第2話 こんな愛があるか


 これは少し前のお話。


 男は指輪をはめた。

 そして壁に書かれた古代語の『誓いの言葉』を申し上げる。


『私は、参の間を越えた』

『誘惑の三種。火、宝、果実』

『それらを知らず。それらに触れず』

『満ちた油を捨て、申す』


 最後の頼みの綱。


『出でて叶えろ、成就の杯』


 台座にある煤けた杯。それが呼応する。洞窟の一角が光に包まれた。

 次第に光は一点集まり形を作る。それは女の形になった。

 女は薄桃色の瞳を開き、男を見た。


「私は神龍。成就の杯の龍。」


 目の前の男へ、導くように手を差し伸べる。女の腕に着いた鈴が、リンと響く。


「指輪をはめし人間よ。願いを言え、その通りに叶えて見せよう」


 男は息を荒げてこう言った。


「俺に、キスしろ」


 洞窟にただの女の悲鳴が響いた。



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 私がシェンメイになる前のお話。

 最初の願いは『キス』だった。次の願いは『洞窟をマナで満たせ』、『入口をあけろ』。

 それらは神の龍たる私の手にかかれば簡単だった。地下をマナで満たし、入口の大岩を消して見せた。……キスは泣きながらした。舌を絡められ随分と持っていかれた。今後こんな性的なことを願われるのかとびくびくした。

 だが、彼はそんな願いはしなかった。むしろ願い自体あまり使用しなかった。

 彼は、機械的な人間だった。自分の目的遂行を第一にする人間性。他者に影響されない。よく言えば、芯が強い。悪く言えば、効率主義。冷酷。人の気持ちが分からない。変態。等。

 彼があの洞窟で成就の杯の契約者になってからの一ヶ月。その期間で彼の悪いところを味わった。


「君には羞恥心はないのか?現代では、君の服はおかしい。下着の様に最低限を隠しているだけだ。あとは透けている布に、装飾品。肌部分が多すぎると思う。あまり近くを歩かないでくれ。常軌を逸した人と思われたくない」


「君は睡眠、食事を必要としない。その身体は100%マナでできているからだ。それなのに何故、昼間と夜間に寝て、人間と同じ様に食べ物を身体に入れるんだ?……悦楽におぼれているのか?俗物的なんだな」


「は?初対面の時のキス?あれはマナ枯渇で死ぬ間際だったからだ。君に発情するはずがないだろう。もしかしてその気にさせたのか?あいにく、その手の話は不得手でな。欲求不満なら外で……いや、神龍の性行為は研究者として興味がある。他者と行為に及ぶときは、俺を呼んでくれ」


 不敬!不敬!不敬!

 腸が煮えくり返るとは、まさにこのこと。契約者でなければこんな人間、コテンパンに格の違いを見せつけてやるのに……。

 このような感じで、最初の相性はあまり良くなかったように思う。



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 馬車が目的地に着くのは早かった。

 テオドアは馬車を下りて大きな門を潜る。門の左隅に建屋があり、建屋の窓から警備員が覗いてきた。警備員は椅子に深く腰掛けていたが、テオドアを見るや否や、席を立ち大きな声でテオドアを迎え入れた。


「お、おかえりなさいませ!」


 ここは王都国立マナ研究所。テオドアの所属している研究所だ。

 研究所の大きな入り口を通る。鞄から名札を取り出す。受付に着くと取り出した名札を掲げて見せた。

 受付の女性は、もじもじとし「おかえりなさいませ、アルヴァン室長」と言う。それにテオドアは一礼だけし、通り抜けた。


 無機質で長い廊下を歩き、テオドアは自身の研究室に戻ってきた。デスクに腰掛けると資料を読み始める。私は霊体化を解き、彼に話かける。


「お疲れ様です」

「あぁ」


 私か気を遣える神龍。彼のデスクに魔法で紅茶を出してやる。彼は、ティーカップに注がれた紅茶をみて「ありがとう」と言葉にした。

 普段無表情で、無感情なテオドア。だからこそ、感謝を伝えられるだけでほほえましく思ってしまう。まるで、人に懐かない動物が与えた餌に食いつた様な感覚だ。

 疲れている、彼を見て改善案を話す。


「テオドアも魔法を使えますよね?馬車での移動ではなく転移の魔法で行き来すれば楽なのでは?」

「……確かに、魔法を使える。だが、マナが枯渇している現代――特にこの王都では、魔法の使用は制限されている。制御装置まであるくらいだ。俺の場合、このピアスが該当する」


 テオドアが自身の髪を耳にかける。すると耳朶に飾りがついていた。明かりの下に現れた赤い宝石は、煌めいた。それに不快感を抱く。魔力抑制するその装飾品は、自分は天敵のように感じた。

 私には信じられなかった。力を抑制させられるほど、魔術師は肩身の狭い思いをしているなんて。自分が存在していた時代では、魔術師は讃えられる存在だった。単純な疑問としてテオドアに投げかける。


「何故そこまでされているのですか?」

「魔法は魔力を使う。魔力はマナを大量消費する。なので、控えましょう。だそうだ」


 ピンとくるものがあった。あぁ、異端審問か。それは人間社会において時折発生する事象。神龍には人間事情はよく分からないが、まぁ不思議な事象だった。

 ふと、テオドアを見る。資料をデスクに置いていた。興が乗ってきたのだろうか――。私はわくわくした。彼の話は現代社会を知れてとても面白いからだ。会話する機会があまりないのを残念に思うほど、私は好きだった。彼が意地悪をしなければ。


「では、根本解決しましょう。テオドアが私に願えばいいのですよ。マナの枯渇解消を」

「何の考えなしに君に頼っていては、人類は滅びるだろうな」

「ふーん。では、マナを生み出す魔法を教えましょうか?これで、あらゆる物質をマナに変換するのです」

「それは出来れば苦労しない類の神業だ」


 テオドアはふふっと鼻で笑った。楽しそうなテオドアを見ると私も嬉しくなる。だが途端に静かになった。この部屋には二人しかいないため、少し無言になればそれが目立つ。


「テオドア、この研究室は貴方以外にいないのですか?」


 研究所を見ているとここは異質なのだ。偉い人には秘書の様な人がついている。また、研究室には複数の職員がおり、みなで一つの内容を研究している。それが基本のように思った。だがこの研究室で自分ら以外の人を見たことがない。

 私の投げかけた質問にテオドアの顔が強張る。あまり聞かれたくなかったことの様だ。


「少し前までもう一人いた。……気が付いたらいなくなっていた」

「人に興味なさすぎませんか……も~せっかく同種がたくさんいるのに。隣人も愛せ、ですよ」


 テオドアがデスクの資料を向き合い始めた。もう会話は十分らしい。彼が集中できるように霊体化して見守る事にした。



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 その日は家のリビングでいた。ソファーで寝転びここで読書をする。それが日課だ。

 今日はテオドアの書庫から、成就の杯に関する書物をとってきている。自分はどういう存在なのか。それは人間たちの研究でしか分からない。だからこそ読んで確認する。ある程度読んだところでテオドアから声をかけられる。


「そういえば、君に伝え忘れていたが……君に頼みごとがある」

「私に、ですか?」

「あぁ、君にだ」


 テオドアが珍しい。私に頼み事なんて初めてではないだろうか。身体を起こして本を置く。

 話を聞く姿勢はばっちりだ。


「俺の代わりに討論会に出てほしい」

「討論会?なんというか、そういうのはテオドアが好きな部類だと思っていました……」

「確かに嫌いではない」


 ということは好きな部類なのだろう。


「だが、少し喉をやられてな――そこで君にお願いしたい」

「でも私では役不足では……?」

「大丈夫だ」


 当日。

 テオドアの曖昧な一言でここまで来てしまったが、正直納得ができた。

 ここはとある教会。集まったのは教徒の皆様。そして今日は討論会でない。教会の講壇に立集まった皆様の質問に答える、そんな会だった。

 会を催したのは、教会運営だ。教会運営としては、成就の杯という神器を持つテオドアから神の話を聞きたかったのだろう。教徒のためか、実績のためは分からないが。

 だが、彼は神の専門家ではない。そして現実主義だ。教徒たちの質問にどんな返しをすればいいのか分からない。彼個人に依頼が来ていたのなら断っていた。ただ、今回は研究所上層部が直接依頼をしたのだ。これが教会という大きな団体のなせる業。結論。テオドアはこの依頼を断れなかった。

 そこで私が抜擢された訳か。確かに彼よりはそれっぽく話せる。いや、ぽいというか、実際崇められるような存在だし。


「神は貧しい者にいつになったらお恵みをくださるのかしら……」

「願うにはそれ相応の努力も必要です。神は見ていますよ」


「神様を感じたいのですがどうしたら」

「神は身近にいます。それに気づけるかはあなた次第です」


「神の存在をあなたが証明してくれるんでしょうか」

「みな、神の証明者です」


 私は借りた教会の衣装に袖を通り。神秘的に微笑む。そして、よりそれっぽくできるように、成就の杯を台座において場を盛り上げた。

 成就の杯は、契約者――つまり、テオドアと基本的に一体化している。それをテオドアから取り出して、久しぶりに日の目を浴びてやった。心なしかいつもより神々しく、輝いて見えた。

 当のテオドアは会衆席のその一番奥の隅で座っている。彼はマスクをし、いかにも風邪ですと風貌をアピールさせて、本を読み耽っている。その本は七、八冊積まれていた。彼はさぞかし楽しいだろう。


「それは成就の杯、ですよね?ではあなたは神龍様――ですか?」


 驚いて彼を見る。目の前の彼は、菜の花の色の髪の青年。髪が長く鼻のあたりまで来ているので、瞳があまり見えなかった。

 私が驚いたのは、その質問だ。えらく詳しい。成就の杯自体は書物になっているからいいとして、悲しいことに神龍の方は見る事はないだろう。テオドアの講義を受講した生徒かな、と過る。


「私は――」


 悩んだが。嘘を言う必要はまったくない。正直に答える。


「そう、私は成就の杯の龍、神龍です。契約者の願いを叶えるものです」

「わわっ、龍様、なのですね……。えと、僕、聞きたいことが合って、龍様は何故、願いを叶えるのでしょうか」


 彼からは尊敬の念を感じた。思い込みでは断じてない。どの神でも、そんな人から自分の事を聞かれて、答えないものはいない。勤勉な人間だ――と心から賞賛し応える。


「私が契約者の願いを叶える。そして、肩の刻印が満ちた時。私は報われるのです」

「報われる……?」

「……そうです。今まで存在していた事の理由が分かるのです」


 実際何が起こるのかよくわかっていない。だから、適当に答えた。


「よくわかりました。ありがとうございます。龍様。」


 青年がにっこり笑う。そして一礼をして去っていった。


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 やっとのお昼。

 教徒たちも会衆席で各々お昼を広げている。私は思いっきり背を伸ばした。身体的疲労はない。だが、精神的は別だ。しっかり疲れた。一番後ろを見ると、テオドアはまだ読書を楽しんでいた。


「テオドア、お昼ですよ」

「……もうそんな時間か、お疲れ様。昼食は君の好きな店に入ろう」


 彼は本を閉じて席を立ち上がる。相変わらずの無表情だが労う気持ちは伝わった。

 いざ昼食に行こうとした、その瞬間だった。


「動くな!手を上げろ!」


 黒服数十人が教室を囲う。黒服は兵隊のように精錬された動きで教会中に展開する。そして、出入口全てを封鎖した。

 教徒たちは非常事態に悲鳴を上げる。ある黒服が手に持っている武器から発砲音を放つ。音で威嚇し、「静かにしろ!」と言う。

 男が持つ武器に火の魔力を感じた。そして過去の戦場で嗅いだ火薬の匂い。筒状のそれに火薬があり、火をつけて小さな球を発射する仕組みのようだ。さながら小型の大砲。


「一人一人、この機械をつけろ!」


 黒服は慣れた手つきで、教会にいるすべての物に機械を配る。真っ黒で特に凹凸のないそれは、腕輪だった。銃を付けつけられた教徒たちを見れば、ここで行動するのは得策ではない。大人しく指示に従い腕輪を付ける。


「テオドア……?」


 黒服がのなかに、一人だけ目立つよう白い服を着ている女。その人が声を上げた。テオドアと私がいる方へ向かってくる。そして道中にフードを取り、顔を晒した。

 明らかになったのは女性の顔。顔色はあまり良くない、やつれた頬は病的に思えた。彼女はテオドアに向かって話かける。


「……シャトーレ・エゼカールか?」

「テオドア!あぁ、テオドア!!」


 彼女はテオドアに駆け寄り、彼の胸に飛び込む。テオドアは相変わらず無表情。どうやら知り合いの様だ。しばらくして、テオドアは彼女の肩を掴み引き剝がした。……それが、彼女の反感を買った。


「……なによその態度はッ!?恋人に対して!!!」


 衝撃だった。私は開いた口に手を当てる。テオドアに恋人がいるとは思わなかった。突然に始まる痴話喧嘩。今この教会にある緊迫した空気とはまだ別の緊迫感。見かねた黒服に一人が「お前!勝手なことをするな!!」と彼女の腕を掴む。


「離せ!!」


 そういっただけで黒服は吹き飛ばされる。それは明らかに魔法だった。近くにいた私とテオドアも近くにいるため飛ばされそうになる。だが、テオドアが私の肩を支えてくれて、何とか踏みとどまった。


「なに……その女…………」


 彼女はドロッとした禍々しい魔力を放出させる。あまりの魔力の濃さに驚いた。その魔力は、私がいた時代の魔術師のそれ。魔術に縁遠い教徒の一部は気絶してしまう程だった。

 それと、横目にテオドアを見る。彼は表情を崩さないでいた。


「その顔その顔その顔!!腹立たしい!貴方はいつもそうね!!……貴方から連絡が来たこともない!貴方と手も繋いだことない!キスもない!それ以上もない!!!なんで!?ねぇなんで!?」


「答えなさいよ!」と彼女が怒る。感情のまま彼女の魔力が垂れ流される。その魔力量は異質だった。現代のマナが薄い状況で、ここまで魔術師が生まれるとは。まさに天才のそれ……だが拭えない違和感がある。その違和感を考える前に、彼女が癇癪を起した。


「ああああああああああ!!!!テオドア、テオドア、テオドア!!早く答えなさい!!!!!!」


 黒服はみな教徒に小型の大砲を向ける。しっかりとした人質。これでは要求を呑むしかないだろう。

 テオドアは、一瞬だけ瞼を伏せる。そして、ゆっくり目を開いてこういった。


「――――したいと思わなかっただけだ」


 止めの一撃だった。


「……ああああ頭にきた!!全部壊す!!貴方なんていらない!!私には答えてくれる人がいるから!!どう!悔しい!?その人のためなら何でもできるの!!あなたは何もできなかったのに!お前は分かっていない!!愛がないのだ!!!異常者!!!馬鹿にするな!!!!!!!!」


 彼女が魔法陣を三つ展開させた。その陣は、全てでたらめでめちゃくちゃ。魔術に精通しているものなら瞬時にそれが分かるだろう。創作魔法。それに法則なんてない。魔法を発動する条件を満たしていない。

 だが、彼女がしている腕輪が赤く光る。それに呼応して、教会にいる者、全ての腕輪も光った。ギギギと異音を立てる。それらは、彼女のでたらめな魔法陣に向けて一本の光を放った。

 その瞬間、自分のマナが腕輪に吸われる。他の腕輪を付けた者たちも皆同じ状況だった。テオドアに地面に蹲り呼吸が荒くなっている。洞窟の時と同じだ。人間にはこの状況が危険なものと分かる。瞬時に魔法を行使する。それは雷。各人の腕に電気を流す。腕輪は静かになった。さっきまでの赤い光もなくなっており。人間たちは幾分かましにしている。

 しかし遅かった。光が魔法陣の式を補い完成する魔法陣。それを見て、まずいと思った。咄嗟に、教徒全員を覆うような盾の魔法を行使する。

 盾の魔法の上に崩れた教会の屋根が落下する。教会の屋根を破壊した衝撃。

 彼女のでたらめな魔法は発動したのだ。式にはこう書いてある『集めて混ざれ、悪魔の姿へ変えろ』

 彼女の身体は形が変えた。身体全てが黒く染まり、彼女だったものは大きくなり、教会の天井を突き破ったのだ。

 彼女はクラゲの形になった。無数の足は地面に突き刺さり、自然のマナを吸いあげる。そして、まだ肥大化を続けた。

 事はもう災害だった。このまま肥大化を続ければ、王国を飲み込む化け物になる。


「神龍……無事かッ!!」


 息も絶え絶えのテオドアが叫んだ。足元がふらふらなのにこちらに歩いて来ようとしている。


「無事です!ですが……このままでは!」


 私は無茶をするテオドアを見て、彼に近寄り支えた。それと同時に肥大化するクラゲを見て、背中に汗が伝う。


「神龍、君が本来の姿になれば……事態を収拾できるか?」


 テオドアから持ち掛けられる。私は「なるほど」と納得した。

 私は少しだけ自分の事で知っていることがある。それは洞窟の壁画に書かれていた事。壁画によれば、今の身体は龍の身を内包する器だという事。


「テオドア、きっと本当の私は最強です!」

「―――信じよう。君に願う。『龍になれ』!!」


 成就の杯が契約者の願いを叶える。


 鼓動がした。身体が熱い。変容していく自身の身体。仮の身体の制限はもうない。数秒後には、天高く舞っていた。その身は白竜。

 そのまま雲を突き抜ける。そして雷鳴を轟かせ雷をその身に宿して、一気にクラゲを貫いた。


 テオドアはその光景を「美しい」と思った。



 ・

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 龍から、人の形へ戻る。自分にあんなことができるなんて知らなかった。一つ理解する、私は龍なのだと胸を熱くした。


「神龍」


 テオドアが私を呼ぶ。彼を見ると未だふらつく様だった。急いで近づいて肩を支えた。クラゲは影一つ残っていない。私が貫いた。――さっきまでの高揚感が一気に覚める。力を持つ恐怖。一瞬だが身を震わせた。

 それに彼が気づいたのかは分からない。テオドアは私の肩を抱き「よくやった」といった。

 瓦礫から呻き声した。声の主はボロボロの彼女だった。


「テオ、ドア……」

「……シャトーレ」


 テオドアは彼女の横に座った。そして自身の膝に乗せ様態を確認する。


「奇跡的だな……。君は生きている。マナの枯渇そこまでひどくない様だ。だが、もう二度と、君は魔法を使えないだろう」


 テオドアが彼女の様態を伝える。軽蔑でも、発端の問いただしでもない。彼なりに彼女に寄り添った対応をしたのだ。そうすると彼女はうっすら微笑んで、こう答えた。


「……私の事、好きだった?」


 彼女を理解した。何処まで行ってもテオドアを好きだったのだ。それが痛いほど、わかった。

 テオドアは何も言わない。いや、言えないのだ。こんなボロボロになった彼女をこれ以上傷つけたくない。


「可哀そうな人」


 彼女にもう力はない。ぐったりと横たわった。



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 高かった日が落ち、夕陽が差し込む。

 教会は法の番人である王国警備部隊で溢れかえっていた。怪我人はいた。だが、奇跡的に死者は0名。逃げ遅れた数人の黒服と、意識がない彼女を粛々と連れていく。

 テオドアはしばらく警備隊と話していた。それから解放され、疲れた様子で私の横に座った。その疲れか顔から「大丈夫ですか」と聞くと、彼は「少し疲れた」と正直に答えた。

 事件の事を少し聞いた。黒服は外国から来た違法者で、所謂テロ集団である。また、女はカフェで働いていた社会人。いつもテオドアが退勤する時間になると、研究所の門前で彼を待ち伏せしていた。そして、テオドアは彼女の家までの一緒に帰っていた仲だったそうだ。だが、少し前から姿を見せなくなっていた、との事。


「あの人は、テオドアの恋人だったのですか」


 テオドアは少し黙って答える。


「……恋人になった覚えはない。いつの間にそう言われて、否定しなかっただけだ」


 深く息を吐く。弱った彼は本音を吐き出す。


「俺は愛が分からない」


 これがテオドアか。理解ができないからこそ知りたい。知りたいからこそ、一般的に見れば異常だが、それでも好意を伝えてきてくれた彼女と彼なり仲良くなろうとしていた。それはつまり。


「愛そうとしたのですね、彼女を」

「……それも失敗し、一人の人生を狂わせてしまった。俺には一生理解できない領域の様だな」


 自傷気味に笑うテオドア。


「貴方はまだ過程です。結果はまだ先でしょう?」

「…………そうかもな」


 テオドアは警備隊に呼ばれて、再び向かう。事情聴取を終えると、二人は帰路に着いた。



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「痛い」


 テオドアは、ぼそりと呟いた。

 初夏とは言え、日が落ちるのも早い。森が一層暗くなった夜。ベッドサイドテーブルに乗った小さな橙色の電球だけが、この部屋を可愛らしく照らしている。そんな明かりは彼の背中は照らす。


「当たり前ですよ!治癒魔法と言っても、骨を引っ付けているんですから」


 彼の肩は大きく腫れ上がり欝血していた。昼間の騒動で、子供を庇って落ちてきた瓦礫で怪我をしたのだという。

 流石に呆れてため息が出る。その誇らしい行為に対してではない。こんな大きな怪我を私が見つけるまで、じっと黙っていたことに呆れているのだ。


 数時間前、彼がいつまで経っても風呂場から出てこなかった。長湯をする方ではない彼を心配して、罪の意識を感じながら風呂をちらりと覗く。私は悲鳴を上げた。彼は脂汗をかきながら、大きくなった肩を冷水で冷やしていたのだ。

「問題ない」と言い張る彼を無理やり風呂から出して、彼の部屋のベッドまで運び今に至る。曰く、明日になったら医者に診てもらおうと思っていた。今は我慢すればいいだけだから言わなかった。と、すまし顔で述べた。呆れる以外、他にない。


「もう痛みは治まった」


 彼の横顔を見る。顔色も随分ましになっていた。肩の腫れも治まってきており、その言葉を信じて魔法を肩から下げる。念のためと、医療箱から持ってきた湿布を彼の患部に貼り治療は終わりとした。だが、人間の身体は脆い。明日医者に診てもらう事を約束した。


 沈黙が流れる静かな部屋。窓から、ホーホーとアオバズクの鳴き声が聞こえる。私は鳥の声を聞きながら、散らかしたタオルや医療器具達を片す。


「神龍」

「どうしました?」

「こっちに、きてくれ」


 片付けの手を止め、彼を見る。夜風で黒髪が揺れ、琥珀の瞳が見え隠れしている。いつもの無表情のテオドア。感情が全く読み取れないが、言われた通りにした。

 少し硬いベッドの縁に腰を下ろす。自分の白銀の髪がベッドに溜まる。それらを踏まないようにして、テオドアは腰を浮かしこちらに近付いてきた。

 近い、とは思った。私の背中に彼の立てた足が当たる。もう片方の足は、ベッドサイドから外にほりだしている様子。結果、彼の開いた両足の間に私が座っている状態である。流石に小首を傾げた。

 そんな私の所作を無視し、彼は息を吸い込んだ。そして、吐き出す。


「俺は君と恋愛をしてみたい」


 理解ができず、「えっと?」と聞き返す。


「俺は愛が分からない。その原因は、経験がないからだ。」


 テオドアの瞳が本心であると告げている。


「だから考えた。一度無理やりにでも、経験をしてみるのはどうだろうか、と」


 そしてテオドアは指輪に視線を落とした。私はその指を誰よりもよく知っている。

 成就の杯の指輪。装備者は願いを叶える事ができる。……嫌な予感が駆け巡る。


「な、何を言っているんですか~。そもそも、私は神龍です!人間ではありませんよ~」


 陽気に彼を説得する。だが、指輪を見るテオドアの瞳は座りに座りきっている。

 本能的に背を引き距離を取ろうとした。しかし、背にある彼の足が、撤退を許さない。そして追撃するように、彼は私の手を取る。四肢は彼に捕えられたのだ。


「俺は魔法を愛している。だから、魔法生物の君であれば……愛せる、気がする」


 テオドアは私の手にキスをする。それがどの様な意味を持つのかは分からない。何はともあれ、止めなければまずい。


「いやいやいや!愛はそんな簡単ではないですよ!たぶん!」

「諦めるなと背中を押したのは君だろう」


『貴方はまだ過程です。結果はまだ先でしょう?』馬鹿な自分の言葉を思い出す。

 指輪が光を放つ。その光に部屋の中は、私たちの影で埋め尽くされる。非常にまずい。止めようと手を伸ばすが、時は既に遅い。


「君に願う。俺に愛を教えてくれ」


 反射的に目を閉じる。一層輝きを増して、目の前が真っ白になった。

 数秒後。光が小さくなるのを瞼の裏から感じた。ゆっくりと目を開く。同じタイミングで目を開けたテオドアと目が合う。彼は二、三、瞬きをした。そして、変わらず無表情だった。


 願いは具体的であるべきだ。成就の杯は万能だが、結論をしっかりと持っていない曖昧な祈りであれば、願望を正しく叶えられない事もあるだろう。

 結果を見るに、失敗したと思った。テオドアは相変わらずだし。呆れてため息が出る。強張っていた力も一緒に脱力させた。


「も~~!抽象的なことを願うと、こんな感じでおかしくなるんですよ!」

「……あぁ。」

「いや、あぁじゃないです。大体テオドアは」


 私の言葉が途中で止まった。左手で肩を引かれたのだ。脱力していた身体は、そのまま彼の方へ倒れ込む。胸に、きめ細かな素肌に、私の頬が衝突した。彼は上裸だった。それもそうだ、さっきまで治療をしていたのだから。

 彼の顔が私の頭の方にある。埋めているのか頭皮で直に彼を感じた。そしてテオドアはゆっくりと息を吸い込み、熱っぽい息を吐く。

 事態に理解が追いつかない。


「なになになになに!?!?!」と彼の胸を押し退けようとする。びくともしない。どこにこんな力があったのか。


「君は、こんな匂いをしていたんだな……」

「君に触れたい。もっと深く感じたい。今その気持ちしかない」

「これが――愛?」


 怒涛のテオドアさん。

 溜まらず大声を上げた。


「こんな愛があるか~~~~~!!!!!」

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