side:アレクサンドル
第28話 ジョーカー領の女子爵にまつわる噂
その、身体こそ小さいが、その内に強大な加護を持つ大聖女がやって来たのは、僕が順序を間違えてエリザの唇を奪ったせいで彼女を激怒させた翌朝のこと。
自分の失態を後悔して情けなくもマットレスに沈んでいると、ケイシーメイド長にしこたま叱られた。けれど、叱るだけで終わらないのが、我がクローバー家の誇るメイド長殿である。しっかりと鼓舞され、ここからどうにか挽回するのだとその勇気と力を得たところで、僕は、文字通り飛び込んできたルーベルトからもたらされた『エリザが出て行った』の一報にて生ける屍になった。
もう終わりだ。
何もかもおしまいだと、溢れる涙を堪えることも出来ず、ただただはらはらと泣いていると、来客を告げる鐘の音が聞こえて来たのである。
その来客が彼女――大聖女の肩書を持つ、マグノリア・ジョーカー子爵だったというわけだ。
「こちらに、巨大な岩に脳天をカチ割られた聖女がいると聞いたのじゃが」
そう開口一番告げられた言葉に、出迎えたルーベルトは驚いた。
「ぼ、坊ちゃま、大変でございますっ! 犯人! 犯人がっ! 自首して参りましたぁ!」
慌てて僕の部屋へ飛び込み、ベッドの上ではらはら泣いている僕の肩をがくがくとゆすって来たのだ。落ち着け。
「犯人だと?」
「そうでございますっ! あっ、でも、犯人というのは、いささか語弊がある表現でして」
「ふむ、語弊があるのなら、犯人と呼ぶのはふさわしくないな。どういうことなんだ。というか、そもそも誰だ、訪ねて来たのは」
「だ、大聖女様でございます! あの、ジョーカー領の!」
「ジョーカー子爵か?」
「左様で! と、とにかく! こちらへ!」
客間で優雅に茶を飲みながら僕の到着を待っていたジョーカー子爵は、どこからどう見ても、少女だった。
領主間で回って来る噂で聞いてはいたのだ。
ジョーカー火山には、活発な火山活動を鎮める力を持つ大聖女の子爵がいる、と。
そもそもその爵位も『山の神の怒りを鎮める加護』を得たことによって与えられたものであり、領地(というかほぼ火山のみだが)も奉仕活動のために押し付けられたようなものである、と。
ただそれは百年も前の話だった。確かにかつてのジョーカー火山――当時は名もなき山だったが――は、例えば上空を飛ぶ鳥がいたずらに落とした糞一つでも噴火するような、それはそれは繊細過ぎる山だった。活発なんてもんじゃない。とはいえ、それはどれも人間でいうところのしゃっくり程度の小さなものである。だから民は「また山の神がしゃっくりをしている」と大して問題にはしていなかった。
けれど、時の王は違った。
それをきっかけに、いずれ、大噴火を引き起こすかもしれないと、それを危惧していたのである。
そこへ満を持して現れたのが、『山の神の怒りを鎮める聖女』である。
当時のマグノリア・ジョーカー嬢は、爵位を持たない下級貴族令嬢だった。それがあれよあれよと子爵の地位を与えられ、しゃっくり火山などと呼ばれていたその山には彼女の家の名がつけられ、その一帯は彼女の領地となったのである。
それから月日は流れ、ジョーカー火山噴火の一報はとんと聞かなくなった。大聖女の祈りが届いて、ジョーカー火山も長い眠りに入ったのかもしれない。あるいは、火山としての力を失ったのではないか、などと噂する者もいた。何せ、大聖女とはいえ、ただの人間が百年も生きていられるわけがない。ならば聖女の力で抑えられているのではなく、火山の方に何かしらの変化があったと考える方が自然だ。
誰もがそう思っていた。
聖女の力が遺伝するという前例はないし、恐らくは現在のジョーカー子爵はただの女性のはずだ、と。いや、ただの女性というのは語弊がある。何せ貴族の令嬢というのは、必ず『聖女』の肩書が付与されるのだから。
けれども、ならば恐らくは大半の令嬢がそうであるように、初級の『名ばかり聖女』であろう、と。しかし、それを知られれば領地をはく奪されかねない。何せ、この火山を鎮める力を持たないのなら、ここにいても仕方がないのである。だから、『山の神の怒りを鎮める加護』の力を持つ大聖女と偽って、子爵の座にしがみついているのだろう。
だが、それを暴こうとする者はいなかった。
下手なことを言って、彼女がそこを追いやられたら、誰がその火山を守るのだ。領地が増えるといっても、そこは、火山しかないというのに。いつ噴火するともしれない、爆弾のような山を誰が欲しがるだろう。
だから、誰も何も言わなかった。
ジョーカー子爵が大聖女と偽っていたところで、誰も損はしないのだ。だから、噂が広まっても誰もそれを止めなかった。むしろその方が好都合なのである。彼女さえそこにいれば、その厄介な山に関する大小様々の面倒事はすべてジョーカー子爵に押し付けられる。
そうして、ジョーカー領の女子爵は、もう百年以上も、『山の神の怒りを鎮める加護』を持つ大聖女であり続けているのである。嘘か真かは関係がない。そういうことにしておけば良い。
――というのが、僕自身が聞き知っていた話だ。
その、件の子爵が目の前にいる。
正直なところ、信じられるかどうかと言われたら、紙一重だった。口ではどうとでも言えるのだ。我こそは大聖女であると。それだけなのである。
けれど、実際に会ってみるとわかる。
彼女は本物だ。
纏うオーラが違う。
千年も二千年も生きているかのような不思議な貫録を持つ、外見だけは少女のような女性である。
その彼女が言うのだ。
「あれは、ワシが逃してしまったジョーカー火山の噴石じゃ」と。
さすがの僕も、
「事故だろうが何だろうが、大聖女だろうが何だろうが、エリザを傷つけた者は処刑する」
とは言えなかった。
事故の規模が違う。
むしろ、その噴石一つで済んでいることこそが奇跡なのである。
ただ、反射的に剣に手をかけていたらしく、ルーベルトに止められて気が付いたけれど。
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