side:エリザ
第22話 彼のことばかり、思い出してしまう
さて、勢いに任せて屋敷を飛び出したわけだが、当然、迎えなんて来るわけがない。なのでストーン領方面の乗合馬車を利用することにし、その時間まで教会の広間で待つことになった。背もたれのないベンチに、二人並んで座る。
乗合馬車は庶民の利用するものだから、乗り場があるこの教会も、正直あまり裕福とは言えない層の居住区近くにある。如何にも貴族令嬢とわかる恰好でうろつくのは危険かな? と思わないでもなかったが、聖女の奉仕活動で何度も通った場所だし、顔見知りも多いから、大丈夫だろう。
「お嬢様、ストーン家に着いたら、しばらくはゆっくり過ごしましょうね」
「そうね、それが良いわね」
「それで、心と身体をお休めになったら、旦那様に素敵な男性を紹介していただきましょう」
「そうね、それが良いわね」
「次はもっと表情が豊かな方が良いのではありませんか? 一緒にいて会話が弾むような。趣味が同じとか」
「趣味ねぇ……」
私のことを元気づけようとしてくれているのだろう、リエッタが明るい声で話題を振ってくれる。
「お嬢様、お花がお好きですし、一緒にお庭を手入れしてくださるような方なんていかがです?」
「そうね、良いわね。お花、好きよ」
『これ、僕が育てたお花』
幼い頃のアレクはそう言って、私に温室を見せてくれた。それからも、ちょいちょい遊びに行く度に覗かせてもらったが、いつ見ても見事だった。それを褒めると彼はやっぱり無表情ではあったけれど、たぶん少しだけ照れていた。微かな頰の強張りであるとか、声のトーンがそうだった気がする。
「お嬢様、読書もお好きですし、一緒に同じ本を読んで夜通し感想を述べ合うとか、素敵じゃないですか?」
「それ素敵ね。一晩中語れちゃうかも。その時はリエッタにお茶とクッキーの差し入れをお願いするわね」
『エリザの好きな先生の新刊が出たよ』
贔屓にしている作家が新刊を出すと、アレクは必ずそれを手に入れておいてくれた。私も既にそれを買っていたりするんだけど、それでも、「この屋敷でも、いつでも読めるように」なんて言って、必ず置いておいてくれるのである。あなたは読んだの? と聞くと、一応、なんて言いながら、私が質問したことに対してはきちんと答えてくれたし、それがシリーズものだったりすると、今後の展開の予想なんかにも付き合ってくれたものだ。お茶とクッキーでそれこそ何時間も。
「一緒に美味しいお菓子を食べに行ったりですとか」
「そうね。私、フルーツタルトが良いわ。カスタードクリームたっぷりの」
『ウチの料理長のスイーツは最高なんだ』
フルーツが好きだと言うと、その次からは、必ずフルーツたっぷりのデザートを出してくれるようになった。タルトにパイに宝石みたいなキラキラのゼリー。美味しいと声を上げる度に、アレクは(たぶん)満足そうだった。もちろん無表情だったけど、本当に微かに目を細めていたから。
リエッタが挙げてくれる度に浮かぶのは、やっぱりアレクだ。彼の本心はやっぱりわからないし、もしかしたら、決められた婚約者だから、仕方なく機嫌を取っていただけかもしれないけど。まぁ、いま思えば、その可能性が高いのよね。だって、どさくさに紛れて婚約を白紙にしてしまうくらいだもの。
「リエッタ、アレクのことだけど」
「アレクサンドル様ですか? お嬢様の唇を奪った大罪人がどうかなさいました? 身分は上の方ですけど! ですけどぉっ! お嬢様、あんな方のことは忘れてしまって正解ですよ!」
私、本当に悔しくて悔しくて! と拳をぶんぶん振るリエッタの手を取る。やめなさい、ストーン領ならまだしも、ここで領主を悪く言うのはほんと駄目。
「あのね、リエッタ。聞いてほしいの。あなただけには」
「どうしました? 何でも仰ってください! 私に! この私めに!」
あなただけに、という言葉が嬉しいようで、彼女はキラキラと瞳を輝かせて身を乗り出した。
「本当は、記憶喪失なんて、嘘なの」
「――は、はぁぁ? そ、それ、本当ですか? お嬢様?!」
「本当よ」
「どうしてそんなことを? あっ、もしかして、アレク様との婚約を無しにしたくて、ですか?」
「違うの。むしろそうじゃないの。ただ、目を覚ました時、私のことを心配するアレクを見てびっくりしたの。この人もこうやって焦ったりするんだな、って」
「確かに、私もアレクサンドル様が屋敷内を全力疾走するの、初めて見ました」
「そんなところを見たの?!」
「すごかったですよ。よほど動揺してらしたのか、あちこちにぶつかって、調度品もいくつか壊してましたから」
「そんなにも?!」
私、そんなアレク見たことないんだけど!?
「えっと……、だからね、ちょっと欲が出たの。もし、アレクのことだけを忘れた、なんて言ったら、自分のことを思い出してもらおうとして必死になるんじゃないか、って。私、彼にそうしてほしかったの。僕は君の婚約者だよ、って情熱的に手を取って、瞳を潤ませて、私のために汗をかいてほしかったの」
たったそれだけのことだったのだ。
それだけのことだったのに。
「お嬢様、じゃあ本当はアレクサンドル様のこと」
「大好きよ。私、自分が思ってる以上にアレクのこと大好きだったみたい」
「お嬢様……。で、では、いまからでも本当のことを話して」
「駄目よ。だって、婚約は白紙になったのよ。アレクが白紙にしたの。好きなのは、私だけだったの。彼は私のことなんか、好きじゃなかったの」
「お嬢様ぁ」
「私だけなのよ、好きなのは。アレクは本当に幼馴染みとしか思ってなかったの」
「お、お嬢様ぁぁぁぁぁ!」
「ほらほら、泣かないで、リエッタ。私は大丈夫。聞いてくれてありがとう」
「ひぐっ、うえっ、なおさら許せませんよぉ、あの鉄仮面伯爵ぅぅぅ! お嬢様の心を弄んでぇぇぇ!」
屋敷に火を放ちます! と立ち上がりかけた彼女を止める。待って、それは普通に犯罪!
「ストーン家に戻ったら、あなたの言う通り、お父様に相談してどなたか素敵な方を探してもらうわ。お父様は顔が広いんですもの。きっとアレクより素敵な男性を探し出してくださるはずよ」
表情豊かで、気の利いたことをたくさん言ってくれるような、そんな方が。
そう言いかけた時だった。
「であれば、俺様で良いのではないか」
後ろから聞こえてきた声に驚いて振り向く。
「シャルル卿……」
一体いつからそこに? と問い掛けると、「エリザ嬢の記憶喪失が嘘だったという辺りから」と返って来る。となれば当然――、
「君は俺様達が嘘をついていることを知っていたんだな」
「そ、そうなるわね、ホホホ」
何の記憶も失われていない、ということはつまり、突然現れた『恋人』を名乗る彼らのことだって、偽物だと最初からわかっていた、ということになる。
「それなのに、なぜそれを暴かなかった」
「それは、その」
えっ、これ言って良いのかな?
あなた達の中に私を撲殺しようとした犯人がいるかもしれないから、どうにかぼろを出さないかしらと様子を見ていたとか、正直に言っちゃって良いものかしら?!
「そんなことわかりきっていますよね、マイスウィート」
「え」
「ボクらが魅力的だったから、でしょっ?」
「デビッド卿に、ユリウス卿……!」
「お、お嬢様……」
きゅっ、とリエッタが私のドレスの袖を掴む。彼らと会う時は必ずアレクかメグ、そして騎士団の皆がついてくれていたのだ。だから、護衛なしに彼らと対峙するのは初めてかもしれない。リエッタが震える気持ちもわかる。スカートの中で膝ががくがくと震える。どうにかして逃げ出したい。
「私達の申し出を、悪くない、と思っていただけたのですよね? ねぇ、ハニー?」
「記憶喪失の振りをしたら、婚約を白紙にされちゃったんだもんね? 伯爵のことが好きだったのかもだけど、脈がないんだもん、さっさと次に行った方が良いよね~?」
「え、えっと」
「ふむ、そういうことなら俺様達の戦いはまだ続く、ということだな」
「えっ、ちょ」
「むしろ、伯爵の目がない分、やりやすくなりましたね」
「失恋した令嬢ほど落としやすいものってないからねぇ。ふふっ、腕がなるなぁ」
どうしてそうなるの?!
どうしよう。
いつもならこういう時はアレクが助けに来てくれるけど、どう考えても絶対に来るわけがないし!
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