8:寝て、おきて、寝たふり

「……さ……、……こさん、音湖さん!」


 寝起きの気怠さに意識を漂わせていた音湖は、自分を呼ぶ大声にやっと覚醒する。


「あ、蛇呑先生。」


 鼻と鼻とがぶつかりそうな距離に、蛇呑がいた。気づくと窓越しに皆もいる。蛇呑に関してもそうだが、他の生徒も窓の割れたのを良いことに思いきり身を乗り出し、音湖の肩を揺さぶったり頬を叩いたりしていた。

 呑気におはようございますと応じると、あからさまにほっとしたような空気が流れる。安心したような心配するような複雑な表情で、皆が音湖の様子を伺っていた。薬丸はいかにも困ったという顔をして、蛇呑と顔を見合わせる。

 どれくらい眠っていたのだろうか。音湖は少し混乱して、何があったんだっけと考えた。

 そうだ。『成り損ない』……みあを、倒した。いや、殺したのか。それからみあの最期に見た夢を、覗き見た。

 周りの反応を見る限り、あの夢を見たのは音湖だけらしい。核を、あるいはその中の遺品を壊した者だけが見るものなのだろうか。

 音湖は手を握ったり開いたりするのを繰り返した。

 手のひらにはまだなんとなく、あの丸い指輪があるように感じられる。しかし何度確認しても、そこにはバラバラの指輪だった破片すら存在しない。

 うまく言葉にできない感情に唾を飲み下す。

 悲しい、あるいは、罪悪感だろうか。ホッとしているような気もする。良いことをしたような気分すらある。なんて恐ろしいことをしてしまったのだろう、なんて思う自分もいて、なんだかよく分からない。

 なるほど、これは確かに見方によっては人殺し、しかしもう一方では救済だ、と音湖は思った。

 

「音湖さん、気分はどう?」


「ええと、分かりません。」

 

 問われて、回らない頭で素直に答える。どうにも眠くてぼーっとしていた。まだ側に彼女、みあ達がいるように感じて、どこまでが夢でどこからが現実か、寝起きの頭では何も分からない。

 全ての感覚にぼかしがかかったような曖昧さだ。

 薬丸が音湖の顔を覗き込む。


「倒れたんだ、それに今起きたばかりでこんな……。神御成、とりあえず一旦ベッドに戻ろう。きよら、頼めるか。」


「神御成さん、ちょっと失礼するね。」


 そういうと、ベッド中に散らばっていた硝子片やその他の汚れがふわりと宙に浮き、清と呼ばれた男性の持つ袋の中に入っていく。

 これも能力の一つだろうが、一体何を願ったのだろうか。収集?あるいは、操作?

 

「よしよし、もう硝子も土も乗ってない。神御成さん、横になって大丈夫だよ。」


 清が身を乗り出してベッドの上を手のひらで撫で、確認してから音湖に促す。

 特に横になりたい気分ではないのに、などと思いながらも大人しく従う。清はおそらく三年の生徒だろう、人懐こい感じの爽やかな青年だった。

 

 新品のように白くて心地よいベッドに身を預け、音湖は周辺に集った人々の隙間から外の様子を伺った。

 グチャグチャになった地面を、周囲の建造物を、先程戦闘の前線にいたのとは別のグループが修復している。その中には、よく見知った顔も多くあった。

 器用なものだ、音湖はテレビか何かの視聴者気分でそう思う。本当に何事もなかったかのように、景色が元に戻っていく。

 そういえば、外の景色は見慣れた学園の庭ではない。随分と綺麗だけれど、まるで美術館か何かのモニュメントのようで、独特である。

 見知った人と見知った保健室が最初に目に入ったから良かったものの、そうでなければ、全くの異世界に来てしまったのだと酷く混乱したことだろう。そんな光景だ。

 空は青く、ちょうどよく絵になるような頻度で白い雲が浮かび、すぐそこには澄んだ海か湖かがあって光を反射している。

 生きた草木はないものの、透明だったり不透明だったり、様々だが釣り合いがとれている何か美しい素材で模られた木々や草原の作り物が、そこら中に自然に並んでいる。花畑のように見えるのは、色とりどりに散らされている花びらだ。

 きっと薬丸の作り出したものだろう。花びらが生物カウントされていない理由がよく分からないが、そういえば、『機械』を用いて生物由来の素材、例えば貴重な獣の革や漢方に使えるような植物を干したものを、生成することに成功したらしい話を聞いたことがある。

 つまるところ、それ単体で生きていける状態以外の、既に死んでいるようなものであれば生物として見做されないのかもしれない。解釈の分かれそうな話ではあるが。

 風がパタパタと吹いて、音湖の金の髪が頬にかかる。心臓がとくとくと鳴って、生きている心地がした。

 空気に嫌な湿気をまるで感じない。暑くも寒くもなく、カラッとしていて、少なくとも音湖の知る日本の気候ではないように思われた。

 千年以上経っているのだから、気候が変わるのも当然だろうか。それとも、これも誰かの能力で作り出されたもの?

 

「そこの窓修復しちゃうよ!皆どいてどいて〜!」


 一際元気ではつらつとした声が近づいてくる。この声には聞き覚えがあった。同じクラスの上峯三色かみみねみいろさん、ミイロさん。一言で表すなら所謂ギャルといった感じの人。ゲームや漫画に登場しそうな、絵に描いたような、そんな感じだ。

 今日も記憶にある通りの短いスカートと派手で明るいメイク。ジャラジャラと音の鳴りそうな耳飾りがキラキラと瞬いていた。

 

「って、委員長じゃん!起きたんだ!久しぶり〜!!」


 ミイロが音湖の手を握って、満面の笑みでぶんぶんと振り回す。

 その手を握り返して、音湖は思わず微笑んだ。

 目覚めを喜んでもらうのは、これで今日何回目だろうか。あまりにも嬉しそうにしてくれるから、初めの一回や二回は冷静でいられた音湖も、なんだか照れてしまう。

 比較的冷静な方だと自己分析していたが、誤りだったかもしれない。


「ミイロさん、お久しぶりです!」


「久しぶり〜!また会えて嬉しいよ!」

 

 いえいと声を出してハイタッチをしたあと、ミイロの表情がコロッと代わる。細くて少し吊り上がった眉が、心底心配だと訴えるように歪んだ。


「体調ど〜?さっきのびっくりしちゃったよね。大丈夫だよ〜、とりあえず今日はゆっくり……って、どしたの?みんな変な顔してるけど。」


 ミイロが振り返って、音湖以外の皆の顔をまじまじと見つめる。

 音湖は音湖で、ミイロの顔を見つめていた。

 音湖はそもそもクラスの皆のことが大好きで、当然ミイロのことも好きだった。明るくて、何より優しい。ネガティブを吹き飛ばしてくれるような笑顔で、何も気にしていないようなカラッとした態度で、それなのに周りのことを実はよく見ていて気遣ってくれる人。とてもとても素敵な人だ。


「ねえねえ、何かあったの?あ、今回の、そんなやばかった感じ?」


 確かにここらの壊れ具合やばいと思ってた、と続けたミイロに、ミイロと音湖以外の皆が顔を見合わせる。

 音湖は首を傾げた。

 先程からのこのおかしな空気は、一体何なのだろうか、はっきりしない。


「上峯。」

 

「ん、甲坂。なあに?」


 口を開いたのは甲坂だった。同じクラスの、先程ネットを使ってみあを捉えた男子生徒。スポーツが好きでやんちゃな、年がら年中何処かしらに大きめの絆創膏を貼っているタイプのムードメーカー。


「さっきの『成り損ない』、誰が倒したと思う?」

 

 甲坂の問いに、ミイロが人差し指を顎にあてる。


「んー、誰って、先生じゃないの?あたし教室にいたから全然見てなかったけど。」

「委員長だよ。」


 せっかくミイロが答えたのに、間髪入れずに答えが返ってくる。

 倒したといっても最後の一押しをしただけなのにと音湖が心の中で謙遜したその時、ミイロの様子が変わって、酷く焦った声色になる。


「えっと、どゆこと?」


「委員長が、とどめを刺したんだ。……凄かった。」


 凄かったと言っている割に甲坂の声音も妙にシリアスだ。

 音湖はいよいよ訳が分からなかった。

 確かに初戦にしては良い戦果だったかもしれないが、仮にも神御成の跡継ぎだ。そのあたり、並よりできて当然なはずだし、きっと皆もそう思っているはず。


「ねえ、それ、マジで言ってんの?」


 驚いて、音湖はびくりと肩を震わす。

 ミイロの声は明らかに怒っていた。

 彼女が怒っているところを、音湖は過去に一度だけ見たことがある。人のために、友人のために声を荒げることのできる人なのだ。

 今も、それと同じ声音だった。


「センセイ何やってたの!?センパイは?委員長ただでさえ起きたばっかりなのに、そんなことさせたの!?あり得ないんだけど!!」


 ミイロが蛇呑に掴みかかる。

 酷く怒っているはずなのに、その顔は赤いどころか、青い。

 当然蛇呑がそれを静止するが、しかし、本気で止めようとしているようには見えない。そう、なんだか、言われても仕方がないことをした、といった感じで、実質的にされるがままになっている。


「ミイロさん、落ち着いてください。大丈夫です、私、この手のことは慣れてますから!」


 状況の読めないまま、ひとまず音湖が静止する。

 それで、あ、間違えたな、と思った。音湖の言葉を聞いた瞬間、ミイロの顔からより一層血の気が失せたのだ。

 ミイロ以外の皆も似たような表情で、唯一薬丸だけが、やってしまったと言わんばかりに肩をすくめている。


「委員長!と、とりま一旦寝よ!うん!一回寝よ!」


 ミイロの声に皆が一斉に動いて、掛け布団を肩のあたりまで深くかけられる。

 急に音湖が寝ることになって、とにかく促されるままに目を閉じた。何がどうなっているんだか分からない。本当に、本当に、何だっていうんだ。

 音湖は困り果てて、ひとまず寝たふりを始める。

 いくつもの声が聞こえるが、音湖以外の誰かしらに怒っているか、音湖を物凄く心配しているかの二択で、その理由までは聞き取れない。

 やがて先程まではっきり聞こえていた声がこもりだして、窓が修復されたのだろうことが分かった。

 教師たちが生徒をなだめて、建物の中に帰させているのが聞こえた。

 うーん、とか、んー、とか、聞こえないように呟きながら音湖が悩んでいると、徐々に教師たちの声も遠のきだす。


「ちゃんと説明してよ、今すぐ!」


 なんて怒っている生徒の声が辛うじて聞こえて、説明してほしいのはこっちの方だと音湖は声に出さずにぼやく。

 蛇呑の声がやっと聞こえなくなった頃、コンコンと窓を叩く音がする。音湖が薄く目を開けて見ると、薬丸が最低限の声量で話しかけてきた。


「神御成、ちょっと後で話がある。看病役が選ばれるだろうから、どうにか勝ち取って、すぐに行く。」


 音湖は無言で頷いた。

 誰がどんな能力を持っているのかさっぱりだから、変に動いて察知されるのが少し怖くて、あくまで動かないままで。


「……なんて言えば良いのか分からないが、そうだな、神御成は何も悪くないし、気にすることはない。とにかく、少し待っていてくれ。」


 ピンとこないままに、音湖はとりあえず頷いた。

 薬丸の気配が遠のいて、あたりに静寂が戻る。

 なんだか忙しい時間だったなと、一人ぼっちの保健室で溜息をついた。目が覚めて、世界のことを知って、それから―


 一際大きく、鋭く、短く、息を吸い込んだ。


「ああ、なるほど……。」


 顔を覆う。何故ミイロがああも慌てていたのか、皆が酷く心配そうな表情をしていたのか、音湖は理解した。

 ハイになっていた脳内が落ち着いて、記憶が手早く整理されると、一つの映像が、頭の中でエンドレスで再生されだす。

 それは多分、あの核を貫いた瞬間か、あるいは指輪を破壊した瞬間の光景。

 目を見開いて、絶望を込めて、音湖を強い恨みの籠もった目で凝視する。そう見えてならない、の表情が、悲鳴が、何度も、何度も。



※この作品は小説家になろうにも投稿しております

 

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