第34話 屋台準備


 『花のクレープ屋』に顔を出し、今日は営業しないことを示す看板を立てかけていると、声がかかった。

 声の主は執事のような恰好の老紳士。


「『花のクレープ屋』さんの店主、エル様とリッタ様ですよね。少しお時間よろしいでしょうか?」

 低姿勢だが、背筋がピンとしているためか貴族の人間のように思う。


「はい。ですが今日は用事がありまして、クレープ屋は休みをいただいています。話をする時間はありますが。どちら様ですか?」

「ハインリッヒ商会の執事をしております、クラウスと申します。今日は私どもハイリッヒ商会とともに、商品開発をして頂きたく参りました」


「商品開発……」

「アクアリス魔法大学で食べたクレープが絶品でして、ハインリッヒ家の話題に度々あがっております。もちろん、その作り手であるエル様、リッタ様の名前も」


 ハインリッヒ商会の名前はよく聞く。

 シャイロック商会と同じく、成り上がりの貴族。だが、シャイロックと違い地元に根差した商会で、貴族としての歴史は長い。


 地元民からも愛されているようだが、どうにも最近は経営が上手くいってないようである。身内を大切にするあまり、営業をうまくできずに競合相手のシャイロックと比較し、分が悪いようだ。


 リッタを見ると、どうするんでごぜぇーます、と言いたい顔だ。

 俺の夢のためにはありがたい話だが、今は他にやりたいことがある。

 二兎を追う者は一兎をも得ず、という言葉もあるし。


「ありがとうございます。大変ありがたいお話ですが……申し訳ありません」

「そうですか……それは大変残念でございますが、一人のファンとして、今後もエル様の作られるものを楽しませていただきます。それでは、お忙しいところ、ありがとうございました」

 と、気持ちの良いあいさつで去っていった。

 さすが歴史ある貴族といったところだな。


「大きな魚を逃したんじゃねぇーですかね」

 リッタはにやっと笑った。

「引き揚げようとしたら糸が切れてしまうからいいんだよ。あれは大物過ぎだ」

 

 ドランが花から、ぬぅっと顔を出した。

「さすがだな、エル。ハインリッヒ商会の見る目は確かだからな。あそこに見初められた飲食店はたいてい大成功をおさめている」

「えらい評価が高いな。やはり逃した魚はでかかったのか」


「……まぁ最近は、きな臭い噂を聞く。様子を見て正解だと思うぞ。シャイロックと協力しようとしているとも聞く。残念な話だが」


 シャイロックとハインリッヒの共闘……政略結婚の話が浮上しているらしい。

 シャイロックの息子ガイウスとハインリッヒのご令嬢の結婚。

 その噂の出どころは、両家の従業員からのものということもあり、市場の店主はみな警戒しているようだ。


 伝統があるが、商会としての売り上げが落ち目のハインリッヒ。

 新興貴族で地元民に嫌われているが勢いがあり、税を納める量が多く、王族に評価の高いシャイロック。


 シャイロックは貴族の伝統を欲し、ハインリッヒは従業員を守るための経営基盤強化が悲願。両者の思惑が一致していることもあり、なかなかに現実的な話だった。


「これ以上シャイロックが力を持つのは恐ろしいから、ハインリッヒのことをみな、応援しているのだがな……ハインリッヒの身内もどうもきな臭くなっているようだ。職人がどんどんシャイロックの方に行っていると聞く」

「そうか……」


 金の切れ目が縁の切れ目というのは、仕方がない側面もある。

 金は生きていくために必要なものだからだ。

 様子を見て正解だったかもしれない。


 しかし、あのガイウスと結婚させられるご令嬢はかわいそうだな。

 ご令嬢も彼と同じ人種であることを願うばかりだ。


 最後にドランはくしゃくしゃな笑顔になって花たちに話しかける。

「君たちは俺が守りまちゅからねぇ~」

「相変わらずでごぜぇーますね」

 俺はリッタに同意した。


「えー!」

 と悲鳴に振り返ると赤毛とそばかすがチャームなメイドのネイと黒髪を肩で切りそろえたユキネがいた。

「エルさん、おはようございます。今日は営業されていないのですね」


「おはよう、ユキネさん、ネイさん。今日は発注していた新しい屋台を見に行くことになっててな。休日だ」

「そっか……」とネイが肩を落としたが、すぐに八重歯をみせた。

「移動式の屋台なんだよね! 今度は夜も営業するのかなっ! やっぱりクレープ? それとも新しいデザート!?」


「いや、小さな居酒屋的な感じかな。酒も提供するし、料理も提供する。甘味はデザート程度だ」

「「……え」」

 と二人は顔を見合わせる。

 そして少し困ったような顔をした。


「えっと……やっぱりシャルが悲しむかな? 花のクレープ屋の営業時間も短くする予定なのだが」

 二人は苦笑いを浮かべてこくっと頷いた。


「時間が解決してくれると思いますが、しばらくは悲しむかもしれません。でもシャル様はやさしいので……」

「ボクもかなしいかな……エルさんのクレープ美味しいから。何とか営業時間だけでも伸ばせないの?」


「ネイちゃん駄目だよっ。エルさんを困らせちゃ」

「だって……ユキネだって本当は悲しいでしょ?」

「そ、そんなことないよ」

 とユキネは目線を外した。


 リッタが眠たげな目で言った。

「ユキネが花のクレープ屋で働くのはどうでごぜぇーますか? シャル家と兼任の従業員でごぜぇーます」

 青天の霹靂だ。


「それはいい案だ。俺としてもシャル家とユキネさんが許してくれるのなら、それが一番ありがたい」

「そ、それ最高だよっ! ボクも大賛成っ! シャル様に聞いてみようよっ!」


 ユキネは顔を真っ赤にして、両手を突き出して後ずさりし、ぶんぶんと顔を振る。

「む、むりっ! むりだよっ! 絶対むりっ! エルさんの代わりなんて無理だよっ!」


 ネイがにやっと笑みを浮かべた。かわいそうに。ユキネは否定の仕方を間違ったな。俺ですら強引に押せばいけそうだと思ったくらいだ。したくない理由ではなく、できないと思っているだけの理由だったから。それもユキネの自身の過小評価によるもので。

 ユキネの才能はグルメ対決で立証済みだ。


「おやおやぁ~ユキネたんは本当はやりたいのかなぁ~」

「ち、違うのっ! あのねネイちゃんっ! 本当に無理だからっ! シャル様のお世話だってあるし、料理だってあるしっ!」


「それじゃあエルさんっ! リッタさんっ! ドランさんっ! またねぇ!」

「本当に駄目なのぉ~!」

 と悲鳴を上げながら、ユキネはネイに連行されていった。

 シャル家でメイド会議とヴァイオレット家への交渉が始まるのだろう。


「ドラン。ということだ。新しい屋台が出来たら初日に来てほしい。お代はなし。日頃の感謝を込めて開店祝いでみんなを呼びたい」

 ドランは筋骨隆々な手で花を持って言った。

「楽しみでちゅ……すまん。前祝いだ」

「お、おぅ」

 渡された花は良い香りがした。


……。


 その後、観光ギルドに依頼していた特注の屋台を見に行った。

 ある程度融通が利くようにかなり無理をしてもらっている。


 材料の保管のための冷蔵ボックス。耐加熱使用の魔法が付与された調理台。寒い日にはおでんや、日によっては鉄板料理の提供ができるように、着脱式の土台。

 おしゃれとは言えないが、庶民的で味のある見た目だ。気楽に立ち寄ってもらえる良い屋台だった。


 特別な日の料理ではなく、誰もが楽しめる庶民的な料理を作っていけたらと思う。

 日常に根差した料理に笑顔になる姿が目に浮かぶ。

 俺は想像し、少し目頭が熱くなった。ほんの少しだけ。


「うっうっ。リッタぁ……俺はぁ……うっうっ」

「え、えっと……」


 観光ギルドのミネットが猫耳を垂らしながらリッタを見た。

「気にしなくていいでごぜぇーます。大人の男はうれしい時は泣いてもいいルールがあるのでごぜぇーます。これは儀式なんじゃねぇーですかね。よくわからねぇーですけど」

「へ、へぇ……号泣してますね。そ、そこまで喜んでいただけるとうれしいを超えて困惑です」


 少し目頭が熱くなっただけだ。泣いていない。本当だ。

「小さいリッタさんに縋りついて泣くエルさんは見たくなかったです……」

 ミネットが何か言っていたが、よくわからない。


「ありがとうミネットさん。これはお代です。最高の仕事だ」

 なぜかミネットは若干、笑顔を引きつらせながら金を受け取ったように思う。


……。

 

 帰り道に家具を購入していく。

 椅子にテーブル、雨と日差し避けのパラソル。


「ところで名前はどうするんでごぜぇーますか」

「何も考えてないな。覚えやすい名前がいいな」


「街角勇者亭……がいいでごぜぇーます」

「さすがに調子に乗りすぎじゃないか?」

 勇者でもないのに、勇者の名を冠するのはどうなのだろう。


「別にそうは思わねぇーです」

「そうか? まぁいいか。覚えやすそうだし、勇者見習いには格安で飯を提供すれば、名前の由来としても問題ないか」


 リッタがくすくすと笑う。

「相変わらずエルはこじ付けが得意でごぜぇーますね」

「こじ付けだけで28年、生きてきたからな」

「生まれてきた時からでごぜぇーますか」


 リッタが笑顔見せる。

「エルのそういうところ、大好きでごぜぇーますよ」


 平和な日常に俺の目頭は少し熱くなる。

 心を込めて料理を提供しよう。

 それが俺の夢を現実にする、唯一無二の方法なのだから。 


「あ、そうだ。開店祝いにデューク呼んできてくれ。一生恨まれちまう」

「デューク。はて? 誰でごぜぇーますかね。デブ過ぎてわからねぇーです」


 とぼけるリッタは少し悪い顔をしていた。

 けどちゃっかりと竜化して東の空へと飛んでいく。

 その後ろ姿は、俺には心底楽しそうに見えた。

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