第3話 見せびらかしたい


 陽の光が木々の間から差し込み、公園の花壇が美しい色彩で彩られている。手に小さなバスケットを持ち、摘み取ったばかりのハーブや花々をそっと入れていた。アーロはその隣を歩き、時折、私に視線を向けては微笑んでいた。

「今日は天気が良くて気持ちがいいですね」

「そうだね、オフィーリアが一緒だともっと特別な日になる」

 するとアーロは何かに気付いたような顔を見せ、私の髪に手を伸ばした。

「花びらがついていた。よっぽどオフィーリアが気に入ったみたいだ」

「そ、そうでしょうか……?」

「俺はこの花の気持ちがよく分かるよ」アーロはさらに微笑んだ。

 公園のベンチには数人の女性たちが座っており、その光景を遠巻きに見ていた。彼女たちの目はアーロに向けられており、憧れと羨望の色を隠せないでいる。

「アーロ様って、本当に素敵な方ね」

「ええ、あの優しさと気遣い……まるで夢のようだわ」

「オフィーリアさんが羨ましいわ。あんなに溺愛されて一体どんな気持ちなのかしら」

 その時、アーロが急に立ち止まり、私の腕を優しく掴んだ。

「待って、オフィーリア。君の靴紐がほどけている」

 彼は片膝をつき、まるで跪いているかのように、私の靴紐を手際よく結び直した。オフィーリアは少し恥ずかしそうに周りを見回したが、アーロの行動に文句を言うことなく、そのまま彼の頭を見下ろしていた。

「あ、ありがとうございます、アーロ。でも、自分でできますよ」

「婚約者の俺には靴紐を触らせてくれはないのかい?」

 アーロは真剣な表情で言った。その言葉に何も言えなくなり、ただ彼の瞳の中に引き込まれていくような感覚に囚われていた。ただ小さく「いえ……」と恥じらいが出てくるだけ。

 ベンチに座る女性たちは、アーロが見せるその完璧な騎士のような振る舞いに心を奪われた。彼女たちはため息をつき、互いに視線を交わし合った。

「アーロ様のような人に愛されるなんて、なんて幸運なのかしら」

「そうね。私たちも、彼のような人に出会えたらいいのに」

 これも全ては、私たちが婚約していると信じてもらうための偽装工作。

 特別な感情など、どこにもないはずなのに。どうしてこうも、アーロのそばにいると心が浮足立つような気持ちになるのだろう。

「そうだ、オフィーリア。これから予定がなければ、僕に付き合ってくれないかな」

「え……?」

「紹介したいところがあるんだ」

 夕暮れ時、アーロに連れられたのはとある訓練場だった。そこには多くの騎士たちが汗を流していた。

「もしかしてここは……」

「普段はここで過ごすことも多いんだ。身体を動かしていないと鈍ってしまうからね」

 ということは、アーロにとって大切な場所といっても過言ではない。まさかこの場所を紹介したいと言ってくれるなんて。

「来たんだな」

 するとそこへ、ブラウンの長髪の髪をした男が近付いてきた。がっしりとした身体つきはアーロとはまた体格の良さを感じる。

「オフィーリア、紹介する。彼はイアンだ」

「初めまして、オフィーリア。お噂はかねがね」

「は、初めまして。あの、噂と言いますと……?」

「アーロがずいぶんと惚れ込んでいるとね」

 たとえそれがお世辞だったとしても、素直に嬉しいと感じてしまった。

「そういえばアーロ、国王が呼んでいたぞ。直々に話があるとかで」

 その瞬間、二人の間には言い表すことのできない緊張感が走ったように見えた。しかしアーロはすぐに私を見ると、穏やかに微笑んだ。

「すまない、少しイアンと待っていてくれないかな。すぐに戻ってくるから」

「わ、分かりました」

 急用だろうか。アーロを送り出すと、その場にはイアンと私だけが残った。

「アーロとは子どものころからの付き合いだそうですね」

「え……あ、はい。子どものころといっても、ごくわずかな時間でしたけど」

「それからは一度も会うことはなかったとか」

「ええ、十年ぶりに会ったばかりで」

「よく彼のことが分かりましたね」

 それは、自分でも思っていたことだった。アーロと再会するまでは、彼と会っても分かる自信などこれっぽちもなかったのだ。それなのに、なぜ彼がアーロだと分かったのか。

「……笑顔が、変わっていなかったんです」

「へえ、笑顔ですか」

「なんと言ったらいいのか……ただ、私に向けるその顔を見て、すぐにアーロだと気付きました」

 オフィーリアと名前を呼んでくれた彼が、すぐにあのときの少年だと気付くまでにはそう時間もかからなかった。

「だからまたこうして、一緒にいられるのは嬉しいです」

「偽りの婚約をしてでもですか」

 イアンにはそのことが伝えられているのかと知った。それなら、変に誤魔化す心配もなさそうだ。

「はい。もう一度、また会いたいと思っていましたから」

「けれどあいつは──」

 そこまで言いかけて、イアンは口を噤んだ。足音が聞こえたからだ。

「副団長」

 若い騎士たちが近づいてきて、イアンに声をかけた。私を見ると、その顔には「一体だれなのだろう」と探るような視線があった。

「アーロの大事な人だ」

 イアンは何でもないことのようにさらりと言った。かなり誤解を招くような言い方ではあったが、それだけで若い騎士たちは納得したようだった。彼らは微笑みを浮かべて、何か秘密を共有したような感じで頷いた。

「実はさっきアーロ団長の指導を受けていたんですが、本当にすごいんです。剣技の精度はもちろん、あの判断力と落ち着き、どうしたらあんなふうになれるんでしょうか」

 ひとりの騎士が興奮気味に話し始めた。それに続いて、別の騎士も同意するように言葉を重ねる。

「まるで戦場の中にいても、何も恐れないかのような落ち着きぶり。副団長、アーロ団長が戦闘で手傷を負ったところなんて、見たことありますか?」

 若い騎士たちはイアンを見つめ、彼の返事を待った。イアンは少し笑ってから答えた。

「いや、アーロがそんなことになるのを見たことはないな。どんな相手でも冷静に対処して、最終的には勝利を収めている。それがアーロだ」

 騎士たちは感嘆の声を漏らし、さらに話題が広がった。彼らのアーロへの尊敬と羨望の念は一目瞭然だった。

「アーロは騎士団長になる前から、我々の中で一番だった。どんな訓練も、どんな任務も、完璧にこなしてきたし、それ以上に仲間を大切にしてきた」

 イアンの言葉に、若い騎士たちはまた頷く。彼らの目は輝き、まるで英雄の物語を聞いているようだった。

「そうですよね。アーロ団長がいると、どんなに厳しい任務でも安心できます。団長の存在だけで、我々全員が士気を高められるんですから」

 騎士のひとりがそう言うと、他の騎士たちも声を揃えて同意する。

「ただ、ものすごく怖い方ではありますのでお近づきにはなかなかなれませんが」

 その言葉に若い騎士たちは苦笑し、全員が頷いた。

「怖い? アーロが……?」

 思わず口に出してしまった。私の知っているアーロは、いつも優しく微笑んでいて、どんな時でも穏やかな声で話しかけてくれる。そんな彼が怖いだなんて、想像もつかなかった。

「団長は、戦場や厳しい状況になるとまるで別人のようになります。あの眼差し……冷静で鋭く、まるで全てを見通しているような気がするんです」

 ひとりの騎士が真剣な表情で答えた。

「それに、規律違反や、隊員同士の不和があれば容赦なく指摘されます。団長の叱責は鋭い刀のようですから、誰もが一度はその怖さを知っているんです。僕たちもその姿勢を尊敬していますが、近づくのにはやはり勇気がいりますね」

 別の騎士がそう付け加える。彼らの言葉には、確かにアーロへの畏怖が含まれていた。

 私は驚きとともに、少し不安を覚えた。彼がそんなに厳しい一面を持っているとは知らなかった。だが、それもまた彼が持つ責任感の表れなのかもしれない。騎士団の団長として、皆を守り、導くためには、優しさだけでは足りないのだろう。

 イアンが微笑みながら私に目を向けた。

「オフィーリア、君が思っている以上に、アーロは強くて厳しい男なんだ。でも、だからこそ彼は皆から尊敬され、信頼されているんだよ」

 私はアーロの存在がどれほど大きいのか、改めて感じた。彼の背中を追う騎士たちの尊敬と信頼は揺るぎないものであり、私が思っていた以上にアーロは彼らにとって特別な存在だった。

 イアンの言葉の裏には、私への安心感を与えようという気遣いも感じられた。

「待たせてすまない」

 そこへアーロが戻ってくる。

「国王の話はどうだった」

「ただの世間話だったよ」

 苦笑するアーロが私を見た。

「オフィーリア、そろそろ時間だね。君を家まで送るよ」

「はい、ありがとうございます」

 アーロの差し出す手に自然と手を重ねた。彼と一緒に歩き出すと、騎士たちは少し驚いたようにこちらを見つめていたが、何も言わなかった。さすがにここでも婚約者のフリを徹底させるのは良くなかったのかもしれない。

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