外道共の唄


 



 打ち合わせは2時間弱程度で終わった。

 時刻は19時過ぎ。外はすっかり暗くなっていた。


「三浦センセーはこの後ご予定あるんですか?」


 鏑木が顔をのぞき込むように問いかけてくる。

 昔からツリ目っぽかったが、今のコイツは目が狐のように細かった。何度か整形したのだろう。

 

「ええ。この後も雑務が残っています」

「そうだったんですね。いやあ、気が回らんもんですみません」

「いえいえ。体力には自信がありますから」


 取っ付きやすそうな笑顔を浮かべながら、何気ない会話を続ける。

 生ぬるい会話とは裏腹に、この後の算段について必死に考えていた。


 

 ――お前に、殺人の許可が出た。

 


 蓮仏さんの言葉が頭の中で繰り返される。

 

 本当に、コイツを殺さなければならないのか。

 今まで数多の犯罪者に暴力をふるってきた。それは、正義の名のもとにある暴力で、必要なものだった。暴力というよりは『害を潰すためのもの』、『統治のためのもの』、『遵法させる』ための、手段に過ぎない。

 秩序を乱す犯罪者に、暴力を用いることにはなんら抵抗もない。

 

 しかし、元班員を殺害となるとまた話は変わる。


 警察組織は黒いものも白いと言わなければいけない世界。

 それでも相良はかけがえのない男だった。

 みんなで、ずっと一緒にいたかった。

 それは決して嘘偽りのない真実。だからこそ迷いが生まれている。


「センセーとはまたゴハンでも行きたかったんですがね」

 

 廊下を歩きながら、鏑木はそう続ける。

 こちらの気など知らずに、彼はニコリと笑っていた。


「ええ、私も行きたいんですよ。鏑木さんはいいお店を沢山ご存知ですから」


 照れくさそうにそう笑う。

 

 ああ、昔も。


 普通の同僚のように、

 友人のように、


 帰り道にでも食事を共にすることができていたら。


「残念です。ご飯に行ける機会は恐らくこれで最後ですから」

「え?」


 咄嗟に聞き返すも、鏑木は楽しそうに微笑む。

 昔より細くなった彼の瞳を見つめる。


「……これから、かなり忙しくなるもんで。深い意味は無いですよ」

「ああ、そうなんですね。てっきり、もう遊んでもらえないのかと思いましたよ」

「そんな訳ないじゃないですか。もー、センセーとはまだまだお話したいことありますから」


 笑いながら先を歩く鏑木を見やりながら思う。

 明らかな意図を含んでいる、と。

 彼の言葉をそのまま飲んではいけない。

 しかしながら、これから忙しくなるとはなんのことを指すのか?



 ――打ち合わせが終わったら、真っ直ぐ帰れよ。


 

 真田の言葉を思い出す。

 今夜から、大きな動きがあるのか?

 直近の出来事と噛み合せて思考を働かせる。もしや――神宮寺さんの身柄はここにあるのか?

 鏑木と愉快そうに笑っているが、腹の底を探るので脳みそは擦り切れそうだった。


 


「お互い踏ん張りどころですね、センセー」



 鏑木の瞳は、まるで少年のように輝いていた。






 




 









『神宮寺の居場所が分かった』

「どこですか」


 警視庁から配布されているスマートフォンに、非通知からの電話がかかってきた。

 通話相手は、蓮仏さんである。


『相良がいる会社だ』

「……やっぱり」

『やっぱりってなんだ』

「真田が早く帰れと。それから鏑木も――」

『まてまて。サナダって誰だ?』


 あまりの驚きで、一瞬、時間が止まったかと思った。

 周りに人がいないのを確かめながら、蓮仏さんに応答する。

 

「……僕と同じく潜入捜査官ですよ。僕より前に……会社にはいたはずです。何も聞いてませんか?」


 緊迫感で息が弾む。

 こんな会話すらも煩わしい焦燥感を全身で感じ取る。

 

『……そんな捜査官の資料はないぞ』

「馬鹿なこと言わないで下さい。神宮寺さん経由で彼もここに来てるはずです」

『……ちょっと待っててくれ』

「………………」

『……なあ……驚かずにきいてくれ』

「……なんですか」

『公安部外事課の真田心って言うやつは……一年前の今日、潜入捜査中に死亡したっていう記録があるぞ…………』



 




 

 


「………………は………………?」










 




 



 つくづく思う。

 己の視野は狭すぎると。

 そうやって、13年前も仲間と救えるはずだった命を取りこぼして来たはずなのに何も学んでいない。


 たしかに、見てきた事実全てがもはや崩れかけであることなんて想像も出来ない。そんなことを疑いながら生きることなんて出来ない。ほどよい疑心は自己防衛にはなりうる。だが、猜疑心を常に高ぶらせることなどできないし、しない方がいい。もっと悪いことが起きるからだ。

 

 飛び出す相手と場所を選ばない、という理由で運転中猫を常に警戒するようなもの。そんなものは無意味だと思う。


 それでも、やはり、もっと大きな視野を携えて置くべきだった。

 何が起こるか分からない。

 そんな穿った見方をしなければいけなかった。

 少なくとも、自分という人間にはそれを課さなければならなかった。


 頭はどうにも冷えきっているのに、気持ちは張り裂けそうだった。

 警察官になりたい。そう思えたのは真田の――榊のお陰だった。

 そんな男が、

 俺の、かけがえのない友達が。

 信じたくなかった。

 彼にもまだ策があるのか?

 彼が寝返ったと断定するにはまだ早い。

 そんなのは分かっている。

 何かの間違えかもしれない。何か裏があるのかもしれない。

 そんなのは、わかっている。


 



「あれ?ミウラ先生!」


 廊下にいたのは姪の優希だった。

 血は繋がっていない。それでも、優希は姉の子供。大事じゃないはずない。

 

「お前……まだいたのか……」

 

 最初この会社にいることが理解出来なかったが、鏑木は人質としてこの子をここに置いているに違いないと思った。

 そんな優希は、トレードマークの赤いジャケットをヒラヒラさせて楽しげにこちらを見ている。

 ごちゃごちゃとした頭の中が、ひとつの糸に収束するような感覚になる。


「うん?あ、もしかして先生も呼ばれたんでしょ!」


 窓から見える外は、既に真っ暗だった。

 天気予報には一切なかった突然の豪雨も手伝って、尚更夜陰は深まっていた。

 

「……洸希は」

「ん?トイレにいるよ。でももう来ると思う」

 

  洸希は甥っ子。優希と双子。

 彼がいないことにほっとしていたが、やはり一緒にいた。そうだよな。お前らはいつも一緒にいた。この2人は決して離れることはないと思うほどだった。

 

「あ!センセー!」

「噂をすれば!あ、せっかくだし3人でいこーよ。ついでにあの話もしよ?きっと分かってくれるよ。ほら、アタシたちが――――」

「お前ら今すぐ外に出ろ」

「え」

「いいから」


 樒優希と樒洸希の腕を引いて、エレベーターの方に向かせる。

 

「ちょっ、ちょっと意味がわからないよ!」


 監視カメラは既に切ってある。

 地図を頭に叩き込んでおいたことと、セキュリティシステムを完備し終えていないことが吉と出た。

 監視カメラが切られているのを悟られないうちに、やるべきことを終えなければならない。

 

「単刀直入に言う。お前らの母親と伯父を殺した奴が、お前らのことも殺そうとしてる」

「……え?は?……なに……急に…………」

「意味わかんないよセンセー!」

「……よく聞いてくれ2人とも」


 2人の腕をとり、しゃがむ。

 歳の割にはやけに小柄な二人を見上げる。

 下から見た2人の瞳は落ち着きなく揺れていた。


「自分の母親と伯父がどんな目にあってたか、よく思い出せ」


 二人には酷だが、強い言葉でそう訴える。

 何やらただ事では無いのを悟り始めたようだった。

 

「…………」


「お前らが助けてくれたと、拾ってくれたと思っている輩は、狙った子供から親を取り上げて、子供の視野を狭くする。親は、子供にとって世界だからだ。そうやって狭くしてから蜘蛛の糸を垂らす。そして縋らせる。縋ったところで、尚更視野を狭くさせる。自分以外に救ってくれるやつなんていないって思わせる。マッチポンプだとしても、子供には気が付かせない。騙すことなんてアイツらは簡単にやる。お前らは騙されてるんだ」

 

「…………センセーはやっぱり」


 口を開いた洸希が、優希を見やる。


「ママとおじさんの所によくきてたアユムって人なんだ」

「じゃあ、オレたちと良く遊んでくれてたのもセンセーだったんだ。やっぱり、思い違いじゃなかったんだ」


 俺は口を噤んだまま、静かに頷いた。

 

「それに、薄々気が付いてただろう。お前たちの仕事内容が、母親と伯父と同じこと。アイツらにとって、欠けた歯車を付け替えたにすぎないんだ」

「……でも、もうどうしたらいいのかわからないよ」

「今更、生き方変えられないし」

「明日、俺が迎えに行く」

「……本当?」

「もう怖い思いしなくていいの?」

「ああ。約束する。明日絶対に迎えに行く。あの世にいるお前らの母親と伯父に誓うよ」

「……うん」

「…………」

「……お前らが大変だった時、すぐに助けにいけなくてごめんな。でも今度こそ……」


 2人が、首元に抱きついてくる。

 甘えたように、耐えきれないように、顔を埋めている。

 

 2人の苦しみと寂しさを全身で浴びたような気持ちになった。

 

 暫く、そのままの身を寄せあう。

 

 もう離したくない。そう思った。





 




 







 



 パン、と乾いた音が轟いた。それも、2つ。

 

 雨が降っているから、気のせいだと思いたかった。

 でも、そんなはずはなくて。

 素早く窓を開けて外を見る。優希と洸希が走って消えていった曲がり角の方から、ひとつの影が現れた。

 

 2人の体を持った人間がこちらを見つめていた。

 

 街頭に照らされているその人間は、雨がこんなに降っているのに傘もささず、雨合羽の類も着ていない。

 それから、そこそこの距離があるのに、的確にこちらを睨んでいる。

 

 白い髪の隙間から、紫の瞳が見えた気がした。


「せんせー、こんな時間にどないなさったんですか」


 聞き覚えのある声がした。

 反射的に声の方を向く。

 背中を這う蛇のようにその顔は近くにあった。こんなにも近くに寄られていても気が付けなかったことにゾッとする。

 鏑木と向かいあおうとして力を込めた時、太腿あたりに違和感があった。

 しかし、気が動転していて、鏑木から目をそらすことができなかった。


「鏑木さん、これは……」

「忘れ物でもありましたか?」


 自分の精神がぐらついているのは嫌でも分かっている。

 甥と姪が何者かに撃たれた、かもしれない。

 あんなにも救ってあげたかったあの二人が、俺の希望が、たった今奪われた、かもしれない。

 そんな状態なのだから、酷い目眩や幻覚を起こしていたとしてもおかしくなかったが、鏑木は確かな輪郭を持ってそこに存在していた。

 そのときだった。強烈な眠気が襲ってきた。思わずふらりと前方に倒れそうになる。

 鏑木は「どうされました?」と言いながら、俺の身体を支える。

 あまりの倦怠感に首を持ち上げられなくて、首をもたげさせる。そのときに視界に写ったもののせいで叫び出しそうになった。

 自分の太ももに小型の注射器が刺さっていたのだから。

 

 やられた。まずい。

 

 ラベルに『サイレース 2mg』と書かれている。麻酔としても使われているかなり強力な睡眠薬の一種だと悟る。

 支えられている腕から離れようとしたが力がこめられない。鏑木の腕から脱しようともがいてもビクともしなかった。


「あのガキ共、やっぱ手元に置いておいて正解やったな」

「………っく………」


 もがく。もがく。鏑木の足の甲を踏むが、ビクともしない。それどころか引き抜かれて、自分の足の甲を縫い付けるように踏まれる。

 ミシミシと骨が軋む音が自分の中に響く。

 

「お前が明らかな隙を見せるのを待ってたんや」


 首を絞めようと腕を上げるが、抱き締められるように固定されたせいで首に手が届かない。

 頭がボーッとしてきた。太腿に打たれたことで、早くも麻酔が効き始めたようだった。

 

「この構図、デジャブ感じるな。ほら、13年前もこうやって――」

「うるせぇッ!!!!」


 薬で思考がぼんやりしていても、13年前の話をされたことだけはよくわかった。

 腹の底から声が出る。

 全ての気力を叫ぶことにつかってしまったせいで、足掻く力が一気になくなる。

 もう動けない。そう思った瞬間、意識を手放した。


 鏑木が――相良が、おやすみと言った気がした。

 







 











 


 


 意識がふわりと浮上する。

 さっきまであった恐ろしいことたちをすぐに思い出し、バネのように身体を飛び起こした。

 辺りを見回す。明かりは着いておらず、外からの僅かな光しかない。

 ここは恐らく、さっきいた場所からはそこまで離れていない、物置倉庫。そう思うのは、やけに広い空間と、清掃用具や乱雑に置かれた何かの看板などが見えたからだ。廊下で気絶し、階の端っこであるこの場所で引きずられていたのだろう。


 もう既に壊れているであろうファンヒーターの上に腰をかけながら、こちらを見つめている男と目が合う。

 

 暗いのに目ざといものだ。お互いに。

 

 少なくとも、今の俺の目は、


 暗い方がよく見える。

 

 皮肉にも、今目の前にいる、この男のせいだ。



 

「そないに警戒せんといてや」


 

 

 手足が縛られていて上手く動けないが、全身の感覚を研ぎ澄ませて鏑木――いや、相良を警戒する。


「……警戒するに決まってるだろ、相良」

「相良、なぁ……ふふふ、久しぶりに呼ばれたな」


 相良は、感慨深げに天を仰いだ。


「お前はホンマ、よく化けてたと思うで。こんなにも近くにいたのに全然気が付かんかった。なのに、なんでバレたか……必死に考えてるんとちゃうんか」

「そんなこと考えても仕方がないだろ。今考えてるのは、どうやったらお前らを逮捕できて、神宮寺さんを救えるかってことだ」


 会話をしながら縄に力を込める。

 その時、あることに気がついた。

 

「神宮寺さんがここにいるのも知ってたんか」

「あの人は無事なのか」

「さぁてな。あんな人どないなってもええやろ」

「よくない。あの人は俺の上司だ」

「上司なんてナンボでも替えがきくやろ」


 相良の顔が不快そうに歪む。

 神宮寺さんの話をすることに、苛立っているように見えた。

 

「何を苛立っているんだ」

「そりゃムカつくやろ!あんなヤツの話すんなや!」

「………何故俺を殺さずにこんな生半可な状態にしているのか聞かせてくれ」

「せやな。オレもそのつもりでいたんや」


 相良は、腰を掛けていたものから離れ、こちらに近づいてくる。

 一歩一歩距離を詰めてくるたびに、シダーウッドの香りが強くなる。香水をつけているようだ。


「シキミ、オレらのとこ来ないか」

「………なに?」

「ここに潜ってから、お前は犯罪の片棒を担いできたんや。誠実な弁護士としているつもりでも、お前はただ”社会的信用を得るためのお飾り”だった。サイバー犯罪を見逃し、麻薬犯罪を肯定し、人を騙し、金を絞るためのな」

「だから、お前ら側に染まりきれって言ってんのか?片足を突っ込んだからそっちにいけ、ってことか?」


 相良は、ふう、とため息をつく。

 まるで、カフェの中で世間話をしているような調子だ。

 

「お前にあるんか?潜入捜査を終えて、元の生活に戻りたいって思うもん」

「……ある」

「なんや。言うてみい」

「次の任務が俺を待っている」

「お前、ホンマに変わらへんな」

「ああ。俺は任務をこなす事が生きる喜びだ」


 違う。

 心の中にいた、誰かがそう言う。

 違うわけない、と俺は蓋をした。


「そないな人生楽しいわけあらへんやろ」

「お前は俺じゃない。俺だけにしかわからないこともある」


 楽しくない。自分に課した義務だから。

 また、誰かが言った。


「……シキミ」


 首から上が、嫌に暑くなる。

 頭に血が上っているんだとなんとなく想像する。

 

「お前に俺の何がわかるんだ?」


 唇が震える。情けない。

 でも、言うことがやめられない。


「俺は犯罪者が憎い。麻薬犯罪が憎い。その気持ちが薄れたことは、今の今まで1秒たりともない!」

「シキミ」


 相良は、何か驚くような、なだめるような顔でこちらを見ている。

 なんなんだその顔は。

 ムカつく。ムカつく野郎だ。

 俺がどんな気持ちで今ここにいるのか、どうして伝わらない。なんで『オレらの方に来い』なんて言えるんだ。

 一発くらいは殴ってやらなきゃ気が済まない。

 

「大罪を犯したクソ野郎が大手を振って生きてるなんて反吐が出る。そんなクソ野郎を動かす、クソみたいな麻薬も全部消えればいい。いや、消す。全部叩き潰す。そう決めたから俺は警察官になったんだ」

「……シキミ、お前……」


 視界がぼやけ始める。

 打たれたクスリなんかのせいではない。

 耐えきれずに目をぎゅ、っと瞑る。


 

 

「――なんちゅー顔して泣いてるんや」



 


 溢れ出した涙が、頬を濡らした。

 


「……ふっ………っ……」


 蓋をしていた心の何かが、ごとり、と落ちた。

 

「シキミ」

 

 相良が手を伸ばしてくる。

 が、顔を背けて拒絶した。

 

「触るなッ!!俺は!俺はっ……!お前達とずっと居たかったのに!」

「…………!」

「なんで俺だけ置いていくんだ!俺はお前らとずっと仕事したかったのに……勝っ、手に……なんで……っ……なんで先走るんだよッ!!!!」

「……シキ、ミ」

「任務も大事だ。でも……っ!!!!俺は!!いつからか、お前らと任務出来ることが生き甲斐になってた!!そんなことも知らずにお前は勝手に決めつけて暴走しやがって!!!」


 止まらなかった。チグハグで、さっき言っていたこたと全く矛盾することばがりが飛び出す。その正体は13年前に言えなかった自身の言葉達だといやでも理解した。

 決壊したダムのように感情と涙が溢れ出る。

 こんなにも惨めで、哀れで、辛い気持ちになるのは久しぶりだった。

 

「…………」

「超えちゃならねぇ一線を超えようとするなら、まず俺たちに言えよ!もっと頼れよッッ!!!ずっと皆でいたいと思ってたのは俺だけだったのかよ!!!友達だって思ってたのはオレだけだったのかよッ!!!!!!」


 怒りに任せて大声で叫ぶ。

 こんなことは、兄と姉を喪ってから行き場のない感情を晴らす為にしかやったことがなかった。

 

「そんなこと……」

「んだよ……もっとハッキリ言えよ!!!」


 今縛られていなかったら、噛み付いてしまうのでは無いかと思うほどの勢いで怒鳴りつける。

 相良も、居心地悪そうにたじろぐ。

 

「そないなこと誰も言わへんかったやん!!ワシかて同じ気持ちだったわドアホ!!!!」

「な、……」

「皆……これは仕事で、任務のために立っている。そないなことわかってたし、皆からもそんなふうに感じた。オレら友達としてここに居たらどんなにいいかって考えてた。でも、皆、仕事仲間としかきっとオレのこと考えてない……。オレだけしか、皆のこと友達だって思ってない。そう思ってたんや……」

「…………」

「……別に、だからってこの13年間でできた友達が最悪なんて思わへん。ホンマに気の合う奴らばっかりやったし。でも、オレにかけがえのない友達が欲しいと思わせたんはお前ら班員なんや」

「……」


 今度は俺が黙る番だった。

 処理しきれない感情で溺れそうになる。


「……なあ、もう一度聞くで」


 顔をあげられない。相良が、今どんな顔をしているなんて知りたくなかったからだ。

 

「お前にはまだ、警察官に戻る理由あるんか」

「…………」

「さっき言っとったよな。オレらと任務をしてたことが、いつからか生きがいになってたって。……もっと、正直になったらどうなんや」

「……………っはあ……」

「桜代紋の犬なんかやめろやシキミ」


 嗚咽を噛み殺して息を吸う。

 彼に、言わなければいけないことがあるから、きちんと言うんだ。

 顔を上げて、相良を見る。

 今の相良は、警察組織を裏切った大悪党になんか見えなかった。

 昔任務中によく見かけた、何か不安げにしている相良がそこにいる。


「……それでも、俺の気持ちは変わらない」


「……………」


「俺の手の中に残るのは……もう、任務と、自分の願いしかないんだよ……」


 

「――そうか」

 


 そう言い放った相良は、自身のスーツの内側に手を伸ばし、拳銃を抜き出していた。



 


「じゃあな、クソ馬鹿後輩」





 相良はそう吐き捨てる。尋問されていたのはこちらなのに、相良の方が苦しそうだ。


 少しずつ切込みをいれていた手の縄を引きちぎる。

 恐らくアリ物で手を結んだのだろう。手を縛る縄は緩んでいた。

 相良はそのまま発砲するが、俺の両足蹴りにより、弾道が逸れた。

 直ぐに脚の拘束も解く。


「4階物置倉庫まで来てくれ。ネズミ処理の時間だ」


 バタバタと足音が轟く。相良は応援を呼ぶためにスマートフォンに語りかけていた。

 目の前に立ち塞がる相良は、ドアの方には行かせないと言わんばかりだった。

 拳銃を向けられたまま、相良の仲間たちに囲まれる。

 だれもかれも皆体格がよく、その腕っ節は想像に難くない。


 相良は――鏑木の瞳は鈍く光っている。

 俺を見つめながら、彼は口を開いた。




 


「絶対に殺すな。生まれたことを後悔させるほど痛めつける」

 


 


 傍にあった壊れかけているデスクライトを掴み、鏑木に投げつける。鏑木は半身になってそれを交わした。

 鏑木の傍にあった自分のビジネスバックを抱えながら、拳銃を向けている構成員と思わしき人間達の方へ向かって踏み込む。

 ハイキックで肘の関節を砕き、拳銃を手放させる。流れるように拳銃を拾いつつ、肘が砕けた男を盾にする。銃弾の五月雨から身を守ったことにより、その哀れにも盾になった男は情けない呻き声をあげている。

 奥に扉が見えた。盾にしている男の太ももに二発、その道を開けるために立ち塞がってるいる構成員の膝にも一発ずつ発砲をする。防弾チョッキを着ている可能性があるからだった。

 痛みと衝撃に屈しているのを見計らってドアの方に走ろうと力を込めた瞬間、突然後ろから引っ張られ壁に投げ飛ばされた。

 頭を打ったことにより、 一瞬怯むが、自分を壁に投げつけた当人である鏑木の追随をガードすることには成功する。

 先程奪い取った拳銃を、鏑木に向けて一発発砲する。が、それは空を裂いた。拳銃を持つ手を叩きつけられたことで手を離してしまったらしい。すばやく鏑木の腹を蹴り、距離をとる。

 折角発砲して怯ませておいた構成員たちも、痛みに喘ぎながら立ち上がってこちらを睨みつけていた。

 大勢を相手にするのは久しぶりだった。どこから攻め落とすべきなのか思考を掛け巡らせる。

 間合いをはかっていると短髪で唇にピアスを開けている、いかにもチンピラのような男がタックルを繰り出してくる。

 勢いを殺させず流れるように半身になり避ける。そのまま彼の後頭部を掴み顔面を叩き潰すように投げ捨てた。

 雄叫びをあげながら追随をしてくる拳を転がり避け、今度こそ扉へと向かって走った。


「待てやゴラァ!!!」

「絶対殺してやる!!!」


 背後から罵声と共にドタドタという足音が聞こえる。が、お構い無しに階段を飛び降りながら下の階へと進んでいく。走りながらジャケットを脱ぎ捨て、ショルダーホルスターを取り出す。既に拳銃と警棒を装備させているためにそれなりに重量があった。

 さて、ここからどうするか。


 

 そう思案していると、自分の手が震えているのが見えた。



 気がした。










 



「凄い人数だ」

 


 例えるなら、枯れ木の下の落葉。

 床が見えなくなるくらいに重なり合う枯葉。

 そんな感じで人間と血液が折り重なっていた。


 

「もしや、全員殺しちゃったの?」

「……誰だアンタ」


 水卜泉吹はこちらを見ている。

 いつも清潔そうにセットしてある髪型は崩れ、前髪がくしゃりとしなり、額を隠している。

 それはそれで、彼の童顔を引き立てていて可愛らしかった。

 昔から卵みたいにつるっとしていて可愛らしい顔をしていると思っていたが、整形してもこの有り様とは。

 そんな彼の黒いワイシャツにはべっとりとシミが残り、その多くが恐らく他人の血液だとわかる。

 

 右手には――私が彼にあげた紫色のネクタイを巻いている。

 ああ、本当に変なところで律儀なんだから。


 

「知らない方がきっといい」

「鏑木の部下だな」

「いいえ」

「……じゃあなんだ」

「聞いちゃうのね」

「ああ。教えろ」

「相良國春の友達。部下、なんていう関係じゃない」


 桃色のサングラスを床に捨て、目深く被っていたキャップを脱ぐ。

 予想したとおり、水卜泉吹の顔つきがみるみる変わる。


「お……まえ……」

「ね、知らない方が良いって言ったでしょ」


 ルビー色の瞳が揺れている。

 かなり動揺しているようだった。

 

 自然と笑みが零れてしまう。

 だって嬉しかった。私の事、忘れずにいてくれたんだ。13年間も、ずっと。

 

 私って最悪だな。この事実に喜んでいる。ゲンキンで、最低。でも心には嘘なんかつけなかった。

 

「……愛花、なのか」


 当惑気味に彼はそういう。

 私はゆっくりとうなずいた。

 

「相良以外で久しぶりに呼ばれた。そうよ。私は白八木愛花」


 歩の目を見てそう告げる。

 これだけ人に暴力をふるっておいても尚澄んでいる赤色の瞳が、信じられないものでも見るかのように揺れていた。

 

「でも、お前、橋から」

「そうそう。でも助かった」

「……なんでっ……相良と……」

「まあ色々あってね」

「なんで俺らに連絡しなかったんだ!助けに行ったのに!!!」


 歩は吠える。

 怒りではなく、やり場のない気持ちが声として出てきているかのよう。

 

「そうね。なんでだろ」

「なんでだろって…………」

「もうなんか、疲れちゃって。私って人間社会向いてなかったみたい。生まれが生まれだし、普通のレールから外れちゃってたのかなー」

「なんだよそれ。意味わかんねーよ」

「歩もそうじゃない?」

「………………」


 歩、と呼ばれて彼はあからさまにびくりとした。

 察するに名前を呼ばれるのが久しぶりな上、死んでいたと思っていた女が目の前にいる――そのことできっと酷く動揺しているのだと思った。


 もっと話していたい。

 最近どう?とか、短い髪も似合ってる、とか。

 そして、願わくば、一緒にいたい。これから先、ずーっと。

 でもそんなの無理だ。わかってる。

 私は潜入捜査官を殺さなければならない。

 歩が相良という存在を悪として拒んだ。それ即ち、私の居場所を否定したことと同意義。

 彼は今戦意を失いつつある。叩くなら今しかないのかもしれない。


「さあ、お喋りはおしまい。私たちの元に来ないなら、歩のことは……殺すしかないよ。残念だけど」


 歩は苦虫を1ダース噛み潰したような渋い顔をする。

 そりゃそうだろう。

 死んだと報告されていた人間が生きていて、歩にとって敵である人間の側近になっている。

 いくら彼でも飲み込むのが辛い、残酷な事実だ。


「お前も、こっちには来てくれないんだな」

「ふふ、だって犯罪者は嫌いでしょう?」

「……お前まさか」

「お察しの通り。同業者はもちろん、女子供も堅気にも押し並べて手をかけた。私は立派な極悪人だよ。どう?私と戦う理由ができて安心した?」

「もういい」


 そう呻くと、彼は特殊警棒を左手に持ち直して走ってくる。

 

 相変わらず、恐ろしい。

 

 両利きで、近接武器も遠隔武器もそつなく扱える。そのセンスは今も健在らしい。

 でも、彼は人を殺してはいない。

 人殺しにだけはなれていない。


 それだけが私の利点だ。


 特殊警棒の大ぶりを避け、下段から腹目掛けて足蹴りを入れようとする。しかし彼も半身になりすぐさま避ける。

 彼が流れを殺さず、左手から右手に警棒を持ち替えたのを横目で確認した。敵に回すと、本当に厄介で面倒な戦いになるなと余計なことを考える。

 右手に持ち替えられた警棒を右腕でガードするものの、右腕と側頭部への硬い衝撃で脳みそが揺れた。

 頭蓋骨と腕がズキズキと焼けるような痛みを訴え、視界には火花が散る。

 何度か瞬きを繰り返し、痛みを耐え凌いだ。

 しかし、歩の攻撃はまだ止まらない。

 ガードしている腕ごと叩きのめそうと、再び顔面付近に警棒を振るう。

 歩の振るいは空をさいた。そして、私の得物が彼の二の腕を貫いた。

 彼の腕を貫いたのは、ドスと呼ばれる短剣だ。

 死角からの突然の突き刺し攻撃に油断をしたのか、彼は痛みに顔を歪ませながら身を翻す。


「マジックみたいでしょ」


 死角から武器を取り出すことが得意だった。

 これは、人を殺すためにだけ身につけた妙技である。


「くだらねーよ」

「そう?そのくだらねー技で歩も死んじゃうかもね」


 歩の瞳がギラりと光る。

 怒っている。そう思った。

 

「そんなことを誇らしげに言ってるのがくだらねーって言ってんだよッ!!!」


 歩は苛立つように机を特殊警棒で叩いた。金属同士がぶつかり合う音は部屋中に轟く。その衝撃で机の上にあったデスクライトが割れている。

 私は見逃さなかった。

 歩が粉々になったデスクライトの破片を掴んだことを。

 案の定、その破片を投げつけながら彼は再びこちらに向かってくる。

 今度は両腕でそれを防ぐ。しかし、やはり反射的に目を瞑らずを得なかった。

 目を開けた時には歩が特殊警棒を今まさに振り下ろそうとしようとしていた所だった。

 咄嗟に重心を前に起き、彼の顎目掛けてヘッドバットを繰り出す。

 彼は予想外だったのかガードも出来ず、勢いも殺せずにモロに食らう。

 人間、大きな確信を得た時にこそ隙がうまれるのだ。それを逆手に取ることこそ対人戦では要になる。

 即座に歩の心臓部位にドスを突き立てた。

 が、刺した感覚に違和感が走る。

 

 彼は防刃ベストを身につけているようだった。


 ――せっかく、楽に死なせてやろうと思ったのに。


 私は、ルビー色の瞳を忌々しげに見つめた。

 

 悲しそうに揺れている、その業火のような瞳に吸い込まれそうだった。


 



 


 



 *



 



 



 




 胸骨あたりに鈍痛が響く。が、大したダメージには至らない。

 楽に死なせてやりたい。戦いを長引かせないようにしたい。そう思っているのはお互い同じようだった。さっきから狙っているのがお互いに急所ばかり。

 防刃ベストを着ていることを悟ったのか、愛花は喉元目掛けてドスを振るってくる。

 その刃が俺の喉元に到達する前に、俺の特殊警棒が愛花の頭部を直に打つ。

 打った瞬間、愛花の瞳から光が消えた。特殊警棒を持つ手が痺れるほどの衝撃が手に伝わる。

 脳震盪を起こしているのか、身体の軸がぶれている。

 その隙を逃さずにドスを持っている手を特殊警棒で凪ぐ。

 案の定、愛花はドスを取り落とした。


「っく…………」


 彼女の頭が若干、ボコりと歪んでいた。コブが出来ているのだろう。

 特殊警棒で殴打された部分が腫れているのだと悟る。

 打たれたダメージが大きかったようで、そのまま壁に倒れ込む。ごちり、とかなり痛々しい音が聞こえた。

 頭部を壁にぶつけたようだった。

 

 愛花が手放したドスを手に取り、彼女の方を向く。

 愛花の焦点は定まっていなかったが、いつの間にか取り出した拳銃を、こちらに向けていた。

 彼女はダウンを拒むボクサーのように立ち上がろうとするが、上手く腰が立たない。

 それを見計らって即座に距離を詰めるが、一発の発砲を許した。


 右側のこめかみと耳あたりが焼けるように痛む。

 

 彼女が発砲した銃弾は、こめかみの肉を削ぎ、耳に穴を開けた。

 

 その玉が、俺の心臓を貫いていたら。

 愛花を殺さずに済んだのかもしれないのに。

 潜入捜査官としてあるまじきことを思う。

 

 足早に愛花の傍に寄る。

 素早く屈んで、

 

 そして――ドスを腹に突きつきたてた。

 

 彼女は防刃ベストは愚か、防弾ベストも着ていなかった。

 刃物をこんなにも深く突き立てたのは初めてで、肉をシャープに切り裂いていくことに恐怖を覚える程だった。一度だけでは死なない。なら、何度か刺さなければいけない。


 かき混ぜるように、横一文字を引くように、数回腹を突く。

 ずっと、隣にいたかった人の命を奪うために。

 

 幾度か刃物を刺してドスの柄元までめり込ませたとき、愛花の顔を見た。


 彼女は、真っ青になりながらも満足したようにこちらに微笑んでいる。

 何故だ?

 お前は最後まで抗って、俺を殺そうとするべきだろう。

 そんな思いを悟ったのか、愛花は力なくこちらに寄りかかってきた。拳銃は手放している。

 見てくれはもう握る力も残されていないはずなのに、彼女は近づいて耳元でこう囁いた。


 


「お誕生日おめでとうね」



 


 その言葉に呆気に取られていると、さらに片腕で引き寄せられた。

 そこに殺意などなく、極めて優しい手つきだった。


 口の中に鉄の味が広がった。


 愛花の唇が自分の唇に触れていると感じた時には、愛花がもう離れていた。












 








『聞こえるか』

「はい。なんとか」

 

 通話相手は蓮仏さんだった。

 

『2階までは応援部隊が占拠した。近隣住民からの通報が入ったらしくてな』

「そうですか」


 だからあんなにバタバタという音が聞こえてきたのか、と合点がいく。

 

『神宮寺はいたか』

「いません。恐らく上の階にいます」

『となると……相良と一緒にいるのか』

「恐らくそうです」

『……なあ樒』

「水卜です」

『……そう、だったな。上の階には行くなよ』

「何故です」

『武装している奴らで囲む。そっちの方がお前も神宮寺も安全だ』

「…………」

『どうした』



 その気配に、息が詰まる。

 


「気づいてんなら通話切れよシキミ」

「……さが、ら」

 


 相良が、神宮寺さんを引きずって廊下に立っていた。


 


『!?えっ、さ、相良!?おい大丈夫なのか!』

「繋いだまんまにしてるの分かっとるで。はよきれ言うとんのやァッ!!!!!」


 相良はそう吠えながら、持っていた小型拳銃をこちらに向かって発砲した。

 弾丸は、俺の左腕の肉を穿った。

 持っていた携帯端末を落とし、自身の血液でワイシャツが濡れそぼる。一切カバーしていないところに弾丸を受けたことにより、鋭い痛みが走る。息が震えた。


 

「はよせえや」

「……わかった」


 

 痛みに震える手で、俺は通話を切った。


 

 


 




 


 



「きったぞ」

「お前に言いたいんはたったひとつや。あのクソポリ共にトドメをさすか、オレん所来るって約束しろ。せやったらコイツ離したる」

「もうやめろ相良」

「オレらならやっていける。もっと最高な道が開ける。ポリの犬やっててもお前の夢なんか叶わへんのや」

「樒、もう蓮仏の所にいけ」

「アンタは黙ってろやッ!!!!!」


 相良は神宮寺さんの腹を思い切り蹴りあげる。

 衰弱状態にありながらさらなる追い討ちで蹴られた神宮寺さんが心配になる。

 が、彼の瞳だけは厭にギラギラとしている。

 神宮寺さんが持つ黄金の瞳に射抜かれる。

 

 ――嘘でもいい。うなずけ。そうして騙し討ちをしろ。


 そんなふうに言われているような気がした。

 

 唇を噛み締める。

 彼の目を見ていると心が支配されたような気持ちになる。

 思わず視線が逃げた。どこを見ていればいいのかわからず、タイルの床を見つめる。

 できることなら、この場からも逃げてしまいたいほどの圧迫感で潰れそうだ。

 

「シキミッ!!!お前はこっちに来るべき人間なんや!!!こんなヤツらに一生飼い殺しされてええんか!!!!!」


 犯罪者になんかなりたくない。

 でも、相良にはもう嘘をつきたくない。

 時間がくれば、いずれ彼はここから逃げおおせるか、逮捕される。

 その前に、神宮寺さんと俺を撃ち殺すかもしれない。



 まったりと思考に浸る暇なんてなかった。


 トリガーには指がかかっている。

 相良も、俺も。

 相良の銃口は神宮寺さんに向いていて、俺の銃口は床に向いていた。





 自分は、元来嘘をつくのが嫌いだった。




 嘘をつく度に、息苦しい憂鬱にまとわりつかれて、耐えられなかった。素直に生きていたかった。

 それでも人を騙すことで自分の信念を貫徹できるのなら、身を切る思いで臨んだ。


 でも、今は。

 今だけは。


 この命を彼にあげてもいい。

 だから、素直になりたい。




「相良」




 随分と晴れやかな心持ちで、先輩だった彼の名前を呼ぶ。

 対して、部屋は硝煙と血の香りで生暖かい。



 

「なんや」



 相良はイライラしているような声色で応える。しかし彼の表情には若干の困惑の色もあった。

 




 今、自分はどんな顔をしているのだろう。








 






 

 

 

「もうお前の隣は、歩けないよ」





 












 真っ黒で重たい、液体の淀みがそこにある。

 そんな感じがした。

 右手に持っていた拳銃を落とす。

 右肩から血が溢れて上半身が濡れていく。


 肉が穿たれた衝撃と焼かれるような痛みにバランスを保っていられなくて、どさりと膝をついた。






 

 一瞬遅れて、向こうで『ばたり』、と重たい音が聞こえる。


 





 

 脳天を貫かれた相良が、倒れた音だった。



 

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