第4話 俺との愛はまだ続いている

「おはようございます、龍様。」


 男の声で目が覚める。ガタガタと揺れる床が頬にあり、自分が寝転がっていることを理解した。上半身を起こしながら、何があったのか最後の記憶を思い出す。……テオドアが倒れる光景、その光景を。

 ふと音が耳に入る。木材と鉄製が一定のリズムでぶつかる音、そして馬の足音。周りに目をやると薄暗いが木製の床と扉がある。顔を上げていくと視界の左右には、椅子とその上に薄いがクッションが置かれていた。見たことのある、馬車の客室かと理解する。客席であればと思い、窓の方を見ると月の光がカーテンの隙間から見えた。夜か。


 斜め横たわっている体制から声がした方が振り返る。目の前には男がいた。男は客室の腰掛けに内股で座っている。その膝の上の“物”を大事に、大事に、抱えている。

 深淵と思える黒の瞳に色白で血色のない顔、彼の金色の髪が全て対照に見えて一際明るく思えた。その手足や身体の細さから、肩を押しただけで倒すことが出来そうと思う。まとめて弱々しい印象だ。


 しかし、彼を見れば身震いをしてしまう。その膝に乗っている“物”も恐怖の一端だが、それだけで彼への警戒は説明できない。神龍の私でさえ指先一つの動きに目を外せない、不気味さがある。


「僕は龍様とゆっくり会話できる時をずっと……ずぅっと待っていました」


 何も拘束具はないのに、体がぴくりともしない。


「――龍様、さぁ僕と話しましょう」



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 朝陽を浴びて、医務室で目が覚める。真っ先に身体の異常に気が付く。成就の杯の魔力を感じない。


「メイ!」


 彼女の名前を呼んでも、反応がない。自分の血の気が引いていくのがわかった。

 ベッドから飛び起きる、そこには警備隊と研究所の所員がいた。彼らは俺が起きたことに気づいていない様子。足早に近づき「どういう状況だ」と問う。

 二人は驚いていたが、答えを急かした。


「アルヴァン室長は、昨夜に第一マナ研究室の前で強盗に襲われたのです!犯人は未だ不明!誠意調査中であります!

「えっと僕からは、室長の部屋が荒らされていたのを見ました」

「――――理解した」


 俺は話を聞き研究室に戻る。警備隊がテープなどで囲っているが、全て取っ払い強行突破した。ファイルを確認すると確かに資料がない。その資料はメイについて調べていた内容全てだ。犯人は成就の杯だけでなく、神龍にも興味がある奴だというのが分かった。

 国立研究への侵入。国家機密の情報なども少なくないため、大罪中の大罪。大人数の王国警備隊が力を貸してくれる。研究所の各所を徹底的に捜査する警備隊。犯人の痕跡を科学や魔法を使い痕跡を洗う。


 しかしながら、その努力に未だに何も結びついていない。俺が起きてから、数時間経ったが、手掛かりが何一つ出てこないのだ。


 それが全くの謎だった。

 うちは国立研究所だ。国家秘密レベルの秘匿物と、それに伴うデータの管理体制がある。

 まず、研究所の出入りは魔力登録が必要だ。登録外の人間を弾く様に編まれた結界がある。結界は、結界を専門とする魔術師と、安全保障として俺自身も魔法陣を編んだ。その結界は、メイに「私でも結界を潜るのに数時間かかる」と言わるほどの出来栄えだった。構造の全てを理解していない魔術師が解くのは不可能に近い。それなのに、どういう方法で研究所に入ったのか。


「こんなに何も出ないなんて……まるで神業じゃないか……」


 操作中に警備隊が呟いた。

『神業』――近くにいた警備隊長が呟いたその言葉が、推理を生み出した。あったじゃないか、今回の事件に犯人の手の中には。一番身近で、簡単な、神業が。隣いる警備隊長に興奮のまま声をかける。


「警備隊長。一つの仮説があります」

「何ィ!?本当ですかな、室長殿!」

「まず、今回の被害は俺と資料だけではありません。成就の杯です。願えば叶う万能の杯が盗まれました。そして王都の警備隊がここまでやって何も出ないであれば、犯人は“願った”可能性があります。例えば、痕跡を消したい――等と。」

「……なるほど!それはあり得ますな!……では、手の施しようがありませんか!?」

「いや、逆です。“成就の杯”を使った事こそ証拠になります。」


 着目するべきは、どうして使えたのかという点になる。

 そもそも成就の杯は今年の春に発見された神器。犯人はいつ俺の体内にあることを知り、成就の杯との契約の呪文を知るに至ったか。

 単純に知る機会があったのは、俺の講義になる。


 警備隊長に説明をい、そこに該当する人物を探すように指示をする。的を絞れたのであれば警備隊の操作能力に任せるのが一番の近見だ。

 警備隊長の曇っていた顔は、打って変わって明るくなった。俺の話を聞くや否や自らの部下を呼び寄せ、警備隊員に指示を出している。


 一息をつく。

 椅子に腰を掛ける。解決したわけではない。それでも、何もない状態から手がかりを一つ見つけることができたことは、偉大なる進歩であると思った。その事実に安堵した。

 思考を止め、瞼を閉じる。ふとした瞬間、彼女の事を考えてしまう。メイは一体、何に巻き込まれたのか。性分的にすき好んだ表現ではないが、嫌な予感を感じている。ずっと、心が休まることはない。


 椅子の背もたれに身を預けていると、警備隊の一人が研究所の入り口から本部の方へ駆けて来る。キョロキョロと目的の人を探し、そして見つけてその人に駆け寄っていった。その様子から尋常ではないことを察し、俺は椅子から立ち上がると警備隊長の近く行く。


「警備隊長!至急、お耳に入れたいことが!……えと、この人は……」

「俺のことは気にしないでください。それで何か?」


 気まずそうな警備隊員。隊長が説明よりも前に説明を促す。


「ま、街中で、大変なことが起きています!その、奇天烈なことばかりで……なんと、表現すればよいか……!」

「なんだそのあやふやな報告は!まとめなくて良いから、事実を述べよ!」

「ええっと、湯水のように金や食品が溢れかえり、同じ人間が大量にいたり、暴力沙汰、等々!警備隊が民衆を抑えようとしておりますが、数が多く……!」

「意味が分からんぞ!そんな悪夢みたいな事……!!」


 無秩序なことが起きている。自分が想定している中で、最低な考えが過る。“成就の杯”を持ち出した犯人が目的は分からないが、残り89回の“願い”を使用していたら――。



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「願います。龍様、“起きてください”」


 再び目が覚める。

 目の前にはさっきの金髪の男。同じ様に腰を掛けて杯を大事そうに抱えている。今回は寝転んでいるのではなく、私も向かいに腰を掛けている様な目線の高さだった。横目で窓の方を見るとカーテンの隙間から見えるのは、太陽の光だ。私の意識がない間に夜が明けていた。

 今回の停止から覚醒までは、システム的に起きたものではない。証拠に杯は同じ様に男の手にあるのだから。停止までの記憶を呼び起こす。私の意識は強制的に停止させられていた。杯の“願い”まで使って。


 この男への本能的な恐怖も慣れて来ていた。“願い”で私を停止までしてこの男は何をしたいのか、馬車に乗って何処に行っているのか、そもそも何故この男が杯を持っているのか、テオドアや研究所の人々に何もしていないだろうな、等と考えても理解ができない状況が長く続いている。恐怖は既に消え失せ、現状の理不尽さから眉間に力が入り苛立ちを隠せないでいた。

 男はそんな私の不機嫌さを察することない。ニコニコとしながら話かけてくる。


「ねぇ、龍様。僕は頑張ったのですよ。龍様の肩の刻印を見てください……ね?満ちているでしょう?僕、たくさん困っている人の話を聞いて叶えてあげたのです。『お金が欲しい』『美しくなりたい』『あいつを殴りたい』……いっぱい、いっぱい、叶えました。その結果、あと3回くらいですかね?ふふ、もうすぐですね龍様。報われますね、龍様。僕も待ち遠しいです」

「ねぇ、龍様。この世の中って不平等だと思いませんか?僕は生まれながら大衆に排他されてきたのです。僕の遠い先祖たちは、神の背徳者とかなんとかで……それと僕に何の関係があるのでしょうか。それが、僕が殴られ、物を買えない理由になるのでしょうか。あぁ、不平等です」


「ねぇ、龍様」

「ねぇ、龍様」

「ねぇ、龍様」


 男は独白を続ける。『ねぇ、龍様』とつける癖に私の理解は、反応は必要ない。自分が話したいだけなのだ。陰鬱とした内容を淡々と。流石に話を聞くに堪えない。


「ああああ!!もう!そんなに一方的に喋らないでください!!喋るなら私の話も聞きなさい!!!!」


 我慢の限界だ。男の眼前で大声を出す。立ち上がり腕を組んで、これでもか!と怒っている態度をとる。私の体感では男と数時間しか共にしていないが、相手は少々鈍い様に思った。そのため、あからさまに表現した。

 男は目をぱちくりさせる。『あぁ、ごめんなさい。僕ったらつい……』と、頭を下げてしょぼくれた声を出した。こうなれば形勢逆転だ。不安……もといい不満を爆発させる。


「そもそも!今、私たちはどこに向かっているのですか?」

「あぁ……すみません。説明、していませんでしたか……」


 男が黙ってしまった。違う、求めているのは沈黙ではなく回答。私は頭を下げている男の頬を掬い上げ、立っている私の目線に無理やり合わせた。男はその黒の瞳を揺らし、純粋に困っている様な印象。「説明!」と求めている物を口にして促す。



「あ、えと、ラビア島に行きたくて……港へ行っています、です」

「あの無人島ですか!?……あそこには何もないですよ?」

「そうなんですよ!あそこには何もないんです!!」


 さっきまでの鬱々とした態度を突如に変え、自らも席を立ち男は私の手に自分の手を重ねてくる。手の甲から、指と指の間に自分の指割り入れ、それはまるで逃がさないと言う意思にも思えた。理由不明の、恐怖が背中を走る。後ろに身を引こうとするが、手のせいで距離は限られる。


「なぜ何もないか、知っていますか?」

「無人島だから、ではないのですか……?」

「あいつはあの島、何円か前に面白くって。近辺をたくさんの人が調べたのです。僕も何度も調べに行きました。そうしていたら、あったのですよ!」


 調査に同行できると言えば、研究者か、と思う。

 男は生唾を飲んで一拍置いてから答えた。


「あの島の海底に、壊されていた古びた家々が、石でできた神殿が、そして人骨がたくさんあったのです!」


 男が瞳を三日月の様に歪める。白い頬にほんのりとした紅色、楽しさで興奮している様だ。脳内で警報音が鳴る。自分にとってこの先の話は良くない物だと唸る頭。それらは、顔に出ていただろう。混乱する私が嬉しいのか、いや話すこと自体が嬉しいのか判別は付かないが、私とは真逆に男は表情を明るくしていく。


「あの海底にあったのは街でした。それも今の王都と変わらないほど当時では繁栄していた割と大きな街でした。状態を見るに、あの一帯は陸地でしたが、すべて沈んだのです。」


 男が私の手を指で撫でる。愛おしそうに、ゆっくりと。


「骨の量から見るに犠牲者多いので、恐らく突然全て沈みました。大地震にしては局地的すぎる。……では、そこで何があったと思いますか?」

「わ、わかりません。」

「大正解です!そうです、今の貴女は知らないのです!」


 何が大正解なのか、理解ができない。しかしながら、男のボルテージは上がった。

 男は自分の頬に合った手を、私の手ごと自分の胸元に下ろすし、私の手首を強く掴む。その華奢な腕にそれほどの力があったのか不自然なほど痛く、強く掴む。今の状況と、狭く小さな馬車の客室がより一層逃げ場なさを強調し、足先から冷たくなる感覚がした。


「忘れてしまっている記憶があります。……アルヴァん室長のレポートを見る限り、それを龍様は薄々気が付いていますよね?」

「……。」


 漆黒の瞳から目線を反らす。その反応が満足だったのか、手首を掴む力は一層強くなり「僕が教えてあげます。」と続けた。


「貴方は神龍である前、どんな存在で合ったと思いますか?」

「私は、龍です……。産まれてから今までその認識が揺らいだ事はありませ」

「何故、今、神龍ではなく龍と表現したのですか?」


 ずいっと男が発言を制する。


「な、何も、ただ口から出ただけで……」

「じゃあ、僕と一緒に見てみましょうよ。あなた自身も認識していない記憶を」


 身震いした。今までより一段と、本能が信号を放つ。危険、逃避せよ。私は男を退けようと刹那的に魔法陣を貼り魔法で吹き飛ばそうとする。

 しかし、魔法の行使は叶わなかった。男はすかさず、乞い"願う"。


「“願う”。僕達に見せて、真実を」



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 地獄だった。

 太陽が真上から傾き始めて来た頃。俺と警備隊長は、研究所から街へ急ぎ向かった。


 街に着くと、商店街の八百屋が目に入る。店主のレジから金が溢れ出て止まらない。どんどんと湧き出る金貨、紙幣に、店主が集め切れず地面に落ちるどころか広がっていく。その湧き出る金を大衆が拾う、拾う、拾う。我先に誰にも取られないように。

 次の角を曲がると、何かから逃げてきたような勢いの青年とぶつかった。目鼻立ちがはっきりしていたため目についた。次に、顔を隠そうとする先ほどの青年と同じ顔をした若者。その次に、またまた同じ顔をした背中が曲がった男性が、顔を手で隠しながら民家に走り入る。女性も、目が大きく小さな顔を隠そうとして慌てている。年齢はわからないが、同じ顔した女性が数人見える。ここ等は、男性と女性、性別だけ分かれているが、それぞれが同じ顔をしている。その人達が同じ顔が恥ずかしいのか、しきりに顔を隠して何かを探し回っている。「あいつはどこだ」と。

 王の宮殿前は特にひどかった。門が燃え、誰かが警備隊に押さえつけられている。その押さえられている人は、重さで抵抗できなくなっているだけでいまだに手足をバタつかせ今にも警備隊を薙ぎ払いそうだ。周りにいる人々も喧噪の嵐。言葉だけでなく、お互い目に入った人同士で殴り合っている。異質なのが、全員怪我や血は全く見せていない。怯むことなく、痛むこともなく、ただただ楽しそうに口を歪ませて殴り合いを続けている。

 まさに地獄だった。


 隣で事態によろめく警備隊長の肩を支える。手の施しようがない状況なのは言わずもがなであった。街中を見守るが、正気な民衆は警備隊を先頭に避難を始めており、非常事態に自ら動ける警備隊は、隊長の訓練の賜物と言わざるを得ない。ただ、根本を正すことはできず、対話をしようとも文字通り会話にならない。惨劇は呆然と見守る事しかできなかった。


 一同は裏路地に入りとりあえず一息つく。警備隊長は民家の壁にもたれ掛かり重い息を吐いた。その息は城下町の暴動や“成就の杯”強盗事件等の抱える問題が起因なのは明らかだ。そんな警備隊長に周りにいる数人の警備員達も、不安を隠せていない表情。重い空気の中、通信機が鳴った。俺は急ぎ通信機を取る。


「室長、犯人について報告です。室長に言われた通り、春以降から事件が起きるまでで講義に参加した人物の魔力を探知しました。その中で、一人だけ未だに所在が検知できていない人がいます!その人物は――――――」


 興奮した研究員から名前を告げられる。その人物には覚えがあった。


「――彼、か。」


 その人物であれば、印象的だったため記憶に残っている。講義に参加するのは理解できる。だが、小さな教会の質疑応答まで来るような人物だった。

 そして、最近は海底で滅びた都市が発見されたラビア島のレポートを良く書いていた。その内容は大学生にしては大変優秀であった。しかしながら、未知に対する情熱だけでなく、執念深い何かを感じていた。そんな彼が成就の杯を盗んだという事であれば、彼はメイを連れてあの島に行くのではないかと考えが行きついた。

 警備隊長にそのことを告げ、港へ向かう事を伝える。


「進展の共有、感謝します室長殿!ならば急がねば……早馬を用意させます!」

「警備隊長。馬の用意は不要です。」


 足元に魔法陣を展開させる。陣の範囲を警備隊長と警備員の足元にも行き届く様に広げた。陣の中に命令式を書き足す。その式は、魔術を少しでも勉強したことのある者なら一目瞭然の命令。


「し、室長殿!?それは――!!!」


 王都には魔法に関する法律がいくつかある。その中の一つに『第〇〇条――王都内で転移魔法を禁ずる。』という法がある。

 法定の起因は、単純に転移魔法は事故が多かったからだ。巻き込み転移、転移先でのトラブル、そして転移失敗……等々数々あった。俺は自分の口元に人差し指を当てた。


「――緊急事態ですから。今から見るものを大目に見ていただきたい。」


 警備隊たちは自らを護る様に防御魔法を発動させ己に纏う。転移魔法の失敗の一例に、身構える理由の事例がある。転移先に下半身、転移元に上半身が残ったという人体切断だ。そんな事件が起きた魔法に対し、恐怖を覚えるのは無理もない。それも取り越し苦労に終わる。

 魔力を一気に込めて。転移魔法を発動する。



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 少し浮遊感を味わった後、すぐに地面に足を下ろす。城下町での石畳地面ではなく、砂と水そして魔力で編まれた真っ平な地面。

 警備隊員らが強く瞑った目をゆっくり開ける。全員、五体満足の状態を確認し、眼前に広がる海を見て安堵の様子を見せた。

 港の辺りを見渡す。思惑通り、念願を見つけた。今にも停泊している船に乗り込もうとする、彼女に駆け寄る。


「メイ!!」


 人生においてこれほど大きな声を出しただろうか。渇望した彼女の名前を呼ぶ。白銀の髪をなびかせ振り返るメイ。その顔はいつもの凛とした美しい表情ではなく、曇りがかった瞳が目に入る。とたん、胸が痛くなった。


「テオドア……」


 か細い声で名前を呼ばれる。いつもその鈴の音の声に跳ねる心臓も今はいたって冷静である。理由は隣に立つ男の存在。男は彼女の手を引き、彼女と俺の間に入る。


「初めまして、アルヴァン室長」


 ――ウィリアム・オルソン。

 彼女の手を引いている左手とは反対に、右手には“成就の杯”がある。彼を睨みながら対話を試みる。


「現行犯といったところか大罪人。君の処遇は重いぞ」

「ふふ、あぁ怖い。では捕まらないように逃げないと、ですね」


 虫唾が走る。彼女の肩の刻印が赤黒く光っている。無理やりに願いを使ったのだろう。その事にもそうだが、彼は左手で自分の口元少し隠した。一般的に上品な仕草だが、その左手には彼女の手が重なっている。それを口元に――腹が立つどころの話ではない。自分の眉間に皺が寄る。

 ――そんな事とは片付けられないが、それよりも最も重大なことがある。


「メイに、何かしたのか。」


 いつもの彼女から感じる力強さ、それがない。黙って、何かをずっと考えている。そこには、ウィリアム・オルソンが何かをしたとしか思えない。


「真実を一緒に見たのですよ。」

「真実?」

「杯と一緒に拝借したレポートを見る限り、アルヴァン室長も気づいていたのですよね?龍様の成り立ちが異質だって」


 持ち去られたレポートは彼女の出自についての研究。それをもとに考察した内容の物だ。


 白竜をみた。東の国では白竜という龍種が存在するが、東の国以外では確認書記はない。反対に、東の国の書記では神龍や成就の杯の伝記が一切ない。仮説として、白竜ではなく、それは何かの幼体であった可能性が考えられる。

 また、神龍とは現代訳から『神の様な龍』の意味を成している。古代語では『神の物の龍』つまり、神の隷属たる龍とも訳せる。


 ラビア島周辺には海底に沈んだ都市がある。海底の神殿では、西部諸国に広く信仰されている神の姿が描かれていた。だが、街の中心部の外れの一層壊れている一つの神殿では、魔法陣の痕跡と、石板を見つけた。魔法陣は痛み切って解読は不可能だった。その石板には、他に描かれている神とは違う絵が描かれていた。黒い何か。形容しがたい物体。燃える街々。逃げる人々。


 一説。古代西部の都市にて何かが信仰されていた。外れにあることから主教とは別の異教と思われる。その異教は召喚術を行使した。そこで龍の元となる何かが召喚される。それが天変地異を起こし、都市のある地方ごと海に沈めた。その龍の死後、神が作りし“成就の杯”の力をその身に宿した。それが今の“成就の杯の龍”である可能性がある。


「――僕たちはその仮説が正しいのか、“願って”確かめたのですよ。」


 男はメイの方を見る。それは愛おしい母親を見る様に。


「ねぇ、邪龍様?」

「ッ!…………わ、わたしは……ッ!」


 メイがひどく動揺している。杯がもたらすのは“成就”だ。本当に成就の杯に真実を願ったのであれば、メイが“邪龍”という存在なのは真実だろう。だからこそ、その真実が望んでいた形でないのだとすれば、彼女がとても痛ましい。


「かわいそうですよねぇ……。邪龍様は、神様に殺されちゃったのです。そして、中身まで別の物を入れられて……」

「……」

「だから!だからだから、僕が元に戻してあげます!ラビア島に行って、元の邪龍に戻って、本来の歴史に!一緒に返りましょう?」


 ウィリアム・オルソンがメイを強く引っ張る。白銀の長髪が顔にかかりしっかり表情は見えないが、そこにいるのはどう見ても恐怖に怯えている彼女だ。

 様子見の時間は終わった。俺は無数に魔法陣を出現させる。そこから確実に攻撃できる魔法を思いつく限り、大量に引っ張り出す。炎、氷、雷、風、何でも良い。彼女をこれ以上、傷つけたくない。


 今のいままで息を吞んでいた警備隊長が声を荒げる。「それは死んでしまう!」耳には届いていたが、衝動は止められなかった。

 ウィリアム・オルソンは、出航前の船を見てため息をつく。


「あーあ。せっかくの買ったのに無駄になってしまいました。まぁ、でもいいでしょう。”願い”ます、僕が望む場所へ連れて行ってください。」


 冷静さを欠いていた。

 ウィリアム・オルソンの右手にある杯が光る。魔法が当たり広くえぐり取られた地面には奴の姿はなかった。杯の事が頭から抜けており、思わず舌打ちが出る。

 忽然と姿を消した場所を警備隊員たちが囲んで、一応海に落ちたのか等を確認している様だ。縮こまった警備隊長が「室長殿」と、俺に話しかける。何かを言いたげな顔だったが、その意思を無視する。


「先に謝ります。」

「……い、いや犯人を捕まえる我々の責務であって、逃がしてしまったのも我々が」

「いや、そこではなく。これからの事です。」


 また転移魔法の魔法陣を展開させる。遠くにいる警備隊員を呼び寄せるもの面倒なので、範囲に入るほどの大きな魔法陣。


「い、いけません!島まで遠すぎて絶対魔力が足りません!あと、展開範囲が広すぎます!失礼ですが、もうめちゃくちゃですよ!!」


 ごちゃごちゃうるさい。自分の右耳の赤色の宝石が入ったピアスを潰す。


「室長殿!室長、殿……!?何をしたのですか!ま、魔力量が倍以上に……!?」


 黙って魔法を行使する。こっちはもう頭に来ているのだ。メイを連れ帰る。そして警備隊に奴を引き渡す。それまで好き勝手やってやる。港に来た時と同じ――いや、それ以上の巨大な光が港を包んだ。



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 鳥の声が響く。

 ここが、私が滅ぼした土地の一部。海底に沈んだ地域の巍然たる山の一角。この地域にもたくさんの人間の生活があった。それを、自分は――。“成就の杯”が見せた真実の地獄に、経験した吐き気を思い出す。


「邪龍様、最後の願いは何がいいですか?邪龍様は“願え”ないでしょう?だから僕が代わりに願いますよ」


 男が子供の様に微笑む。考える事は他にもあるのだが真っ先に浮かんだのは、この男に夕焼けは似合わない。沈みゆく太陽の綺麗で明るい光景に不相応だ。邪念を振り払い我に返る。

 肩の刻印は満ち満ちていた。起爆装置のように見えて仕方がない。そして、起爆はこの男が行うのだろう。回答をしてもそれは叶えられず、質問は私に対する嫌がらせなのだろう。不快に思った。疲弊していた心が、当たりを強くさせる。


「それこそ、貴方の目的の邪龍に戻せばいいじゃないですか」

「そんなことしたら、邪龍に戻るのが僕の“願い”になってしまうじゃないですか」


 その通り。他のない回答だ。


「それは、僕がもたらした滅びになってしまいます。違うのです、僕は邪龍様に全てを滅ぼしてほしいのです」

「……貴方のせいではなく私が手にかけた、としたいと」

「んー……。少し違います。邪龍様の滅びに人間や神の意思はない。自然の終焉です。本質的な、滅び。それが欲しいのです」


 この男と一日近く一緒にいたが何一つわからない。根本として何かが壊れている。この男について考えるだけ時間の無駄だと感じた。自分には他に考えるべきことがある。

 私は邪龍だった。行ったのは大虐殺。海底に沈めただけでない。沈める前に都市にいた生命を舐り、咀嚼し、飲み込んでいた。龍は食事を必要としない、食する振りをして意味のない行為で。怒もない、哀しみもない。喜びもない。そこにあったのは、無のままに暴れ回り繁栄した都市を海底に沈めた邪龍。

 そして案の定、神とそして人々に討伐された。それで良かったと思う。それなのに、神は私を神龍として作り変えた。“成就の杯”を与えられた。

 私は本質である邪龍なのか。それとも新生した神龍なのか。この思考を巡らせているのは、――誰だ。


「メイ」


 疲労の余りテオドアの声の幻聴がした。こう考えると、私は彼を疲労回復の作用があると思っているのか。笑えるものだ。出会った当初、彼のまっすぐな愛情は怖かったはずだ。だって今思い返しても、テオドアがおかしいかった。でも、そんな可笑しくて、優しくて、大切にしてくれる彼の感情が、どんどんと居心地よくなっていたのか。


「メイ!!」

「テオドア……って、あ……え?」


 出会ったあの日のように。ずんずんと砂浜を力強く歩いてくる。本当にテオドアが来た。幻聴ではなかったのか……と安堵したのも束の間。異常な光景に言葉が詰まった。

 彼は、背に数十個の魔法陣を展開させ、ずんずんと行進してきているのだ。属性の統一性はないが全て上級攻撃魔法の魔法陣。こんなものを背負って、どこかの戦争でも終わらせに行くのかと思う。

 彼の周りにいる王国の警備隊員たちも「早まるな!」「殺しだけは黙認できません!」等と思い思い必死に彼を止めようとしている。魔術が盛んだった時代でも、彼の様に数十個の魔法陣を背負う事の出来る魔術師はあまりいなかっただろう。

 殺意の塊の彼を止めなくては、この島はなくなってしまう。それが第一優先行動となり、マイナスな思考は何処かへ行っていた。


「テ、テオドア!落ち着いてください!ほら!私はこの通り、ほら!とっても元気いっぱいですよ~~!」

「奴はどこだ」


 今にもガルルと唸りそうなテオドア。私以外に対しては基本理性的だったが、こんなにも感情を爆発させるとは……。

 彼に近付こうとするが腕を引かれた。


「ウィリアム……」

「アルヴァン室長、ご足労いただいきありがとうございます」


 テオドアの魔法陣が光を増す。ウィリアムはそれを見て「うーん」と悩むふりをした。


「それ、当たっちゃうと、痛いですよね。嫌ですね……じゃあこうしましょうか。願います『この場において魔法の行使は不可としてください』」


 テオドアの背後の魔法は消滅した。大きく舌打ちする。そんなテオドアが愉快だったのか、ウィリアムは笑う。


「ねぇ、邪龍様。肩の刻印、見てください。」


 顔から血の気が引く。震える身体が抑えられない。恐れながら、刻印を見ると、ウィリアムの言う通り、それは満たされていた。

 またウィリアムは笑う。今度は砂浜を飛び跳ねて、笑って見せる。


「世界の命運。委ねちゃいましょう。」


 身体が熱い。経験したことがある熱さ。これは――――仮の器を破ろうとしている。今わかることは、このまま解き放てば楽になれる事。身体の奥底がそれを求めている事。


「あ、ああ、あああああああ!!!!」

「メイ!!!!」


 テオドアが私に近付こうとしている「こないで!!!!」。それを制した。この場で一番信用できないのは私。そんなものの近く貴方は置けない。

 抑えているが、刻一刻と身体が熱くなる。魔力が溢れ出るのを止められない。情けなくて、涙が止まらなくなった。


「…………私は、もう、どうしていいのでしょうか。私は何者なのでしょうか。何が償いになるのでしょうか。私がやってきたことは、罰だったのでしょうか」


 甘い誘惑が囁く。


「大丈夫。そんなに、難しく考えないでください。貴女だけが背負う必要はないんです。みんなが平等になればいいんですよ。死をもって平等になればいいんです。結局、みんないずれは無になるんです。それを早めるだけ、考える必要はありません。思考を止めて本性に委ねて」


 身体の奥が一際、跳ねた。

 私は邪龍――――もうそれいい。抗う事に疲れた。目をゆっくり、閉じる。


「――メイ!!聞け!!!!」


 喧しい声。入眠を邪魔される。


「……君に問う。何故、今この瞬間に結論が必要なのか」

「…………」


 男は言う「質問を変えよう」。そして、ゆっくり口を開く。


「君は今すぐにプリンを食べるのか」


 ………………………………プリン?


「今の君はプリンが食べたいからスプーンを手にしたのではない。スプーンを手にしたからプリンを食べようとしているのだ」

「そう、スプーンを手にしただけに過ぎない。君が今やろうとしているのは、見るからに未完成なプリンもどきを、スプーンがあるから食べようとしている」


「何を言っているんだ」

「……アルヴァン室長?」


 男以外の者がざわざわと騒がしくなってきた。私の頭もガンガンと何かが鳴り響いている。うるさい、うるさい。


「今すぐ食べる必要はない。未完成なら完成させてから食べればいい。勿論、俺も一緒に作り上げよう」

「…………つまるところ?」


 肩で息をする。今のは口が勝手に動き、出た言葉だ。聞くな、やめろ。


「……つまるところ、俺との愛はまだ続いている」


 ……腹が動く、やめろ。それをやめろ!!!楽そうにするな!!私は邪龍だ!!メイではない!!だから今すぐその動きをやめろ!!!!


「あと、君にはいっていなかったが、俺はプリンを作れるようになった」


 ――――ぜんぶがぜんぶ。いみがわからない。決壊する。これが誰にも測れない。テオドア・アルヴァンなのだ。


「……っぷ、あははは!!!!……貴方はそうでしたね、テオドア」


 笑いで涙が出る。それを拭っていると、テオドアに強く抱きしめられた。私も彼の背中に手をまわした。彼の体温が心地よかった。それを堪能し満足すると、引き離す。テオドア以外とも、向き合わなければならないからだ。


「ウィリアム。あなたの話は私によって魅力的でした。私は中途半端です。知らない顔もできないし、だからと言って死を以て償うことも――怖くてできない。だから、何もかも考えないのが魅力的だったのです」


 今でも声を傾けると邪龍の甘言に身を任せたくなる。でもそれでは。


「――いつまで経ってもプリンは出てきませんね。私には今時間が必要です。人々の営みを奪った邪龍として、神の奴隷の神龍として、そしてシェンメイとして、精一杯向き合って考えます」

「邪龍様のお答え、分かりました。それがお望みならば」


 ウィリアムは微笑み警備隊の方へ自ら進んだ。そして両手を差し出す。

 警備隊は、底の知れないウィリアムを気持ち悪がりながらも彼の両手に手錠をかける。そして、テオドアとメイを二人きりにしようという粋な計らいで、ウィリアムを二人から離れたところへ連れていった。

 道中ウィリアムは呟く。


「僕は龍様を信じています。龍様は無にしてくれます。だから、いつだって良いんです。無に還るのは」


 ウィリアムを見送ったあと、メイはテオドアから離れる。


「テオドアから後は頼みましたよ」

「――あぁ」


 寂しそうな顔をするテオドア。此処からどうなるのか、確立されていない。だから、不安がいっぱいでそんな顔をしているのだろうと予想できる。そんなテオドアをこれ以上心配させないように、精一杯、明るく元気に詠唱する


「成就の杯よ、聞きなさい!私はシェンメイとして願います。『私は時間が欲しい』」


「メイ!」とテオドアの叫ぶ声を最後に、私は意識を停止させた。



 ・

 ・

 ・



 早朝。

「ギャーーーーーーーーーー!!!!」


 自宅の鏡の前で悲鳴を上げた。今日は休日。テオドアはまだ布団の中で寝ている。が、そんなものは関係ない。問答無用で叩き起こす。


「テオドア!起きなさい、テオドア!!」

「……メイ?」


 テオドアは眠い目を擦り、眼をしょぼしょぼさせている。


「~~~~あなたよくもやってくれましたねッ!!これ消えないんですよ!!というか!!こんな事、書かずとも!!こっちは元よりそのつもりでしたが!!!!」


 自分の肩を彼に見せる。肩の刻印は前の印ではない。新しい印になっている。それに気づいたのは、この間の騒動から、一週間経った後――つまり、今日だった。


「…………肩の刻印か?君が成就の杯に願った後、気が付いたらそうなっていた」

「え」

「それが?」

「……え!?テオドアが書いたわけではないのですか!?」

「書くも何も……俺から見たらただの絵だが……それに意味があるのか?」

「それは……!それは、あー……」


 顔が赤くなっていくのを感じる。非常にまずいと思い退散を選ぶ。


「いや、まぁ、もういいですこれはこれで!」


 テオドアは私の上で掴んだ。寝起きなのに何という瞬発力。


「――――気になる。じっくり見せてほしい。いつの時代のどこの地方の文字だ?法則性は?類似している文字は……」


 後日、テオドアにしっかり解読されることになる。

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