第5話 日常と食材調査
市場の近くは賃貸の値が高いので、徒歩30分ほど離れた所で探すことにした。
キッチンが大きい賃貸を選ぶとなると、近場では気に入るところがなく、結局1時間ほど離れた場所になった。
年契約で金貨3枚……アクアテラの物価はなかなか高い。安全な地で飢餓の心配のない肥沃な大地、綺麗な観光都市であれば当然か。
そう思うと、貸屋台が金貨1枚は本当に破格である。
キッチン自体は管理人の思い入れがあるのかきれいで満足していたが、ベッドの管理は悪かったのか少し汚れていた。
「この染み……なんでごぜぇーますか?」
「……さぁな。汚いから触るのやめなさい」
「この汚れが何なのか知っている顔でごぜぇーます! エルが嘘ついている時はすぐわかりやがります。なぜ隠そうとしやがりますかぁ」
ささかるリッタを無視して俺はシーツを捨て、ベッドに生活魔法の洗浄と乾燥をかけ続けた。ベッドを含め家の中を徹底的に清潔にする。
さて今日は食材調査をしようと思う。
観光気分が抜けずに街をぶらぶらと歩きたい欲に駆られている。
リッタがデュークの元に戻る気配はないので、ベッド替わりのソファを買いたいがそんな余裕はない。床で寝れば解決する。
調理器具はマジックバックに自前のモノがあるが、食材と調味料保管用に永続冷蔵魔法付与のボックスは大きなモノを買わなければならない。
日用品の買い集めと永続冷蔵魔法付与のボックスを奮発したところ、金貨2枚を使ってしまった。残りは金貨4枚になった。
夢を目前に舞い上がり、いきなり屋台を発注していたら終了していたな。
危ない。危ない。
……。
市場に行き、スキル異世界レシピを起動した。俺以外に見えない魔導書が現れる。
作るものはクレープ。ページがめくれていきクレープのレシピにたどり着く。
小麦粉、卵、牛乳、塩、バター、バニラエッセンス、甘味料が基本。
バニラエッセンスという異世界の調味料が含まれているが、異世界レシピは鑑定機能つきだ。俺が実際に見たもので、代用できるものが魔導書に追加されていく。
バニラエッセンスはもともと作り置きしていたものがあるが、今後クレープなどのデザートを量産する上で必須であり、まだまだ量が足りていない。ここで材料を買って作り置きを増やす必要がある。
薬草が売っている露店にいくと、バニラエッセンスを作る香料を見つけた。ラニアという細長いサヤみたいな豆だ。
これを乾燥させ無味無臭のアルコールにつけて暗所に保管すれば良い香りになる。商品として使えるようになるまで2、3カ月かかってしまうため、計画的に作らなければならない。
小麦粉、卵、牛乳、バターや甘味料を購入していく。
これらの材料は肝心要だ。色々な所で購入し味比べをしていこう。
あとはクレープには、おいしい生クリームが重要になってくる。
乳脂肪分が高いミルクを探す必要があった。市場にはいくつか代用できそうなものがあったが、実際に牧場を見て回りたい。
どうせならこだわりたかったからだ。
おいしそうな肉が売られていたため、ついでに購入し保冷魔法をかけマジックパックに入れる。これはただリッタと一緒に食べるため。
「それは今日の晩御飯でいやがりますか?」
「あぁ。ステーキ丼にしよう。アクアテラの米も食べてみたいしな」
「楽しみでごぜぇーますっ!」
「このまま牧場にミルクを探しに行きたいと思うが疲れてないか?」
「あたしはお腹は空くけど疲れはしねぇーですよ。エルがやりたいようにしやがれです」
そのまま牧場をいくつか回った。一軒目も二軒目も大規模に運営していて、品質は安定していたが、主にチーズとして生産されているものが多かった。
中には脂肪分が豊富そうな濃厚なモノもあったので、決めてしまっても良かったのだが、時間もあるし、何より今日は歩いていて心地よい。
リッタも機嫌が良いようなので、さらに街の外れまで歩いていく。
「あの人たちはエルみたいに牛乳をぐるぐる魔法で回さねぇーんですか?」
「ぐるぐる?」
「なまくりーむっていうたまに食べさせてくれる魔法みてぇーにうめぇーやつです。あれはしあわせな味がするでごぜぇーますっ!」
どうやら生クリームの抽出方法のことを言っているようだ。アクアテラでは生クリームは高価なもののようで、上流階級のものしか口にできていないようであった。
製法は企業秘密と言われて確認できなかったのだが、何かしらの方法で抽出していると思っている。
「回転させると生クリームのもとになる乳脂肪が分離するんだ。企業秘密と言っていたし、奥の方でやっているんじゃないか?」
「魔法の気配感じなかったでごぜぇーますよ。普通の生活魔法くらいで、特に風は感じてねぇーです」
竜王リッタは風と土を得意とする分、そこら辺の魔力探知が得意だ。得意という表現は語弊があるかもしれない。その二つの魔法に関して彼女は、この世界で最高峰だ。才能のない俺には一切感じられないので表現のしようがない。
牧場の人は乳脂肪が自然に分離するのを待つやり方なのだろうか。
それならば抽出効率は低いため、上流階級の人しか口にできないのは納得だ。
生クリームを生成し過ぎても、需要と供給が壊れ、普通の牛乳が飲めなくなったり、市場価値もめちゃくちゃになるだろうし、あまり首を突っ込まない方がいいように思う。
あるいは供給を絞り、貴族や上流階級相手にアコギな商売をしているのか。
いずれにせよ、これはチャンスであるように思う。他の屋台と差別化が容易になるし、地元の人にも気軽に生クリームを使ったデザートを楽しんでもらいたい。
「異世界レシピにすらわからない生クリームの生成方法があるのかもしれないなっ」
そんな方法があるのなら是非ぜひ知りたいものだ。すごくわくわくしてくる。
材料を比べたり、街を練り歩いたり、何よりアクアテラの市場には人々の笑顔が溢れていた。冒険者の頃見かけた笑顔の質とはまた違っている。
「……エルは冒険者よりこちらのほうが向いていやがるです。血とか名誉とかそういうの似合わねぇーです。かわいい顔してやがるですよ」
「かわいいわけがあるか」
28歳の男になんてことを言う。満面の笑顔のリッタにつられ笑ってしまった。
……。
ギルド受付のミネットがおすすめしていたのはここだな。
街の外れには、頭数は多くはないが、牧歌的で広い農場に肌艶のよい牛達がのんびりと草を食べていた。
小さな家と犬が数頭。
ぼさぼさの髪で目が隠れている青年が一人、牛達のブラッシングをしている。
ミルキーベルと書かれた、看板が立っていた。
経営がうまくいっていないらしいが、とてもおいしいとミネットが絶賛していたので期待している。どうにもミネットの幼馴染の青年らしい。
「こんにちは。濃厚なミルクを探しています。ミルキーベルのミルクがすばらしいとお聞きしまして、ぜひ見せていただきたいと」
「……あ、……い。……どぞ」
大きな体のわりに声は小さい。大きな体を何度もぺこぺこと曲げている。見学させてくれるようだ。
「エルと言います。こちらはリッタ」
「よろしくしやがれでごぜぇー……よろしく、お願い、します」
俺はリッタが敬語を使っていて感動した。それはもう、とてつもなく感動していた。思わず抱きしめてしまう。
「リッタっ」
「独身のくせに、なに我が子の成長を見守る顔で抱きしめてやがるでごぜぇーますか。人前でやめやがれです」
眠たそうな顔は変わらずだが、珍しく頬を赤くしていた。
「……ニコライ……です」
ニコライさんは相も変わらずぺこぺこしている。
その後、彼が牛を世話する様子を見学させてもらった。
実直な働きっぷりはすばらしく、人柄がよく伝わってきた。牛たちも彼に甘えているようでストレスを感じている様子はない。牛は人懐っこく、触れると、喜んでいるようだった。リッタにはおびえていて、リッタが近づくと一定の距離をあけるというジリジリとした平和な膠着状況が続いており、両者の溝が埋まることはなかった。
結局リッタは牛に触れることが出来ず、離れた丘の上で膝を抱えて遠くを見ながら風を感じていた。かわいそうだが仕方がない。牛たちにも本能があるのだろうから。
最後にミルクを飲ませてもらい、その濃厚さに惚れ惚れし、今までの農場もよかったのだが、このミルクで料理を作りたいという欲がふつふつと沸いていた。
これならば生クリームだけでなく、アイス、シャーベット、スムージー、タピオカと何でも使えるだろう。
「定期的にミルクを提供していただきたいと思っていまして……まだ確定はしていないのですが、これくらい欲しくて……その場合、価格はどのくらいになりますか」
「……です」
提示された額は想定していた3分の1ほどだった。あまりの値段の安さに何かしら問題があるのかと疑ってしまう。
安すぎて不安になる。ニコライさんの様子を観察するが、悪意は見受けられない。
ここは正直に聞こう。
「安過ぎるように、感じるのですが……何か特別な理由があったりしますか? 失礼ですが、病気もちの牛であったり」
「……ですっ」
ニコライさんは慌てたように健康であることを伝えてきた。
手を引かれて一頭一頭牛のもとに連れていかれたくらいである。ついでと言わんばかりに牛の名前をエピソード込みで聞かされた。愛情深く世話しているのだろう。牛はどこからどうみても健康で、肌艶は前二軒の大規模農場と比較し、ずっと状態が良いように思う。
ならなぜここまで安いのだろうか。
話を聞くと、ミルキーベルは街の市街からは遠く、地元の人々が来ないらしい。その分静かで牛たちはストレスなく育つようであるが。
そのためミルクを買うのはもっぱら商人で、どうも聞く限り足元を見られて安く買いたたかれているように思う。それも不当に。
信頼関係は大事だ。昔なじみのよしみで安く提供している可能性もあるため、俺は口出しをしなかった。
もし軌道にのって屋台の売り上げが良くなれば、優先的に提供してもらう代わりに適正と思う値段で買い取ろう。
そうすればミルキーベルはもっと環境がよくなり、よりおいしいミルクを提供できるようになるかもしれない。
最後にニコライさんと握手し、ミルクを購入し別れた。
丘の上で膝を抱えていたリッタは、猫のように身体を丸めて寝ていた。
風が心地よかったのだろう。
彼女を背に抱え、家へと帰る。
明日からはいよいよ試作品作りだ。
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