第二章 シャルロッテのちょこれーと

第30話 シャルロッテ(ユキナ)


 私はシャル様の部屋を掃除しながら、幼い頃の彼女を思い出していました。


……。


 シャル様は奥様に怒られそうな時、いつもどこかにひっそりと隠れます。

 それを見つけるのが、我々屋敷で働く者の仕事の一つでもありました。


 そんな彼女を誰よりも一番に見つけるのが私でした。

 彼女は見つかると、必ず私の名前を呼びます。

 

 観念した声だったり、見逃してほしいという声音だったり、泣きそうだったり、照れていたり。その時々で言い方は違うけれど。


「ユキナぁ……」


 それがちょっと私は好きでした。

 好きでも容赦は一切しません。

 私はいつも彼女の手を取り奥様の前に連行します。

 毎回毎回怒られるというのに、手をつないでいる間は、握られた手をうれしそうに、にぎにぎと力を籠める不思議な女の子でした。


 シャル様を見つけ、彼女の手を引き、奥様に引き渡すことが私の重要な仕事の一つだったのです。

 私も仕事ですから、一度も見逃すことはしませんでしたが、なぜかシャル様は私を恨むことがありませんでした。

 

……。


 その日はいつもと違いました。

 普段簡単に見つかるのに、珍しく苦労したのです。

 屋敷にいない。庭にもいない。

 こんなことは一度もなかったので私は大変焦りました。心配になったのです。

 小走りに心あたりあるところを懸命に探しました。

 シャル様の目撃情報を一つ一つ聞いて周ったのです。


 屋敷から離れた木陰の茂みに、シャル様が鼻をすする音がかすかに聞こえました。

 ようやく見つけることができて、ほっとします。

 ただの仕事であったはずなのに、私は仕事以上の感情を持っていたことに気づきました。

 シャル様は、道外れの、誰も寄り付かないような茂みで、綺麗な服と髪を泥だらけにして膝を抱えて泣いていました。

 その惨状に、今日はひどく奥様に怒られてしまうな、と少し不憫に思いました。


 ですが、見逃すことはしません。

 いつものようにシャル様に手を差し伸べました。

 しかし今日はなかなか手を差し出してはくれません。

 どうしたのだろうか。

 と思っていると、観念したように手を取る代わりに、シャル様が胸の中に飛び込んできました。


 シャル様の行動は意外で、私は驚いてしまいます。

 いつも奥様の手先のように、連行する私は嫌われているものだと思っていたし、なによりシャル様はすぐに観念します。

 抱きつくのは親や家族への親愛の情の証で、いっかいのメイドにする行為では決してありません。ましてや彼女は伯爵家のご令嬢、私とは生きている世界が違います。

 

 シャル様は胸の中で震えるように声を出しました。


「好きなものを好きでいて、何が悪いの?」


 胸の中で、すんすんと泣いていました。

 安全でお給金がいいからと働いているだけのメイド業です。

 私にとって楽で高級な仕事でした。

 シャル様を見つける仕事は特に簡単で。

 臆病な小動物が行きそうな所を探せば、そこにシャル様はいました。

 いつも誰も寄り付かない所に行けばいいのです。

 

 見つけて奥様に引き渡すだけ。それだけでお給金がもらえる簡単な仕事。

 本当に私はそれくらいにしか思っていませんでした。


 しかし今日は違います。

 胸の中で泣いているシャル様を見て、罪悪感を抱きました。

 あぁ、いつも簡単な仕事と思っていたのは、シャル様がすぐに観念してくれていたからなのだと理解しました。うれしそうに手を引かれてくれたから。


 シャル様はすんすんと泣いています。

 泣いている理由は何となく理解していました。

 今日はお嬢様を馬鹿にしている家庭教師が来た日でしたから。


 家庭教師は有名な大学を出た貧乏貴族の三男で、表では媚びへつらっていましたが、きっとシャル様の前では酷いことを言っていたのでしょう。

 メイドである私には内容はわかりませんが。男の類いは見た目と言動で見抜くことくらいなら容易いから。特に品性下劣な輩は分かりやすいのです。


 お菓子好きと変わった喋り方、緊張でうまく動けなくて笑われて。

 シャル様は表では伯爵家だからと、配慮されているけれど、裏では馬鹿にされ続けていました。それは家庭教師のように外の人間だけではありません。外の世界だけでなく、安心できるはずの伯爵家の中でもです。

 この屋敷で働いていれば嫌でも、兄弟を比較する噂を聞きます。


 私は愛のない陰口が嫌いでした。

 そして不幸なことに、胸の中で泣く女の子は馬鹿ではありませんでした。誰も傷つけることが出来ない、一方的に傷つけられるだけの臆病なやさしい女の子です。

 人の感情に人一倍敏感で、人の裏の感情に気づいてしまう子だったのです。

 彼女を陰で馬鹿にしている人が彼女に近づくと、すすーと遠ざかる性質を持っていました。


「宝石よりお菓子が好きで、何が悪いの?」


 今日はシャル様が大好きなお菓子を否定されたのでしょう。

 陰口や悪意のある言葉は慣れているけど、好きなものを否定されるのだけは、きっと耐えられなかったのです。もしかしたら必要以上に否定されたのかもしれません。それで今日は誰にも見つからない所で隠れて泣いていたのだと分かりました。


 私はシャル様を馬鹿にする人の気持ちを理解できません。

 馬鹿にされて現実を知って、それでも好きなものを好きであり続ける才能を持っている女の子だったから。きっと彼女の『好き』は誰にも折ることができないのです。


 それは天から与えられた才能。

 誰にも負けない気持ちは、何物にも代え難い。

 いつだって世界を変えてきたのは、人の強い気持ちです。

 この才能は些細なきっかけで開花するはずです。


 だから応援したいと思いました。

 世界中で、一人でも応援する人がいれば、この小さな女の子は何かを成すかもしれないから。馬鹿にされている女の子が世界を見返す姿を見たいと思ったのです。


 私は悔しかったのかもしれません。

 誰かを傷つける行為ができないやさしい人が、不幸な目に遭う、つまらない現実に飽き飽きとしていました。

 だから、心を込めて応援したいと思ったのです。


「私はシャル様が好きです」


 でも思っていたこととは違う言葉が出てしまいました。

 首を傾げて考えます。しっくりこない言葉だったから。


 シャル様はじっとこちらを見つめていました。潤んだ青い瞳で嘘か本当か見極めようとしているように。


「私は、お菓子が好きなシャル様が、大好きなんです」


 もう一度言い直すとしっくりきました。

 うん、これで合っている、間違いない、と頷きもう一度伝えます。


「私はお菓子が好きなシャル様が大好きですよ」

「……うっ」

 シャル様は泣きました。

 生まれたての赤子のように泣き叫びました。

 呼吸の仕方を忘れたように、過呼吸になりながら。


 私は抱きしめて、背中をやさしく、とんとんと叩きます。

 折れてしまいそうなほど華奢で小さな女の子です。

 世界の悪意を受け止めるには小さすぎるように思いました。


 やがてシャル様は目を真っ赤にしたまま、いつものかわいい笑顔を向けてくれました。


「ユキナぁ……」


 私はシャル様が私の名前を呼んでくれるのが大好きでした。


「帰りましょう、シャル様」

「うんっ!」


 泣き止んだのなら、当然私は彼女の手を取り奥様の前に連行します。

 仕事だから仕方がないのです。

 決して奥様に怒られて、へこむシャル様を励ましたいからという歪んだ愛情ではありません。

 本当です。本当なんです。


 これから起こるであろう奥様の折檻に気づいていないかのように、にこにことした笑顔で私を見上げています。


 やはりこの日も、これから怒られるというのに手をつないでいる間は、握られた手をうれしそうに、にぎにぎと力を籠めるのでした。

 

 泥だらけのシャル様と私を見て、遠くに見える奥様に鬼が宿っていることがわかりました。手をつなぐシャル様の手が小刻みに震えていきます。

「あわ、あわわ、あわわわわ」

 観念した子猫のように逃げることはせず、顔を青ざめさせたまま、奥様の前に一歩一歩進んでいきます。

 いや奥様ではない。そこにいるのは一人の鬼。


 奥様は勢い余ってなぜか私まで怒るのでした。


……。


 最近のシャル様は毎日楽しそうです。

 きっと素敵な出会いがあったから。

 これがシャル様の才能を開花させるきっかけになるのではないか、と私は信じています。

 世界を変える物語の始まりだと、私は強く願っているのです。


 屋敷の玄関が開く音と、メイド達のうれしそうな声が聞こえてきました。

 大学から帰ってきたシャル様の気配です。

 今日はきっといいことがあったのでしょう。

 音の違いですぐにわかります。


 わたしのいる部屋を開ける音が聞こえました。


「ユキナぁ!」


 シャル様が胸の中に飛び込んできます。受け止めると、もぞもぞと彼女は胸の中から見上げ、楽しそうな笑顔を咲かせます。朝出ていくときの金髪縦ロールはほどけて、さらさらのツインテールになっていました。大学から急いで箒で帰ってきたのでしょう。


「あのねあのね! ユキナぁ! 聞いて聞いて!」

 

 どうやら大学でお菓子好きな友人ができたようでした。

 エル様、リッタ様との出会い、グルメ対決をきっかけに、シャル様の物語は動いていくのでしょう。

 今日も私は彼女の笑顔を望んで、話を聞いていきます。

 それが彼女の幸せの一つになることを願って。

 



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