第一章 聖女の休日
第6話 聖女アリシア・ルミエール①
幼いころいた孤児院には、ヒーローが三人いた。
かっこよくてとても強いお兄さんと角の生えたお姉さん、見たこともないおいしい料理を作ってくれるお兄ちゃん。
みんなはかっこよくて強いお兄さんとお姉さんに憧れていたけど、私が好きなのは料理を作ってくれる平凡なお兄ちゃんだった。
お兄ちゃんはみんなにやさしくて、私たちの前ではいつも笑顔だった。
小さかったから顔は覚えていないけど多分初恋だ。
お腹が空いている時はご飯を分けてくれたり、馴染めない私に声をかけてくれたり。髪の色が真っ白な私はみんなの輪に入れず、端にいたけど、いつも気づいてくれた。
4、5歳くらいの記憶だからあまり正しくないかもだけど、すごく困らせるわがままを言っていたと思う。
振り向いて欲しくて、かまって欲しくて、私だけにやさしくして欲しくて……。
でも一度も怒られたことはなかった。
最初は話しかけてくれるからうれしかっただけだけど、気づけば本当に好きになっていたと思う。
三人は旅に出てしまい、私もみんなもすごく泣いたのを覚えている。
その後すぐに私も聖女の才能を見出され、王都アルカディアの塔に召喚された。忙しかったおかげで、いつの間にか悲しみを忘れることができた。
そして、王都で聖女候補として様々なことを学んで気づいたことがあった。
幼い頃いた孤児院の環境はとても悪かったのだ。
けれど私たち小さい子たちは一度も飢えたことがなかった。
三人が私たちのために食べ物をどこからか調達してくれていたのだろう。
きっと彼らは今もどこかで誰かのために、頑張っている。
それが当たり前のように、きっと誰かを幸せにしている。
好きな人がいて、甘えられる人がいて、おいしいごはんがあって、貧しかったけれど、名誉も栄誉も何もなかったけど、私にとって、何者でもないあの頃が間違いなく一番しあわせだったと思う。
……。
聖女アリシア・ルミエールはアクアテラの中心、塔の最上階から街を見下ろした。
街の中を流れる水流が陽光に輝き、水の都市と呼ぶにふさわしいうつくしさだ。
結界を維持し直すのは二日に一度。身体中から魔力を強制的に引き抜かれるような地獄の苦しみの代わりに、人々を守る結界がこの街を覆う。
皆のしあわせのために、アリシアは祈っている。
とてもつらいけど、人々がしあわせでいてくれるのなら、それが私のしあわせ。
私は聖女だから。
この身を神にささげ、人々のしあわせを願う。
愛は祈りだ。
私にとっての祈りは人々への愛。
愛こそが人々を救う。
人々が幸せで暮らせますように。
……うそ。
本当の私は違う。
毎日街の人々に嫉妬して、うらやんで、いいなぁーって思って、でも私にしかできないことだから、祈りを辞めると不幸になる人がでるから、役目を放棄する勇気もなくて、聖女を続けている。
私が逃げ出したら困る人が大勢いて、みんなの幸せを奪ってしまう。
人々の幸せを人質にとられ、私は泣く泣く祈りを捧げている。
そんなのってずるいよね。
本当は私だって恋をして、好きな人とデートして、結婚して、街のみんなのような幸せを送りたかった。
裕福じゃなくてもいい。週に一回、図書館で本を読む時間と、たまに甘いものを食べさせてくれる好きな人と、やさしい人と一緒に人生を謳歌できれば。
……他に、名誉も地位も、お金も、望まないのに。
……。
外のうつくしい自然から目をそらし、室内を見た。
部屋には頼んでいない、望んでいない贈与品であふれている。
開封していない着飾った箱が散乱していた。
聖女の役目は結界の構築だけではない。
貴族の箔付けなどの式典の参加、兵士や勇者の鼓舞にも利用されている。
公務で外に出られるとはいえ、護衛に囲まれ、食事は制限され自由なんてない。
求められているのは私ではなく、聖女という象徴。つまり感情のない都合の良い人形。
公務にはただ参加して、たまに笑顔を向けて、相手が望む言葉を言うだけ。
贈与品の数々は貴族や商会などの金持ちが箔をつけるために用意したものだ。
テーブルいっぱいに並べられた貴金属が鈍く輝いている。
宝石たちも悲しんでいるように思えた。もっと素敵な人と輝きたかっただろうに。
『孤児院出身のアクアテラの聖女は白いカラスのようだ』
宝石好きの下賤な聖女の暗喩だ。白は私の髪を指し、本来黒い個体しかいない光るものを集める習性のあるカラスを比喩に使うことで、最大限の侮蔑を示している。
いつしか私はそう呼ばれるようになった。
原因は分かっている。
私は世間を知らないけれど、決して鈍感な人形ではない。
「アリシア様、今日はシャイロック商会から宝石が届いておりますよ」
侍女のミネバが箱を抱えて近づいてきた。
「感謝をお伝えください」
事務的に返事をする。いつものようにただ淡々と。
断ることをしても意味がないと知っている。
何度断りの言葉を伝えても、狂ったように高価な貴金属が送られてくるから。
どこかで誰かが、私の言葉を都合の良いように捻じ曲げている。
「承知いたしました。きっとシャイロック商会の方々も喜ぶことでしょう。……ところでこちらの宝石――」
テーブルの上で緑にかがやく宝石の近くに侍女はそそと近づいた。
「大変美しく思います。私の叔母が還暦を迎えまして、何かしらプレゼントしたいと思っているのですよ。相談に乗ってくれませんか? 聖女様」
ミネバは宝石しか見ていなかった。
「きっとその宝石が似合いますよ。渡してあげて下さい」
私は塔から街を見下ろした。
「いいのですか! 聖女様! やさしき、お心遣い叔母ともども感謝いたします!」
ミネバの表情を見たくなかった。
高価な貴金属や贈与品と引き換えに結界を張り続ける聖女アリシア。
それが世間の私の評価。本当の意味で私に感謝している人なんてきっといない。
聖女の生活なんてくそくらえ。
ミネバがきゃあきゃあと甲高い声で退出するのと入れ替わるように、眼鏡をかけた女性の神官ルリ・アズリアが入出してきた。
「アリシア様、そろそろお時間です」
そして淡々と結界を張る時刻を伝える。
アクアテラに来てからの付き合いで、面識は長いけれど彼女のことは何も知らなかった。知りたいとも思わないけど。
知ったところでこの塔で役目を果たす私の日常は変わらないから。
聖女になってから、誰かの人となりを知って得したことなど一度もなかった。
だが、ルリは一度も私から何かをもらおうとしたり、利用しようとする姿を見たことがなかった。
ただ淡々と傍に付き従ってくれている。
髪の手入れや服装の正整など、すべて彼女がやってくれていた。
彼女はいつも丁寧な仕事をする。
でも信頼するのは怖い。勝手に期待して、裏切られるのは、かなしいから。
……。
塔の最上階で最も広い部屋に入った。
部屋の中央にある球体の中に入る。
苦行の時間がやってきた。
結界を張るのは苦痛だ。
魔力を無理やり奪われるのは、背骨の神経を抜かれる感覚。
何度この痛みを経験しても慣れない。
私だって感情はある。
死なないけれど、痛いものは痛いし、嫌いなモノは嫌いなのだ。
公務以外で塔から出てはいけなかった。
私が死んだら、結界を維持できず、街の人々が魔物に襲われるから。
私を殺そうと企む、この肥沃な大地を狙う他国の人間たちがいるから。
だからこの都市の中央の、塔の最上階で幽閉されている。
結界構築の苦しみの間、私はいつも願う。
平和な世界になりますように。
私を必要としない、世界になりますように。
甘いお菓子のような、やさしい恋が私にも訪れますように。
どうか、どうか……。神様、お願いします。
私は祈る。
神様。世界に平和を。
神様。欲望まみれの聖女に烙印を。
神様。私をどうか普通の娘に、追放してください。
どうか、どうか……。
私は平和な世界を、誰よりも誰よりも祈り続けている。
これが嘘偽りのない純粋な私の願いだ。
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