやく来た反抗期のようだ。

 どうやら俺はシャルの喜ぶ顔中毒になりつつあるらしく、餌付けしているつもりが餌付けさせられている、という逆転現象がおこりつつあることを自覚した。


 どうしてもシャルを餌付けしたい。

「匂いか?」

 シャルは律儀に肉料理の匂いを嗅いだ。

「……匂いはいい」


「見た目か?」

 パウンドケーキやトルテを見て言う。

「……見た目はすごく食べたくなる」


 いいことづくめだった。分かっていながら直球で聞いた。

「ならなんで不機嫌なんだ?」

 なぜかシャルは驚いた顔をする。俺もその表情に驚いてしまった。

 不機嫌な子に、不機嫌な理由を聞いて驚かれると思わなかったからだ。


 シャルはうーん、うーんと考える。

 やがて頭を抱えて、うううううう、と唸りはじめる。

「……」

「…………」

 シャルは考えて考えて、ようやく絞り出した。


「………………油、太るから」

 そしてシャルは油を飲み込む勢いで肉を食らうデュークを見た。

 その顔と腹はぱんぱんだ。

 まぁ確かに一理ある。


 だがお菓子は油と糖で出来ている。


「お菓子の方が太るぞ」

「むぅっ!」

 シャルが立ち上がってほっぺを膨らませた。


「すげぇでごぜぇます。人間あんなにほっぺ伸びるもんなんでごぜぇーますね。パンパンじゃねぇーですか」

「むぅっ! むぅっ!」

 とシャルはぷりぷりと怒っている。なんでわからないのっ、と言いたげだ。


 ユキナが補足してくれる。

「お菓子は全女子の夢の食べ物なので太りません……食べたらしあわせな夢にいる気分でしょう? そして人は夢では太りません。だからお菓子を食べても太らないのです、とシャル様は言っていますね」


「むぅぅっ! むぅぅっ!」

 と私怒っているんです! という雰囲気を出しながらよく言ってくれたと言わんばかりの顔だ。

 何を言っているのかわからない。

 だがメイド達はみな頷いている。全く納得する要素なかったのに。


「エルが悪いんじゃねぇーですかね。乙女を虜にした罪は重いのでごぜぇーます。一回してポイッは最低の所業でいやがりますから」

「そうだそうだっ! 一回してポイッ? だめなんだよ! 最低エル君っ!」

 シャルはリッタが味方してくれたのがうれしかったようで、途端に満開の笑顔で小さな拳を突き上げている。

 絶対意味わかってないだろ。


 リッタも悪乗りしはじめた。ブーイングしながら、すけこましだの万年発情期だのニーソ変態フェチ野郎だの、あることないこと、言いたい放題だ。

 ニーソ変態フェチ野郎しか合っていない。

 微妙に事実を混ぜるのはやめて欲しい。

 否定しにくくなるから。


 流石に風評被害がひどい。営業時間もユキネのおかげで解決したし。

「そこまで酷いことしてないだろ」

 俺は自信をもって言った。

 だが、どうだろう。

 その場にいた女性陣から白い眼で見られていた。


 俺の感覚と世間の評価との乖離に愕然とした。

 ユキナを見ても、ユキネを見ても、デュークすら頬に肉をパンパンに詰め込みながら俺を白い眼で見る。デュークはただの変顔か? よくわからない。


 俺がおかしいのか。俺は気を使えないなりに、できる限り誠実に対応しているつもりだが、世間とずれていたらしい。

 長い冒険者生活が俺の感覚を麻痺させていたようだ。

 デュークが肉を飲み込んで言った。

「ちなみにエル。冒険者生活は関係ないぞ」


 心の声を読むな。

 幼馴染というのは厄介だ。


「まさか……」

 とユキナが美しい所作で注目を集めながら立ち上がった。

「『エル様被害者』の会を設立する日が来るとは……」


 ユキナがつぶやくと、メイド達が私も最近太りましたと被害を次々報告する。

 俺への批判なのか誉め言葉なのかはわからないが、謎に盛り上がり、彼女たちはスケジュール調整を始めた。

 どうやら女子会の開催日を決めているらしい。


 『今日のシャル様』会も同日に開催されるらしく、午前午後の二部制だ。

 一緒に参加できると思っていたシャルは午後は雑な理由で出禁にされ、少し悲しそうな顔をしている。

 悲しむほどの会じゃないから安心していい。


「俺らも男子会……えっと、なんだっけ、あ、エル被害者の会やろうぜ」

 デュークがドランとライアンに言った。絶対ただの飲む口実だ。


「いいでちゅ……すまん。酔っているみたいだ」

 ドランが赤ら顔で言い直した。

「楽しみでちゅ」


 ドランはふぅ、と精神統一し筋骨隆々の手で酒を一口飲んで言った。


「……すまんでちゅ」

 もはや謝る気ないだろ。

 ドランは諦めて、おいしそうにつまみを食べ、酒を無言で飲み始めた。


 夕方一番に来ていたライアンは酔っ払い過ぎて、船をこいでいる。

 きっと楽しくて飲み過ぎたのだ。

「ライアンさんも来るだろ」


「……ぁぁ」

 声ちっさ。


「よっしゃ決まりっ! 楽しみだな、男子会」

 いやライアンは記憶ないやつだこれ。間違いない。いつも、がははとうるさいのに、耳をすまさないと聞こえなかったぞ。


 しかしうらやましい。男子会は俺も参加したかった。かなりさみしい。

 だが俺も入れてくれと言いづらいのはなぜだろう。一応俺の被害者の会だからか。

「ん? エルは強制参加だろ」

 俺の幼馴染は最高にできた奴だった。


「……勝手に俺をいれられても困るが? 店もあるし」

 俺の口はツンツンしてしまった。

 なんでだ。

 思ってもいない言葉が出てびっくり仰天。


「エルの予定に合わせるに決まってんだろ。なぁ」

「もちろんでちゅね」「……ぅぅ、ぅぇっ」

 なんていいやつらだ。そして幼馴染の心意気に感動した。

 俺は今にも吐きそうなライアンを、吐いても被害の少ない場所に引きずって寝かせて言った。


「つまみは俺が全力で作ろう」

「やりぃ」とデュークは腹を叩いた。 

 

「エル様が作るって、男子会……ちょっとずるくないですか?」

 ユキナが珍しく口を尖らせている。

 そうだそうだと、メイド達からはブーイングが出た。

 へへっとデュークは中指を立てて、メイド達をあおり散らかしている。

 なぜ幼馴染はヘイトを買おうとするのか。面白い展開が好きなだけか。


 リッタが笑って言った。

「好きな男の胃袋をつかめという格言があるようでごぜぇーますが、それは女も一緒でごぜぇーます。今回ばかりはシャルの気持ち、わかるでごぜぇーますよ。エルの行為は鬼畜の所業でいやがります」

「うぅっ。リッタァっ!」

 とシャルが飛び込んだ。リッタはシャルの頭を撫でながら言う。


「まぁあたしはエルのやりたかったことを知っていたでごぜぇーますから中立。けど……エルなら既にシャルも喜ぶ方法を用意しているんじゃねぇーですかね」


 うぅ~とうるんだ瞳で捨てられた子犬のようなシャル。

 メイド達の非難の視線。

 まるで散々甘やかした子犬を、突然捨てるような人類史上最低の鬼畜男を見る目だ。

「俺もエルの機嫌損ねて飯抜きと言われるのは悲しいからシャルの味方だな」

 デュークまで笑って言った。

 別に俺はクレープ屋を辞めるわけではない。店頭に立つ時間を短くするだけだ。


 前々からお菓子道を突き進むためには、俺一人では無理であることを、異世界レシピを見て思っていた。とてもじゃないが時間が足りない。ましてや他の屋台を営業しながらなど無理な話だ。

 お菓子とはそれほどに奥が深い。


 お菓子道を追求するなら、俺だけでは到達できない高みがある。

 それには人脈と金と場所と環境と努力……失敗に折れない心が必要だ。

 つまりあほみたいに難易度が高い。

 凡人には到底たどり着けない頂きだ。


 だが、シャルなら多くの要素をクリアしているように思う。

 何より、お菓子に対する情熱は彼女に勝てる気がしないから。


「シャル明後日暇か? 俺の家に来てほしい」

「「「…………」」」


 楽しそうに飲み食いしていた皆の手が止まった。

 静寂が支配する。

 その後は不穏な空気だ。

 小さな女の子を狙う犯罪者を見る冷たい冷たい視線。


 全員が顔を見つめあった。俺抜きでひそひそ話を始める。

 話し終わった彼らはシャルを守るように立ち位置を変え、白い眼を向けた。

 誤解である。


 リッタがとことこ近づいて絶対領域を見せつけて言った。

「えっちなことは駄目でごぜぇーます」

 しません。

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