第33話 休日の朝


 アクアリス魔法大学のグルメ対決から二カ月が経った。

 花のクレープ屋は連日連夜、人の足が途絶えなかった。

 うれしい悲鳴で、朝早く仕込みをして、昼も夜もクレープを作り続けるという、たのしい日々を送っていた。

 今日は久しぶりの休日だ。

 

 そして発注していた移動式屋台の完成日でもある。

 いよいよデュークから送られてくる様々な食材を使った料理を提供できるのだ。

 俺はワクワクしていた。


 同時にクレープを楽しみにしてくれている人たちには申し訳なくも思っていた。まぁ、営業時間を短くするだけだからいいだろう。


 俺は機嫌よく、朝早くからリッタの夕食の仕込みと朝ごはんを作っていた。


 朝は卵サンド。

 昨日の夜、冷蔵ボックスに寝かせておいた、卵液を取り出す。

 卵液は、卵と牛乳と昆布出汁から作ったものだ。

 四角いフライパンを熱しバターをひき、そこに卵液を投入。

 黄色い液体を箸でかき混ぜていく。

 熱により、徐々に液体の卵の中に個体ができはじめる。

 いい感じになってきた所で火から離しまんべんなく混ぜ、蓋を敷いておく。

 蒸し終わった蓋を開けると、うつくしい黄金色の卵が現れる。

 ぷるぷるの卵をたたんでいく。


 次はだし巻き卵を挟むパンの味付けだ。

 上のパンにマスタードとマヨネーズをぬり広げた。

 下のパンにはデミグラスソースをぬる。

 パンにだし巻き卵を挟みカットすると、パンの白さとうつくしい黄金色の卵のコントラストが素晴らしい、ぷるぷるふわふわの卵サンドの出来上がりだ。

 

 もぞもぞと寝床からリッタが起きてくる音が聞こえた。

 目はまだ開いていない。

 ピンク色の髪は寝ぐせができている。

 その平和な朝の姿に笑ってしまう。


 リッタは段差に躓きながら、なんとかテーブルにたどり着き椅子に座った。

「いい匂いでごぜぇーます。……まだねむい」

 口を開けて待っている。

 いや口を開けて寝ているだけか?

 

 試しに小さめにカットした卵サンドを彼女の口の中に入れる。

「……うめぇです」

 もぐもぐと食べていくリッタは徐々に覚醒していった。

 眠たげな目で俺を見る。

「おはよう世界、最高の目覚めでごぜぇーます。卵サンド好きぃ……」

「おはようリッタ」


 ちびちびと味わうように食べるリッタの横に、コーンスープとサラダも置く。

 リッタは眠そうな目を緩めた。

「寒くなってきたこの季節に、スープの温かさが最高でごぜぇーます」

 平和な朝の光景だ。


 夕食の仕込みを続けながら言った。

「今日は屋台を見に行こうと思う」

「おっ。とうとうできたんでごぜぇーますね……ところでシャルには説明したんでごぜぇーますか?」


 仕込みを中断して振り返る。

「ん? なんでシャル? まだしてないけど。当然開店前祝いには誘う。サプライズだ。来てくれればうれしい。来てくれるかな?」


 リッタはまだ使えるのかゴミなのか、そんなギリギリのモノを見定める目で俺を見ていた。なぜだ。

「いきなり後頭部をぶん殴るようなサプライズでごぜぇーますね。来てくれるとは思うでごぜぇーますが、泣かれる準備はしていた方がいいんじゃねぇーですかね」

「さすがにそこまで喜んでくれないだろ……はは」

「はは、じゃねぇーです、この万年鈍感独身男」


 基本リッタは朝飯を作っておけば、ご機嫌だ。その彼女に朝から辛辣な言葉をもらう時には、たいてい俺に非がある。

 なんだろう。

 シャルといえば、お菓子だ。最近はお菓子と言えばシャルの顔が浮かぶくらいには強烈な印象がある。

 あんな熱狂的なお菓子好きを見たことがない。

 心配になるくらいだ。


 そこで、はっと気づいた。

 俺のことをお菓子職人と思っている可能性があることに。

 お菓子をあげれば喜ぶから、よくシャルのために特製のお菓子を作って与えてきていた。うれしそうにぴょんぴょん跳ねたり、ころころ表情が変わるのが楽しくて、無責任に腕によりをかけてしまったのだ。

 己の愚行を省みる。

 冷汗が流れるのを感じた。


「……悲しんで泣くってことか」

「それだけで済むなら幸運でごぜぇーます……共にお菓子道を突き進むことに対する、裏切り行為と思われてもおかしくねぇーですし」

 確かに。

 あの熱狂っぷりはそうなってもおかしくない。

 泣かれるくらいなら、お菓子をあげれば、ありがとうとすぐ機嫌を直すだろうし。


「誠心誠意、言葉と態度で伝えることしかできないな、うん」

 シャルに対してはできることをやっていこう。

 リッタはあきれたように笑った。

「お菓子以外の提供を辞める気はねぇーんですね。クレープやお菓子でも十分……いや、お菓子道を究めるからこそ、多くの人の笑顔を見られると思うでごぜぇーますが」


 俺は手を洗い拭いてから、リッタの頭を撫でた。

「なんで頭を撫でられているかわからねぇーでごぜぇーます」

「俺にもどうしても叶えたい夢があるからな」

 シャルには申し訳ないが。

 幼い頃から叶えたいと思い続けている夢には、お菓子だけでは足りないから。


 お菓子を軽視しているわけでは決して無い。異世界レシピを見ていて、お菓子を開発してきた偉人の凄さと執念には感動と尊敬の念を抱いている。

 ただ、俺の望む未来にはお菓子だけでなく、日常の料理など、お菓子に限らないモノが必要なだけだ。


「よくわからねぇーです。料理で喜ぶ顔が見たいなら、お菓子でもいいじゃねぇーですか? お菓子の世界は奥深いでごぜぇーます。一生を費やすのにこれほどいいものはなかなかねぇーですよ」

「お菓子だけでは足りないからな」


「……今日のエルは頑なでごぜぇーます。こうなったら魔王が来ても変わりそうにねぇーです。シャルには泣いてもらうしかなさそーでごぜぇーますね。そもそもあたしの頭を撫でる意味もわからねぇーです……でも嫌じゃねぇーですので、もっと撫でやがれです」

 リッタは日向の猫のように目を緩めた。


 俺はリッタの幸せな未来を願いながら、シャルの機嫌を直す方法を何かないかと考えていく。

 シャルの機嫌が悪くなるのが、お菓子であれば、良くなるのもまたお菓子だろう。

 それは自信を持って言える。


 アクアリス魔法大学のグルメ対決で、大学内を見ていて気づいたこともあった。

 そして俺一人では到達できないお菓子道の高みがある。


 シャルには夢を持ってもらうことにしよう。

 彼女ならそれを叶えられるのではないか、と思えるほどのお菓子への情熱を感じていたから。

 

 それには最高にうまいと思わせるお菓子が必要だ。

 シャルが今まで食べたことがないくらい……お菓子狂いをさらに狂わせるような悪魔のお菓子が。


 新しい屋台の開店の準備と同時に、シャルに夢を抱いてもらえる、最高のお菓子の試作にとりかかることに決めた。


「忙しくなるぞ」

「うれしそうじゃねぇーですか。シャルも幸せになる未来なら、なんでも協力するでごぜぇーますよっ。何するつもりでごぜぇーますか?」

「単純だ。シャルの人生をひっくり返すくらい最高の……お菓子狂いをさらに狂わせるようなお菓子をつくる。それだけだ」

「それは単純で、最高でごぜぇーますねっ!」


 リッタは満開の笑顔を咲かせた。

 それを見て俺は胸がいっぱいになる。

 いつまでも、彼女達に笑顔があふれるといい、そう思わずにはいられない。

 


 

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