第11話 とある日の朝の日常


 とある日の朝のことだ。

 いつも通り早めに店舗に行き、開店の準備。

 つまり店舗清掃をしようと店に行くと、リッタくらいの小さな背丈の不審な女子がいた。口元を布で覆い、帽子を目深に被った学生服を着た女子が、店が開店する前から陣取っていた。


 帽子から覗く髪は金髪縦ロール、白を基調とした制服はアクアテラの名門アクアリス魔法大学のものだ。

 相当な実力を持つか、金持ちしか通えない名門校。

 朝の露店の隅の区画には場違いな服装だ。なんだろう、と思いつつ、会釈する。


 女子は、びくっと飛び跳ね、すすーとどこかへ行ってしまった。

 ちょっと怖いなと思ったが、俺の人相に原因がある可能性も捨てきれないため、気にせず開店準備をする。

 まずは席を並べて毛布を敷きベット代わりにした。寝ているリッタを背から下し、そこに寝かせる。

 機材のチェックに、掃き掃除、拭き掃除。

 少しでも来た客がいい気分で帰ってもらえるように配慮する。


「おはよう」

 ガタイのいい花屋のおっさん……ドラン・ベルグが静かに挨拶をした。リッタに気を使ってくれたのだ。おっさんの見た目だが、俺と同い年28歳。つまり俺もおっさんだ。彼とは毎日挨拶しているのでかなり親しくなった。


「おはようドラン。今日もいい日になると良いな」


 ドランは筋骨隆々な片手を男らしくあげて答えた。

 その後、赤ちゃん言葉で花の世話を始める。話しかけるときれいに咲くらしい。それはとても良いことだと思う。だが許せないことが一つあった。花に対する赤ちゃん言葉が抜けずに。俺に対しても赤ちゃん言葉で話す時がある。気持ち悪いからやめてほしいものだ。


「エルちゃんっ今日もいい天気でちゅねぇ~そうでちゅかぁ~……あ、すまん」

「人間誰にだってミスはある。だが気を付けてくれ。ミスが許されないこともある」

 ドランは筋骨隆々な片手を男らしくあげた。


 俺は悪夢を振り払うように頭を振り、掃除を終え、いよいよ生地の素や生クリーム作りや各種素材づくりに取り掛かった。

 するとまた、少女がすすーと歩いてきた。うろうろと周囲を徘徊している。

 こんな奥まった所に何か用事でもあるのだろうか。


 うちの客ではないだろう。まだ開店には二時間もある。

 じっと見つめると少女はハンカチで一生懸命汗を拭きながら、目をそらした。

 さらに見つめると、口笛を吹き始めた。正確には音は鳴っていないので口を尖らせて息を吐いているだけなのだが。ちょっと面白い子だ。


 目を離し料理をしていると、こちらを伺っている気配を感じる。

 野良猫かなんかか? 警戒心の強い野生の動物は見つめると怖がると聞く。


 明らかにこっちに用事がある様子だ。

 まぁいいかと、引き続き生地やソース、生クリームを作っていく。

 朝の人通りの少ない中に響く、料理の音が心地よい。

 バニラの甘い匂いがあたりを包む。

 丁寧に丁寧に作っていく。

 

 ふぅ、準備万端だ。

 全く人気がないため、多くの量は作らないのだが、俺は準備万端でないと心配するタイプだ。


 料理の音に目覚めたリッタが不審な少女を見つけて、口を開きそうだったので、サンドイッチで口をふさいだ。


「うめぇです……まだねむい……」

 寝起きだというのに、リッタはもぐもぐと食べている。目は閉じたままだが。


……。


 営業開始と同時に、少女が店の前に並んだ。

 本当にこの店に用があるかどうかは半信半疑だった。

 だって人気は全くなく並ばなくても簡単に食べられるのだから。何時間も開店前に待つ必要がない。何かしらの確固たる理由がなければやらない行為だ。

 普通に怖かった。

 変態の可能性が高かったから。


 彼女は十分に悩んで、おそるおそるオーソドックスなクレープを注文した。

「持ち帰りで……」

 声が震えている。

 俺がクレープを焼くところを穴が開くほど真剣に見ていた。ここまで熱心に見られると流石に緊張する。

「ありがとうございます。はい、どうぞ。トッピングはある程度自由が効きますので、もし要望があれば次回教えてください」

 戴冠式かの如く、両手で彼女はクレープを受け取った。

 受け取った手は震えている。よだれをすする音が聞こえた。

 餌を前に三日間くらい待てをされた犬がさらに待てをさせられているようだった。

 これはあなたのものだ。もう食べていいんだ少女よ。


 彼女は言葉を発さなかった。呼吸をしていたかどうかもあやしい。

 静かに背中を向けてゆっくりと歩きだす。

 

 だがしかし。

「数歩あるいて止まったじゃねぇーですか。あの客、変でごぜぇーます」

「少し心配だな……値段高かったかな? アクアリス魔法大学の服を着ているし、いい所のお嬢様だと思うんだが」


「じっとクレープ見てどうしたんでごぜぇーますかね」

「俺に聞かれてもわからん」


 お持ち帰りし、歩いたと思ったら立ち止まり、うーうー唸った挙句、女性は結局一口頬張った。

 そして危険な倒れ方をした。


「――え?」

「エル、強力な毒でも盛ったんでごぜぇーますか? 後頭部しこたま打ち付けちまったじゃねぇーですか。刑務所行きは嫌でごぜぇーますよ」


 リッタは呑気に冗談を言っているが、笑っていられない倒れ方だったので、急いで駆けつけようとしたのだが、少女はすぐに目を覚ました。

 むくっと上半身だけ起き上がり、地面に座り直し、上等な制服を地面で汚しながら一口食べてはボロボロ泣き始めた。


 怖い。一週間無人島で飲まず食わず、ようやく飯にありつけた遭難者のようだ。

 きれいに正座してはむはむと食べ続けている。

 全て食べ終えた彼女はまた店の前に来た。


「えっと、あの、どうかされましたか?」

「……うっ」


 うっとだけ息を吐き、カバンから金貨を次々に出していく。

 金貨50枚近く。

 訳が分からない。

 身に覚えのない大金ほど怖いものはない。

 この客本当に怖すぎる。


「お客さん……あの、なんの御冗談で?」

「……お……」


「「お?」」

 俺とリッタは顔を見合わせる。


「おーほっほっほ!」

 何故か少女は高笑いを始めた。

 逃げたいが逃げ場がない。屋台を置いて逃げるわけにはいかないからだ。

 リッタが俺を盾にし身構えている。気持ちはよくわかる。力ではなく、純粋に人として怖い。情緒がめちゃくちゃだからだ。

 ガタイのいい花屋のドランも花束に必至に隠れていた。いやガタイ良過ぎて隠れられてないけど。


「おーほっほっほ――ごほっごほっ……か、帰るぅ」

 肩を落として背中を向けた。とぼとぼと、ゆっくりと歩いていく。

 その悲しそうな後ろ姿を見ると、こちらは何もしていないのになぜか良心の呵責にさいなまれてしまう。なぜだ。


「あ、お客さん! お金! お金! 忘れてますよ!」

 振り返った少女は涙で顔がぐちゃぐちゃだった。

 それはもうべちゃべちゃだった。

 本当にどうしてこうなった。

 俺はお金をカバンに詰め直し、しっかりと持たせた。


「ほら、ちゃんと持ってくださいね」

 普通に心配だ。こんな子に大金を持たせることも、このまま帰すことも。大丈夫なのか、この子。


「ふえぇっ」

 すんすんと泣いている。


 リッタがとことこと近づき、彼女に包みを握らせた。

「何があったが知らねぇーですが、こいつ食って元気出すでごぜぇーます。エルのお菓子食べて悲しそうな顔するなんざ許さねぇーですよ。お代はいらねぇーからまた感想聞かせに来やがれです」


 ナイスリッタ。これで少しは良心の呵責が軽くなる。

 ……いや俺はそもそも何もわるいことしてなかった。


「あ、あり……ありがどうっ! あり、ありがどうっ! ううぅぅ! ……あり、ありがどうっ!」

 彼女は何度もリッタにお礼を言った。最初の二、三回はリッタも相槌を打っていた。気にするなでごぜぇーますとか。

 だが彼女のお礼は10回以上も続いたため、後半のリッタは虚空を見上げていた。親切を後悔しているのだろう。きっと面倒になったのだ。

 お礼を言い終えた少女は、邪魔だと言わんばかりにバッグを投げ捨て、大切そうに包みを両手で持って満面の笑顔を向けた。


 馬鹿野郎! 金貨50枚の入ったバッグだぞ! 

 世間知らずな行動に口から叫び声が出かかった。


 価値の基準もめちゃくちゃだ。

 彼女が投げ捨てたバッグを拾い、紐をつけて、彼女の肩に斜め掛けで持たせた。

 この子絶対大金落とす。絶対だ。

 俺の心配も露知らず、彼女はぶんぶんと腕を振り元気に帰っていった。


……。


 ドランが花々から顔を出した。

「あの子知り合いか?」


「いや知らないな」

「……エルのお菓子はうまいから熱狂的なファンもできるだろうさ。ところでいつものくれないか?」


 見た目通り実直な言葉をぶつけてくる。彼の存在はだいぶモチベーションの維持になっていた。

 クレープを作り渡す。


「じゃあ俺もいつもの……一つ小さな花をくれ」

「あぁ」

 と、ごつい手で髪飾りくらいの小さな白い花をくれた。


「今日は白い花か……」

 受け取り、それをリッタの髪につける。ピンクの髪に白が似合っていた。


「毎日毎日そのやり取り、よくもまぁ飽きやがらねーです」

「おいしいからな」「かわいいからな」


 ドランと声が被った。お互いの顔を見て笑う。お互いの領分を褒めあって、なぜか楽しかったのだ。

 金を貯め夜の屋台もできたら、気の合う人同士呼んで酒飲み飯食うのも楽しそうである。少し高めの素材を贅沢に使う。大人の楽しみ方だ。その時はデュークも呼ばなければな。そろそろ幼馴染に会いたくなってきた。


「散歩行ってくるでごぜぇーます」

 リッタは花を外さずにそのまま散歩に行こうとした。

 嫌だったらすぐ外すので、気に入ってはいるのだろう。

 とことこと歩いていくリッタの背に声をかけた。


「忙しくなったら呼ぶからな」

「一生呼ばれねぇーじゃねぇーですかっ!」

 振り返ったリッタは頬を少し赤くして笑っていた。

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