第1話 婚約者のフリをしよう

「オフィーリア!」

 家の前にある小さな庭。そこに咲いているラベンダーに水やりをやっていると、少し慌てた様子でリリーが走ってくるのが見えた。手に持っていたジョウロをそっと地面に置き、顔を上げた。

「どうしたんですか、リリー」

 彼女は息を切らしながら、手を膝につけて呼吸を整えようとする。彼女は孤児院時代からの友人で、今はこの小さな村の村長の家で使用人として忙しなく働いている。普段は穏やかな彼女が慌てているのは珍しい。

「村長さんが今すぐに来てほしいって言ってるの。重要な話があるって」

 自分に何か話すことがあるなんて、なにかよっぽどのことがあるのかもしれない。しかも「重要な話」だなんて。

「分かりました。すぐに行きます」

 エプロンの端で手を拭き、家の中に入って準備を整えた。心の中では、不安がゆっくりと広がり始めていた。どんな話が待っているのだろう。

  頭にはいくつかの可能性が浮かんだけれど、どれも確信には至らなかった。

「それにしても、オフィーリアの話し方は変わらないものね」

 リリーと共に村長の家へ向かう道すがら、私の心を落ち着けるためにかリリーが話を振った。

「この話し方以外はなんだかしっくりこないんです」

「孤児院に初めて来たときにはもうその話し方だったものね」

「ええ、よく扱えたなと思います」

「まだ六歳になったばかりじゃなかった?」

 その年齢からの付き合いになるから、リリーとはもう十年の仲になる。そういえば、その歳ぐらいだった。あの彼と初めて会ったのは。

「誰に対しても、その姿勢は変わらないわね」

 リリーが微笑んだのを合図に、彼の存在を頭から振り払った。もう会うことのない人。もし再び会うことがあったとしても互いに気付かないだろう。それほど、多くの歳月を過ごしてきてしまった。

「リリーは、最初こそ嫌がっていましたもんね」

「それはそうよ。たいして年齢が変わらないのに、敬語なんて使われるから」

 昔から、気さくな少女だった。ひとつ年上だというのにお姉さんぶるというよりは、一緒になって遊んでくれる仲間に近かった。顔を合わせるたびに「ふつうに話して」としつこく言われて続けていたが、諦めたのか時期に言わなくなった。

 私にとっての「普通」が、これなのだとリリーも気づいてくれたからだ。

「今ではその話し方がオフィーリアらしいって思えるの。こうして久しぶりに会うと、なんだか懐かしくなるんだから」

「お互いに、孤児院を出てからもう一年になりますもんね」

 リリーが十七、私が十六のときだった。

 そのころにはすっかり孤児院に守ってもらう立場ではなく、子どもを守る側として、忙しくも楽しい日々を過ごしていた。

 しかし、孤児院で預かる子どもが減り、私たちがいては逆にお金がかかってしまうという理由から、一年前には自立しようという話になった。

 それからリリーは村長の使用人として住み込みで働き、私は村はずれにある小さな家に住んでいた。

 ここは昔、幼いころに住んでいた場所だ。けれど、両親がいなくなってからというもの、長い間放置されていた。

 そういえばあの彼と会ったのも──ああ、まただ。また思い出してしまう。

 もう会えない人のことを、なぜこうも未練がましく考えたりするのだろう。

 過去には当たり前のように様々な思い出がある。けれど、あまり思い出さないようにしていた。楽しいこともあれば、胸が引き裂かれるような悲しいこともあったからだ。

「オフィーリア、心配することないわ」

 リリーが言った。

 きっと私がこれから起こることに気を落としていると思われたのかもしれない。

「村長の話だって、案外大したことはないかもしれないんだから」

「……ええ、そうだといいです」

 なんとか微笑を浮かべながら、この先待ち受けていることが、どうか穏やかなものであってほしいとひっそりと祈った。

 村長の家に到着すると、すでに玄関先で待っていた。彼の表情は真剣そのもので、胸の奥で鼓動が高まるのを感じた。

「オフィーリア、来てくれてありがとう」

 村長の声は穏やかだが、その裏には何か重いものが隠されているように聞こえる。ここは覚悟を決めて、話を聞かなければならないかもしれない。

「あの、お話があると伺いましたが……」

そう投げかけると、村長は一度うなずいてから、ゆっくりと口を開いた。

「実はオフィーリア、君に伝えたいことがあるんだ」

「はい」

「先日、隣町のブラックウッド家から君との結婚の申し込みがあった」

 結婚。その二文字が、一瞬理解できなかった。

 そしてそれは、あのブラックウッド家からだという。

 子どものときから何度も聞かされてきた。“彼らには決して逆らってはいけない”と。

「どうして私に……?」

 冷静を装ったつもりだったが声は震えていた。

 これまで恋すらしたことがない。それなのに突然の結婚の話なんて。

「知ってはいると思うが、ブラックウッドは何世代にもわたって商業と貿易業で成功を収めてきた名門の商人家系だ。言葉ひとつで多くの人間の人生を左右するだけの力を持っている」

 それは、この村に住むものであれば誰もが知っていた。

 幼いころ、ブラックウッド家に逆らった住人が、酷い目に遭わされたという噂を耳にしたことがあった。詳細は大人たちからのこそこそ話では分からなかったが、その住人は遠い国に流されたと聞いた。つまり、海に、ということだろう。

 そこからはあまりにも恐ろしくて、その名前には注意して生きていこうと思っていたほどだ。それなのに、まさか結婚を申し込まれるなんて。

「今回の結婚がうまくいけば、わしらの村に資金援助をしてくれると言っている」

「まさか、それでオフィーリアを」

 リリーは信じられないとばかりに口元に手を当てた。彼女がおどろくのも無理はない。同じように、ブラックウッド家を恐れながら生きてきたのだから。

「……オフィーリアとの結婚が成立すれば、この村はもっと裕福になるだろう。村の皆がもっと良い暮らしができるんだ」

 村長にとっても、心苦しい話であることは、その声音を聞いていれば十分にわかる。心優しい人で、虫一匹さえも殺すどころか慈しむような人だった。そんな人が、私にこの話を持ち掛けるということは、よっぽどこの村の危機が迫っているのだろう。

「オフィーリア、こんなことを頼むのはいけないとわかっている。だが、こうするしかほかに手立てはないんだ」

 村長の声には期待と不安が入り交じっていた。私にとって第二の父のような存在だった。村の未来を託されている重責も感じているのだろう。

 その思いを感じ取りながらも、心の中で混乱が渦巻いていた。

「すみません、あの、私は……」

 自分から出てくる声は小さく、しっかりしなければと奮い立たせようとするのに何度も失敗してしまう。

 村長は優しい表情を浮かべ、私の肩にそっと手を置いた。

「君の気持ちは大切にしたい。だが、この村を助けられるのも今ではオフィーリアしかいないんだ」

 村長の言葉が心に重くのしかかった。村のため。ずっと村の人たちに恩返しをしたいと思っていた。孤児院で育ち、この村で支えられてきたことに感謝している。それでも、結婚という大きな決断を自分の意思以外で決めることには、躊躇があった。

「……少しだけ、考える時間をもらえますか」

 きっと、そんな時間なんて残されていないのだろう。それでも今は、こう答える以外に言葉がなかった。村長もそれに気付いているのか、ああ、とうなずいた。

「もちろんだ。だがすまない。ブラックウッド家からは返事を急かされていて、君にあげられる時間はそんなに多くはないんだよ」

「いえ、少しで十分です。心を整理する時間さえいただければそれで」

村長の家を出る前、見送りに来てくれていたリリーが私の手首を掴んだ。

「どこかへ逃げましょう」

「え……」

「オフィーリアだけが無理をすることはないんだから。大丈夫、一緒に逃げられるだけのお金はちゃんと蓄えてあるの」

 いつだって、困っているときにはリリーが助けてくれた。今も居ても立っても居られなかったことが伝わる。それだけで、もうよかった。

「リリー……ありがとうございます。でも、無理はしていないんです。こんな私でも、村の役に立てるなら、それが本望ですから」

 大丈夫。そう言い聞かせる。

 私ならどこにいたってやっていける。

「オフィーリア、本当にそれで幸せなの?」

 彼女の問いかけに、浮かべていた笑みが消えそうになった。リリーはいつだって私を心配してくれる。けれど私がここで逃げてしまえば、この村はどうなってしまうのだろう。

 村のことを思えば、村長の提案を受け入れることが最善の道だ。

「……幸せかどうかは分かりませんが、村のみんなの期待に応えなくてはなりません。だから大丈夫です」

 そう言って彼女の手を優しく解こうとした。しかし、リリーは彼女の手を離さなかった。その瞳には涙がたまっていて、いつもの快活なリリーとは違う、弱さと不安が滲み出ていた。

「オフィーリア、あなたはもっと自由でいていいんだから。自分のために生きて、幸せになってほしいの」

 その言葉に胸がきゅっと締め付けられるような痛みを覚えた。自由に生きること。自分のために選択をすること。それが今では、どこか夢物語のように感じられる。

「ありがとうございます、リリー。私は平気です」

 オフィーリアがまだなにか口を開きかけたそのとき。

 村の入り口の方から馬の蹄の音が響いてきた。振り返ると、一人の騎士が馬を駆りながら近づいてくるのが見えた。

 輝きが眩しく、風になびくマントが彼の背中で舞っていた。背は高く、まるで彫刻のように整った顔立ち。漆黒の髪は艶やかで、軽く風になびいている。その髪の下からは、深い琥珀色の瞳が光を放ち、見る者を引き込むような魅力を持っていた。

 誰だろう。

 彼の姿には、まるで王族のような気品と、どこか神秘的なオーラが漂っていた。

 黒髪に映える力強い眉、鋭くも優しさを含んだ瞳は、まるで夜の静けさを宿しているかのようだった。鼻筋はすっと通り、口元にはかすかな笑みが浮かんでいる。

 彼は流れるような動きで馬から降り立った。彼の服装は、洗練された仕立ての黒いロングコートに、深い色合いのベストを合わせたもので、その下には白いシャツがのぞいていた。

 金の刺繍が施されたベストが、彼の体格を際立たせ、気品を醸し出している。肩にかけられたダークグレーのマントが、風にそよいで彼の後ろで優雅に広がる。

 不思議と彼から目が離せなくなる。彼の服装のシンプルさが、かえって彼の存在感を強調し、その優雅な立ち振る舞いは一目でただ者ではないことを物語っていた。

 どうしてこの小さな村に現れたのか。そして思い出す。ここは村長の家の前だと。

 それなら用事があるのは村長だろう。ここにいては邪魔になってしまう。

 しかし彼と視線が合うと、その琥珀色の光がさらに深くなった。

「オフィーリア」

 彼の声は低く、温かみがあった。そしてなぜか、私の名前を呼んだ。

 どこかで知り合ったことがあったのだろうか。いや、そんなはずはない。こんなにも顔が整った人であれば、印象的で忘れることはないはず。

 そう思いながらも、目の前の男性が誰なのか思い出せない。彼の存在感は圧倒的で、その端正な顔立ち、深い琥珀色の瞳、そして優雅な佇まいに、心が囚われてしまう。それでも、なぜこの男性が自分の名前を知っているのかが分からない。

「オフィーリア」

 もう一度、彼が私を呼んだ。どこまでも心に響いていくような気がする。その音に包まれると、不思議と不安が和らいでいくのを感じた。まるで引き寄せられるように彼の顔をじっと見つめた。

 そして、その瞬間——彼が微笑んだ。

 その微笑みにどこか見覚えがあり、心の奥底にしまっていた記憶がゆっくりと浮かび上がる。幼いころ、一緒に過ごした記憶。もう二度と会うことはないと思っていた彼。そっと寄り添ってくれた温もりが溢れるように蘇ってくる。

「……アーロ?」

 小さな声でその名を口にすると、彼の微笑みはさらに深くなった。

 目の前の男性は、あの時の少年──アーロだった。

 記憶の中で小さな少年だった彼は、今や立派な青年に成長して立っている。

「覚えてくれているんだね。久しぶり、オフィーリア」

 アーロの言葉に、胸が温かくなり、懐かしさと安堵の涙が目に浮かんだ。

 もう二度と会えることはないと思っていた。幼い頃に過ごした日々はとても短いもので、あまりにも遠いものに感じられていた。

 アーロのことを思い出すたびに、いつも楽しませてくれたことを覚えている。けれど、彼と再会するなんて夢にも思わなかった。

 どうしてこんなところにいるのだろう。あの家を離れて孤児院に入ったとき、彼もまた遠い国に引っ越してしまったと聞いていた。

「アーロ……どうしてここに?」

 琥珀色の瞳が優しく輝き、彼は穏やかに微笑んだ。

「君がここにいるって聞いて。たまたま近くを通りかかったから」

「通りかかったって……」

 懐かしくなって近くを通ったのだろうか。

「騎士団長!」

 そこへ、もうひとりの男性が現れる。彼はアーロのことを「騎士団長」と呼んだ。

「近辺に異常は見られませんでした」

「そう、よかった。なら君たちは先に戻ってくれて構わないよ」

「しかし騎士団長。すぐに戻られなければ国王が──」

「大丈夫。あとで俺から説明しておくから」

 アーロは柔らかな笑みを浮かべながら、私に近づいた。その背後で、騎士たちは躊躇しながらも敬礼し、馬に戻っていく。周囲には静けさが戻り、鳥のさえずりと風の音だけが聞こえていた。

「すみません、少し彼女とふたりにさせてもらえないでしょうか」

 アーロは、固まっていたリリーに声をかけた。彼女は少し驚いたようにアーロを見上げたが、すぐに私へと目をやり、心配そうな表情を浮かべつつも、微かに頷いて後退りした。

「分かりました。オフィーリア、私は家の中にいるから、何かあったら呼んでね」

リリーは優しくそう言い残してから家の中に入っていった。ドアが静かに閉まり、二人だけが庭に残される。

「本当に、久しぶりだ」

 玄関扉を見つめていたら、アーロがしみじみと呟いた。その言葉に、彼の横顔をそっと見つめた。アーロの琥珀色の瞳が、過去を懐かしむように細められている。

「覚えているかな、幼いころ、ここで君と一緒に遊んだことを」

 彼の声には温かな感情が宿っていて、胸に直接響いてくる。同じように、あの頃のことを思い出していた。まだ孤児院に入る前、彼と一緒に駆け回った日々。笑い声が風に乗って響き渡っていた。

「……覚えています。かくれんぼをしたことも。そしていつも、あなたが見つけてくれることも」

「オフィーリアのことなら、どこにいたって見つける自信があるよ。こうして今も、十年ぶりだというのに君を見つけることができた」

「それは驚きました……あ、いえ、驚いたことといえば、あなたが騎士団長になっていることもそうです」

彼は少しだけ苦笑いを浮かべ、肩をすくめた。

「驚かせてすまない。そんな大したものでもなくてね。名ばかりの騎士団長なんだ」

「でも今も、騎士団長としての務めがあるのに、どうしてわざわざ私のためにここまで……」

 さっきの会話からして、見回りのようなものをしていたように聞こえた。

「ここに来ると、オフィーリアに会いたくなったんだ。まさか本当に会えるとは思わなかったけどね」

アーロの声は、まるで長い間心に秘めていた感情を解き放つように穏やかだった。あまりにもうれしく、そして、ついさっきまで自分が置かれていた状況がすっかり抜けてしまっていることに気付いた。

「オフィーリア?」

 アーロも察したのか、その顔には心配が浮かんでいた。

「……もし、まだ時間があるようでしたら、少し散歩をしませんか?」


 柔らかな日差しが、道に降り注いでいた。道端にはこの季節ならではの花々が咲き誇り、色とりどりの花びらが風に揺れていた。遠くで子供たちの笑い声が聞こえてくる。

「結婚を、申し込まれているのです」

 どこから切り出すべきか悩んでいたものの、結局はその表現に落ち着いてしまった。

 アーロは琥珀色の瞳を、驚きの色に染めていた。

「……その結婚は、オフィーリアが望んでいるものなのか?」

「村の人たちは、望んでくれていると思います」

 村長から話されたことを、そしてこの村にとってブラックウッド家がどういう存在なのかということも、失礼がないよう気を付けながらアーロに話した。

「ですが、恋愛ひとつしたことのない私が、いきなり結婚なんて……」

 できるのかどうか。

 いや、そんな泣き言を口にしていいはずもない。

 花の香りが風にのってやってくる。家にいればラベンダーの香りがよくするけれど、ここではデイジーの爽やかで気持ちをすっきりとさせるような香りがする。

 私の心を入れ替えるにはピッタリかもしれない。

「……すみません、こんなことをいきなり話してしまって。忘れてくだ──」

「俺と婚約してほしい」

「えっ?」

 アーロは今なんと言ったのだろう。確かめたくて、彼の目を見たけれど、表情は真剣そのもので、その提案に迷いの色は見えなかった。

「結婚するのが嫌なら、俺と婚約していることにすればいい」

「婚約、していること」

「悪いほうには捉えないでほしい。あくまでも、これはオフィーリアの結婚をなしにするためのものだ」

「……つまり、婚約のフリをする、ということですか?」

「そうすれば、村長も結婚の話を引っ込めるかもしれない」

「ですが、それは、偽りの婚約ということに」

 なるのではないか。

 そう続けようとしたとき、アーロの大きな手が私の手を握った。

「嘘をつくことに抵抗がある?」

「いえ、そういうことではなくて……アーロにそんなことを頼んでしまうのは、迷惑なんじゃないかと思って」

 騎士団長という役職は、きっと忙しいものだ。それに、アーロに婚約者がいると知られてしまったら、彼が困ったことになってしまう。

「迷惑だなんて、そんなことないよ」

 しかしアーロは優しく微笑んだ。その笑顔がまるで周囲の花々のように温かく、心を包み込むように見える。彼は少しだけ微笑を残しながら、ふと遠くを見つめるように視線を外した。

「それに、ちょうどいいタイミングなんだ」

「いいタイミング?」

「実は俺も結婚の話をせっつかれていてね。婚約者がいると知ればそれも収まると思う」

 その話はとても納得がいく。アーロのような凛々しい騎士が結婚をせっつかれるのは当然かもしれない。けれど、彼が気にかけているとは思ってもみなかった。

「周囲は、俺がそろそろ落ち着くべきだと言うんだよ。まだ二十だというのに」

「……放っておけないのだと思います」

 特に女性が。これだけ紳士で、なおかつ騎士団長ともなれば、結婚の申し込みは数えきれないだろう。小さな村に住んではいるものの、そのあたりのことは察しが付く。

「俺としては放っておいてほしいんだけどね。だから、オフィーリアと婚約しているフリをすることは、実は俺にとっても悪くない提案なんだ。少しだけ時間を稼げるし、それに──」

 彼の琥珀色の瞳には、優しさとほんの少しの遊び心が浮かんでいた。

「この出会いは、偶然ではないと思いたいから」

 それがどれだけ救いになっただろう。

 たとえ、村が裕福になるという問題が解消されていないとしても、ほんの少しの時間が確保されるのであれば、それはとても贅沢な選択としか思えなかった。

 結婚をしてしまえば、こうしてアーロとふたりになることもない。

「……本当に、いいのですか?」

「僕たちの目的は一致している。俺たちが婚約をすることは、意味があるものだ」

「……それじゃあ、フリをお願いしてもいいですか?」

「もちろんだよ」

 アーロはそう言って、私の手を握り直した。

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