第31話 嵐は去ったし真実を話すべきよね?

「ええと、あの、気にかけてくださって、本当にありがとうございます」


 そうマグノリア様に言うと、隣から、ガタッと大きな音が聞こえた。アレクが椅子から転げ落ちた音だ。もちろん無表情で。逆に器用すぎない? えっ、何やってんの?


「どうした伯爵。何を動揺している」

「べ、別に動揺なんて」


 そう言いながら、椅子を戻して座り直す。顔はいつも通りの無表情。ただ、こめかみから汗が一筋垂れている。


「大方、エリザ嬢が自分を捨てるのではと思ったのであろう? ワシに礼を述べたから」

「……ぅ、ぐぅぅ」

「アレク、大丈夫? なんか喉から聞いたことない音が聞こえてきたんだけど」

「問題ない。それと、その、君がもし僕との婚約を悔やんでいるというのなら、僕は」

「はぁ? 何言ってるの? あなた私のこと好きって言ったじゃない!」

「言ったが。でも、だからこそだ。僕は君の幸せが一番だから」

「だったらあなたが胸を張って幸せにしてよ! 私だってあなたが好きって言ったじゃない!」


 日和ってんじゃないわよ、このビビリ伯爵がぁっ!


 思わずそう叫ぶ。


 これにはさすがのアレクも一瞬目を見開いた。

 その顔を見て、どうやらちょっと言い過ぎたらしいことに気付く。しん、と静まり返った客室の沈黙を破ったのは、ぶふっ、という大聖女様の声だった。


「だーっはっはっは、これは良いのぅ! ビビリ伯爵とな! そうかそうか!」


 無表情且つ堅物で名の知れた『鉄仮面伯爵』ことアレクサンドル・クローバーによくもまぁここまで言えたものだと、大聖女マグノリア様はぱちぱちと手を叩いてご満悦である。


「いやぁ、伯爵よ。エリザ嬢とそうしてじゃれている時は随分と人間らしい顔をするではないか」

「あ、あの、私としては決してじゃれてるわけじゃないんですけど」

「謙遜するでないぞ、エリザ嬢。良いではないか。こやつの表情筋を多少なりとも動かせるのはお主くらいなもののようじゃからな」


 そうなのかしら?


 と、彼を見れば、またいつもの無表情だ。

 もう逆に称賛に値するわよこれは。


 とにもかくにも、大聖女様からベストカップル認定され、償いだのなんだのについては、ババ砂漠への旅行時の宿の用意をしてもらうことで手打ちとなった。アレクの話では、ちょうどその境目に温泉宿があるらしいのである。夜の砂漠で冷えた身体を温めるならやはり温泉だろう、と。


 てっきり砂漠にテントを張ってそこで一泊するものだと思っていたと言うと、アレクからもマグノリア様からも止められた。「夜の砂漠を舐めてはいけない」とのことである。


「せっかくじゃし、我が領自慢の温泉で身も心も温まってゆくが良いぞ。生憎、子宝に効くとか、そういった効能はないがの」


 などとまた余計なことを言うものだから、アレクの心臓はまたしてもドッコドッコと大騒ぎだし(ただし表情は固定)、私も動揺のあまりカップをひっくり返すしで大変なことになったけれど。


 そうして、嵐のようにやって来た『堅牢の石の聖女撲殺未遂事件』の犯人――もとい、『山の神の怒りを鎮める』などという桁違いの加護を持つ大聖女様は、私達の案内でクローバー領を一通り観光した後、「では、次は我が領で会おう」と言って、やはり嵐のように去って行った。


 遠ざかっていくジョーカー領方面行きの馬車に手を振り、それが見えなくなると、やっと肩の力が抜けた。ふはぁ、と大きく息を吐く。犯人(犯人じゃないけど)が自首してきた! の勢いに押されてなんやかんやここまで来たけれど、冷静に考えたらとんでもないことが起こりすぎてる。大聖女様なんて、私みたいな中級の聖女がそう簡単にお会い出来るような方ではないのだ。何せ、世界規模の危機をどうにか出来るような加護を持つ方である。


 だって、『山の神の怒りを鎮める加護』なんて、おとぎ話か伝説かとばかり思っていたのだ。いくら何でも規格外すぎる。私なんて、とにかく石を硬くするだけだよ?! いや、それも結構すごいことだとは思うけどね?!


 とにもかくにも、事件は解決した。大聖女様も戻られた。私達は再び婚約者という関係に戻った。だから万事解決ではあるのだ。


「エリザ、事件も解決したことだし、僕としては、予定通り十二月に式を挙げたいと思っている」

「そうね」

「来月、延期していた豊穣祭を大々的に執り行って、正式に君との婚約を発表し、準備に取り掛かって、それで」

「そうね」

「君が嫌じゃなければ、ドレス選びにも付き合いたいと思っているんだが」

「あら、そうなの? 殿方はそういうの、面倒だって嫌がると思っていたわ」

「君のことで面倒なことなんてあるものか。何時間でも、何日でも付き合う」

「何だかずいぶんしゃべるようになったわね」

「色々と反省したんだ。いままでの僕はきっと、言葉が足りなかったと思うし」

「別に足りてなかったわけじゃないわよ」

「君の記憶の中の僕よりも、良い男でありたくて」


 人生をやり直すつもりで、なんて言うものだから、さすがに胸が痛む。やっぱり真実を伝えるべきだ。こんな誠実な人に嘘をついたままなんて、絶対に良くない。


「アレク、その、出来れば怒らないで聞いてほしいんだけど」

「僕が君に対して怒りを覚えることなんて、きっと未来永劫ない」


 おっと、思ったよりも重い返事が来たわね。『きっと』なんてワンクッション挟んでも、軽はずみに言うものではないと思うわよ、未来永劫なんて言葉は。


 まぁ婚約直後で、(これでも)いま最高に浮かれている瞬間だろうから、かもしれないけど。それでも例えば跪いてだとか、手の甲にキスを落として――なんてオプションがつかないのが、さすがはアレクだ。鉄仮面伯爵の二つ名は伊達じゃない。直立不動の姿勢でまっすぐ私を見つめ、瞬き一つない。


 ……いや、おかしいわね、これ、想いが通じ合った恋人の正しい距離感かしら。婚約直後で浮かれきってるとは到底思えないんですけど。てことは普段からそう思ってるってこと? まさかね。


「あ、あのね。えっと」

「ゆっくりで良い。時間は有限だが、僕は君の言葉を急かしたりなんかしない。どれだけでも待とう。というか、この場所で良いのか? 屋敷に戻ってからでも」


 その言葉で思い出す。

 やだ、ここ普通に外じゃないの。大聖女様を見送った馬車の乗り合い所である。確かにこんなところで跪くだの、手の甲にキスだのはしないわよね。

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