公特捜の閑話:ネクタイ
8月6日。今日はなんてことない平日。腕時計を見やれば、時刻は午後2時にさし掛かろうとしていた。
一緒に任務に勤しんでいる愛花が車に戻れば昼飯にありつける。そんなことを思いながら車内で待っていると、車外に愛花が見えた。車のロックを解錠する。
「いやぁー、あっついねー。殺人的な暑さだねー」
愛花がドアを開くと、じっとりとした生暖かい空気がひんやりとした車内に入ってくるのを肌で感じた。水に絵の具を垂らした時のような空気の混ざり方を身をもって体感できる。外がどれ程蒸し暑いかがよく分かった。
「遅かったな。問題でもあったか?」
「任務の方は大丈夫。ミッションコンプリ〜ト。ただ単に世間話に付き合わされただけ」
「お人好しなのも考えものだな」
「冷たいよりいいじゃない。ところでさ、歩ってこの後時間あるっけ」
「うん?あるけど」
「よかった。じゃあちょっと付き合ってよ」
「用件はなんだ」
「お昼ご飯一緒に食べたいなーと思ってさ。いい感じのオムライスのお店見つけたの。どう?オムライス。あんたも好きでしょ?」
「……行く」
「やった〜!じゃあナビ設定〜!」
*
「おまたせしました。スフレオムライスです」
「ありがとうございまーす」
「御注文は以上でお揃いですか?」
「はい」
白くて大きなお皿に広がる、黄色の海。その頂点にはパセリのようなものが添えられている。
お腹が空いているのも相まって、目の前のオムライスは一段と美味しそうに見えた。最高のスパイスは空腹である、とどこかで聞いた気がする。
「じゃー食べちゃお!ほら!スプーン!」
「ありがとう」
「では早速!いただきまーす!」
「いただきます」
スフレ状の卵を銀のスプーンで割り、口に運ぶ。美味しい。すぐ溶けてしまうのが惜しいほどに味わい深くて、優しい味がした。卵料理特有の濃厚さはなんというか、いつ食べても幸せな気持ちになる。自分の手料理じゃこんな気持ちにならないけど。
「そういえば歩ってさー、普段はネクタイしないよね」
「する時もあれば、しない時もある」
「ふーん。するとしてもどんな色のやつつけるの」
「黒。それか紺」
「へぇ。そうなの」
「何でそんなこと聞くんだ」
「男の人って何色のネクタイつけるんだろって思って」
「神宮寺さんとか榊がいつもつけてるだろ」
「だから神宮寺さんか榊くんに聞けって?」
「うん」
「統計データは色んな人からとった方がいいでしょ?だからあんたにも聞いただけ」
「……」
美味しい。幸せ。オムライスって最高。そのことだけ今は考えていたかった。
愛花にかけるべき言葉を放つために、口の中のものを嚥下する。なんだか、いがぐりでも飲み込んでいるような感じがする。スフレオムライスのはずなのに。
「……なに、その顔。どしたの」
「わからなくて」
「なにが」
「嘘をつく理由」
「あら、ついてるように見えた?」
「茶化すなよ。大事な話だ」
「嘘はついてないよ」
「じゃあなんだ」
「隠し事してるだけ」
「訳が分からん。話せ」
「だめ」
「話せ」
「やだね」
「こういう積み重ねでチームワークが乱れる。神宮寺さんがそう言ってた」
「そんな堅く考えないでよ。そうだなぁ……じゃ、ゲームしよ、ゲーム」
「ふざけるな」
「第一さ、本気で隠し事するならバレないようにするよ。もっとマジになる。あ、いまのヒントね」
「……じゃあそれは、いつかバラすつもりの隠し事、ってことか?」
「せいかーい!」
「ネクタイがそれとなんの関係があるんだ」
「なんでしょうねえ。それをあててみなって言ってるの。難しくないでしょ」
「……くだらんな」
「ふふ、付き合い悪いなぁ」
ひとつだけ、答えに心当たりがあった。でも、こんなことは誰にも言ってないし、愛花はそんなことするような人間じゃないだろうと思ってた。だから。
だからその日の晩に起きたことは、相手と自分の変な一面を眼前に叩きつけられたみたいで、何かが大きくズレた気持ちになった。考えることを拒むみたいに、いつも通りの自分でいられなかった。
「…………これ、なに」
「開けてみて」
渡されたのは長方形の箱だった。赤いリボンまで着いていて、それはあからさまにプレゼントだとわかるような包装だった。
手の先が少し冷えてきた、気がした。
まともな思考を働かせれば、忘れようとしている日であることを叩きつけられていることを認識してしまいそうだ。
「……悪いが受け取れない」
蚊の鳴くような声だった。溜息をついたように聞こえるくらい、小さい声が出た。
いくつになっても自分は臆病者だ。
「開けてあげるから貸して」
「いらない。もう部屋戻れ」
「中身はねー、ネクタイなの」
「……なんで俺にネクタイなんて」
「前に見た時、あんたのネクタイがボロボロだったから選んでみました!」
「……」
声が、届いていないのか。
相手が、無視をしているのか。
謎に緊張していてよくわからなくなってきた。
「自分に対して無頓着とは言え、色褪せてるもの使い続けてる男が隣にいて欲しくないだけだよ」
人間観察が好き、と以前愛花から聞いたことがある。人の性格や生活、価値観が表れる瞬間から推理をたてて、プロファイリングをする。それが、好きであり、得意な事だと。
それならば、なぜこいつはこんなに楽しそうにしているんだ。放っておいて欲しい気持ちをどうして分からないのか。その理由は自分が1番分かっているはずなのに。こんなふうに思っていることを、他人に悟られたくなくて隠しているからだなんて。ダサくて、愚かしくて、口にできない。
「…………嫌なんだよ」
「……ネクタイが?」
「いや違う」
「じゃあなに?」
「話したくない」
「話して」
「断る」
「あんたにとって触れてほしくないところがあるなら、言わないとわからない。だから話してくれない?歩」
「…………」
「…………」
愛花の紫色と桃色の中間のような瞳は、俺の中を覗き込もうとしているように見えた。
強く、求められていた。そんな気がした。
「……そこ、座れ」
「うん」
パイプ椅子に腰をかけた。愛花も、そこらへんに折り畳まれていたパイプ椅子を広げて座る。
パイプ椅子が10コくらい束になって積み上げられてるのを見るに、特殊捜査課の仮眠室は物置部屋のような役割も果たしているのがよくわかる。
「ほら、ぼーっと現実逃避してないで話よ、話」
「……誕生日なんだよ。明日」
「知ってる」
「……お前に教えたか?」
愛花は、少し気まづそうに視線を彷徨わせる。
「い、色んな会話から誕生日の日付想定したの。あんた、全然教えてくれないから、当日祝ったら驚くかなって思って。まあ、でも、その……今思うとかなりキモかったかも」
「別にそこは気にしてない」
「え、そうなの」
「ああ。問題なのは、お前が俺の誕生日を祝ったこと」
床を凝視しながら、話を続ける。
愛花が今どんな顔をしているのか見たくなかった。
自分の過去をさらけ出した時の反応は、どんなものであれ見たくなかった。同情も、悲哀も、憂いも、驚愕も、何もかも。人が抱く己の印象を知る、それがとてつもなく耐え難かった。
本当に昔から変わらない臆病者だ。
「……誕生日、祝われるのが嫌だったんだ」
「……うん。」
「別に、嫌なのはお前だけじゃないし、これは今に始まったことでもない。」
「嫌な理由、聞いてもいい?」
「……兄と姉が死んだ日なんだ」
「……」
「正確には、死体が見つかった日。それが8月7日」
「そうだったんだ」
「ああ。自分の誕生日が来る度にその事を思い出して嫌になって、なんで自分だけ生きてるんだって思って」
「……そっか」
優しいそっか、だった。
声色に変な揺れは無い。でも、声の響き方が優しいな、と感じた。
「……そんだけ。だから、自分を祝いたくないし、祝われたくない」
「……そっかぁ……」
愛花の声色は、何か、包むみたいな感じがした。こう感じて初めて、ああ、自分は話す事を大層怖がっていたんだと自覚した。
「うん……」
「ごめん。知らないとはいえ、本当に悪いことしちゃった」
「いや、言われてみれば話してない俺が悪い。冷静じゃなかった」
「……そんなこと」
「だから、このネクタイは受け取りたい」
「……」
「貰ってもいいか?」
「……勿論。でも、無理はしてない?」
「無理なんてしていない。前にも言ったが、俺は人のために何かをするなんてことはしないししたくない。俺は、お前の気持ちに応えたいから貰おうと思っただけだ」
「……そっかぁ」
「それに、こうやって過去に生き続けるのもいい加減やめにしたいんだ。お前と相良みたいに、どこかで踏ん切りをつけて前に進まないといけない」
「じゃあ、そのネクタイは皮切りに、ってこと?」
「ああ。させてもらう」
「そっか」
「だから、そうだな……。これはありがたく使わせてもらうよ」
「……ねえ、今、普通に祝っても平気?あ、お祝いの言葉をかけるって意味なんだけど」
「……ああ。頼む」
「……お誕生日おめでとう。歩」
「………………ありがとう」
「あはは、今の、なんか変なやり取り」
「そうだな。変、だったかも」
「でも祝えた。よかったー」
「俺も、お前に言えてよかった。なんかスッキリした」
「そっか」
「あぁ。そうだ」
8月7日。午前0時19分。1つ歳をとった俺は、愛花から貰ったネクタイをカバンにしまった。
なんてことない、平日の夜勤当番。
明日も、明後日も、なんてことない日々になる。
丁寧に包装された箱の中で、真新しい紫色のネクタイは、美しく、堂々としていた。
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