第9話 ぶらっでぃすいーとれでぃ

 とある貴族の別荘の一室。

 テーブルには溢れんばかりにデザートが並んでいる。

 シャルロッテ・フォン・ヴァイオレット、ヴァイオレット家三女。彼女のお気に入りのブランドチョコに砂糖菓子、ケーキ……。

 彼女の為に、毎日メイドたちが運んできているお菓子たちだった。


 シャルが親元を離れ、留学の名目でアクアテラに来て二年が経っていた。

 両親の監視の目もなく、彼女を慕ってくれるメイドばかりで、家の中では誰に文句を言われることもなく、好きなことを追求していた。


 幼いころから好きだった、お菓子道を究めようと思っていたのだ。


 シャルは若干15歳。同い年と比べ低めの身長。金髪は高い位置から束ね縦回転に巻いてあった。これは彼女にとっての戦闘態勢だ。人生舐められたらお終いだから。

 毎朝準備は大変だ。主にメイド達が。

 テーブルの上に見たこともないケーキが置いてあった。


「これは何……?」


 シンプルな見た目ながら、丁寧に作られているように見える。シャルは色々な角度から眺めた。生地を幾層にも重ねているようだ。生地の間にはクリームが載っている。丁寧に丁寧に均等に……同じ分厚さの層を重ねているのだ。美しかった。


 フォークで一口分を切る。断面の見事さに見惚れる。


「へぇ、面白いアイディアじゃない。なかなかやるじゃありませんか。おーほっほっほ! このわたくしを感嘆せしめるなんてっ! ククッ! でもねお菓子の世界は甘くないことよ! 見た目だけでは、わたくしは評価はしませんから! いざ尋常に――」


 シャルの言葉遣いは変だった。

 誰もいないのに独り言をいい、独り笑いをしケーキを口に含んだ。


「――ぷぎゃぁっ」


 ケーキを口に入れ、あまりの衝撃に記憶が飛んだ。

 仰向けに倒れ後頭部をうちつける。その衝撃で意識が覚醒し、口の中に広がる、幾層にもわたる甘味にシャルは転げまわった。


「~~~~~~~っ!!」


 ドレス姿で床を転げまわる姿を見られたら、ヴァイオレット家の奥方からの折檻は逃れられなかっただろう。


 シャルは奥方からの折檻常連だった。

 お尻を真っ赤になるくらい叩かれる。それは貴族ではありえない光景だ。

 だが仕方ない。社交界ぶっちの常習犯だったから。


 社交界の前日は必ず体調が悪くなった振りをし、社交界に出られない理由を様々な言い訳で列挙していたが、シャルは純粋過ぎて致命的なほどに嘘が下手だった。ぶっち……無断欠席以外、一度も成功したことがないのである。

 無断欠席をしたときは、毎度毎度必ず奥方から折檻を受けていた。


 おまけに姉二人兄二人はとんでもなく優秀。

 シャルは自信を無くし完全な陰キャになってしまっていた。

 ところが髪は金髪、目は青く美しく、見た目だけは圧倒的貴族オーラ。陽キャ陰キャ貴族一般人問わず、どの派閥にも属すことができず、完全な情緒不安定コミュ障が出来上がってしまった。

 あまりの不憫さにメイドの中で『今日のシャル様』というファンクラブができていたほどだ。


 だが、そんなことは今の彼女にとって関係なかった。

 経験したことがないほど、美味し過ぎたのだ。

 伯爵家三女に生まれ自信を無くしていたシャルにとって、お菓子は人生だった。

 お菓子はうつくしくかわいく、そして優雅だ。

 幾百幾千の宝石よりも、職人が創り上げるお菓子の方が輝いて見える。


「な、なにこれっ!? これは!? ユキナ! ユキナァ!」


 メイドの名前を叫ぶ。はしたないくらい大きな声だ。

 先ほどまでの謎の貴族口調は一切なかった。完全な素だからだ。

 メイドが扉を開けて入ってくる。


「御乱心ですか?」

 開口一番メイドにあるまじきセリフだった。

 黒髪ツインテールに無表情、ユキナだ。

「そりゃそうだよ! 心乱れちゃうよ! これなに!? なんなの!? しれっと最高のケーキ混ぜないでよ! びっくりし過ぎて死んじゃうかと思ったよ! ちゃんと美味しいから気を付けてって書いてよ! 死因がケーキはやだよ! ……あでも死ぬならケーキで死にたい。ユキナよろしくね」


「お嬢様、言葉が乱れてしまっています。まずは落ち着いて」

「あ、うん。そうだよね。ごめんね。……んっ。んんっ。おーほっほっほ……あれ、ちょっと調子が……おーほっほっほ! このケーキは何なのかしら!? なんという物でございますのかしら!?」


「さすがお嬢様。お目が高い。私もこのケーキを見つけた時は、きっとお嬢様が気に入ると思いました。しかし、まさか一つ目に選ぶとは……」

「おーほっほっほ! あったりまえでしてよ。一枚一枚、均等の厚さで積み上げた生地、幾層にも重ねた少し硬めのクリーム、繊細で丁寧でもはやこれは芸術……このうつくしいフォルムに気づかない者は見る目がないとしか言えませんから! おーほっほっほ!」


「さすが、ぶらっでぃすいーとれでぃ」


 ぶらっでぃすいーとれでぃ。それは前の学院でのあだ名だ。

 どんなに体調が悪くても、どんな状況でも甘いものに敬意を払うと噂されていた。


 幾つもの逸話を持っているが、アクアテラに飛ばされたきっかけとなる事件があった。シャルはその日もいつものように、社交界をぶっちした。ギルドのクエストで言えば、最初の薬草採取くらいの気軽な選択だった。

 彼女にとって安牌な選択だったのだ。

 だがそれは不幸にも、第一王子の誕生日パーティーという貴族であれば絶対参加の重要イベントだった。

 シャルは呑気に新作のケーキ発売の長蛇の列にお忍びで並んでいたのだ。


 誕生日パーティーに参加していたヴァイオレット家の奥方は娘を探し彷徨ったという。怨霊のごとく、ありとあらゆるところを探した。だがいなかった。当然だ。その頃シャルはケーキを食べて喜んでいたのだから。


 その姿を見つけた奥方の背中には鬼が宿っていたと、当時の状況を見たメイドが顔を真っ青に語っていた。


 シャルは奥方に三日三晩怒られ、甘いものを禁止され生死をさまよったという。

 あまりのショックに言葉を話せなくなったシャルを見かねた父が、アクアテラに留学という形で手元から飛ばしたのだった。外では仕事、家では奥方の乱心。仏と呼ばれた伯爵家の領主も限界だったのだ。


 親の目が離れたことでシャルは解き放たれてしまった。菓子道まっしぐらだ。

「ふふ。褒めても何もでませんわ! 貴族として当然のことでございましてよ! おーほっほっほ! これはミネリエ商会の新作でしょう? あそこはこういった芸術的な――」

「――違います」


「ふぇ! え? じゃあじゃあ、ヴェルディア菓子店?」

「――不正解です。全くの不正解」


「そ、そんなぁ。じゃあルミエール……はちがうよね。ヴェロ商店……もちがう……ちがくない……いやちがうよね、知ってたもんっ。ラ・シュクレール? メルティ? エトワール?」

「全然あっていません。言葉が乱れていますよ。落ち着いてください」


「落ち着けないよっ! 悔しいもん! 絶対当てるから答え言わないでっ! 言ったら首にするからぁっ! わたしのヴァイオレット家の誇りがかかっているからぁ!」


 勝手にヴァイオレット家の誇りをかけていた。奥方に知られたら折檻は逃れられなかっただろう。

 彼女は貴族や王族の名前は分からないけれど、お菓子の店の名前とシェフの名前はすべて把握していた。人生そのものだったからだ。

 お菓子に関してはプライドがあった。心から大好きだったから。


 結局正解をあてることが出来ず、ユキナに縋りついて、泣いていた。

「教えてよぉ! なんで教えてくれないのぉ!」


「教えたら首になりますから。私はお嬢様が大好きです。だからお嬢様にだけは教えることができません。首になりたくありませんから」

「えーん! なんでそんな意地悪言うのぉ! ばかぁー!」


 後日エルの元へぶらっでぃすいーとれでぃが襲撃する日は遠くない。




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※シャルが食べなかったお菓子たちはメイド達の女子会に使われます。

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