桃色の足跡
不愉快だ、と吐き捨てられた。
少し暗い赤色の瞳は、私を射抜くように見つめている。この人の身長とガタイも相まって、威圧感が凄まじかった。
でも、ここで引いてしまったらダメだ。きっと、何も手に入らない。
「……やっぱり……貴方何か知ってるんですよね!」
「知らないと先程から言っているんだが」
「知らなかったらそんなムキになるような反応しませんよね?!」
「 痛くもない腹を探られるのが不愉快だと言っている」
彼は目をそらさない。刑事を数年やっていてもこんなに腰が引けてしまうのは、まだあの日々が脳裏を掠めるからだろうか。
「僕からもひとついいかな」
「な、なんですか」
「仮に、君のお姉さんの行方について知っていたとして、僕に何を願うんだ?」
「ひと目でいいから会いたい……です。」
はあ、と心底憂鬱そうに彼はため息をついた。会話をしてからもう、何度目かの。
「君も、物分りの悪い子じゃないだろう」
「…………」
何か含蓄な言い回しにどきり、とした。図星だった。
わかっている。わかっているんだ。
もう姉は、きっとこの世にいない。いたとしても、私と会うことなど絶対にできないのだろう。
姉が就いている職業というものは、危険に飛び込むようなもの。私の仕事もそうではあるが、姉の仕事は組織的な犯罪と戦うためには手段を選ばない――公安に所属する特別な警察官だ。私のような初動捜査ばかり機動捜査隊とは規模が違う。
それもこれも、姉から聞いたわけではないのだが。
「わかってくれたかな」
「じゃあもう一つだけ」
「なんだ、まだあるのか」
ひとつ、大きな風が吹いた。春一番を知らせる陽気が、力強く私の周りで遊ぶ。
「なんで、警察官辞めたんですか?」
沢山の人を焼き殺している炎のような暗い瞳が、少しだけ揺れたのが見えた。
*
目の前の女は、彼女の姉によく似ている。特に目元が似てる。顔を見る度にそう思う。初めて会った時から今の今まで印象は変わらない。それ以外の情も持たない。
しかし、桃色の瞳が気難しそうに揺れる度、ドッと疲れる。何かに気を遣うみたいに、いつも以上に気力が削がれる気がするのだ。
人間の心とは難儀なものだ。いつでも過去の人間を現在を生きる人間に嵌める。遍く事柄・事象に他人を見出す。本能的に、脳みそが勝手に行う。
だが、まだそんなふうに囚われる事があるというのは、人間の道から外れてはいないのだろうか。
こんなにも面倒なら、人間の道からいっそ思い切り逸脱してしまいたい。心の底からそう思う。自分の願いが叶うのならば、人間としての尊厳が失われてもいい。いっそ、星屑のように綺麗にばらけて無に還りたい。
「プライバシーに関わることだ。答える義務は無い」
「……なんで夏目とはまだ会うのに、私とは全然会ってくれなくなっちゃったんですか。……なんで、”そんな風”になってるんですか……なんでこんなに避けるんですか、私と話すと不都合でもあるんですか!」
捲し立てるような彼女の口ぶりは、何かを引き止めて、時間を稼いでいるみたいでイライラした。
「夏目は友人。君は赤の他人だ」
「た、他人って……!私が高校生の時に何度か遊んでくれたじゃないですか!」
「知らん。人違いじゃないのか?」
「ちがっ……!写真もあります!」
そう言って彼女は慌ててスマホを出そうとする。ぎこちなくポッケをまさぐる必死さは、高校生の時の都会慣れしていない彼女そのものだった。
そして、ああ、しつこいな。と思った。
もう強行手段で切り上げるしかないのだろう。そう判断して、彼女の腕を掴む。
薄暗い桃色の瞳に、若干の光が入るのが見えた。
その瞳に、やわらかな笑みをたたえ、こう言った。
「もう君とこれ以上会話するつもりはない」
「えっ、……」
「1度しか言わないからよく聞けよ。二度と僕の目の前に現れるな。もしまたあとをつけてきたり、こうやって話しかけるのなら、最悪、警察沙汰にしてもいい」
「………」
彼女は絶句していた。恐らく、予想だにしない強烈なセリフだったのだろう。
姉に会いたいその一心で、きっとまだあの部屋に住んでいる愚かな女だ。立派な姉妹愛。
でもそれは、俺に関係の無い話だ。
「じゃあね。その不快なツラを二度と見無いことを祈るよ」
そう吐き捨てて、路地から出て人混みに紛れた。
頭はすでに、仕事の事でいっぱい。明日の予定の確認を脳内でし始めている……はずなのだが、どうしてかあの桃色の瞳が離れない。
人間とは、難儀なものだ。
忘れたいものほど脳に残る。
悲しいほど哀れな生き物だと思う。
夕飯のことを考えても、読みかけの小説のことに思いを切り替えても、やっぱり去ってはくれなかった。
警視庁公安部特殊捜査課 とりたろう @tori_tarou_memo
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