6:本能

 窓の外が騒がしくなってきた。

 『成り損ない』な少女が雄叫びを上げる。とても中学生が出すとは思えない野太い声で、音湖の身体がびくりと跳ねた。

 怖くて視線だけを動かしてこっそり伺うことしかできないのに、よく見たいなんていう好奇心が止まらない。

 神御成の人間として、化け物との戦闘にはある程度慣れている。問題は、彼女が獣じみた化け物に見えたり、華奢な少女に見えたりすることだ。

 気味が悪い、気分が悪い、体感的にはそんな感じ。

 怯えた表情で割れ窓の向こうに目をやる音湖の水色の瞳と、『成り損ない』の少女の茶色い瞳がほんの一瞬かち合う。

 音湖は心身共に呑み込まれるような錯覚に陥った。怖い。恐ろしい。少女の目はどこまでも空っぽだった。ただ空虚で無感情な瞳は、例えるならば呪われた古い人形のようである。

 数回咳をして、思わず止めてしまった呼吸を元に戻す。

 『成り損ない』が、金切り声で叫んで勢いをつけて走り出すのが見えた。地を蹴る音、どんな脚力の陸上選手でもあり得ない程に土をえぐったその足の、向かう先にいるのは、見知った顔達だ。

 

青空あおぞら先生は援護班をお願いします!兎野うの先生は三年攻撃班の方を!」


 蛇呑が指示を出すのが聞こえる。青空は長い青髪と灰色の瞳を持つ女性で、確か家庭科の先生だったはずだ。授業の分かりやすくて楽しい、人気の教師。

 兎野は高身長で細いわりに力のある男性で、白い長髪を首の後ろで束ねている。赤い瞳は、ここねのそれより少し暗い。おそらく薬丸の担任教師だったはずだ。


「花弁。」

 

 懐かしい顔ぶれをぼんやりと眺めていたそのとき、色とりどりが空を切り裂いた。

 それが何なのかは、つい先程見せてもらったばかりだ。薬丸の指先から飛び出す、美しくて変幻自在の花びら。

 

 クシャ。


 腑抜けた音がした。

 殻の割れる音、卵の割れる音。

 『成り損ない』の右腕のあたりが、石でも投げつけられたかのようにひび割れる。間髪入れずに空を切る音がして、その身体に大きく穴が空いた。

 穴という名の傷から、黄色みがかった透明な液体が溢れ出す。

 それはまさしく、生卵のようだった。

 白身にしか見えない液体がポタ、ポタ、と地に落ち、『成り損ない』は一層興奮したように動きと叫びを加速させた。

 

「あああああああああ!!!」


 喉が壊れるかのような大声。

 それ自体はただの声だ。音湖の耳が少しキンとした程度。

 しかし次の瞬間、『成り損ない』は更なる叫びをあげるかのように口を大きく開き、仰け反り、そして、音湖に多量の硝子が襲いかかった。


「っ……!」


 衝撃波だ。音湖が身体に痺れるような痛みを感じたときには、ただでさえ割れて見苦しいことになっていた窓が、より一層バラバラに砕けていた。

 窓から見える範囲でも周囲の建物や謎の建造物に被害があって、その欠片が教員と生徒を襲う。

 衝撃をもろに食らったらしい生徒は、膝をついて動けなくなっていた。

 音の聞こえない叫びは、どうやら『成り損ない』の彼女にとっての攻撃手段らしい。

 なるほど、先程窓を割った衝撃は、これか。

 

「ネット!」


 青年の声がそう叫んで、見ると『成り損ない』が網のようなもので絡まって動けなくなっている。

 声の主はクラスメイトの甲坂こうさかだった。どうやら、仲間と連携を取りやすくするため、力を行使する際は分かりやすく言葉にしているらしい。

 甲坂の能力は網で何かを捉えること?であれば、察するに捕縛そのもの、あるいは何かを捕まえたい、といったことを願ったのだろうか。

 

 甲坂の網で『成り損ない』の動きは大きく制限され、しかし音湖にはそれに何の意味があるのかが分からなかった。

 確かに彼女は生身で襲いかかろうともしていたが、恐れるべきは明らかに、その喉から発せられる衝撃波だ。

 真っ先に塞ぐべきは口であろう、そう思えてならない。

 しかもその拘束も長くは続かないだろう。

 『成り損ない』はネットの中で必死に暴れ回り、その度にビリビリと繊維の千切れる音がする。しならせ、伸ばし、噛み砕く。暴れる音と、『成り損ない』を攻撃する多種多様な能力の効果音。

 『成り損ない』は繰り返し、繰り返し叫びをあげ、生徒達は逃れるべく立ち回る。


「こっちをご覧。」


 ついに彼女がネットから解き放たれそうなそのとき、女性の澄んだ心地よい声がして、タン、とタンバリンを叩いたような音と共にあたりが桃色の緩い光に包まれる。

 『成り損ない』が動きを止め、目を見開いて、どこか一点を見つめていた。

 視線の先にいるのは、ちょうど先程の声の主だ。どうやら言われた通り凝視しているらしい。おおよそ能力は、魅了か、命令か。

 行使したのは三年の……美化委員長の美麗みれいだ。他校にファンクラブがあるとかいう噂のとにかく美しい人だから、絵になるなと音湖は他人事に思った。


「皆さん、今のうちに。」


 美麗がそう言うと、生徒達が再び一斉に能力を行使する。

 騒音、叫び声、爆発音、叫び声、叫び声、空を裂く音、拍子抜けするほど明るい何らかの効果音。

 あまりに勢いがあって何が何だかといった感じだったが、狐のように見える霊力体や光、水、明らかにファンタジーチックな―少なくとも音湖が知る実際に存在した魔法より遥かに鮮やかーな魔法が確認できた。


「あああああああ!」


 『成り損ない』が雄叫びをあげて、美麗に襲いかかる。


「バリア」


 応じて誰かがそう言って、瞬時に美麗の前面に透明で大きな盾が現れる。

 『成り損ない』は盾に何度もぶつかり、その間に美麗は後ろへと下がる。それと同時に美麗の命令の効果も切れたらしく、再び方向を変え別の生徒に襲いかかり始めた。

 そもそも、この戦いは何をもって終わりとするのだろうか。音湖はふと疑問に思った。

 『成り損ない』は身体中に傷を、否、ヒビと割れを負い、卵白をこぼし続けながらしかし俊敏さは衰えない。

 明らかに体内にある白身以上の量が流出しているから、回復しているか、それとも無限なのか。ともかく、見た目が痛々しいことを除けば、なんらダメージを負っていないように見えた。

 一方薬丸達は酷く真剣な表情で『成り損ない』と応戦している。

 蛇呑は、これは見方によってはただの殺人である、と言った。だから慎重になる理由が分からないわけではない。要は、単にヒーローによる化け物退治だ、といった具合に乱雑に倒して良い相手だとは捉えていないのだろう。

 しかしそれにしても、慎重すぎる。

 卵殻者達は死ぬことはない、そう聞いた。相応の痛みこそあれど、傷も負わない。であればもう少し大胆に動いても良いのではないだろうか。戦闘において多少の痛みはつきものだろう。少なくとも、音湖であればそうする。

 数の差もあり、明らかにこちら側が有利なはずだ。

 音湖はす、と目を細めて、戦闘の様子をよくよく観察する。

 生徒達は『成り損ない』の身体中をまんべんなく攻撃し、殻の内側に目を凝らしている。それはまるで。


「何かを、探している……?」


 そう、例えばどこか一点、強烈な弱点を見つけ出そうとしているような戦い方だ。

 『成り損ない』の身体、あるいは殻を全面的に割って、その内側を露出させるべく攻撃している、ように見える。


「ダメだ、これ相当小さいぞ!」


「あーもう!顔も狙わないとダメな感じ?!」


 生徒達が口々にそうぼやきあう。その間にも、物理で魔法で攻撃は止まず、『成り損ない』の殻はそこら中失われていく。

 ところどころ、目の細かいレースのようになって、足の大部分の殻などとうに失われているが、それでも彼女は平然と立ち続けている。

 卵白の部分が筋肉の代わりとなって、それはまるでイカやタコ、もっと適切な表現を選ぶならモンスターとしてのスライ厶だろうか。

 とにかく、音湖の目には、『成り損ない』は傷こそ負うものの致命傷には成り得ない、卵殻者と同様不死身に見えた。

 

「薬丸のお兄様!蛇呑先生!その彼女、いったいどうするのが正解なのですか!」


 思いきって、音湖は声を張り上げた。

 身を乗り出したので視界がぐっと広がって、懐かしいクラスメイト達の顔がはっきり見える。

 全員はいないようだ、二年と三年を合わせてざっと十五名程だろうか。


「委員長!?」

「音湖さん!起きたのね!」


 聞き覚えのある声がきゃっきゃと音湖の起床を祝ってくれて、気恥ずかしくなる。およそ戦闘中とは思えない空気の緩み方だ。


「神御成!成り得ないには核があるんだ、卵黄に似た核が!そのっ、核の、なか、に……っ!」


 音湖の問いに薬丸が答えるが、それが耳障りだとでも言うように『成り損ない』が襲いかかる。

 その歯で食いちぎらんとするばかりに薬丸の首へと顔を突き出し、薬丸も痛みに顔をしかめる。

 その戦い方に、理性を感じない。ただ、獣が正気を失ったときの本能のまなのような戦い方。

 応戦する薬丸に代わって、蛇呑が続ける。


「その核の中に、必ず一つ遺品が入ってるんだ。『成り損ない』と、殻主、つまりその人が帰ってくるよう願った人との思い出の品が!それを破壊するまでは、『成り損ない』はどうやっても止まらないんだ!」


 止めてあげなくては。

 蛇呑がそう言ったのが聞こえた。


 音湖は意味もなく両手を組んで、うつむいた。

 核の中、思い出の品。それすら壊してしまうのか、と、思った。

 目の前の『成り損ない』と呼ばれる少女も、ここにいるということは必ず誰かが願ったはずなのだ。

 戻ってきて。

 帰ってきて。

 そこまでしたのにこの仕打ち。

 死者に鞭打ったその罰だろうか。彼女自身は何も犯していないだろうに。


 神様からの授かりもの。

 音湖は、あの『機械』がそう呼ばれていたことを思い出した。

 そのとき、


「神御成!」

「音湖さん!」

「委員長!!!」


 殆ど同時にいくつもの声がして、パッと顔を上げる。

 気がついたとき、音湖は既に影の中にいた。

 目の前、捉えたのは、自らに襲いかかる『成り損ない』の姿。

 いつの間に移動したのだろう。随分と足が速いのは見ていて知っていたから、驚くことではないが。

 まだ辛うじて冷静だった戦なれした頭が、次の瞬間光の全部を呑み込むその瞳に囚われる。

 薬丸達が、戦力差の割に随分と真剣に戦っているな、音湖はずっとそう思っていた。その理由が、今は分かる。

 ああ、本能だ。

 怖い、やられる、死ぬ。

 目が合っていないその間は、檻の中のライオンを見ているかのように何の恐怖もないのに、目が合った瞬間、全てが駄目になる。

 頭の中が激しい混乱と死の予感で埋め尽くされて、五感の全部が麻痺していく。

 殺される。

 このままでは殺される。

 死なないはずなのに、そのはずなのに、これは駄目だ、耐えられない。

 

 だから、まだここねでない方の願いを把握してすらいなかった音湖にとって、それはまさしく反射だった。


「かみなー」


 焦りを全面に押し出した薬丸の声が、轟音で遮られる。

 凄まじい音と衝撃と閃光を伴って、神御成音湖は『成り損ない』の脳天をぶち抜いていた。




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