第46話 赤い瞳(シャルロッテ)
屋敷の広間には、カカオ豆が入った麻袋が種類ごとに並んでいる。
「できる限りのカカオ豆を取り寄せましたわ」
セシリアが昔のような柔らかな笑みで言った。
一月前に研究室で会った時よりセシリアは明るい声で、さらにカカオ豆の数々を目の当たりにして、シャルのテンションはぶちあがる。
ぱたぱたと腕を振っていた。声は出てないけど。
「あり、ありがとうっ!」
「これは、作り甲斐があるな。……それともらった魔工具だが、すごく使いやすかった。シャルありがとう。大切に使わせてもらう」
エルの笑みにシャルのテンションはいよいよ大変だ。
頬を真っ赤にしている。やる気がどんどん湧いてくるから。
「セシリアさんもありがとう。シャルに聞いている。あなたのおかげだと」
「……いえ、わたくしは、何も」
とセシリアは目を伏せ、気弱な笑みを浮かべた。
「そんなことないっ! セシリーのおかげっ! 全部っ! あ、エイラ先生とっセシリーとカーターのおかげっ!」
セシリアのどこか陰のある理由が分からなかった。シャルはいかにセシリアがすごいのか、一生懸命にエルに説明する。
大好きなお菓子で例えようとしたけど、途中でよく分からなくなっていた。
「とにかくセシリーはっすごいのだっ!」
強引に押し切った。最後は気持ちだ。
エルが笑った。
「そうか」
「そうなのだっ!」
セシリアがなぜか縮こまっているように見えた。
「そんなこと、ないです」
シャルは口をぱくぱくさせる。セシリアが謙遜する理由がわからない。
何より、セシリア自身が自分の魅力を分かっていないのはもったいないように思えた。セシリアの顔を覗き込む。
「セシリーはすごいよ? あたまもいいしっ、いつもやさしいしっでもびしっとしてるっ。何よりいっぱいいっぱい頑張ってるからっ」
頑張らなきゃ大学のテストで一番なんてとれないから。
だからすごいことだ。
他にもきっと頑張ってることがあるはず。
貴族としての誇りを背負っているように見えたから。
「やめてください……」
「ほんとにほんとだよ。も、もっといっぱい良いところ知ってるっあのねっ――」
「――やめてっ」
シャルは少し飛び跳ねた。
怒らせてしまったようだ。自分が人を怒らせる才能があることを忘れていた。
こんな時はお菓子の話題だ。
い、急げっ。
セシリアの悲しむ顔は見たくない。
「え、エル君っチョコづくりっチョコづくりっ教えてっ」
とてとてとエルに近づき、エルの腕を引っ張る。
空いている手でなぜかエルに頭を撫でられた。
「セシリアさんもシャルとチョコの高みを目指すのか?」
「……はい」
いつも真っすぐ人の顔を見るセシリアが今日は、視線を逸らすのが気になった。
「そうか。それは楽しみだ」
とエルは気づいていないように笑った。続けて言う。
「きっとチョコづくりの最適解を導き出す工程は楽しいものだと思う。そして人生を捧げる価値のあるものだ。どういう道を選ぶにせよ、悔いの残らないようにして欲しい。きっといい思い出になるはずだから」
何かを知っているかのようで。
初めて会ったはずなのに、エルはセシリアにやさしい顔を向けていた。
セシリアはぐっと歯を食いしばりエルを真っすぐ見返した。
「はい。悔いのない選択を、します」
強い決意を秘めた赤い瞳だ。とてもきれいだと思った。
シャルはうれしくなる。
「さっそくチョコづくりを始めようか」
エルが子供のような顔をする。
ちょこれーと作り開始だ。わくわくする。
「まずはソーティングという工程だ。カカオ豆を選別していく。購入したカカオ豆には木片や石が入っていることがほとんどだ。そしてくっついているカカオ豆や平べったい物、奇形、外皮のない豆を取り除く必要がある。さらに大中と同じ大きさでそろえた方が良い。均等に熱が加わるから。次の工程につながる大事な工程だ」
エルはカカオ豆をふるいにかけ、木片や石を取り除いた。
そこからは手作業で形をそろえていく。
エルに見習って、セシリアとシャルも選別していった。
「ここは手作業が主になると思う。なかなか魔工具化は難しいのではないだろうか」
シャルも頷いた。魔工具が得意とする分野と人間が得意とする分野は分けるべきだと思う。だが、探知の魔法を使えばもしかしたら……と考えてやめる。
あくまでチョコの最適解を見つけてからの話だから。
ふんふんとシャルは身を乗り出した。
エルは選別したカカオ豆を洗って、水気を飛ばした。
カカオ豆の酸っぱい匂いが香る。
「次はロースティング……
「
「あぁ。全くの別物だ」
エルが言い切った。
シャルはあまりのかっこよさに声がでなかった。
いつもかっこいいけど、料理をしている姿はすごくすごいと思っている。
「全くの別物だっ」
かっこよすぎて真似してしまう。
エルはやめてくれと照れて、セシリアはくすくすと笑った。
「目安に過ぎないが……焙煎過多は香りを損ない、苦みが強くなる。逆に焙煎不足は酸味と渋みが残り、カカオの香りが弱くなる。繰り返すが、産地によって全く異なる。そして、最適解を導くためには均等に加熱する必要がある。できれば、人の手でするより、魔工具による、決められた動きで決められた時間で論理的に解を導くべきだと、俺は思う」
「全く同じ動きっ……均等にっ!」
今日は鉄板で熱するがな、と笑った。
シャルは想像する。どういう動きが均等な加熱になるのか。
絶えず回転し続け、できれば様々な方向から熱を加えた方がいいように思う。
考えている魔工具はすでにカーターに作ってもらっている。
「なるほど」
顎に手を置いて集中していたセシリアが言った。
「だから先ほどの工程で均等な大きさのカカオ豆を厳選したのですね。均等な熱を加えるには、歪なカカオ豆は排除したい」
「そうだ……そして次の工程は粉砕」
エルは熱し終えた良い香りのカカオ豆をミキサーの中に入れて、風の魔法で軸を回転させ、ゴリゴリとカカオ豆を粉砕していく。
砕いた粒は荒い。
「手で薄皮を剥いてもいいのだが、時間がかかりすぎる。最高のチョコに到達するためには何度も繰り返す必要があるから、時間がいくらあっても足りなくなるだろう。手で剥くより砕いてしまった方がいい。殻と豆の中身に分けるには、重さの違いを利用する。風を送ることで、当然軽い殻が吹き飛ぶからな。これを風選と言う」
エルは用意した箱の中に荒い粒を投入しながら、風の魔法で軽い薄皮を吹き飛ばしていく。
ここも魔工具が大事だ。
この時点で結構な時間がかかっている。
一つ一つ手作り。
エル君は何度も作ってきたのだろう。それは迷いのない手際で。
チョコの頂きを一人で登ろうとしたことが垣間見れた。
その孤独なエルの時間を思って、シャルはうれしくて仕方がなくなる。
かっこいいと思った。
そして魔工具を使えば、もっと時間を短縮できる。
ぎゅっと縮めた時間で、何度も条件を変え繰り返そう。
「次は
ミキサーですりつぶしていくと、カカオ豆はどろっとしたペースト状になる。
手作業でごりごりと削り、水分を加えるのが一般的なチョコの作り方だが、エルのやり方は違う。
水分は一切加えず、ミキサーで長時間すりつぶしていく。
「カカオ豆に脂肪……植物からとれる油みたいなものなのですね。チョコが水と溶けにくいのは脂肪分を多く含むから……」
エルが頷いた。
「そうだ。そしてこの工程ではできる限り細かくすりつぶしていきたい。滑らかな舌触りを実現するために」
「もう、すでにおいしそうっ!」
シャルの声にエルが笑った。
「あぁ。糖を入れなければとても食べられたものじゃないが。次がコンチングだ。ペースト状になったカカオ豆をさらに練り上げていく工程だ。異世界レシピによれば、この工程では丸一日、かけるらしい。残念ながら俺にはできないが。丸一日これを続ける根気はない。一回だけならまだいいが、最適な時間を見つけるために練り上げ続けるのは無理だ。これが、人の手ではチョコレートの頂きにたどり着けない理由でもある。コンチングを続けることで、余分な水分や匂いを取り除き、最高の舌触りのチョコになる」
エルはひたすら別のミキサーで練り上げていく。
そして糖をいれてさらに続ける。
単純な作業にも関わらず、シャルもセシリアも飽きずに眺めていた。
「二人はどう思う?」
「……魔工具は必須です。チョコを作る工程には、人の力だけでは難しい工程が多い」
「逆に魔工具ならっ。できるものが多いっ」
エルは頷いた。
「チョコの頂きは人の力だけでは困難だ。だが、魔工具があれば話は違う。後は温度や時間、カカオ豆の選別、……つまりチョコを求める情熱があればいい、好きなだけ最高の味を追求するといい」
続けて言った。
「これはまだ途中だが」
エルは十分に滑らかと思えるチョコを調理台の上に垂らした。
「次の作業はテンパリング……調温だ。この温度も最適解を導き出さなければならない。低い温度では見た目が悪く硬い触感でくちどけが悪くなったりするからだ」
ヘラでチョコを掬っては乗せ、掬っては乗せを繰り返していく。
職人のような動きに二人の視線は釘付けになる。
「これで食感とつややかな光沢を生み出す。光輝くお菓子の宝石作りだ」
「ありがとうございますっ」
「あり、ありがとうっ」
二人はついお礼を口にしてしまう。
それほどに職人の技のように思ったから。
エルは首を横に振る。
「これは俺の実力じゃない。異世界の職人たちの思いのつまったレシピだ。……最後に冷凍庫で15分ほど冷やして完成だ。この冷やす工程ももっと適切な時間や冷凍温度があると思う。……これまで説明してきた工程すべてが大切だ。何かを掛け違えただけで、全く別物のチョコになると思っていい。最高のチョコレートができるまで、沢山試してくれ。……シャルたちの情熱を楽しみにしている」
できたチョコを食べる。
セシリアは目を見開いて固まった。
シャルは喜ぶ。それは自分と同じような反応だったから。
お菓子好きのお菓子同盟。
赤い瞳に水分がたまっているように思う。
瞳孔が開いているような。
輝く赤い瞳。
やっぱりセシリアはお菓子が好きだ。
シャルは確信した。
「あの……、シャル様っ、そのっ――」
「――セシリー、明日からっ、研究室来てっ! チョコレート作り始まるっ! 最高の条件を導くための実験の繰り返しっ! 手伝ってっ!」
セシリアは子供のようにこくこくと頷いた。
シャルは諸手をあげてぴょんぴょん喜ぶ。
「ぅ?」
その後セシリアは目を伏せた。
何か伝えたいような、少し悲しそうな。
なんだろう。
だがチョコを見るセシリアの赤い瞳はうつくしくて、うれしくなってしまい、気にならなくなった。
明日からは一緒にちょこれーと作りだっ。
幼い頃に約束した夢を追いかけようっ。
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