第39話 水と愛の竜王とアリシアと


 街角勇者亭の買い出しに出かけていた時のことだ。

「聖女の気配を感じるでごぜぇーます」

 と言ってリッタは走ってどこかに行ってしまった。

 当然俺では追いつけないくらいの速さで。

 追いかけようとしたが、すぐに諦めた。


 おえっとえずきながら壁にもたれて呼吸を整える。

 久しぶりに走ることで年齢を感じてしまった。くやしい。


 ふと道の端に水色髪の角の生えた少女が落ちていることに気づいた。


 まさかと思って覗き込むと目が合う。少女は、にかっと笑って言った。

「お腹、空いたな★」

 

 魔眼と一目見てわかる。

 目の中には宇宙と星のような世界が広がっていた。

 懐かしい人だ。


 自称水と愛の竜王……実際は水と呪いの竜王ミスティ。水と恋と愛とが溢れるアクアテラにいてもおかしくはなかったが、まさか本当に出会うとは思わなかった。


 マジックパックからサンドイッチを取り出す。

 彼女の口に近づけると、艶やかな唇を舐めた。無駄に色っぽい。サンドイッチを受け取ろうとせず、小さく口を開けた。

 自分では食べないらしい。

 口元に運ぶと、はむはむと食べる。


「エルちゃん、相変わらず愛がこもってて、おいしいよぉ★」

「ミスティさん久しぶりですね。よく俺と分かるもんだ」


 10歳頃から交流をしたことがある。

 小さい頃の俺にとってミスティは刺激そのものだった。

 すらりと長い手足に細い身体。どことは言わないがとにかくでかい。

 色気を振りまきながら、やたらと可愛がってくるので、当時の俺にとっては刺激的だった。


「魔力の質でわかるからねぇ~とっても美味しそう★」

 竜王の見えている世界は違うのだろう。

「はは。食べないでくださいね。それより自分で食べてください」

「え~どっちぃ~★ けどおいしいからもっと食べたいな★」

 と寝たまま受け取り、はむはむと食べ始める。起きて食べればいいのに。汚れるのも気にせず、色気を振りまきながら寝そべり飯を食べるという、無駄に器用なことをしている。


 少し離れて彼女を見る。

 無駄に色っぽくて、若干苦手意識を持っていた。

 やさしいので、好き嫌いで言えば、好きだ。

 だが昔から何を考えてるかわからない不思議な人だった。


「エル、何、独り言呟いてるんででごぜぇーますか?」

「ぐえっ★」

 リッタは何も無いかのように彼女の上をとことこと歩いた。


 ぼぉとした瞳で振り返り、今さっき踏んだミスティを見ている。

 いや宙を見ている風だ。

「気持ち悪い感触があったでごぜぇーます。ぶにぶにしてて、堕肉を踏んでいるみたいでごぜぇーました。エル、何もないでごぜぇーます。すごく怖いじゃねぇーですか」


 踏まれたミスティはゆらゆらーと悪鬼のように立ち上がる。

「久しぶりなのにぃ~ひどいじゃない★」

 ミスティがよろよろと近づいてくる。

 リッタが悲しいと言わんばかりの表情を浮かべた。


「エル……病気かもしれねぇーです。幻聴が聞こえるでごぜぇーます」

「相変わらずの冷たさがっ癖になるぅ~★」

 ミスティがリッタの正面に回り込み抱きしめた。

「むがっ。やめやがれ、でごぜぇーますっ! 堕肉っ! い、息がっ! むがっ」


 あっという間の出来事で、俺は何も反応ができなかった。

 ちょうどリッタの顔の位置に大きな胸があり、呼吸ができずに苦しそうだ。

 細い身体のミスティもリッタに負けず劣らずの力の強さなので、リッタも抜け出せずにいる。巻き込まれたら、小さな怪我では済まないので俺にできることはない。


 合掌。

 すすっと離れる。


「お、お久しぶりです」

 小さな声の方を見ると、アリシアがいた。

 黒く長い髪を束ね、町娘のような恰好をしている。変装をしているようだが、あまり意味がないように見えるのは、俺が彼女のことを知っているからだろうか。

 町娘の格好とアリシアの容姿や佇まいにズレがあり、違和感となっているように思う。

 

「アリシア。今日は休日か?」

 こくこくと頷いている。その頬は赤い。

「あの……エルさん、なんですか?」

「あぁ。久しぶりだな。半年前くらいからアクアテラを拠点に生活している」


「……」

「アリシア?」

「あの、これっ……」

 アリシアは目をつぶって両手で手紙を突き出した。

 ここ数カ月、馴染みのある手紙だ。

 受け取る。家に帰ってからゆっくりと読むことにしよう。

 文章を書くのは苦手なので、お返しはお菓子だ。

 もらった手紙は家に大切に保管している。

「ありがとう、アリシア」

「……うんっ! わ、私もっ! あ、あのねっ――わっ」


 いつの間にか傍らにいたミスティが、前のめりに話そうとするアリシアを覗き込んだ。

「あら? あらあらあら?」

 ぐるぐると彼女の周囲を見てまわる。

 アリシアは居心地が悪そうだ。


「初めましてぇ~聖女ちゃん~私は水と愛の竜王ミスティです★」

「は、はじめまして。アリシア、です」

 そういえばアリシアは初めてか。アリシアが孤児院に来たのは俺が14、5歳の頃だったなと昔を思い出した。

「感じてますよぉ~★ これは愛の波動――ぐえっ」

 リッタがミスティの首根っこを掴んで引き離す。


「からかっちゃだめでごぜぇーますよ。それにミスティは水と呪い……むがっ!」

 どうやら第二回戦が始まったようだ。ミスティはリッタを抱きしめてにこにこしている。相変わらず仲がいい。リッタはなかなかに暴れているが。


 アリシアの手を引き、彼女たちから距離を置く。

 危ないからな。

 そういえば彼女が小さい頃はこうしてよく手を引いたものだ。

 アリシアは5歳ぐらいだったから覚えていないかもしれないが。


「今も料理……続けてたんですね」

「あぁ。夢でもあるからな」


 ふふっとアリシアは昔を懐かしむように目を細めた。

「それにしてもアリシアは成長したな。昔はこんなに小さかった」

「エルさんも大人の男性になりました。髭も似合ってます」


「そうか」世辞を言えるようになった彼女に少し笑ってしまう。

「聖女の役目。つらいか?」

 アリシアは迷ったように首を傾げる。

 分かりきっていることを聞いてしまった。つらいに決まっているよな。


「前はすごくつらかったです。毎日嫌でした。でも今は、少しだけ……エルさんに試作品を送ってもらってるからつらくないです。沢山頑張ります」

「えらいな。こうして俺たちが日常を送れているのもアリシアのおかげだ。ありがとう」

「……あんまりやさしい言葉かけないでください。泣いちゃいますよ」

 アリシアは控えめに笑顔を浮かべた。

 支えたくなるような楚々とした表情だ。

 だが、俺にできることは少ない。それが悲しかった。


「最近クレープ以外も提供しているんだ。時間はまだあるか? お腹もすいていたら良いのだが。久しぶりにアリシアの大好きなオムライスを作るぞ」

「い、行きたいっ! 行きたいですっ! 夕方まで時間も大丈夫ですっ! ううん! ずっと大丈夫かもしれないですっ!」

 ずっと大丈夫の意味は分からな過ぎて笑ってしまう。前回も夕方手前で魔法が切れていたため心配だが、また送っていけばいいだろう。


 街角勇者亭に戻ろうとリッタに声をかけた所、ミスティもついてきた。

 聖女に竜王二人。今日はすごい組み合わせだ。


 隣を歩くアリシアがうれしそうに言った。

「あのっ! エルさん! 教えて欲しいことがあります! 私、最近夢ができたんです。お役目を終えたら、エルさんみたいに料理で人を幸せにしたくて。暇な時間もあるから勉強したいと思ってて、何かいい方法ありませんか?」

「いい方法かは分からないけど、今度手紙にレシピを添えるから作ってみてくれ……あとはそうだな。街角勇者亭で働くか?」


「っ! 働きたいです……でも、毎日来られませんし」

「たまにでいいよ。アリシアの元気な姿を見たいというのが一番の目的だ。休むのも自由、来るのも働くのも全部自由。もちろん顔を出して、ごはん食べてくれるだけでも十分だ。それだけでうれしいからな」


「……すごくうれしいですっ。でも申し訳なくて……」

「アリシアはいつも頑張っているから、好きなことをして欲しい。俺にできることなら何でもしたいって思う」


 アリシアが立ち止まった。当然、みな立ち止まり彼女に注目する。

「――何でも?」

 あれ? アリシアの声が重たく聞こえる。謎の圧だ。

 ミスティはなぜか、愛が、愛がぁ、と、はぁはぁと息を荒げている。


「あ、あぁ。俺にできることならな」

「――俺にできることなら?」

 背筋が冷たくなる。何だろう。後ろを振り返ったが誰もいないし、何もない。

 リッタも周囲を警戒していた。何もないでごぜぇーます、と目が語っている。

 殺気に似た何かを感じたのだが。

 

 俺は話題を変えることにする。そうするべきと、俺の第六感が告げていたから。

「アリシアが姿を変えているということは、人前では呼び方を変えた方がいいよな」

「そうですね……本当は名前を沢山呼んで欲しいですけど」


「ならリシアと呼ぶか。間違えてアリシアと呼んだ時に誤魔化せるしな」

「……」


「嫌だったか?」

「嫌じゃないです。ただ……何か誤魔化し方、上手だなって。慣れてるのかなって思って。浮気とか、間違えて他の人の名前を呼んだ時の対処法みたいに聞こえて。多くの女性を虜にするのは否定しません、けれど誤魔化されるのは……」

 アリシアはぶつぶつと呟いている。

 深淵を覗いているかのように、その瞳に輝きはない。


「ああっ★」ミスティがはぁはぁと息荒げて、自身の身体を抱きしめた。「アリシアちゃんっ★ あなた逸材★」

 ミスティはリッタにアリシアのことを根掘り葉掘り聞き始めた。


「そう、結界ねぇ★ どうせ魔王もいなくて暇だし、今世は結界の研究でもしようかしら~★ 世界のためより、一人のために費やす人生の方が素敵よね?」

 と俺を見た。誰のことを言っているのか分からないが。

 やっぱり愛こそ全てなのよぉ、とミスティはきゅんきゅんと悶えている。


「さすが水と呪いの竜王でごぜぇーます」

「呪いじゃくて愛なのよぉ★ お代は愛情たっぷりのエルちゃんのごはん~★」

「そこにエルの愛はないでごぜぇーますよ」


 第三ラウンドが始まった。


 アリシアはよくわかっていないのか小首をかしげて彼女たちを見ていた。

 元の瞳に戻っていて安心だ。

 ミスティが本気ならこの都市のあり方も変わるかもしれない。今はまだアリシアに下手に希望を与えるのもよくないから、伝えないが。


 多くの期待を持ちながら、聖女のいらなくなる世界が来ることを祈り、料理を作り続けよう。

 俺にできることは、アリシアの居場所を作ることだけだから。


 その後、街角勇者亭にてアリシアにオムライスを作ってもらった。

 失敗です、と顔を真っ赤にして大層照れていたが、大変おいしいものだった。

 俺が作ったモノをアリシアに。アリシアが作ったモノはありがたく俺が頂いた。

 アリシアの笑顔が見ることができて良い一日だった。

 結局アリシアの変装の魔法が解け、塔まで送ることになったのは言うまでもない。

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