第40話 魔術回路実験(シャルロッテ)


 『料理用魔工具の開発』


 アクアテラ魔法大学の講師エイラ・ガレノアが、シャルから伝えられた研究テーマだ。


 あまりのシャルのやる気に、エイラは彼女を気に入ってしまった。

 既存の魔術教会のやり方に疑念を持っていたということもある。

 魔工具が世界の在り方を変えるのに有効なのは明らかだとも思っていたから。

 なぜ魔工具を志す者を、下の地位におこうとするのか理解ができない。


 魔術の伝統への固執。

 神の領域に手を出す行為だから。

 既得権益を持つ支配層の思惑があるから……。


 矛盾だらけであるとエイラは思う。

 魔術を究めることがそもそも神の領域に近づく行為であるし、伝統的な手技を重視し魔工具を邪道としつつも、日々の生活には取り入れている。


 伯爵家の三女が、魔工具という普段魔術協会から目の敵のような扱いを受けている分野を志すことで、何か変わるかもしれないという興味と打算も少しあった。


 研究室の一部を使ってもよいという許可を与えた所、シャルは毎日通っていた。


 シャルがどんな魔工具を作るのだろうとエイラは密かに楽しみにしていたのだが、なぜかシャルは魔法陣の実験ばかりしている。


 基礎的な二つの魔法陣を、最も単純な魔術回路に二つ並べて、クリスタルから魔力供給するだけの実験。


 ふんふんと、毎日毎日飽きもせず。

 彼女のノートにはびっしりと結果が埋まっている。

 実験条件……日付、気温や湿度に始まり、魔術回路の長さのちがいなど、吐き気がするほど細かく書き連ねてある。


 何がシャルをそこまでかきたてるのか、エイラにはわからなかった。

 だが一つわかることがある。

 この執念と呼ぶべき強い気持ちと、異常とも思える几帳面さは才能だ。


 魔法陣の研究者の中にはデータの取得だけで人生を終えた者もいたが、その研究者のおかげで時代が進歩した例もあるほど、公正な実験結果を残すことは大事な作業だ。


 何かに対する固執と執念は研究者にとって必要なもの。

 シャルにはその素養がある。

 後は異なった視点を思いつくかどうか。


「エイラ先生っ!」


 シャルはほっぺを真っ赤にして手をあげた。

 

 呼ばれて近くに行くと、表を渡される。

 風や火など基礎魔術の属性ごとに記号が書いてある。

 風の魔法陣の隣にはW1、……W100といった記号が書いてあった。


 何かの分類かしら? 


「これはなんですかシャルロッテ様」

「低い数字の方に魔力が供給されやすいっ! 並べるとっ!」


 実際にW50と記載された風とW49と記載された風の魔法陣をセットし、クリスタルに触れる。すると、W49の風の魔法が起動し、遅れてW50の風の魔法が起動した。


「気温や湿度、環境に関係なかったっ! 魔力は低い数字の方に流れやすいっ!」

「これはクリスタルの質によっても変わりますか?」

「変わる!」


 シャルがとことこと取りに行ったノートには、クリスタルの種類と特徴、基礎魔術の継続時間、端に謎の数字の1~10が記載されている。

「この数字は?」

「クリスタルの等級っ! 魔力量動作っ! 数字化してみたっ! でも独断と偏見の目安だよっ! 等級が低いと特定の二つの魔法を起動できなかった! 一つの魔法ならできるのに!」


 二つの魔法を起動させるとクリスタルの魔力量が、桁外れて大きくなることは感覚的に分かってはいた。ただ誰もそれを数値化はしていない。


 論文は淡々と数値化したデータを示すよりも、情熱的な文章で神秘性を説く方が魔術教会の受けがいいから。

 魔法は神の創り上げた世界を知ろうとする芸術行為とされている。

 いかに美しいのかを過剰な言葉で飾り付けた方が、魔術教会から評価を受けるのだ。


 シャルの論理的な思考にエイラは感嘆した。

 彼女は名誉のために実験をしているわけではない。

 誰かからの名誉を得ようとするのではなく、純粋な好奇心から未知へアプローチをしようとするやり方には好感を抱く。


 もう一つ聞く。

「火や水、風、土といった異なった属性の魔法陣の組み合わせで結果は変わりますか?」

「変わるっ! これからっ! 実験っ!」

 そうですか、とエイラは笑顔を浮かべる。

「一人では大変でしょう? 実験条件を提示してくれれば、私も手伝いますよ、シャルロッテ様」

 シャルはパタパタと腕を振った。

 エイラは最近気づいたのだが、これはシャルがうれしい時の合図だ。嬉し過ぎて言葉が出ないのかもしれない。


 続けてシャルは手を挙げて言う。


「エイラ先生っ! 魔法陣の勉強したいです! 魔術回路を構成する魔法陣っ!」


 シャルの言葉の意味がわからなかった。

 魔力を蓄えているクリスタルと、魔法陣までの魔力供給経路が魔術回路だ。

 魔術回路を構成する魔法陣というのは、卵を産む鳥を、卵に戻すようなことに思う。そしてそれがあったとして一体何に使うのか。


「……どういう意味でしょう?」

「魔力が流れると、くっつく回路っ! 魔力が流れると、離れる回路っ! 魔力が流れると、保持する回路っ! 主の魔術回路と別であれば、多くのことができるからっ! その回路はちっちゃなクリスタルでいいからっ! 魔力消費少なく済むっ! 魔力消費少なく、色々なことできるっ! 魔法陣は他の系統を組み合わせるとなぜか魔力消費が増大っ! 防げるかもしれないっ!」

 ふんふんとシャルはうれしそうだった。


 まだ何をしたいのかエイラにはわからない。

 特定の魔法陣を生み出す、魔術回路をいくつも用意すれば解決する気がする。わざわざ組み合わせる必要がない。


「何に使えるの?」

「クリスタルに一度触ると回り続けるっ。保持してるからもう触らなくていいっ。こっち触ると止まるっ。こっち触ると温めるっ。こっち触ると温めながら回転っ!」


 シャルの描いてくれた魔術回路はシンプルだった。

 さらに料理工程を説明しながら教えてくれる。

 一つの魔工具で、液体を回転させ、温める。そしてそれは、魔術回路を断ち切るクリスタルを触るまで続ける。クリスタルの魔力が枯渇するまで。


 そして彼女が言う通り、くっつく回路、離れる回路、保持する回路があれば、一つの魔工具で多くのことができる可能性があると思った。


 魔工具の必要魔力の増大は、相性の悪い魔法陣の組み合わせがあると、エイラは思っていた。完全に回路を切り替えるもの、切り離すものがあれば、それらの魔法陣が競合せず、一つの工具に同居する魔術回路を組めるかもしれない。

 

 魔法を生み出すための魔術回路ではなく、魔術回路を構成するための魔法……。

「シャルロッテ様……」


 天才だ。いや奇才と言った方が正しいかもしれない。

 エイラは迷った。

 理性ではこれ以上の研究はやめるべきであると思った。

 これが上手くいくかは分からないが、このまま突き進めば多くの敵をつくることになる。


 詐欺師のような耳触りの良い言葉にせよ、既得権益を守ろうとする耳障りの悪い言葉にせよ、この小さな女の子に、狡猾な悪意が集中するだろう。それを知っていながら止めないのは彼女を導く大人として正しいのだろうか。


 だが、感情を優先するなら、この先を見たいと思う。

 彼女は伯爵家の人間だ。

 古ぼけた既得権益にしがみつく人間達が蔓延り、理にかなっていない常識をまき散らす、魔術協会をぶちのめす力をもつ。


 同時に伯爵家にはしがらみもあるだろうから、難しいとも思うのだが。


 だが一体彼女は何を成そうとしているのか。

 言葉足らずで分からないが、もしかしたら崇高な願いがあるのかもしれない。

 世界を守る平和のための防衛手段の開発か。魔王を打倒するような。

 そういった大志を隠すための、『料理用魔工具の開発』なのではないだろうか。


 料理用、であれば魔術協会も笑って馬鹿にするだけで済むかもしれない。

 だとしたら、政治的な考えも兼ね揃えている。天才どころの騒ぎではなくなると思った。


 そもそもシャルロッテ様は、いくつもの逸話を持つ、かの有名なヴァイオレット家の系譜に連なる者だ。

 エイラは期待に胸を高鳴らせて聞いた。


「シャルロッテ様……い、一体何を作るおつもりなんですか?」

「ちょこれーとっ!」


 シャルは即答で、ぴょんと飛び跳ね拳を突き上げる。


 ……へ?

「ちょこれーと……?」


 シャルはふんふんと興奮し始める。

 さっきまで魔術回路に熱中していたというのに、研究結果をまとめた表をポイっと投げ捨てて、研究室の端から端までつかって、エルという料理人の作ったチョコレートがどれだけ美味しいのかを説明し始めた。


 大変美味しいというのをエイラは理解した。

 だけど、魔工具の大義はもっと大きいように思う。

 エイラは純粋な疑問を投げてしまった。

「チョコレートを作ることってそんなに頑張る価値あるものなの?」

 エイラは猫のしっぽを踏んだ。


「むぅ!」

 シャルはぱんぱんに頬を膨らませて、再度研究室の端から端まで使って、チョコの魅力を語り始める。先ほどの倍速の動きだ。

 全力疾走。ダダダダッシュ、ギュンギュン、バタバタ、とことこ、ゴロゴロ動いている。


……。


 語り終える頃には日が暮れていた。

 シャルはいい汗かいたという風に額の汗を拭う。

 好きなことを語ることができて、とても楽しかったのだ。


 エイラはかわいらしい生徒に笑顔を浮かべた。


 好きこそものの上手なれ。


 シャルの情熱の起源を理解したから。

 いつだって、好きを語る人の顔は……好きを追求する者の顔は、好いものだ。

 同時に彼女を悪意から守らなければならないとも感じた。

 それは教師としての意地でもある。

 私にできるでしょうか。エイラは思う。


「シャルロッテ様。チョコレート……うまく出来たら食べてみたいです」 


 シャルは諸手をあげて喜んだ。心の中でエイラをお菓子同盟の一員に加えながら。

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