共に歩む
二水三地子
第1話 何千何億という人類よりも君が良い
まず、私は人間ではない。数ヶ月前に現世降臨した――神龍だ。成就の杯の龍とも呼ばれる。成就の名のもとに願いを叶える神の龍。人類よりも遥かに高次元の存在。崇拝し信仰されるようなとても有難い龍なのだ。
それが今、男の腕の中にいる。そして、生娘の様に震えている。背中から抱きしめられている。逃げられない。動けずにカーテン越しの朝陽を浴びている。何故だと頭を抱えざるを得ない。
「おはよう」
背中からの声がした。低く掠れた声。「おはようございます」と声の主に挨拶を返す。意識が覚醒したのであれば、逃げ出すチャンスだ。自分を覆う腕を退かそうと両手でつかんだ。
それに応えるように男は腕に力が入れた。その上、私の足の間に、自身の足をねじ込んできた。まるでタコのように絡みつかれている。まったくもってそんな事は求めていない。
「……ずっとこうしていたい。」
甘い声。耳元がぞわっとした。彼により強く抱きしめられる。そして、流れるように太ももをするりと撫でられた。
「太ももすら、こんなに愛おしい」
生物的危険を察知。だがもう遅い。彼は私を器用に動かす。今や真正面で彼と向き合っている。どう動かしたのか神業の如し。
彼は琥珀色の瞳には薄く開けた。そして、額にキスを落とされる。
「愛している」
私は息を吸い込んだ。
「正気に戻ってください、テオドア~~~~~~~~!!!!」
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それが人類に姿を見せたのは、およそ700年前になる。
厄災が起きた。すべての源、根源たる力。通称マナが突如として消えたのである。木々は枯れ、水は干上がり、大地は割れる。大勢の人間が飢え、残った物を賭けて争い、そして死んだ。地獄の様な日々に、誰もが救いを求めた。
そこに賢者が現れる。賢者は杯をかざして願った。『マナの大樹をここに』天は答え、小さな苗が現れた。そうして、マナの大樹ができた。大樹はマナを生み出した。大枯渇は救済された。
「――これが成就の杯の伝説における最も有名な記述である。君たちも耳にしたことはあるだろう。この杯こそ、今回の調査で我々が発見した、“成就の杯”と考えられる。何故ならば――」
男が教壇で話す。
ここはとある大学の講義室。教室は広く、講義机も多く設置されている。そんな大部屋だがここに空席は一席もない。それどころか講義室の通路や廊下にも人が跋扈している。老若男女が男の話を聞きに来ているのだ。この教壇に立つ男の話を。
テオドア・アルヴァン。彼は王都国立マナ研究所所属の研究員。だが、ただの研究員ではない。『王都国立マナ研究所 本部 第一マナ研究室 室長』兼『王国環境調査隊 顧問魔術師』それが彼の肩書だ。
また、輝かしい経歴も持つ。
幼少期に、上級魔法の仕組みを理解した。上級魔法は長い年数をかけ、魔術の道を究めた者が使用することができる術。それを理解し、使用することができた。
16歳には、研究者の人生をかけたテーマにも成り得る「古代魔法書」を解読・理解をし、学会にレポートまで持ってくる始末。
そして、本年の24歳。『“成就の杯”を持ち帰った英雄』になる。
ストレートなエリートが生きる伝説へとなったのだ。
そんな彼と出会ったのは、数か月前の事。ここからは、売り上げランキング一位の本の内容を抜粋する。
テオドア氏は王国の調査隊に『顧問魔術師』として参加していた。目的はマナ枯渇による環境異常の調査。その時は、南部の大地が突如隆起し、渓谷ができるという異常事態。調査隊は、すぐに南部へ向かった。
現地の谷底には、地下へ広がる洞窟があった。慎重に洞窟に入る調査隊。しかし、調査隊に不運が訪れた。
突如、地下中のマナが消えたのだ。マナは生命の源。マナがない状態は、酸素がないのと同じ。調査隊は急ぎ踵を返す。だが、不幸はこれだけではなかった。
地上より最悪な一報の通信が入る。『洞窟の入り口が落石によって封鎖された』。調査隊は、地上へ戻れなくなった。洞窟に閉じ込められ、そしてマナの枯渇が襲う。それは、死を意味した。
絶望する調査隊。ただ、テオドア氏は違った。『救助隊を助けたい』そんな思いが、彼を地下へと進ませた。
結果、奇跡が起きたのだ。到達した最下の空間に“成就の杯”はあった。決死の想いで壁の古代語を読み解き、呪文を唱える。それはテオドア氏の想いに応えた。それとは、成就の杯である。成就の杯はテオドア氏の願いを叶えた。
マナは満ち溢れ、落石は塵のように消え去った。テオドア氏と調査隊は抱き合い泣いた。調査隊は奇跡的脱出をしたのだ。それと同時に、テオドア氏は、成就の杯という神器を手にする。これからの活躍に期待が寄せられる。
また、彼は非常に整った顔立ちをしている。色恋関係について聞きたい読者も多いだろう。此処では、世界初彼の恋愛事情を聞いてきた――――――。
以下略。大筋は合っている。しかし、脚色が強い。それもそうだ。彼との初対面は、美談だけで語れたものではない。
思い耽っていると、講義室にチャイムが鳴り響いた。テオドアは教壇から一礼し、自分の資料を片して講義室を出る。受講生たちは慌ててテオドアの後を追うが、彼の退室の速さに追いつけなかった。
彼はその足で馬車に乗り、研究所に帰る。そして、研究所前に屯している報道陣や、所内の黄色い声等、目にも耳にも入れずに真っ直ぐ研究室に帰ってきた。
彼の研究室は簡素。ただそれに限る。入口から突き当たって真正面にテオドアの大きなデスクがある。左右の本棚には、彼が集めた資料が几帳面に並べられている。ただそれだけ。
ほぼテオドアのデスクしかない。それが意味するのは、この研究室には、テオドア一人。そう、彼しか所属していないなのだ。彼曰く、「少し前までもう一人いた。気が付いたらいなくなっていた」との事。人間に興味がなすぎる。
彼が研究室の扉を潜る。デスクまで直進し、見るからに座り心地のよさそうな椅子に深く座った。そして、大きな息を吐く。
私は霊体化していたため、実体に戻す。神龍ともなれば、魔法でちょちょいのちょいなのだ。
「お疲れ様です。お茶でもいれましょうか?」
彼は私の方を見た。そして手招きをする。何かと思って、疑う余地なく近寄ったのがいけなかった。
近寄ると腕を引かれた。勢いで前進し、椅子に腰かけた彼の太ももに跨る形になった。彼は私の胸に顔を埋め、大きく息を吸い込んだ。
「ちょ、ちょっと!テオドア!?」
「君を充電させてほしい」
吐くほどの甘い声。私は思わず固まった。顔を引き剥がそうとするが、力強く剥がれない。どうすればいいか分からず天を仰いだ。
テオドアがおかしくなったのには理由がある。最初はこんなでは、なかったのだ――――。
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それは一か月前。運命の日。時間は夜。
場所はテオドアの寝室。色々あって彼の部屋にいた。
それまで、彼と私は仕事仲間のような間柄だった。彼は、願いをあまり使わない。そして、今と同じ様に多忙の身だった。結果、彼の前に現れる事はあまりなく、現世を謳歌していた。
「俺は君と恋愛をしてみたい」
突如告げられる。理解できず「えっと?」と聞き返した。
「俺は愛が分からない。その原因は、人を愛した経験がないからだ。だから、考えた。一度無理やりにでも、経験をしてみるのはどうだろうか、と」
『君に願う。俺に愛を教えてくれ』
テオドアが願ったあの日。彼はおかしくなったのだ。
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数日後。
ベッタベタに甘い起床のひと時を過ごしたその後の朝食時。
テオドアは私を膝の上に座らせる。左の腕で私の背中を支えつつ新聞を持ち、右手でコーヒーを飲んでいるのだ。色々すっ飛ばして、器用だなと感心した。
私と言えば、既にパンを食べ終わっている。そのため、彼の膝上で暇をしていた。
ちらりと彼の顔を見れば、口元にパンくずが付いている。反射的にそれを取ろうと思い、手を彼の口元に伸ばした。それが良くなかった。タイミング悪く、手を伸ばしている最中で目が合う。そして彼は、右手にあるコーヒーをテーブルに置く。私の肩に手を置いて、おもむろに目を瞑り、自身の唇を私の唇に近づけてきた。
「わーー!!ストップ、ストップ!私はただパンくずを取ろうとしただけです!」
「じゃあ、キスで取ってくれ」
「ばかばかばか!!ダメです!!!!」
テオドアが「ッチ」と舌を鳴らした。――が、そんな舌打ちに威圧は感じない。彼は無意識だろうが、舌打ちをした後すぐに拗ねた顔をしていたからだ。両の手で彼の顔を押し退け、何とか膝上から逃げ出した。
そのあとも、意味不明な行動は続く。「行ってきます、のキスかハグが欲しい」だの、「今日は自宅で一緒に過ごそう」だの。彼は馬鹿になってしまったのだ。
無理やり家から追い出す。勿論、キスやハグはしていない。彼はうだうだ言うものの、家を一歩出ればスタスタと自動的に研究所に向かう。ぱっぱらになってしまった頭でも、今まで習性はしっかりと刻まれている。人間を創造した神に深く感謝した。
だが、陽気になった影響は、私にだけに留まらなかった。
「……お、おはようございます。アルヴァン室長」
受付の職員が出勤したテオドアに声をかける。私でも、耳を真っ赤にしている事に気が付く。きっと彼女は本心がわかりやすい部類の人間だろう。
そんな彼女に対し、テオドアは。
「おはよう」
微笑んだ。その爽やかさたるや、背後にバラの花の幻影を纏ってしまう程。
正常な状態であれば、定例的に挨拶を返すだけだった。それが今では、相手の目を見て微笑みながら挨拶できるようなった。
こんなテオドアは、おかしい。異常中の異常である。皆も同じ様に口を揃えるだろうと思っていた。だが、そうはしなかった。
何故かと言うと、テオドアは面が良かったのだ。周りの人間たちは、陰気なテオドアより、明るく爽やかになった彼の変化をポジティブに捕えている。「なんか明るくなった」、「いつもより接しやすい」、「最高」等と。明るくなった、で済む……?と甚だ疑問である。
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「……神龍」
テオドアの声がした。目の前で実体化して現れる。ここは彼の研究室だ。いつも通りデスクに座るテオドア。壁にかかった時計を見ると、休憩の時間だった。だからこそ、彼は私を呼んだのだろう。
「どうしました?」
「君、好きな食べ物は?」
質問の意図が分からなかったが思考する。好物か……最近食べたものを一つ一つ思い出す。
「この前、テオドアくれたプリン?でしたか?あれはおいしかったですね」
思わず自分の頬に手を添えた。
一か月程前、私はテオドアにプリンをもらった。貰い物とかなんとかで箱に入ったプリンを渡された。
それは、今まで食べたことの無い至高の一品。口を付けた瞬間滑り込んでくる滑らかなそれ。舌の上に乗せれば広がるバニラの甘さ。少しの苦さのカラメルはアクセント。何度か味わうとすぐ溶けてしまい、次が欲しくなる中毒感。
プリンは最高だった。その思い出を熱弁して聞かせる。
その晩。
いつも通りテオドアに料理を振る舞う。私は神龍なので食べ物からエネルギーの接種は必要としない。だが、味覚に刺激を与える事のなんと幸せなことか。だから料理とご飯は好きだ。今日はチャーハンと餃子、そして中華スープ、東の国の料理でまとめた。それを二人で食べる。純粋に「美味しい」と言ってくれるのはとっても嬉しかった。
食後に片づけをする。神龍なので家政婦じみたこともできてしまう。自分の有能さに脱帽せざるを得ない。鼻歌交じりに食器を片していく。すると、テオドアに後ろから抱きしめられた。
突如の事で「はわ」と、変な悲鳴を上げてしまう。頭の上からテオドアの鼻で笑う声がした。洗い物といういわば仕事中に何たる振る舞い。彼に抗議しようと仕事を中断する。
結果的に抗議はしなかった。振り向くと、彼の手には綺麗な紙袋が握られていたからだ。
「なんですこれ??」
「プリン」
気付かなかった。まさか、彼がプリンを買ってくれたなんて。
私は最近、家以外では意識を停止させていることが多い。神龍なのでそういったこともできる。理由は、テオドアが輪をかけて忙しくなったからだ。人の営みを邪魔したくはない。決して、テオドアとのやり取りでパワーを消費するから眠いとかではない。断じてない。
「……嫌だったか?」
「いやいや!そんなことないです!とても嬉しいです。ありがとうございます、テオドア」
プリンを受け取り、心からの感謝を伝えた。早速、戸棚からスプーンを用意する。紙袋は先に捨てようと思い、ゴミ箱の上でプリンを取り出した。……おかしい。透明の容器に入ったプリンは一つしかない。疑問に思い、テオドアにそれを聞く。
「テオドアの分が入っていないのですが……」
「俺が食べる必要はないが?君に食べてほしくて買ったものだ」
彼は自分の鞄から資料を取り出すし、先にテーブルに腰掛けていた。そして、私のために椅子を引く。私は手に二つのスプーン握ったまま、引かれた椅子に座った。
「……テオドア、半分こしましょうか?」
「いや、君が食べる分が減ってしまう。丸々一つ、食べられた方が嬉しいだろう」
彼は、研究資料を片手にこにこしていた。ここで、私がこのままプリンを食べても彼は何も言わないだろう。それどころか、今の彼なら「幸せな君が見られて嬉しい」とかなんとかいうかも知れない。
……気に食わない。その一心で、彼の名前を呼んだ。テオドアは手元の資料を下ろして私を見た。瞬間、薄く開いた彼の唇にプリン当てた。驚いた顔をする彼。そのまま口内にスプーンを流し入れる。最後は彼の前の歯を壁のように使い、スプーンの上のプリンを全て口内に残してきてやったのだ。彼の揺れる瞳と目が合う。したり顔でにっこり微笑んでやった。私だけが幸せなら良い、それが不服だっただけだ。
「はははっ」
テオドアが笑いだす。彼は、口内のプリンを噴出さないように顔を上にあげ、わははと高らかに笑った。笑いの波がひと段落した
「俺は、誰かに何かをプレゼントをしたいと思ったことがない。だから、君に何かをあげたいと思った時点で俺にとって幸せだった」
テオドアが私の頭をなでる。それは、大変愛おしそうに。
「まぁあとは、せっかくプレゼントするのだから、それで君が喜んでくれたら嬉しかった。……でも、それじゃ君はダメだったんだな」
「当たり前です。勝手に施してばかりで、それが私の幸福と思わないでください」
すまし顔でプリンを食べる。そんな私を見て、彼はまた笑った。笑いで目に涙を浮かべるテオドア。
「君を好きになって、たくさんの事を知れる」
彼は心底幸せそうな顔で私の髪をすくって、そこにキスをした。
「君を愛せてよかった」
彼から目を反らす。胸にあるのは罪悪感だった。おいしいプリンの味がしなくなり、それを隠すように残りを急いで食べきった。
「ちなみにこの前食べたプリンと今回のプリン、どちらが美味しかった?」
「この前食べたプリン!」
「……今度、俺が至高のプリンをつくろう」
後に知ることなる。彼は壊滅的に料理ができない事。そして、彼が作ったプリンもどきは壮絶な味だった事を。
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テオドアは日に日に悪化していった。最近ひしひしと感じている。発端はこの前のプリンだ。
「薔薇だ。五本の真っ赤な薔薇を君に」
「ネックレスだ。宝石が君の瞳の色と同じ桃色だった」
「指輪だ。これは君と俺がどうなってもいい様に、だ」
「だぁ~~~~~~!!!!もうプレゼントはいいです!!」
私は渡された指輪を押し返す。退勤した後。自宅までの帰り道に珍しく呼ばれた。意識を起こして彼の前に立てば「どうなってもいい様に」と指輪を渡された。意味が分からない。その指輪は、押し返した勢いで彼のポケットにねじ込んだ。
毎日毎日毎日、何かしらを私に買ってくるテオドア。もう与える事が楽しくて仕方がないらしい。こちらからすれば見返りを求めていないにしろ、それはもう圧力だ。
夕陽がテオドアの下がった眉毛を照らす。「そうか」と呟いてポケットの指輪をさすった。見るからに落ち込んでいる様子である。
心が張り裂けそうになった。薔薇、ネックレス、指輪……どんな気持ちで選んでいたのだろうか。それを私は――。彼の心情を考えて頭を抱えた。しかし、ここで折れて受け取ってはいけない。
「テオドア、聞いてください。」
いい機会だった。私は、彼に伝えなければならないことがあったのだ。それを今から話す。
「私は、成就の杯の龍です。……人間ではありません」
「何が言いたい?」
私を見る彼は真剣そのものだった。いや、いつもそうだ。テオドアはいつだって真剣に、私と向き合っている。私も応えなければいけない。息を吸い込んだ。
「……願ってください。テオドアが、私以外の人間を愛せるように」
私は真っ直ぐ伝えた。愛を知りたい彼が学ぶべきは、私との愛ではない。彼の貴重な時間をこれ以上、無駄にしてはいけないのだ。
彼は自身の口元に手を置き何かを考える。そして考えがまとまった様子で話し出した。
「――君のおかげで気が付いた」
彼にも意図が伝わった様に思う。琥珀色の瞳は私をじっと見つめている。少し胸が痛んだ。私も今になって気が付いたが、彼との時間は楽しかった。だからこそ、その時間がもう二度と来ないと思うと辛い。だが、ようやく彼の時が動き出す。これでいいのだ。
テオドアは私の手を取る。そして胸の位置まで持っていき、私の両手を彼自身の両手で包み込む。
「俺は、君が良いんだ」
……『俺は君が良いんだ』?
思っていたのと違う言葉が返って来て、少しパニックになる。それを察したのか、テオドアは続けた。
「俺が君に願ったのは『俺に愛を教えてくれ』だ。それは、『君を愛したい』ではない」
「は、はぁ……」
「君の言う通り俺が誰かを愛するのであれば、同じ種である人間を愛した方が効率的だろう。――でも、俺は君を愛している」
「…………つまり?」
テオドアに結論を促す。何一つ頭に入ってこないからだ。
「つまり俺は何千何億という人類よりも、君が良いんだ」
「…………。よくわかりませんが……でも、だからこそ、成就の杯に願って、より効率的な方を選べるようになっていただきたく――」
「いやだ」
テオドアは、私の手を握ったままプイッとそっぽを向く。こちらは真剣に話しているのに……なんだその態度……。堪忍袋の緒が切れる音がした。
「じゃあ、私の何がいいのですか?成就の杯の龍とは、神龍とはどういう存在なのですか?出自は?存在理由は?わからないですよね!?なんたって、私にも分からないのですから!!」
いけない。感情に任せて不満を吐露してしまった。喉を鳴らし空気を変える。
「だからね、そんな得体の知れない存在に、貴重な時間を使ってはいけないのです。人類にとって時間は有限です」
これでテオドアが分かってくれればいい。無意識に一歩、足を引いた。
言った通り、私は不明瞭な存在だ。ただ成就の杯に寄生しているだけ。何者でもない。自分が気持ち悪い。彼に繋がれたこの手がなければ、そのまま距離を取り消えてしまいたい。
「では、俺が君を解き明かすとしよう」
その瞳を見て理解した。彼は本気だ、と。
「……む、無理ですよ。私、だって、いつから存在しているのかも分からないのです。気が付いたら成就の杯といた。そんな曖昧なのです」
「そうか、それは考察の余地がある新発見だ」
彼の原動力、つまり探求心。そこを刺激してしまったのだ。もう後戻りはできない。
「悪いが、君が諦めてほしい。俺はそういう性分なのだ」
緊張が解けた。自動的に腰が抜けて地面にへたり込む。彼は心配そうに私を覗き込んでいる。原因は君なのに、と考えるとちょっと笑えた。
「わかりました。横で見ていてあげます。テオドアの軌跡を」
「じゃあ、偉大なる軌跡の第一歩として、君に名前を付けるとする。これは人間界のルールにもある。発見者の特権で、由緒正しい習わしだ」
「な、名前?」
「君の名は、『シェンメイ』。今日からシェンメイと名乗ると良い」
「――――あははははは!!もう、意味分からないです」
思わず笑った。生まれて初めて腹の底から。何一つ理解できない彼。人外よりよっぽど人がわかっていない。これが笑わないでいられるか。皮肉なことに、テオドアの探求に対する執着は、愛としか言いようがないと思った。
「シェンメイ――いいですね、気に入りました。略してメイにしましょう!」
「……君がいいならそれで」
「なんか嫌そうですね……。ちなみにどういう意味なのですか」
彼が顔をこちらに近付ける。この行為がどういう事を意味するのか、分かっていた。だが、今回は逃げる気なんて毛頭ない。
「シェンメイは、神のように美しい」
唇にキスをされる。テオドアは優しく微笑んだ。キザったらしいなと思った。夕陽がそれを助長させているからだ。でも、それら全てが、とても愛おしい。
手を振りほどいて彼を押す。体幹のいい彼はよろける事すらしなかった。だが、繋がれた手は解けた。そして、私は逃げだす。テオドアの反応が見たくて、意地悪したのだ。彼が「メイ」と、幸せそうに私を呼んだ。
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