7:夢の中で

 音湖の手から放たれた閃光の正体を、音湖自身もよく知らなかった。

 これは一体なんだろう。

 今、自分は何をしたのだろうか。

 『成り損ない』の頭が崩れて、本来脳があっただろう位置に黄色く小さな球体が見え、そしてそのまま弾けた。

 脳天を貫いた光は核をも破壊して、多量の卵白が音湖に降り注ぐ。チャリン、あるいはぽちゃんと音がして、音湖の膝に小さな金属の何かが着地した。


「これは、指輪?」


 小さな金色の輪。

 それは玩具の指輪らしかった。

 黄色い小さなハート型の石がついている。蛇呑の言っていた、思い出の品とはこれのことだろう。これを壊せば良いらしい。

 『成り損ない』の動きは核を割った瞬間から明らかに鈍化し、しかしまだ動き続けている。

 その歯がガジガジと音湖の肩に噛みつき、鋭い爪が必死に顔に傷をつけんとする。酷い痛みだったが、音湖のどこにも傷はつかない。

 明確な優勢は、音湖に冷静さを取り戻させていた。自分が何の能力を行使したのか考える余裕が生まれ、少し考えてから思い至る。

 父が願ったこと、当主がずっと切望していたこと。

 あの『機械』の中目を閉じる直前、うっすらと聞こえた父の声は何と言っていたのか、思い出せ。

 僅かな記憶を辿って、たどり着いた二文字がある。

 音湖は卵黄に塗れた指輪に手をかざし、クラスメイト達に倣って呟いてみせた。


『破壊。』


 パリン、だか、パシンだか、そんな音がする。

 指輪に亀裂が走り真っ二つに割れた後、数秒おいて粉々に砕け散った。


「っ……!」


 目眩がした。

 音湖はぎゅっと目を瞑る。

 瞼の裏、知らない声と光景が、自動再生のように勝手に流れ出した。

 

 知らない男女。いや違う、女性の方は知っている。これはおそらく『成り損ない』の少女の、生前。

 中学の教室、お互い別のグループで楽しそうに会話をする二人は、とき通り視線を相手方にやり、そしてそれに気づいて微笑み合う。

 絵に描いたような青春だった。

 恋人か、あるいはただ密かに思っているだけだろうか。

 詳細は分からないが明らかに両思いといった感じで、見ているこっちが照れくさいような可愛らしい姿だった。


 場面が転換する。


 それはどこかの建物、五、六階ほどある住居のように見えた。

 その屋上、誰かがいる。

 影は僅かによろめき、それから音湖の瞳は落下する肢体を捉えた。

 飛び降りたんだか、落とされたんだか、知らない。

 ただ、少女が命を落とした原因がそれなんだろうことは分かった。

 少女が地に叩きつけられるだろうその直前、音もなく、その身体が消失した。

 画面が暗転していく。

 ああ、これは知っている。ここねを失った例のあれと、近しい何かだ。

 最悪だったろうな、音湖はそう思った。

 きっと亡骸がどこにも残らなかったのだろう。

 少女を思う少年が何を考えたか、察するになおあまりある。

 先程見えた少女の家らしき建物もかなりの豪邸だったし、これはおそらく少年もそう。神御成学園中等部の生徒だ、双方実家はそこそこの金持ちなのだ。であればきっと『機械』に接触する手段も比較的多かったはずだ。

 

「それで、君があの少女を願ったわけですね。」


 音湖が声に出す。

 声に出しただけで、音にはなっていないだろうと思った。

 不思議な話、今音湖の意識は幻想世界か白昼夢かの中にあるようだから。

 目の前に現れた少年が振り向く。

 膝をつき、うなだれて、何ヶ月も無き腫らしたような瞳をしていた。暗い目だ。絶望の表情に見えるが、それだけでないのを音湖は知っていた。

 どうしようか、と思った。

 慰めたり、あるいは咎めたり。

 誰かに願われたのでなくこの少年自身が少女を願っただろうことは間違いないが、だからこそどう言葉を選ぶべきなのか音湖にはさっぱりだった。

 それ以前に、自分にそんな権利があるのかがそもそも分からない。

 内側の小麦色の肌がもし罪だというのなら、これは罪人が罪人を裁くような滑稽な図だからだ。


「……こんなことがしたいわけじゃ、なかった。」


 絞り出すような弱々しい声。先に口を開いたのは少年の方だった。

 泣いているように見えるが、瞳からは一滴の雫も溢れない。

 泣き尽くして、枯れてしまったのだろうと思った。


「あんなみあが見たかったわけじゃない!」


 みあ。それがあの少女の名前だろう。


「そうだね。」


 分かるよと、音湖は頷いた。

 同情でも何でもない、これはただの共感だ。

 全部を投げ打ってでも取り返したかった、最愛の人。

 思いが空回りどころか手酷い実り方をして、その人の尊厳すら損なった。


「……でも、もう、大丈夫ですよ。」


 音湖は微笑んでみせた。

 自分でも驚くほど、今音湖は無理をして笑っていて、なんだか泣きそうだ。

 己の発した声は、あの少年を思ってかけている言葉なのだろうか。それとも、それとも。

 ここねの肌を愛おしんで撫でたいのに、変に力が入って握りしめてしまう。

 お化け屋敷に入った時のように、ホラー映画を二人で見たあの日のように、助けて、助けて、そんな風に。


「指輪はお返ししますね。」


 音湖はここね色の手の内側に、先程粉々にしたはずの指輪が握られていることに気がついた。

 返さねば。そんな考えが自然に浮かんで、数歩進んで指輪を手渡す。

 少年はそれを凝視し、今度こそ涙を流して引き攣れるように泣き出した。


「これは、僕が、昔。」


 音湖は相槌を打つ。

 好きに話せば良いと思った。ただ聞くことしかできないが、それくらいならいくらでも、だ。


「小さな頃に、みあに、贈ったんだ。」


 幼馴染だったのか。

 指輪は食缶か何かに入っていそうな作りをしていたから、随分昔、それこそ五つかそのくらいの頃だろうと、音湖は勝手に思った。


「みあ、この指輪をずっと……持ってて、くれたんだ。」


 泣き笑いのような表情だった。

 少年は大事そうに指輪を握って持ち上げると、それに愛おしそうに額を押し当てた。

 ポロ、ポロと流れる雫が指輪にかかった頃、あたりが白くぼやけて夢の覚める気配がする。

 これが、もし少年の思いが最後に捉えた夢ならば、夢の中にすら、みあさんは現れなかったことになる。

 なんて悲しいのだろうか。

 そこまで考えたとき、音湖の口が意識の外で動いた。


「ありがとう、ゆうくん。」


 ゆうと呼ばれた少年は、化かされたように顔を上げ、しばし静止した後、それから幸せそうに、全てが分かったように微笑んだ。

 夢が終わっていく、目覚めの時が来る。

 音湖は背中に誰かの気配を感じて、そっと振り向いた。

 そこには誰もいない。ただ知らない誰かの残り香を感じるだけ。

 音湖はなんだか、いいな、なんて思って目を閉じた。

 ああ、これは少年の夢などではなかったのだ。

 これは、今音湖がトドメを刺した少女の、みあの、走馬灯。

 最期に見たいと願った『想い人の夢』だ。



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