最終話

 それからも、俺と瑠璃はアサギに付き従い、警護と殺しの仕事を淡々とこなしていった。アサギにアーザン・ラズリが俺たちの父親だったと聞かされた日から、瑠璃は頻繁に俺に「何かあった?」と尋ねるようになった。そのたびに俺は「なんでもない」と答え続けた。


 瑠璃が真実を知る必要はない。父親がなんだというのだ。俺には瑠璃がいればいい。瑠璃には俺がいればいい。そう思おうとした。しかし考えれば考えるほど、「瑠璃は〝瑠璃〟ではなかったのだ」「そして俺は〝縹〟ではなかったのだ」という考えが全身を支配していく。セレスト。サルビア。そう呼ばれていた頃にはもう戻れないのに、なぜか目をつむると、瞼の裏であのみすぼらしいアーザン・ラズリという男が俺のことを優しい声色で呼ぶのだ。あの日以来、俺はうまく眠れなくなっていた。



     *



「急に本部に呼ばれてね。警護を頼む」


 アサギは身支度をしながら、俺たちに端的に命じた。本当に急な呼び出しだったのだろう、いつも綺麗に片付けられているデスクの上には書類が散らばったままになっていた。


「人数と配置はどうするの?」

「今日は縹と瑠璃、ふたりだけだ。ボスは大人数での訪問がお嫌いだしね」


 呆れたように肩をすくめながら、アサギは革のコートに袖を通した。


「ふたりも急ぎ着替えて武装してきてくれ。最低限でいい」


 アサギが最低限の武装を、と言ったときには、俺も瑠璃もナイフを一本だけ持っていくことにしている。アサギが身を置くこの世界では、余計な武装は余計な争いを生みかねないし、何より面子に関わる。虚勢と建前が明暗をわけることは俺でもわかる。スラックスを履くとナイフが腿に提げられないので、鞘を胸に巻いて上からジャケットを羽織った。



 本部には以前にも来たことがあったが、何度訪問しても慣れることはない。アサギの居室とは違う空気のはりつめかたをしているからだ。視線という針で全身をさされているような、ずっと冷水を浴びせ続けられているような、そんな緊張感が常にまとわりつく。無意識に、俺はジャケットの上からナイフを触っていた。


 何重ものセキュリティをくぐり、重々しい最後の扉が開かれる。窓のない部屋の中央には、アサギによく似た顔をした老人が葉巻をふかしている。甘く苦い香りの煙が部屋に充満していて、瑠璃はすこし顔をしかめた。


 アサギは笑顔を崩さず、ボスと淡々と会話していた。ボスは必要最低限の言葉しか話さず、親子らしい会話はない。アサギはボスを殺したいほど憎んでいるはずなのに、よくそれをお首にも出さず会話できるものだと俺は心の中で独言る。


 話が終わり、ボスが新しい葉巻に火をつけ、またしても煙を吐く。


「まだそんなお子様を連れてるんだなァ、アサギよ」


 アサギの表情は一ミリも動かない。


「ええ、なにかと周囲が物騒なものですから」


 アサギとボスのあいだに、沈黙が横たわった。ただ部屋の壁にかけられた古い振り子時計の無機質な音が響く。葉巻の煙で、お互いの表情が見えない。


「話は終わりだ。下がっていい」


 ボスは葉巻をくわえたまま右手をあげた。アサギは軽く頭を下げ、俺たちに指をふって合図をした。何も言わず、瑠璃はアサギの前、俺は後ろに分かれてアサギを挟んで歩く。


「アサギよ」


 扉を開けた瑠璃の脇を通り過ぎようとしたアサギの背中に、ボスが声をかけた。アサギは返事をせずに足を止め、後ろを振り返る。


「気ぃつけろや」

「……ご忠告どうも」


 アサギがもう一度頭を下げて部屋を出ていったので、縹は扉を閉めた。扉の隙間から、何かボスの低めいた声が聞こえたような気がした。


「〝アール・エー〟だ」


 廊下を歩きながら、アサギが小さな声でつぶやいた。一瞬で全身の肌があわだつ。「アール・エー」は「即座に撤退」の暗号だ。俺は前を行く瑠璃とポジションを代わり、曲がり角をクリアリングしながら急ぎ進む。


「何があったの? アサギ」

「ボスは今日、私を殺すつもりだ」


 瑠璃の問いに答えたアサギの声は冷え切っている。どこからか、バタバタと複数人が走る音がする。どいつもこいつも戦闘用のブーツを履いている。俺は舌打ちしてからナイフを抜いた。


「あの人が私に『気をつけろ』なんて殊勝なことは絶対言わないからね。今からお前を殺すから、せいぜい生き延びて逃げろよ、というところだろう。まさかこんなに早く先手を打たれるとは、想定外だった」


 俺は背中でその言葉を聞きながら、わからなかった。親殺しを企む子ども。それに気づき、自らの子を殺そうとする親。自分の親を殺してしまった子ども。自らの親を殺したことさえ知らない子ども。なんでわかりあえないんだろう。誰が悪くて、何が悪いんだろう。いったい、誰の血が青いんだ。


 アサギは胸元から拳銃を抜いている。アサギの銃の腕はそれほどよくないが、ないよりマシだ。俺たちは、アサギが撃たずに済むようにアサギを守り続けなければ。


「来る!」


 後ろから瑠璃の叫び声が聞こえた。俺は「こっちだ」とアサギの頭を下げさせながら走る。発砲音が轟く。屋敷に張り巡らされている廊下を不規則に曲がり、近づいてくる敵をなんとか撒こうとする。しかし、相手もそんなに簡単に撒かれてくれはしない。

 背後から敵に追いつかれた瞬間、瑠璃は間髪おかずひとりで切り込んでいった。俺はアサギの拳銃を彼の手の上から掴み、彼女を援護する。瑠璃が敵の隙間で舞うようにナイフを振るのを邪魔しないように、拳銃で敵の頭、肩、太ももを狙って撃っていく。血飛沫が廊下の壁を染め上げたところで、敵はすべて床にひれ伏せた。


「急ぐぞ」


 アサギが先行しようとしたそのとき、曲がり角の先から鈍い光を放つ銃口がぬっと顔を出した。


「アサギ!」


 俺がアサギの前に立ちはだかると、何発もの銃弾が飛んできた。アサギがぐらりと倒れたところを反射的に受け止める。顔を上げると、敵が目の前にまで迫っていた。


「縹!」


 目の前に、見覚えのある肩があった。何度も抱きしめた妹の肩だ。手を伸ばそうとしたとき、その体を何発もの銃弾が貫いた。


「瑠璃!」


 俺は崩れゆく瑠璃の体に隠れながら相手との距離を一瞬で詰め、下から斜め上にむかってナイフの切先を突き出した。相手の拳銃を持った右手の腱を切り、その流れで目を潰す。怯んだ相手の首の動脈を切り裂き、その体に隠れて次の相手に近づく。右手がちぎれそうな速度で、相手を薙いだ。


 息もつかぬまま、アサギと瑠璃の体を担ぎ、近くの部屋に押し入る。そこは倉庫として使われているのか、雑多に家具や箱が置かれていた。それらの隙間にアサギと瑠璃を寝かてから鍵を閉める。アサギは荒く息をしているが、瑠璃はぐったりとして返事がない。


「瑠璃……瑠璃!」


 彼女の体には硝煙の匂いがする穴がいくつも空いていた。ひゅーっ、ひゅーっという音が喉から漏れる。


「はな……だ……」


 俺の名を呼んだ矢先、瑠璃の瞳から光が消えてしまった。力無く床に投げ出された手は、もう俺の手を握り返すことはなかった。物心ついた頃から、どれだけ辛い『教育』を受けようが、毎夜、冷たい檻の中で瑠璃と体温をわかちあいながら眠りについた。もう、瑠璃を抱きしめることはできない。


 ごぷ、と音がした。傍らに伏せるアサギの周りに、血溜まりが広がっていく。


「アサギ!」


 アサギを仰向けに起こすと、腹から血が溢れていた。


「は、は、は」


 浅い呼吸のなかで、アサギは笑う。俺は彼が何に笑っているのかわからぬまま、血が溢れる傷口を手で強く圧迫し続ける。アサギは掠れた声で問う。


「は、なだ。私の、血は……なにいろ、だ……」


 俺はアサギの体から流れ続ける血に目をやる。俺の目には黒い液体が溢れているようにしか映らない。幼い頃から白と黒しかない視界で生きてきた俺には、アサギの血が何色なのか、わからなかった。


 支えていたアサギの体が、一気に重さを増す。アサギは目を見開いたまま、動かなくなっていた。俺はそっと、アサギの瞼を血に塗れた手で閉じる。瑠璃もアサギも、手を組ませなかった。きっとふたりとも、神になど祈ることなど何もない。


「アサギ。アサギにも言ってなかったけど、俺には色がわからないんだ。でもあんたの血は、きっと青かっただろうね。たぶん俺の血も、きっと……」


 扉のむこうから、「こっちだ」という叫び声が聞こえた。扉がドンドンドンと大きな音をたてながら、もう破られるのではないかと思うほどにたわんでいる。ここはもう間もなく突破されるだろう。俺はアサギの手に握られた拳銃を左手に握る。瑠璃の手からナイフをもぎとり、大きく深呼吸してから、ナイフを咥えた。ナイフが二本と、拳銃が一丁。どこまでいけるかわからないが、ここでは死ねない。瑠璃の首に光るネックレスには触れなかった。


 大きな音がして扉が放たれた瞬間、俺は左手の引き鉄をひいた。




     了

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ブルー・ブラッド 高村 芳 @yo4_taka6ra

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