side:ケイシー(メイド長)

第21話 なんてことをしてくれたんですか!

「坊ちゃま!」


 ノックもせずにドアをスパァンと開ける。


「話はエリザ様から聞きました――って、坊ちゃまぁぁぁぁ?!」


 ベッドの上にうつぶせになっているアレクサンドル坊ちゃまの身体が半分ほどずぶずぶとマットレスに沈んでいる。そのマットレスのスプリングはどうなっているのだろう。えっ、このマットレスって持ち主の気持ちを視覚的に表してくれる機能とか搭載されているやつでしたっけ?


 思わず目を擦ると、なんてことはない、どうやらそれはわたくしの幻覚のようである。つまりは、それくらい沈んで見えた、と。めり込むほどに。めり込むほどに。


「ケイシー……」


 声にも全く覇気がない。

 辛うじて聞き取れるレベルの声量だ。

 背中に、超特大の『ずぅぅぅぅぅぅぅん』の文字が乗っかって見える。むしろこれに押し潰されているようだ。


「僕はとんでもないことをしてしまった」

「そのようで」

「エリザに会ったのか」

「はい」

「何か言ってたか」

「仰ってくださったから、いまこうして坊ちゃまのところに来たのです」

「そうだったな」

「昨晩は、涙で枕を濡らしていたようです」

「!!」

「瞼をぽんっぽんに腫らしておいででした」

「!!!」


 びくっ、と身体を震わせたかと思うと、ぐすぐすと鼻を啜る音が聞こえてくる。


「どうしよう。どうしよう。嫌われた。エリザに嫌われた。泣くほど嫌だったんだ。取り返しのつかないことをしてしまった」

「全くとんでもないことでございますよ! 坊ちゃまは女性の――エリザ様の唇を何だと思っておられるのですっ!」

「何にも代えがたい至上の宝石。あるいは楽園の果実」

「そういうことではなくっ! いえ、それはそれで正しいのかもしれませんけどっ! そういうことではなくっ!」


 思わずパタパタと足を踏み鳴らす。

 無駄に詩的なのは何なのですかっ!


「だいたい! 間違えたって何ですか! 間違えたって! 何をどうお間違えになったのですっ! 間違えるも何もないでしょう! エリザ様のことがお好きなのではっ!?」

「好きだよ。ずっと好きだよ。これから先もずっと。ずっと好きだよ。なのに、うう、ぐすん。嫌われた。絶対に嫌われた」

「一旦その『嫌われた』は置いといて! 何を間違えたのですっ!」


 ええい、起きろぉ! とうつ伏せ状態の坊ちゃまを起き上がらせようとするけれど、さすがは男性だ。坊ちゃまはシュッとして見えるけど、鍛えているから案外重いのである。それに、なんていうか、「絶対にここから動かないぞ」という強い意志のようなものを感じるのである。あの手この手で頑張ってみたけれど、無理だ。これはてこでも動かないかもしれない。格闘すること三十分。さすがに諦めた。


「先にプロポーズをして、ちゃんとオーケーの返事をもらってからと思ってたんだ。順番を間違えた。僕としたことが」

「間違えたって、順番のことでしたか」

「それ以外に何を間違えるというんだ」

「言葉のチョイスでございますかねぇ」

「……どういうことだ?」


 やはり、その辺も全くわからないらしい。

 はぁ、とため息をついて「良いですか、坊ちゃま」と、気持ち優しい声で語りかける。


「これはあくまでもわたくしの考えといいますか、エリザ様の反応から推測したものですが」

「うん」

「おそらくエリザ様は、坊ちゃまからのキスをそこまで迷惑に思っていなかったはずです」


 むしろ少々嬉しかったのでは、とすら思っている。お話ししてくださった時、ほんの少し頰を赤らめたのをわたくしは見逃しませんでしたから!


「……それは本当か?」

「わたくしが坊ちゃまに嘘をついたことがございますか?」

「ないな」

「そうでしょうとも」


 ええ、多少言葉が足りてなかったり、盛ったりするのは嘘にカウント致しませんから!


「でもそれならなぜ」

「坊ちゃまが『間違えた』などとおっしゃったからです」

「え」

「そんなことを言われたら、『する相手を間違えた』ですとか」

「僕はエリザ以外とキスする予定なんてないっ!」

「あるいは、『するつもりがなかったのにしてしまった』とか」

「僕はいつだってするつもりでいる! 常にエリザをそういう目で見ているし、機を窺っている!」

「そこは秘めておいてくださいましね。とにかく、そういう風に捉えられてしまうのです。現にエリザ様はそうお考えのようでした。つまりは、自分は本来はされるべき相手ではなかったのだ、と」

「そんな! 誤解だ!」


 坊ちゃまが、がば、と起き上がって声を荒らげる。が、もちろんそこに表情はない。眉間にしわが刻まれているだけだ。逆に器用すぎないだろうか。あんなにぐすぐす泣いていたはずなのに、あの涙はどこへ行ったのだろう。


「でーすーかーらっ! それを解かなければならないという話なのですっ!」


 良いですか、坊ちゃま、と言って咳払いを一つ。坊ちゃまはベッドの上にきちんと座り直し、聞く姿勢に入った。相手がメイドだろうがなんだろうが、関係ないのだ。指摘され、自分が悪いと気付けば反省するし、耳を傾ける素直さも持ち合わせている。


「してしまったことはもうどうにもなりません。時間を戻すことは出来ないのですから」

「確かにその通りだ」

「であれば、誠心誠意謝罪をして、いまのお気持ちを伝えるのです。何なら、そのままプロポーズするのです! その気持ちがあるが故のキスであったと!」

「しかし、それはエリザを襲った犯人を捕まえてからと」

「黙らっしゃい! そもそも坊ちゃまがイレギュラー対応をなさったからでしょう! この際、先にそこを固めてしまってから犯人探しに切り替えるべきです! うかうかしていたら、犯人はおろか、エリザ様にも逃げられますよ!」

「それは困る!」


 叫ぶや、坊ちゃまは力強く立ち上がった。


「僕はエリザを失いたくない!」

「その意気です、坊ちゃま!」


 そうと決まれば、いざエリザ様のもとに――、と拳を振り上げたところで、


「たっ、大変でございますっ!」


 真っ青な顔をしたルーベルトさんが、手紙のようなものをヒラヒラさせながら部屋に飛び込んで来たのである。


「どうした、ルーベルト。騒々しい」

「そうですよルーベルトさん」

「お二方、そのように落ち着いている場合ではございませんっ!」

「どうしたというんだ、ルーベルト」

「こっ、ここここ、ここここ」

「あらあらちょっと、ルーベルトさん、随分と年季の入った鶏の真似ですこと」


 ココココとなおも鶏の真似をしながら、「こちらをぉ!」と持っていた紙をふるふると向けてくる。何だ何だと坊ちゃまがそれを一読して――、


「!!!!!!!」


 倒れた。

 バッターンと。

 良かった、後ろがベッドで。


 じゃなくて。


 そこに書かれていたのは。


『実家に帰ります。もう二度とここには来ません。間違うことのない、ご令嬢とお幸せに。――エリザ・ストーン』


「こ、これは!? ルーベルトさん、エリザ様は!?」

「いらっしゃらないのです! 屋敷中のどこにも!」

「どこにも!? リエッタは? 侍女のリエッタは何を」

「リエッタもおりません! その、実は十分ほど前にリエッタが何やら要領を得ないことをまくし立てて来まして、荷物は後で送ってくれれば良いだのなんだのと。それで、その時はハイハイと聞き流していたのですが、妙だなと思い、その後お部屋に行ってみたら――」


 もぬけの殻だった、と。


「ルーベルトさん! あなたがその時点で動いていれば!」

「面目次第も! 誠に申し訳ございませんんんんん!」


 ああぁどうしましょう。このままでは、とオロオロしていると、「自分を責めるな、ルーベルト」と坊ちゃまの声が聞こえた。


「そもそもの原因を作ったのは僕だ。責められるべきは僕だ。もうおしまいだ。エリザに嫌われた。出て行かれてしまった。もう駄目だ。この世の終わりだ……」


 ベッドの上で天井を仰ぎながら、坊ちゃまはさめざめと泣いた。


 無表情で。

 逆に器用すぎないだろうか。


「坊ちゃま……」


 わたくしとルーベルトさんが揃ってがくりと落とす。


 その時だ。


 リンゴン、と来客を告げるベルの音が聞こえた。

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