第38話 拗らせ聖女疑惑(アリシア)


『アリシアはいかがお過ごしですか? 

 おすすめされた小説、面白かったです。

 最近俺は街角勇者亭という屋台を始めました。甘味以外も提供しています。

 今日はチョコレートの新作を送ります。

 いつもありがとう。

 頑張っているアリシアへ』


 アリシアは手紙を読んでは、抱きしめて、ベットの上でゴロゴロと転がり、塔から街を見下ろし、手紙を読んで、チョコを食べては興奮して、を繰り返している。

 エルとの文通は、この二か月ほど、毎日のように続いていた。

 アリシアは手紙の一通一通を大切に保管し、全文を記憶している。


 エルは変わらず短文。

 だがアリシアは長文だった。

 会えない時間でどんどん重くなっていく想い。

 事実と偶然に、妄想と空想が生クリームのように積み上がり、アリシアはいつ暴発してもおかしくない魔法陣のようなものになっていると、ルリは思う。


 暴走されても困るし、そろそろ息抜きが必要かしら。

 ルリはアリシアが百面相で一人、右往左往する様子を眺めながら思った。


 ベットの上でバタバタゴロゴロするのを止めたと思ったら、アリシアは机に向かい始めた。丸っこい字で一生懸命に丁寧に想いをつづっている。

 ぼんやり塔の外を眺めたと思ったら、手紙の続きを書き始め、を繰り返していた。


 チョコの感想だったり、料理のことだったり、好きなものだったり、最近読んだ小説の感想だったり。

 ルリがアリシアの手紙を覗き込んで言う。


「少し文章長くない?」

 少しどころではない。読むのも苦労するほど、最近は長くなっていた。

 アリシアが、むっとした顔をつくる。

 わかりやすく頬を膨らませて。

 甘えているようでもあった。


「気持ちが大事と言うけれど、やっぱり長さと気持ちは等価だと思うのっ。ほらっ。長い方が時間がかかるしっ。感謝の気持ちが籠ってる気がするでしょっ」


 その理屈でいうと、エルの手紙は気持ちが入っていないことになるのだが、ルリは無神経なことは言わない。その分毎回丁寧なお菓子があるから、間違いなく気持ちが籠っているのだが。そういう意味では両想いに見えなくもない。


 だが、それがアリシアを狂わせている要因でもあるように思う。

 エルに下心は無さそうで。それも含めて罪だ。有罪である。

 あの無精ひげの無責任男、一発殴った方がいいかしら、とルリは少し思った。


 今日もルリはアリシアの気持ちが重くなり過ぎないように誘導する。

「男性は心理的に重たい物を嫌うものよ。仕事以外の責任とかすぐ逃げるわね」

「大丈夫ですっ。あの人はきっとそういう無責任な方たちとは違いますからっ。想いに答えてくれる方な気がしますっ」

 無駄であった。手遅れである。


 部屋の中には魔導書や本の山。


 少し前であれば、貴族たちからの貴金属や贈与品や未開封の箱で溢れていたというのに。それらは別の場所の一か所に集められていた。前にそれを見た侍女のミネバはアリシアに苦言を呈したのだが、反撃に遭い改善されることはなかった。

 その時のアリシアの顔は、ルリから見てもなかなかのものだった。


 前のやり取りを思い出す。

 ミネバの相手をなめた態度が透けて見える言い方だった。

「はぁ、アリシア様、もっと大切にしてください。分かっていますか? 貴族や有力者の方の贈与に対する態度も聖女のお役目です。あなたは多くの人に見られているのですから」

「……はい」

 アリシアはいつもの淡々とした表情で苦言を受け入れた。


 その様子に、いつものようにミネバはさらに付け加える。

 余計な一言は竜の逆鱗を逆なでする行為だった。

「ルリさんも、アリシア様に変なお菓子ばかり与えては困ります! 全くもいつもいつもルリさんはっ――」


 アリシアがミネバにつかつかと近寄り、胸倉をつかんで引き寄せた。

 互いの呼吸が伝わるほどの至近距離で、驚くミネバにたたみかける。


「よく聞こえませんでした。何か言いました?」

「――っ!」

「何か、言いました?」

「で、ですから、その、アリシア様には聖女としてのお役目を――」

「そちらではありません。お菓子がどうたら、とか、ルリさんがいつも、とか。とてつもなく不快な言葉が聞こえたのだけれど。私の気のせいなのでしょうか」

「で、ですがっ。アリシア様にふさわしいものが――」

「もう一度言ったら消えてもらいますから」

「……え?」

「私の持てる全てで、あなたには消えてもらいます」


 よっぽど怖かったのか、糸の切れた操り人形のように頷いた。アリシアが掴んだ手を離すと、ミネバは腰が抜けたように座り込んだ。

 それ以来彼女は何も言わなくなった。

 最近はアリシアから距離を置いているように思う。


 当然だ。アリシアの価値を考えれば、彼女の一言で消されかねないから。

 一人の命より、都市の平和を。明らかな論理。

 都市に平和をもたらす聖女の機嫌を損ねるわけにはいかない。


 噂は駆け巡る。

 この塔の中で、アリシアに文句を言う人はルリ以外にいなくなりつつあった。


 その副産物として、アリシアの活動範囲には、少しでも目を離すと、本が散らかってしまうという惨状につながってしまっていた。誰も注意しないから。


 前までの神々しいまでの淡々と世界の平和を祈る様もうつくしかったが、今の等身大の姿もかわいらしいとルリは思う。

 多分等身大だ。多分。


 本当のアリシアは意外とずぼらだ。

 服を脱いだら脱ぎっぱなしだし、本を読んだら読みっぱなし。

 基本片付け始めるのは、彼女の中で何かの区切りがついてから。

 その区切りに規則性はない。

 だから散らかっていくのだろうとは思う。


 これはこれで親近感を抱きやすく、市民の人気が出そうな姿だとルリは思う。


 しかし、だ。

 散らばった本の山を見る。

 料理の本に恋愛小説。心理学や占い。

 うさんくさい黒魔術の魔導書。


「……アリシア。こんな本何に使うの?」

 ルリがうさんくさい魔導書を持って言った。


「私は塔から自由に出られないもん。でもみんながどれだけ幸せか見ることが出来たら、頑張れるから。他意はないよっ」

 ルリは魔導書の中身をぺらぺらとめくっていく。しおりが挟まれていた。そこに記されているのは特定の個人の居場所を突き止める、うさんくさい魔法だった。


 お菓子や手紙の受け渡しをしているルリは気づいている。

 二人は知り合いで、アリシアが昔大変お世話になった人が、『花のクレープ』屋の店主であり、エルだということを。


 アリシアはまだそれを知らない。

 ルリは完全に伝える機会を逃していた。


 だって……。


 恋占い花占い。相手を虜にさせるには、という謎タイトルの本。

 監視のうさんくさい魔法の魔導書。

 応援しようとは思うけど、大丈夫かしら。

 様々な女性を見てきたルリは思う。


 アリシアは一途だ。

 ポジティブに言えば。


 率直に言えば、恋に恋する乙女を超えた重い少女の可能性を秘めている。

 危険な香りがした。

 もともとの性質に加え、塔の中の聖女という環境、絵本のような出会い、そしてこの偶然。一途で済むだろうか。少し不安だった。


「ルリさん! 今度あの方の名前、聞いてきて欲しいな!」

「……アリシアが聞いた方がいいでしょう?」

 ルリは目を逸らした。


「無理だよっ! だって私出られないじゃないっ!」

 アリシアはぷんぷんとむくれる。

 手紙で聞けばいいと思うが、言うのは辞めておく。

 代わりに、とルリは笑みを浮かべた。


「今日はお役目もないですし、変わりましょうか?」

「えっ!?」

 寝耳に水。アリシアは椅子に座りながら少し飛び跳ねる。

 ルリは部屋の鍵を閉めて、姿を変えた。ついでに、アリシアの髪色も黒く変える。

 それが答えだと言うように。


……。


 アリシアにとって久しぶりの一人の外出だ。


 最初こそ意気揚々と胸を高鳴らせて街の中を歩いていた。

 鼻歌混じりにぶんぶんと腕を振りながら。

 けどだんだんとその表情に陰りが見える。

 花のクレープ屋への道のりが分からなかったから。

 迷子。

 迷子の聖女。

 振り返れば高い塔がそびえ立っていた。


 塔はこの都市で一番大きいため、塔への帰り道に困ることはない。

 だが、その逆、目的地であるクレープ屋への道のりは分からない。


 アリシアはすたすたと歩き、路地裏に入った。


 汚れるのも気にせず、路地の地面にぺたりと座り、まがまがしい魔法陣を描く。

 花のクレープ屋の男性からもらった手紙を中央に置く、それを媒介に当人の居場所を探知する。監視の魔法が邪法であり、よくないことだという自覚はあったから、路地裏で起動したのだ。


 ところがうまくいかない。

 塔でも一度も成功しなかったから当然ではあるのだが。

 何かが間違っているのか、自分の才能がないのか。

 それともそもそもあの魔導書が嘘まみれだったのか。


 アリシアはとても焦った。

 時間がない。

 

 会いたい。

 会いたい会いたい会いたい。

 会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい。


 アリシアは衝動に突き動かされるように、路地裏から飛び出した。

 ピンク色の髪の少女とぶつかる。

「す、すみません」


 ぶつかって尻もちをついたのはアリシアだけで、小さな少女は何事もなかったかのように立っている。ぼぉっとした視線でアリシアに向けていた。

 二つの角が生えていて。

 見覚えのある顔だった。

 忘れるはずがない。

 孤児院にいた、竜の女性リッタ。


「聖女じゃねぇーですか」

 アリシアは驚いて、自身の長い髪を確認する。

 黒色。

 まだ白くなっていない。時間は大丈夫。

 じゃあ、なんで。

「ど、どうして?」

「ん? 魔力の質でわかるでごぜぇーます」


 リッタは眠そうな目で、尻もちをついているアリシアに手を伸ばした。


「暇でごぜぇーますか? いつも頑張っているアリシアにうめぇーもん食わせてやるですよ。アリシアが見たこともねぇもんがあるでごぜぇーます。期待して楽しみにしやがれです」


 伸ばされた小さな手をとった。

 そしてアリシアは気づき、期待する。


 リッタと一緒にいつもいたのは、デュークとエルだ。

 初恋の男性。

 見たこともない美味しい物。

 クレープと無精ひげの男性。

 年齢的に一致する。

 もしかしたら。

 エルさん。

 胸の高鳴りを押さえられない。

 どうしよう……。


 連れられて行く先にいるのが、エルではなくデュークだったら、殴ってしまうかもしれない。それほどにアリシアは期待していた。

 

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