第34話 頭カチ割られ聖女、まーたやられる
目が覚めると、ぼんやりした視界に飛び込んで来たのは見慣れた顔である。
「エリザ!」
エリザ。
そうだ、それは私の名前だ。
私の名前はエリザ・ストーン。しがない(なんて言ったらアカンのか)男爵令嬢である。
それで、この、覆いかぶさるようにして私の顔を覗き込んでいる男は、アレクサンドル・クローバー。ここ、スート領を治めるクローバー伯爵の御子息で、私の婚約者だ。彼が、額に汗を浮かべている。
「えっと、私」
何がどうなって私はいまこんな状態になっているんだっけ?
豊穣祭で、婚約発表をして、それで、あのうるさい三男爵に絡まれて、で、確かアレクに手を伸ばして。そこで記憶が途切れてる。
頭がずきりと痛み、何だ何だと手をやってみれば、包帯が巻かれているようだ。は? 嘘でしょ。
「エリザ、まただ」
「は? また?」
「ただ今回は、目撃者も多数いる。僕も見た」
「ちょっと。ちょっと待って。何のこと?」
「またしても君の後頭部めがけて噴石が」
「なんですって!?」
よりにもよって祭り当日に!?
婚約発表の日に!?
そんな良き日に!?
もうこれ私が引き寄せてるんじゃない?
それとも、記憶喪失が嘘だったってちゃんと謝ってないから罰が当たったのかしら!?
ガバッと身体を起こそうとして、「急に動くのは良くない」と止められる。大人しくそれに従って、ゆっくりと身体を起こした。
「ただ今回はそこまでは大きくなかった。ほら、手のひらサイズだ」
これだ、と白い布に包まれた、私の拳大くらいの大きさの石を見せてくる。ちくしょう、こいつか。
この大きさならば大したことはなかろうと思い、「私、どれだけ眠っていたのかしら」と呑気に問うと、「今回は四時間だ」と返って来た。あら、今回は短いじゃない。まだ夕方だわ。こういうのって大きさに比例するものなのね。
「それで、その、エリザ」
「何?」
「僕は君の婚約者だ」
「うん?」
急に何言い出すのこの人。
婚約発表したばかりよね? 数時間前に。
「僕と君は七つの時に知り合って、その三年後、十歳の時に婚約したんだ」
「え、ええ」
何の確認?
アレク? そんな必死にどうしたの?
「どうやら君は最初、僕のことをいけ好かないお坊っちゃんだと思っていたらしい。どや顔で植物の知識でマウントを取ってくる、いけ好かないお坊っちゃんだと思ったようで」
「あぁ、うん、えっと」
ごめんって。
そんなに『いけ好かない坊っちゃん』って言ったの根に持ってるの? どや顔とも確かに言ったけど。だってなんかそう見えたのよ、あの時は。
「ただ僕の方では一目惚れだった」
ええ、そう言ってたわね。
「あの、アレク。さっきから何を」
そう言うと、彼は私の手を取り、それを眉間に当てた。いつもくっきりと深いしわが刻まれているそこに私の指が触れる。やっぱりいまも眉間には深い深い波がある。
「忘れないでくれ、もう二度と」
「アレク」
「君の中から僕だけが消えるなんて」
「アレク」
「だけどもし君が忘れてしまっても、僕は君に伝え続けるから。何度だって、出会いから、全部」
「アレク、あの私――」
ちゃんと覚えてるけど?
そう伝えようとしたけれど、彼の必死さに胸が詰まって言葉が出ない。もうしばらく見ていたかったけど、さすがに気の毒すぎる。早く伝えないと。
「あのねアレク、私――」
言いかけた瞬間、彼は勢いよく立ち上がった。
「――ルーベルト!」
「へぇっ!?」
無表情のまま、ぱちん、と指を鳴らす。
「はっ、ここに!」
ズザァ! と大荷物を抱えたルーベルトさんが横スライディングでカットインしてきた。何何? 何!?
一体何が起こったのかと呆然とする私の目の前で、ルーベルトさんは手際よく、せっせせっせと何やら準備し始めた。折り畳みテーブルを組み立て、その上に分厚い本やら布小物、ぬいぐるみ、それから絵や写真を飾っていく。
「坊ちゃま、どうぞ」
「ありがとう」
「あの、えっと、何これ……」
決して小さくはないそのテーブルの上には、見覚えのある物、ない物が所狭しと並べられている。
「こほん。えー、ではまず。これだ」
そう言って、こちらに見せて来たのは、小さくて可愛らしいお花の栞である。これは見覚えがないわ。何かしら。
「これは僕がエリザと初めて会った日、君に温室を見せて、その……、『いけすかないお坊ちゃん』という称号を賜ったらしい日」
めっちゃ気にしてる! かなりショック受けてる! ごめんって! 言わなきゃ良かったね、ほんとに! ほんとごめんなさい!
「君が帰った後で、この最高の出会いを、その時の感動を生涯忘れないようにと、心に刻むために作った押し花の栞だ」
やってることは七歳の子どもらしい行動ではあるけど、なんか早くも重い気がするのは私だけかしら?! 七歳の子どもが『生涯忘れないように』とか『心に刻む』とか考えるかな?! 言葉のチョイスの問題?!
呆気にとられていると、次に見せられたのは、私が贈った刺繍入りのハンカチである。うん、これはちゃんと見覚えがある。うーわっ、初期のはほんと酷いものだわ。よくこれを婚約者に贈ろうと思ったわね、私も。
「これは、初めてエリザが僕に贈ってくれたものだ。さすがにもったいなくて使えない。せっかくの刺繍が解けてしまいそうだし。だから観賞用だ」
観賞用……?
「普段は額に入れ、僕の部屋に飾っている」
何やってんの……。
なんてもの飾ってんの……?
我が子の描いた絵を飾るパパの所業でしょ、それ。
「そしてこっちが、その翌年に贈られたものだ。見てくれ。格段に腕が上がっている。この頃から、さすがに使わない方が失礼なのではと思い、これはポケットチーフとして使用している。安心してくれ、洗濯には細心の注意を払っている」
ポケットチーフにしてたの!? 多少マシになったとはいえ、子どもが縫ったハンカチよ?! あとお洗濯に関しては特に心配してないかな!?
それでこっちがその翌年、これがそのまた翌年……と、贈った側の私の方が、そうだっけ? その順番だったっけ? あれ? そんなデザインのも贈ったっけ? と首を傾げる始末。そしてその仕草が、記憶を失っているが故の動きに思えたようで、アレクは「ぐぅっ……!」と胸を押さえて苦しそうなうめき声を上げ、膝をついた。
「ちょ、アレク、大丈夫?」
「問題ない。こんなことでくじけるわけにはいかない。僕は何としても君に思い出してもらいたいんだ。僕は絶対に諦めない。もう決して手放したりはしない」
「あの、だから」
「気を取り直して次だ! ルーベルト!」
「はっ!」
「ねぇ、聞いて?!」
確かに。
確かに願っていた。
眉間のしわ以外に表情が何一つ動かない彼が、私のために必死になって、汗をかいている姿が見たいと、そう思っていた。
思っていたけど。
「次はこれだ、この望遠鏡に見覚えはないだろうか。これでうんと遠くまで景色を見た。君は市場の外れにあるお菓子の屋台を見て、あれが食べたいと駄々をこねたんだ」
表情こそ変わらないけれど、必死とわかる声色で、望遠鏡を見せる。
「……で、これがその屋台のお菓子だ。あの時、料理長に無理を言って再現させたんだ。いまじゃ彼の得意料理の一つになってる」
屋台で販売しているのと同じように、紙袋に入れられたその揚げ菓子をこちらに手渡して来る。ふわりと甘い香りがして、懐かしい気持ちになった。
「そうだ、実際にその景色を見れば思い出すかも!」
せっかくだからとお菓子をもぐもぐ食べていると、その様子をじっと見つめていたアレクが、ぱん! と膝を叩いた。そして、「失礼」と断ってから、私の背中と膝裏に手を差し込んで持ち上げる。いわゆる、『お姫様抱っこ』というやつである。
「え」
「展望台に行こう」
「ちょ。ちょっと待ってアレク」
「どうしたエリザ。もしかして頭が痛むのか? 僕はてっきり石の加護で無事かと思ったんだが、早合点だっただろうか。しまった、僕としたことが……!」
「違うの。そうじゃなくて。あの、私の話を聞いて?」
「君の言葉ならいつだって聞こう」
めちゃくちゃ真面目な顔でそう返すけど、えっとあなたいまのいままで全然私の話を聞いてくれてなかったからね?
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