第27話 喉のコンディションは重要とのこと

 あの日。

 つまり、私が、後ろから何者かによって後頭部を花瓶サイズの岩で殴られた――正しくは、ジョーカー火山の噴火による噴石が運悪く私の頭に直撃した日のこと。


 大聖女マグノリア様は、少々喉の調子が悪かった。

 ある意味世界の平和を握っているともいえる彼女は、特に健康には気を遣っていた。何せ自分が倒れたその隙に火山が噴火でもすれば、大惨事である。彼女が健康オタクになるのは至極当然の流れだったという。


 早寝早起き(寝つきはすこぶる悪いが床に入るの自体は早いし、眠りが浅いためか早朝に目が覚めるらしい)はもちろんのこと、栄養を完璧に考えた食事に、心の栄養たるスイーツは午前と午後、それから夕食後の三回。適度な運動は心身を健やかにすると共に、彼女のスタイルキープにも一役買ってくれる。やはり聖女たるもの――しかもその聖女の頂点に立つ大聖女たるもの、たるんだ身体を晒すわけにはいかないという矜持があるらしい。とはいっても、彼女はここから滅多に動けないため、この(自称)抜群のプロポーションを披露する場がないのは悔しい限りらしいのだが。


 そんな自他ともに認める健康オタクであり、もう数十年も風邪など引いていない大聖女マグノリア様だが、その日は朝からちょっと喉の調子が悪かったらしい。


 けれど、支障はない。はずだった。


 重要なのは歌声の美しさではない。

 その歌に『加護』が乗せられているかどうか、なのだ。

 

 そう彼女は思っていた。

 何せ、これまでもそれくらいの不調は度々あった。大聖女とて人間なのだから、さすがに多少の不調はある。

 

 なのでその日も、「ちょっと喉がイガイガするのじゃ」と思いつつも、エホンエホンと咳払いをしつつ、自慢の歌声を響かせていたらしい。


 という話を聞いて、私は――、


 『のじゃ』キャラなんだ。


 正直そう思った。


 クローバー家の客間である。

 大きな一人がけソファにちょこんと――まさにもう『ちょこんと』としか言いようがなかった――大聖女様が座っている。どこからどう見たって、洗礼を受けたばかりの十六歳の少女だ。私達はクローバー邸の客間にて、大聖女様と向かい合っている。


「普段なら、本当に問題はなかったのじゃ。ただ、その日は運が悪かったというか」

「運、ですか?」

「どうやらやはり、喉の調子が悪い時というのは歌の効果は弱いらしい。けれども、山の神の怒りもそこまでではなかった。『小ぷんすこ』程度というか。だから抑えられていた、というわけじゃな」


 山の神の怒り火山の噴火の規模って『ぷんすこ』で表すんだ……。


「ということはその日は」


 私がそう言うと、大聖女様は、こくりと頷いた。


「ワシがおらんかったら、スートの半分が壊滅するくらいの大噴火だったのじゃ。大ぷんすこも大ぷんすこ。特大ぷんすこじゃ」

「スートの半分が……?!」


 それが本当ならとんでもない規模の大噴火だ。ちょいちょい聞こえてくる緊張感のない『ぷんすこ』の文字は一旦聞こえないふりをしておく。

 とにかく、本調子じゃないイガイガの喉では無理だったのだろう。


「じゃが、さすがはワシ。何とかギリギリ食い止めたのじゃ。いや、止めた、と思っていたのじゃ」

「でも――」


 そこで大聖女様は「すまぬぅ」と頭を下げた。えっ、そんなそんな! 頭を上げてください! 私、あの、めっちゃ中級の聖女ですから! ほんと! 格下も格下! 本来ならこんな近くでお話したりとか出来ないですし、ましてや一緒にお茶会なんてとてもとても! あの、あとでサイン貰って良いですか? あとツーショットで写真もお願いします!


「一個だけ、どうしても止められなかったみたいなのじゃ。一個だけ、やたらでかい岩がひゅーんと飛んで行ったのが見えての。ワシは怒りを鎮める力は持っていても、飛んで行ってしまったものをどうにかする力はないのじゃ。そういうのは……なんかこう……アレじゃ、『落石を食い止める加護』とか『飛来した危険物をどうにかする加護』とか、そういうのを持っている聖女の管轄なのじゃ!」


 そんな加護があるんだ!?

 あるとしてもきっと、上級聖女以上の加護だろうな。いや、本当にあるのかしら、落石を食い止める加護とかそんなピンポイントのやつ……。でもまぁ大聖女様がそうおっしゃるのだから、あるのかもしれない。


 とにもかくにも、気付けば噴石は目で追えないほどの遠くへ行ってしまった。噴火の勢いで飛んで行ったのだから、当然である。どうしようと思ったが、まずは目の前の噴火だ。彼女は歌い続けなくてはならない。高音域が出ないカッスカスの喉で、痛みと違和感のあるイッガイガの喉で。


 何とか山の神の怒りを鎮めたマグノリア様は、急いで伝令を飛ばした。ジョーカー火山山頂は電話線が引かれていないため、使うのは伝書鷹だ。それを各地の領主宛に飛ばすのである。ジョーカー火山にのみ生息するその鷹は、火山灰が降り注ぐ中でも飛ぶことが出来、また、羽の色だけではなく、くちばしに至るまで灰褐色で染められていることから、『灰色鷹アッシュグレイ』という品種名がつけられている。マグノリア様の話では、伝令用の鷹はそれぞれの固体に名前を付けて可愛がっているらしく、「これがアシュ太郎にアシュ次郎、こっちがグレ子とグレ美。東洋の島国風の名前にしたのじゃ。おしゃれじゃろ? どうじゃ、可愛かろ?」と写真を見せてくれたのだが、ごめんなさい、私にはまったく見分けがつきません。


 それで。


「しかし、どの領からも、噴石による被害も怪我人もいない、と返って来てな。じゃから安心しておったのじゃ」


 それでも一応、各地の新聞を取り寄せたりはしたらしい。もしや、領主の耳に届いていないだけかもしれない。地方紙に載っているかもしれない、と。けれども、空から飛んで来た巨大な岩に関するニュースはなかった。その中には、私の――聖女撲殺未遂事件も確かにあったが、はっきりと『撲殺未遂』と書かれていたため、物騒な事件があるものだと読み飛ばしていたのだとか


 まさかそれこそが、自分の取り逃した噴石だとも思わず。

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