side:エリザ

第20話 あくまでも幼馴染みなんでしょう?

 は?


 ちょ、どういうことなの?


 アレクがなんか急に跪いておかしなことを言い出したかと思ったら、顔を触られてキスされたんですけど!?


「ちょっ……と! アレク!」


 慌てて彼から距離を取る。バランスを崩して尻餅をついてしまって大変恰好悪い。けど、それを気にしている場合でもない。


「どういうつもりよ、あなた」


 私達、ただの幼馴染みってことになってるのよ? いや、一応『大切な幼馴染み』にランクアップしたけど、それでも肩書はほぼ変わらない。あくまでも『幼馴染み』だ。それに、婚約していた時だって、こんなことはもちろんしていない。だからつまりは、これが私の、私達の初めてのキスだ。アレクもきっとそうだと思う。


 私に問いかけられたアレクは、ハッとしたような顔をして、自身の唇に触れた。目を見開いて、自分でも何をしたのかわかっていないような表情をしている。無表情が崩れていることに、驚きよりも安堵が勝った。さすがにこんな時でも表情が変わっていなかったら、私だって傷つく。


 正直なことを言えば、少しだけ期待した。

 もしかしたら、何かが変わるんじゃないかって。キスから始まるなんてふしだらだと思うし、本当はちゃんと段階を踏んでほしかったけど、それでもちょっとドキッとしたのだ。


 だからもし、このタイミングで告白でもされたら、と。


「僕は……その」

「何でこんなことしたの。だって私達、幼馴染み、よね?」


 確認のつもりでそう言った。けれど、本心では否定してほしかった。むしろそれを引き出すための言葉だったのだ。


 が、彼は言った。


「すまないエリザ」


 と。


「何が」

「間違えた」

「……はぁ?」


 間違えたって何よ。

 するつもりはなかったのに、なんか雰囲気で流されちゃったってこと? 最低すぎるでしょ。婚約中ならまだしも、私達、いまは単なる幼馴染みなのに!


「何よそれ」

「すまない、なんと詫びたら良いか」

「詫びなんて、してくれなくて結構よ」

「聞いてくれ、エリザ。僕は」

「聞きたくない」


 信じられない、あなたがそんな人だとは思わなかった、そう吐き捨てて、廊下を走った。私の名前を呼ぶ声も聞こえた気がするけど、そんなものは無視よ、無視!


 部屋に飛び込んで、ばたん、とドアを閉める。鍵でもかけてやりたかったけど、ここはリエッタやケイシーも出入りするから、それはやめた。それに、アレクは勝手に入ってくるような人じゃないし。


 ベッドに潜り込むと、じわじわと涙がにじんでくる。

 一瞬でも、ときめいた自分が馬鹿みたいだ。

 大好きな絵の下で、月明かりが微かに差し込む廊下で、ひっそりと唇を奪われるだなんて、ちょっとロマンチック、なんて。


 実際は、たぶん、たまたまそこに私の顔があったからそうしただけなのだ。彼だって健全な男なのである。そういう欲求だってあるはずだ。たまたまそういう気持ちになっただけなのだ。そういう気持ちになっているところに、私がいたから。顔がすぐ近くにあったから。それだけだ。誰でも良かったんだ、きっと。何なら誘惑されたとか思ってるかも。


「アレクの馬鹿ぁ」


 にじむ程度だった涙はしっかりと枕を濡らすまでになり、私はどうやらそのまま眠ってしまったらしい。朝になり、私がなかなか起きて来ないことを心配したリエッタが、ケイシーと共にドアをノックした。かすれた声で返事をし、入室を許可する。


 と。


「お、お嬢様ぁっ!?」

「エリザ様、どうなさったのですっ!」

「え? 何?」


 瞼をぷくぷくに腫らした私を見て、二人が揃って悲鳴を上げた。


 そこからはもう大騒ぎだった。

 リエッタがわたわたと氷を用意し、ケイシーは食事をワゴンに乗せて運んでくる。その食事も思いっきり病人食である。


「お嬢様、お嬢様ぁ……! あぁ、星を散りばめた夜空のように美しいお嬢様の目がぁぁ……! ぷくぷくの瞼に阻まれてお見えにならないぃぃぃ……!」

「大丈夫、見えてる! 見えてるわ、私には! うっすら隙間はあいてるの、これでも! 大丈夫よ、リエッタ!」


 私を心配してえぐえぐと泣きながら瞼を冷やしてくれるリエッタは私の二つ下で、妹のような存在だ。十二歳の時にストーン家にやって来て、それからずっと私付きの侍女としてあれこれと世話を焼いてくれている。今回私がいよいよ嫁ぐとなって、もう何が何でもついて行きますとお父様に直談判してその権利を勝ち取ったのである。そこまでしなくても連れて行くつもりだったんだけど。


「しかし、一体何があったのですか、エリザ様。昨晩お休みになられた際にはこのような腫れはなかったと思うのですが」


 ケイシーがお茶を淹れながら尋ねてくる。気持ちを落ち着かせる効果があるのだというハーブティーらしい。とても良い香りだ。


「夜更かしでもなさったのですかっ!? 睡眠不足はお肌に悪うございますよぉっ!? ああぁ、お嬢様のつやつやぷるるんな美肌がぁぁぁ! 損なわれてしまったぁぁぁ! 世界の損失ですわぁぁぁ!」

「ちょっと落ち着いてリエッタ。その、就寝時間は特にそこまで遅いわけではないのよ? だから大丈夫、睡眠時間は足りてるはず。たぶん損なわれてないわ。たぶんね」


 そう返すと。


「では、なぜ?」

 

 と、二人の声がシンクロする。とはいえ、リエッタの方はずびびと鼻を啜り上げながらではあったけど。


 こうなると話すしかあるまい。

 でも、ストーン家の侍女であるリエッタはまだしも、ケイシーはクローバー家のメイドだ。もしかしたら、伯爵夫人の座を狙って既成事実を作ろうと私からキスを迫った、みたいに誤解したりしないかしら。そんな考えも一瞬よぎったけど、でも、彼女との付き合いもなんだかんだ長いのだ。ちゃんと話せばわかってくれる、かも?


 そう思い直し、昨夜の出来事をぽつぽつと話す。


 話し終えると、リエッタは「チクショォォォォォ! お嬢様の心を弄びやがってぇぇぇぇ!」と吠えた。「伯爵じゃなかったら、殴ってます!」とやけに切れのあるパンチを見えない敵(たぶんリエッタにはアレクが見えているのだと思う)にお見舞いしている。えっ、あなた、そういうの出来る人だったっけ? もしかしてメグに稽古つけてもらったりしてない?


 それで、ケイシーは、というと――。


「坊ちゃまに事実確認して参ります! エリザ様のおっしゃることが本当なのであれば、由々しき事態です!」


 そう言って、勢いよく部屋を飛び出そうとしたところで、すぐにつかつかと戻り、ぎゅっと私の手を握る。


「エリザ様、誤解のないように申し上げておきますが、わたくしはエリザ様を疑っているわけではございませんから!」


 何だかこんなに怒っているケイシーを見るのは初めてかもしれない、と呆気にとられ、「はぁ」としか返せない。

 

「むしろ、エリザ様の味方です! 同じ女性として、『間違えた』なんて、許せるものですかっ!」


 そんっっっな人間に育てた覚えはございませんっ! と真っ赤な顔でだんだんと足を踏み鳴らし、ふんすふんすと頭から湯気を出しつつ部屋を出て行った。


「ケイシー様、ものすごく怒ってらっしゃいましたね」


 しん、と静まり返った部屋に、リエッタの落ち着いた声が響く。自分以上に怒っている人間を見て冷静になったのだろう。


「でも、お嬢様、どうなさるんですか?」

「どうって?」

「アレクサンドル様と、これからも幼馴染みとして過ごせそうですか?」


 僭越ながら申し上げさせていただきますが、と断って、リエッタがおずおずと尋ねて来る。


「だって、お嬢様は初めてのキスだったのですよ? それを奪った方と、それも、『間違えた』、なんてのうのうと宣ったような方とですよ? いまからでも旦那様に相談して、ストーン家に戻られた方が良いのではありませんか?」

「そうよね。ここにいたって仕方ないものね」


 ここにいたって、私はアレクの婚約者には戻れないのだし、あの三人の貴族達をかわすだけなら実家ストーン家でも出来るのだ。むしろここに滞在しているからこそ、あんなことが起こるわけで。


 私のためにも、それから、彼のためにも、ここを出た方が良い。

 そうよ、今度は『間違えない』相手を探して、そういうことをしたら良いのよ。


「そうと決まれば、もう出ましょう、リエッタ」

「お嬢様?」

「せっかく用意してくれたから、このお食事はいただくけど、食べたらもう出て行くわよ。ルーベルトさんにそう伝えてきて頂戴。荷物は後で取りに来させるから、って」

「わ、わかりました!」


 わたわたとリエッタがくるりとUターンをする。そして、思い出したようにこちらを向いてカーテシーをしてから、やっぱりわたわたと部屋を出て行く。それを見送ってから、「さぁ、腹ごしらえをしたら身仕度よ」そう意気込んで、パン粥を口に運んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る