第16話 シャイロック商会のドラ息子

「騒がしいな」

 露店のメインストリートの方角から、下品な笑い声が聞こえた。


 さっきまで楽しそうに雑談していた、花屋のドランが露骨に嫌そうな顔をする。

「シャイロック商会のドラ息子、ガイウス・ブラント・シャイロックだ。あいつを見たら、静かにしているか、いっそその日の営業はやめたほうがいい。いいことなんて全くない」

 とドランは店を閉める準備を始めた。


「なんだここは、随分さびれているじゃあ~ないか」

 どこかで聞いたことのある声と複数の笑い声が聞こえる。

 声の方角を見ると、少し濁った金髪、端正な顔立ちだがどこか口の端が歪んでいる男がいた。魔法大学でシャルに絡んで、酷くあしらわれていた青年か。

 彼の名はガイウスというらしい。


「知り合いでごぜぇーますか?」

 リッタは完全に覚えていないようだ。とある印象が強すぎて、とある箇所しか目に入っていなかったからだろう。

 リッタの頭を撫でた。

「なんで頭を撫でられてるかわからねぇーでごぜぇーます」

「おとなしくしていてくれよ」

「いつもおとなしいじゃねぇーですか」

「頼むな。約束だ」

 念を押すとリッタはこくっと頷いた。


 魔法大学を訪れた後、シャイロック商会の噂をいくつか聞いた。

 

 主に材料や素材の売買で金を稼ぎ、かなり手広く商売を行い、人々のために貢献したとかいう理由で二十年ほど前に貴族にまで上り詰めたらしい。


 王族の受けは良かったようであるが、商人や小さな小売業、飲食業からは避けられているようだ。だが、シャイロック商会に目を付けられると商売に影響を及ぼすらしく、表立ってはみな文句を言っていない。


 あくまで噂だがかなりあくどいことまでやるようだ。

 他店の噂を流す、商品の買い占めによる価格操作、迷惑客を送り疲弊させる、税金や規制など権力を使った規則変更、薄利多売による価格競争……。


 この都市の露店の中には、シャイロック商会の関係者が営業をしている所もあった。観光客向けの一等地の多くはシャイロック商会などの権威と金のある者たちがおさえている。


 ガイウス一行は露店を冷やかしては嘲笑いを繰り返している。

「一体何がたのしいのか」

 ドランのため息交じりの声は俺にしか届かないほど小さかった。


 しかしここで営業し始めて数か月が経ったが、ガイウスをこんな隅の区画で見たのは初めてだ。

「彼はここまでよく足を運ぶのか?」

「いや、そういえば珍しいな。俺もここでガイウスを見たのは記憶がないくらい久しぶりだ。その時は親と一緒に露店を侮蔑して回っていた。いずれにせよ息をひそめていた方がいい。エルのクレープは難癖つけられる可能性がたかい。魅力的だからな」


「ありがとう」

 と俺も店を閉める準備を始める。


「おい。お前」

 ガイウスに声をかけられた。

「随分人気がない店のようだが、注文してやろう。全種類三つずつだ」

 閉店が間に合うと思ったが、駄目であった。


 シャルと彼は因縁があるようだし、普段彼がこの端の区画まで来ないことからも、最初から狙いは俺のようだ。そうでなければ、他の店々を素通りして、一番端のこの店で注文するわけがない。


「すみません。今日は営業をやめるところでして」

「おいおいおいおいっ! 客が楽しみにして来たというのにそんな仕打ちをする店があるか!? こいつは観光ギルドに相談しなけりゃならんなあ!」

 とガイウスの隣の背の高い男が言った。


 出っ歯の背の低い男も続く。

「態度も最悪だし、本当気分悪いよなぁ! 客を何だとおもってんだか! 客が神様は商売の基本だろう!」


 ガイウスが銀貨二枚を投げてよこした。

「そうか。急に押しかけてすまないな。くくっ。だが一度言ったことは撤回しない主義だ。金は恵んでやろう。ずいぶんくたびれた見た目もしているようだし、上等な服でもかったらどうだ?」

 俺は銀貨を拾い彼に返そうとした。だが、誰も受け取ろうとせず、にやにやと笑っているだけだ。


「……銀貨二枚はそもそも多すぎます。受け取ってくださらないと困ります」

「いやかまわん。銀貨数枚など気にも留めない。恵んでやる」


「……わかりました。ご希望のトッピングはありますか?」 

「ない。お前の最も自信のあるものを作ればそれでいい」


 はい、と頷き鉄板に火を通す。生地の素を垂らし手早く広げ、焼きあがった生地を調理台の上に載せた。


「はは。こいつ金に目がくらんだのか、作り始めましたね、ガイウス様」

「所詮、卑しい貧乏人。はぁ、金が目的だったのか。わざわざガイウス様のお時間を奪いやがって恥を知れ」

 その間も罵倒に似た言葉が続いていく。


「よく見ればお前」

 とガイウスが口の端を吊り上げて笑った。

「ヴァイオレットといた奴ではないか。冴えないおっさんだから気づかなかった。今度のアクアテラの祭典で出店するようだな。まさか……くく。こんなにまずそうな、下品な商品で出るわけじゃないな?」

 隣の男たちも笑っている。

 

「食べてから言えでごぜぇーます。ぶったまげるでごぜぇーますから」

 リッタは小さくつぶやいた。


「できました。どうぞ」

 ガイウスに渡したものの、彼は匂いを嗅ぎ嫌そうな顔をし、隣の背の高い男に渡した。男はクレープを一口頬張って、嚥下せずに地面に吐き捨て舌を出した。

 出っ歯の小さな男に、大げさに水を求める。背の高い男は水を飲んで言った。


「うげぇ……まっず! なんだこれは……酷い味だ。腐ってるんじゃないか。こんなものを客に出して金を取っているのか、この店は?」


 演者のように大袈裟な身振りと声で、周囲の露店の店主に同意を求める。

 露店の人々は俺の顔なじみだ。毎朝あいさつをし、その日の出来事を会話するくらいには仲が良い。だからみな、辛そうな笑みを浮かべてうつむくだけだった。


 ドランなどは肩を震わせている。見た目と違い、花が似合うやさしい男だ。

 こんな諍いにかかわって欲しくない。目で合図を送る。

 彼は頭をかかえ、傷ついたようにうなだれた。


 背の高い男は食べかけのクレープを地面に投げ捨てた。

「金を取るならもっとましなものを作れよな。行きましょうガイアス様。こんなもの口に入れたら、どんな病気になるかわかりませんよ」


 今にも暴れだしそうなリッタを手で制す。

「申し訳ありません。こちら、先ほど頂いたお代になります」

 受け取ろうとしないだけでなく、ガイアスは目も合わせない。まるで見たくないゴミから視線を避けるような行為だった。


 背の高い男に握らせようとした。だが、手で振り払われてしまう。

 銀貨二枚が地面に散らばった。

 男たちはニヤニヤと笑っている。


 地面に投げ捨てられたクレープを見る。


 喜んでほしいと作った料理がいつまでも地面に捨てられているのはつらかった。


 自分の力不足で、申し訳ないことをしてしまったな。本当においしいものであれば、こんな仕打ちできないだろうから。


 偉人たちが創り上げたレシピにも申し訳なく思う。

 ミルキーベルのニコライが一生懸命に作ったミルクも無駄にしてしまった。


 もっと精進しよう。


 こんなに悔しい思いをしなくていいくらい、最高の料理を、いつか作りたい。

 地面のクレープを拾うため、屈んだところで冷たい液体が頭から顎先にかけて流れているのを感じた。今度は水をかけられたのだ。頭の上から。ゴミを洗い流すように。


 ぶわっとリッタから殺意がほとばしった。

「リッタっ!」

 ありったけの声で怒鳴った。

 リッタには暴れて欲しくなかった。

 彼女は平和を望んでいる。


 いつかこの悔しい出来事が笑いごとになるくらい、最高の料理を作るから、今は我慢してほしい。


……。


 男たちは笑いながら帰っていった。

 地面に落ちたクレープを両手で抱え店に戻る。

「気にするな。クズの客だ。真っ当じゃない。それよりもすまなかった。奴を殴れなくて。情けないが、奴に歯向かる者はいない……申し訳ない」


 ドランが申し訳なそうにタオルを渡しながら、言う。仲良くなった彼のそんな顔は見たくない。

「いや。ありがとう。殴らないことが正解だ」


「半殺しにしたかったでごぜぇーます」

 リッタはむくれてしまってこっちに顔すら向けない。

 身体ごと背を向けている。

 汚れてしまった手を拭いてから、彼女の頭を撫でた。


「よく我慢してくれた。ありがとうな」

「うるせぇーですよ。酷い約束をさせた鬼畜野郎。ひどすぎるでごぜぇーます……あんな雑魚は殴って黙らせればいいじゃねぇーですか」


 飲食店は決して強い立場ではない。圧倒的な権力の前には泣き寝入りするしかない場面もある。小さな我慢で済むのなら、野良犬に噛まれてしまったと思うのが一番だ。


「なんでエルが我慢する必要あるんでごぜぇーますか? 何も悪いこと、してねぇーじゃねぇですか?」

 世の中には正しいことを正しいと言えないことが多い。


 折り合いをつけて生きていくことが最も最適解であると、大人になるにつれてわかっていく。わかっている。わかってはいるのだが、それはかなしい現実で、ひどくつまらないものだと思う自分もいる。


……。


 その後、完全にいじけてしまったリッタの機嫌を取るのは大変だった。

 まぁ逆の立場で考えたら、この態度も納得しかない。

 俺も彼女がひどい目にあっていたら我慢できなかっただろうから。


「金輪際エルとは不用意に約束しねぇーです。強く心に決めたでごぜぇーます。エルは脚フェチドS鬼畜甲斐性なしでごぜぇーますから……。……っ。甘い物で誘惑しようったってそうはいかねぇーです。ぷいっ」


 甘い物を口元にもっていったがリッタは食べようとしなかった。

 ぷいっぷいっ、と効果音付きで顔を背けるのがかわいく中毒性がある。

 しつこく繰り返していると腕を嚙まれてしまった。

 痛くはないのできっと甘噛みだ。


 リッタで癒されていると、俺も傷ついていたのだと実感する。

 明日からはいい日になるといいな。

 


 

 

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