side:エリザ

第30話 ついでで伯爵の尻を蹴飛ばす大聖女

「……というわけで、思いついたのがリサイタルじゃ。夜通し歌うんじゃ。とにかくもう山の神のご機嫌を取らねばと、三日三晩歌いまくってのぅ」


 拳をぶんぶんと振って、目の前の大聖女様はにこにこと笑う。出来る限り人と関わりたくない、自分は屋敷にこもっていたい派だなどと話す割に、案外おしゃべりは嫌いではないらしい。使用人の採用条件は『聞き上手か否か』の一点らしく、彼女のお眼鏡に叶った聞き上手の侍女と日がな一日おしゃべりに興じる日もあるのだとか。内容はもちろん仕入れたばかりのゴシップネタだ。


「そしたら、三日ほどおとなしかったもんだから。あ、こりゃイケるな、って思っての。一旦休憩を挟んで、また三日三晩、歌いに歌って来た」

「それは、つまり、ここに来るために、ってことですか?」


 こんな……中級の下っ端聖女に会いに来るためだけにですか?


 そう言うと、大聖女マグノリア様はきょとんとした顔をして「そうじゃが?」と首を傾げる。何かおかしいかの? とでも言いたげに。


「あ、あの、こう言っちゃなんですけど、だって、黙ってても良かったわけじゃないですか」

「良い訳がなかろう。お主は大怪我を――していなかったかもしれんが、ショックで記憶を失ったわけじゃし、そのせいでほら、婚約までなかったことにされて。可哀想に」


 そう言うや、ギッとアレクを睨みつける。


「記憶喪失ごときで日和りおってからに、乙女心もわからぬこの青二才めが! そこに愛はないんか!」

「面目次第もない」


 鉄仮面伯爵にこんなことを言えるのはスート広しといえどもこの大聖女様くらいなものだろう。あとはランスロットおじ様とアルジーヌおば様とそれからケイシーと私と、あとたぶんリエッタもイケそうね。……いや、そう考えると結構いたわね。


「ま、まぁまぁ。マグノリア様、アレクだけが悪いわけでは……」

「そんなことはない。僕が浅慮だったんだ」

「そうじゃ! 浅はかじゃ! このたわけが! たわけ伯爵に改名せえ!」

「前向きに検討させていただく」

「しなくて良いから!」


 呼びたくないわよ、そんな名前で!


 ていうか、いやもう、ごめんなさい! ちょっとした出来心だったんです! ほんとは記憶、あります! だけど、なんかもう言えない! 言えるわけないよ! 嘘は良くないってわかってるけど、もうさすがに言えない! ごめんなさい!


「その上、そこに付け込んだ馬鹿共が遠路はるばる来たわけじゃろ? 何やら危ないところだったと聞いたんじゃが?」

「それは、まぁ……」

「すんでのところで、こやつが間に合って良かった! ワシが尻を蹴り上げて送り出したんじゃ。さっさと探しに行けってのぅ。なぁ、尻を見てみ、たぶん足形が残っとるはずじゃ。いやぁ、やっぱりワシもついて行くんじゃった! くぅーっ! 見たかった! 見たかったのぅ! ヒロインのピンチに颯爽と駆けつけるヒーロー! でもここの執事の持って来るお菓子と茶が最高でっ!」

 

 座ったまま、子どものように足を大きくばたつかせ、大聖女様は大変楽しそうである。


「でもまぁ、本当に、エリザ嬢には申し訳ないことをした。何もかもワシの至らなさ故。どんな償いでもさせてもらう。嫁入り前の女子の身体に傷をつけるなど、あってはならないことじゃからな」

「いえ! そんな! 償いなんて!」


 傷ったって、頭皮をちょこっと切っただけですし! もう治ってますし! むしろ何でそこについては石の加護がなかったのかしら?! そこまでちゃんとやって、神様!


「では」


 そこでアレクが、ずい、と身を乗り出した。


「その前にまず、僕を一発殴っていただいて」

「そうじゃったな」

「待って」


 無表情で突然何言い出すのかしら、この人。マグノリア様も「そうじゃったな」じゃないのよ。確かに彼女の目的の一つにそれはあったかもだけど!


「次にあの貴族共をジョーカー火山の火口に突き落としていただいて」

「それもあったな」

「待って! それはほんとに駄目!」


 なんでこの二人そんなにノリノリなの!?

 えっ? 火口ってそんな罰ゲーム感覚で突き落として良いやつだったっけ!? そんなわけないじゃん!


「冗談だ」

「冗談じゃて」

「な、何だ。そうよね。そうですよね」

「僕を殴ってもらうのは本当だが」

「それはそう」

「いやいやいやいや!」


 思わず立ち上がる。

 何でアレクはそんなにも殴られたいの? 殴られたい人なの? そういう趣味があるの? 私あなたとの結婚生活に自信がなくなってきたんだけど? 私が殴ったら最悪殺人事件だけど、それでも定期的に殴った方が良い?!


「エリザ、落ち着くんだ」

「そうじゃよ。ほら、茶でも飲んで」

「はぁ……」


 勧められるがまま、お茶を一口飲む。ふぅ、と一息ついてカップを置くと、それを待っていたかのように大聖女様が口を開いた。


「まぁ、諸々冗談ではあるんじゃが、それでも何かしらの償いはさせてもらいたい。ワシはそなたへの謝罪と償いのために来たのじゃ。こやつの尻を蹴飛ばしたのはそのついでじゃ」


 ついでで伯爵の尻を蹴飛ばす大聖女――!


 強い、強すぎる。

 身分とかもう関係ないんだ、大聖女ともなると。


「ですが、私としましては、その、怪我といってもかすり傷でしたし、記憶はまぁ……そのアレですけども、でもアレクとの婚約もまた元通りですし」


 何なら今回の件で一歩進んだ気さえする。だって、その、き、キスとかしたし! しちゃったし! それに、アレクの気持ちも知れたし。むしろこれが雨降って地固まるってやつ?! ちょっとばかし豪雨だったかもだけど!


「ならば」


 アレクが動いた。

 まさかまた僕を殴ってくれとかそういう話にならないわよね? 私の分も含めて二発とか、それで手打ちにするとか、そういうことじゃないわよね?


 思わず身構えてしまう。

 その想いを乗せて彼を見つめると、片手を軽く上げて「大丈夫だ」と返ってきた。本当に伝わってるのかしら?


「近々、新婚旅行を兼ねてクローバー領との境目にあるババ砂漠まで足を運ぼうと思っているのだが」

「ほう。ババ砂漠にのぅ。あんな何もないところに、随分と酔狂なことで」

「それが良いんだ。サンドールにあるバラ園を経由して、夜の砂漠と月を見に行く」

「ふむ。……まぁ、雰囲気はあるところじゃな。ただ、子作りには向かんぞ、夜は寒すぎる」

「子っ……!?」

「さすがにそこでは」


 慌てふためる私とは対照的に、アレクは落ち着いたものだ。いや、わからないわよ? もしかしたらまた心臓だけはバクバクかも。


 失礼! と小さく断って、左胸に手を当てさせてもらうと、予想通り、ドッコドッコとそれはそれは勇ましい心音である。ここで豊穣祭始まってない?! いやもうすっごいな!? この状態で表情に出ないとか逆にどうなってんの!?


「突然何をするんだエリザ」

「ちょっとした確認よ」

「確認?」


 表情を一つも変えず、それでも多少声を上ずらせたところから判断するに、やはり動揺はしているらしい。


「あなたが相変わらず無表情だから、もっと如実に表れるところでチェックしようと思って」

「それが、心臓ここだと?」

「そうよ」

 

 と、そんな私達のやり取りを見つめる大聖女様は、目を細め、何やらにまにましている。血色の良い唇がにんまりと弧を描く。


「ふほほ。何じゃお主ら、仲良しか」

「僕としてはそうでありたいと願っている」


 その指摘に即動いたのは、やはりアレクだ。私はまだ正直、大聖女様を前にしている緊張であったり、再び婚約状態に戻れた高揚感であったり、そうでなくとも、想いが通じ合った感動もあり、特にこの手の話題は胸がドキリとしてしまって出遅れてしまうのである。


「ふむぅ、しかしそれはお主の一方的な感情ではないか。自分から婚約を破棄してみたり、それを撤回したりと、伯爵殿は随分と自分本位でおられるようだの」


 お主、本当にこの男で良いのか? 後悔せんか? と大聖女様は、私に向かって気づかわしげな視線を向けて来た。エ゛ッ?! と隣から、いままでに聞いたこともないような声が聞こえ、驚いてそちらを見ると、眉間のしわをいつもの三割増しで深く刻み、それでもそれ以外の表情を一切変えずにこちらを凝視しているアレクがいた。


「もし、お主が別の男が――ほれ、実はあの三人の中に『案外悪くない』と思うようなやつがいるのなら、ワシがどうにか取り持ってやらんでもないのだぞ?」

 

 何せワシは大聖女じゃしな! と言って、大聖女様はにまーと悪い笑みを向けて来た。


 いやマジで勘弁してくださいって、あの三人とかマジで無理!

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