背水


「組対で拾った犬っころ、元気してる?」


 そう声を掛けられた神宮寺寿は不快感を隠すことも無く、声の主を仰ぎ見る。神宮寺のシワが深く寄った顔を見た声の主は、軽く苦笑した。


「ははは、なんだよその顔」

「部下を犬扱いするのは止めてくれ、と。以前にも言った筈だが?」

「おー悪い悪い。そうだったな」


 不愉快な言葉を吐いた男、蓮仏は全く持って悪びれもなくへらりと笑う。

 さっきまで穏やかだったこの休息室の空気は、この男の登場によりどんよりとした気がする。

 早くここから居なくなりたくて、持っていた缶コーヒーを喉に流し込む。後から来たこの男に憩いの場を譲るなんてなんだか納得がいかないが、不愉快な気持ちにされるよりはマシだろう。


「いいよそんなに急いで飲まなくても。用を終えたらすぐどっかいくから。ほら、急いでる素振り的にさ〜、どうせ俺より先にここから出ようとしてるでしょ?」

「ああ。君は私の神経を逆撫でするような事ばかり言うようになったからな」

「別にいいじゃん。寝返ったアンダーカバーを生み出した班長!っていう事実を言いふらしてるだけなんだから」


 べこり、と手に持っている缶が歪む。思わず手に力が籠った証だった。

 頭上から「俺的にトラウマもんだからねー、はは」と軽薄そうな声が聞こえた。この男はその寝返ったアンダーカバーが生まれたことによって監察官に異動した男だ。

 怖いと思うことに対して、分からないこともない。それでも、反乱分子を掘り起こすためにあらゆる所に喧嘩を売るスタンスで生きているこの男もこの男だ。


「それで、私に何の用なんだ?」

「あーそうそう。そろそろ本題にはいろうと思ってたから助かるなぁ」


 そう軽く言いながら、蓮仏はズボンのポケットから畳んだ紙を広げていた。

 B5の更に半分くらいの大きさの紙を目の前に見せられる。

 何かの写真のコピーのようだ。


「これは君の忠犬が提出した特別健康診断書。13年前のものだ。見覚えはあるか?」

「……?ああ、ある。」

「じゃあこっちは約1年前のものだ。在籍職員の名前は異なるが……こっちにも覚えはあるか?」

「ああ。それは私が受理して上に提出したものだからな」

「この1枚のうちどちらか、たった一箇所だけ虚偽申請がある。」

「は?」


 何を言っているんだ、という気持ちの塊が、声になって飛び出す。

 さっきまであんなにヘラヘラしていた目の前の男の顔は、冗談を言っているようにも見えない顔になっている。それが、余計神宮寺を不安にさせた。


「……まってくれ。その両名共――」

「お前に"虚偽申請をわかっていながら申請を受理した"という疑いが掛かっている」

「はあ?」


 ますます意味がわからない。

写真を凝視したところで、おかしな所などはない。少々強引な疑義であるとさえも感じる。

 というか、この男は私達の背景事情に見当が着いているはずだ。それならば、事実確認が先では無いだろうか?

 それを口走れば私の逃げ道になるとでも思っているのだろうか。


「もしこの疑義が事実であれば、大問題だ」

「そ当たり前だろう。第一、どこをどう見て偽っているとわかったんだ?」

「故意でなくとも、お前がその”虚偽を見逃して承諾をした”というミスを犯したのなら、やはりそれ相応の対応がなされるだろうな」


 蓮仏はヘラりとも笑わない。淡々とひとり話を進めていた。その様が、今この場で取り調べが行われている感覚に陥る。

 神宮寺はこれまで多くの取り調べを行い、確実に実績をあげてこの班長という役職を賜った。そんな自分が、まさか監察官から、しかも虚偽申請というあらぬ疑いをかけられているなんて。あまりにも信じられなかった。というか、あいつがそんな真似……。


「一体どこにそんな嘘が……」

「…………わからないか?」

「……ああ。本当に嘘が書かれているなら、私には……わからない」

「この部分をよく見てみろ」


 流石に同じ年月警察をやっている人間の審美眼を疑っているのか、はたまた、私が演技にかまけていると思っているのか、蓮仏は資料を神宮寺に見せた。

 何かペンで書き足されているだの、修正ペンで消されているだの、そんなものはないように見えた。

 2枚をよくよく見比べると、少しだけタイムスタンプに違和感を覚えた。


「……あ」

「そうだ。そのタイムスタンプがおかしいんだ」

「これは……書類を差し替えたっていいたいのか?」

「そういう訳では無い。しかし……そうだな、これ以上は取り調べ室で話したい」

「……そんな、第一なんで健康診断書なんか偽造するんだ……何故……」

「はっ、理由なんて決まっているじゃないか」


 蓮仏は無表情のまま、死んだ瞳を神宮寺に向けてこう言った。それは、13年前神宮寺が見た蓮仏の瞳とよく似ていた。


「どうしても任務がやりたいから、だろ」

「…………」


 彼は、当たり前のようにそう言い放つ。

 身体に異常が出てまでも任務に付きたい。そんなことを宣う人間はいるのだろうか?

 残念なことに、私は1人知っている。そんな、気が狂れたような人間を、部下を――1人知っている。


「お前のことは、13年前から大嫌いだ。でも、お前が積極的に規則を破る人間ではないことは知っている。可能性があるなら少しでも潰したいんだ。分かってくれ」

「……ああ……」

「外で待ってる。そのコーヒー飲み終わったら声をかけてくれ」


 蓮仏は、昔よく見た生真面目そうで、どこか憂いを帯びた顔をしていた。

 彼がこの部屋からいなくなったというのに、部屋の中の空気はどんよりとしたままだった。








 *







 日が沈み始め、少しだけ肌寒くなってきた午後6時手前。

 神宮寺はとあるビルの屋上にいた。部下との待ち合わせの為に。

 そろそろか、と思った所で丁度後ろのドアが開いた。恐ろしく正確な男だ。6時になった瞬間、この待ち合わせの場所に現れた。身体の中に電波時計でも仕込まれているのだろうか?


「久しぶりだな」

「はい、お久しぶりです」

「元気そうでなによりだよ、樒」

「そういうのはいいので、早く本題をお願いします」


 樒、と呼ぶには違和感だらけの彼の本質は、何も変わっていなかった。

 そのことに少しの安堵を感じながら、思わず苦笑いを浮かべた。

 

「はは、お前は本当に変わらないな。少しくらいゆっくり話そうよ」

「……本題に入らないなら帰りますよ。僕はお話なんかしに来た訳じゃないです」

「わかったわかった。素直に言うよ」


 渡された資料を手に持つ。がさり、という音をたてながら広げて樒に見せた。


「これはお前が任務前に提出してくれた、特別健康診断書。」

「はい。これが何か?」

「そこに虚偽申請があると言われた」

「……言われた?」

「実は今日の午前、監察官の人間から嫌疑をかけられた」

「そうですか」

「今は解放されたが、いつまた呼び出しを食らうかわからない。そこでお前に問いたい。本当に嘘を書いたのかどうか――」

「嘘なんて書いてません」


 即答。予想していたより即答だった。

 光を宿さない、まるで死人の瞳をしている樒は、私を真っ直ぐに見つめる。いつ見ても地獄の炎のような赤黒い瞳だなと思う。見ているこちらが不安になってしまう。


「そうか」

「神宮寺さんは、僕が本当に虚偽を記載したと思っているんですか?」

「いいや。……ただ、お前の顔を見て判断したくてね」


 嘘だ。疑っているから、樒の顔を見に来た。

 もし嘘をついているなら。彼の瞳や態度に異常が出るはずだからだ。

 

「そうですか。じゃあ……」


 樒はそういうと、私のジャケットの右側に手を入れてきた。

 そこには、スマホがある。録音アプリをつけたままの。


「なぜ、このやり取りを録音しているんですか?」

「……」

「黙ってちゃわかりません」

「…………そうだな」

「貴方とは信頼関係の上で成り立っています。僕達からしてみたら、地獄に垂らされている蜘蛛の糸のような存在。そして、今あなたはそれを裏切ろうとしている行為をしたってこと、分かりますか?」

「……ああ。痛いほど分かっている」


 まだ若干明るい空が、樒の顔を照らす。

 雲がかかっていてさっきまではよく見えなかった樒の顔が、夕日によってほんのりオレンジ色になる。それでも表情をピクリとも変えない彼の顔は、どんな感情を灯しているのかわからない。

 しかし、瞳を見たその瞬間、ゾッとした。

 樒の瞳孔が大きく開いている。少し離れていてもそれがよく分かったほどに、だ。


「……樒。お前やっぱり診断書改ざんしただろう」

「今はこちらが聞いています。僕の質問に答えて下さい」

「お前の言い分を監察官に聞かせてやろうと思って」

「……それで、わざわざ隠れて録音を?」

 

 彼は疑うように目を細めた。目を細めて尚、彼の射るような視線は迫力がある。

 

「そうだ。疑義を掛けられていても、納得いく理由がお前の口から出れば良いと思った」

「…………」


 今度は樒が黙った。考えてくれているのだろうか。

 ……私は、彼を疑っている。嘘をついてまで任務に挑む――それをやりかねない人種であることを知っているからだ。

 そして、先程の彼の目を見て確信してしまった。

 普通、人間の瞳孔というものは明るい所ほど小さく細くなり、暗いところほど太く大きくなる。暗いところでは光を沢山取り込もうとするのだ。

 しかし、ある条件を満たしている人間は、明るいところでも瞳孔が開いていると言う。蓮仏に教えてもらった事だ。

 ああ、これはもう、恐らく疑義ではない。

 きっと、確実なものだろうと思った。


「樒、この録音データを提出して、容疑を晴らそう」

「……いいや。削除して下さい」

「何故だ?」

「僕との信用を裏切ったからです」

「答えになっていないよ樒。かなり強引だったのは謝る。しかし、お前の虚偽申請の疑いが晴れないと、この任務だっていつか降ろされるぞ」

「僕は健康です」

「じゃあ証明するためにもう一度同じ検査を受けてくれ」

「何故そうなるんですか?」

「お前が健康そのものなら、何も問題なんてないんだ。監察官の裁量にもよるけどな。それに加えて、もうリスキーな事はしたくない。お前がもしなにか不健康な状態ならば、任務失敗の可能性が高いというのは目に見える」

「今だって順調に進んでいます。神宮寺さんと会った時から、僕の核心的なものは何一つ変わっていません。」


 変わっているだろう。身なりや一人称なんか特に。なんて事言えずにどうしたものかと考える。

 

「それに、……」

「……それに?」

「僕以外にこの任務、誰が務まるんですか?」

「……すごい自信だな。他にも適正がある人間はいるぞ」

「いいやいません。少なくともこの件に限っては。」

「何……?」

「……いないから、神宮寺さんは僕に声をかけたんでしょう?」



 この先、普通の仕事しか与えないはずだった、僕に。

 この件において、僕は切り札なんだと思っています。

 そうですよね。当然ですよね。あの時、あの場にいて帰ってこれたのは僕だけなんですから。しかも、また貴方の部下になる程に図太くて気が狂ってるんですから。

 ……上層部とその監察官にお伝え下さい。

 どちらが利益ある行動なのか。

 13年前の尻拭いを優先させるのか、はたまた1人の疑義を優先させるのか。

 


「それではまた。報告はいつものメアドでよろしくお願いしますね」


 樒は何一つ顔色を変えることなく一礼をして、ドアの向こう側へと消えていく。

 ばたり、と金属製のドアが閉まる音が聞こえた。そして思わずはあ、と一つ嘆息をつく。程なくして緊張しきった空気が解けていくのを肌で感じる。キリキリと痛みを主張する胃も、いまは穏やかになってきていて、完全に『樒への尋問がストレス』であることを理解した。

 

 ……そうだ。樒の言う通りだ。1人の監察官がそう言ったとて、恐らく樒を引き戻すことは出来ない。普通なら交代したり、任務から引き戻すことがある。しかし、樒が担当しているのはベクトルが違いすぎる。

 今回は、寝返ったアンダーカバーが関係している可能性が非常に高いからだ。もしかしたら、その寝返った人物との接触も可能かもしれない。

 樒は、基本的に情に左右されない。だから今回の「元アンダーカバー」の人間にも逐一冷徹になれるだろう。オマケにかなりのベテラン勢でもあるため、確かな信頼もある。


 だからこそ怖い。

 樒は、もはや限界を迎えているのではないかと心配している。

 正直、滅びゆく人間を見つめているだけなんて耐えられない。樒はよくやったと思う。だから、もう少し報われるべきではないだろうか。


 なんとなくスマホを見ると、録音データは削除されていた。念の為、ゴミ箱も確認したが、やはり削除をされている。

 樒は、まるでゆったりと死のうとしている自殺志願者だ。

 本人がどう思っているかはわからない。でも、私にはそう見えた。




 

 


 

 


 






 


 

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