第18話 廊下に飾られた絵画と、その思い出

「デビッド卿とユリウス卿は、グルだ」


 そんなことを吹き込まれた、シャルル卿とのデートが終わった。

 

 夕食を済ませ、部屋に戻って、ベッドの上にごろりと寝そべる。後はもう寝るだけだけど、シャルル卿のその言葉が引っかかって何だか眠れそうにない。ハイキングの後だし、身体はしっかり疲れているのに、目はギンギンである。

 

 その二人が本当にグルだったとして、だ。


 そんなことを私に言われたって困るのよ。だったらむしろアレクに言ってもらわないと。そうでしょう? だってここはストーン家じゃないのだし、私は客人の立場だ。何が出来るわけでもない。


 客人、なんて、自分の言葉にいちいち傷つく。まぁ事実なんだけど。


 でも、そうよ、アレクに相談したら良いのよね。

 明日にでも相談してみようかな。でもさすがにそれくらいはもう調べてるかもしれないけど、万が一ということもあるし、第一、私一人で抱え込んだって仕方がないのだ。


 よし、それじゃあこの話は解決ね、おやすみなさい。


 そう思ってぎゅっと目を瞑るけど、睡魔はちっとも訪れてくれない。ただただ、たくさん歩いた足だけがだるく重い。


 駄目だ、これはなんかちょっと気晴らしが必要かも。

 

 そう思い立ち、がばりと起き上がって上に一枚羽織り、部屋を出た。



 屋敷内は好きに歩いて良いと言われている。

 

 幼い頃から何度も通ったことのある廊下の壁には、私とアレクがそれぞれ気に入っている絵画が飾られている。アレクはバラ園の絵、私は夜の砂漠を照らす月の絵だ。バラ園も砂漠も、どちらもスートのどこかにあるらしい。幼い頃のアレクはここを通る度、私に言ったものだ。


「いつかここのバラを君に見せたい。少し遠いところにあるんだけど。僕が必ず連れて行くから」


 と。


 どうやら、敷地内にあるバラ園ではないらしい。その時は僕が君を馬に乗せていく、って。私が、だったらこの砂漠にも行きたいと言うと、「夜の砂漠はとても冷えると聞いたから、ちょっと荷物は増えるけど、しっかり準備して、必ず行こう」と言ってくれたっけ。夜の砂漠は冷えるから駄目とも、荷物が増えて大変だから駄目とも言わなかった。しっかり準備して行こう、って。幼い頃から、そういう人なのだ。


「行きたかったなぁ」


 ぽつりとそう呟く。


 馬に乗せてもらうことは出来たし、また乗せてくれると言ったけど、でもたぶん、そんな遠いところにあるバラ園や砂漠にまでは連れて行ってくれないだろう。


 もしいま、「全部思い出しましたー!」って言ったとしたら、そしたらアレクはどう思うだろう。せっかくどさくさに紛れて婚約をなかったことに出来たのに、ってがっかりするんだろうな。私だけが良くても、それじゃあ駄目だ。だから、絶対にそんなことは言えない。私の記憶は戻らないままの方が良いのだ。


 じわ、と涙が滲んでくる。


 アレクが私との婚約をなかったことにしたかったのなら、私の行動自体は間違いではなかったのだ。私はいまこうしてすごく後悔しているけれども、彼は手にした自由を謳歌しているはず。そりゃあ、撲殺未遂事件なんてとんでもないことが起こってしまったから、お相手探しどころじゃないかもだけど。でも伯爵家に嫁ぎたい令嬢なんてそれこそたくさんいるはずだし、選び放題だろう。


 ちょっとばかし表情に乏し――いや、表情筋が死んでて何を考えてるかわからないとか、堅物すぎて近寄りがたいとか言われてるけど、これが案外、そうでもないんだからね? 私は多少付き合いが長いから、まっっっっったく表情筋が仕事をしていなくても、なんとなーく彼の考えてることくらいはわかるというか……って私、小姑か何かみたいだわ、これじゃあ。


 そんなことを考えていると、涙の量産がぴたりと止まる。後はこの瞳にへばりついている涙の膜が乾いてさえくれれば――、


「エリザ」


 不意に名前を呼ばれ、慌てて振り向く。

 そのはずみで、涙がほろりと落ちた。たった一粒だったけれど。


 ヤバい、なんか変なとこ見られた!

 でも薄暗い廊下だし、涙までは見えないだろう。


「どうしたの、アレク?」


 あなたも眠れないの? と尋ねようとして、彼がまだ着替えていないことに気付く。そうよね、私と違ってアレクは仕事があるんですもの、こんな時間に床に就いたりなんてしないわよね。


「君こそどうしたんだ。こんなところで泣いて」


 バレてたか――!

 アレク実はめっちゃ視力良い!?


 早足で距離を詰め、私の手を取る。いや、そこまでする必要なくない? さてはあの三人にあてられたわね? 握手OKにしたらやたらと握ってきたものね、あの人達。でもだからといってあなたまでそうする必要はないのよ、アレク。私達ただの幼馴染みなんだから。


「僕が不甲斐ないせいで君を不安にさせてすまない」

「えっ」

「いつまた命を狙われるかと怯えていたんだろう。それで泣いて――」

「――たわけではないからね?」

「そうなのか。僕はてっきり」


 じゃあどうして、と聞かれ、面倒なことになったぞ、と思う。

 そうか、いっそ怯えて泣いてたことにすれば良かったのか、って気付いたけど、時すでに遅し。


「えっと、その……」


 何と誤魔化したものかと焦りつつ、つい視線を壁の絵に走らせてしまう。あの距離の私の涙に気付くような彼である、私が絵をちらりと見たことにももちろん気が付いた。


「あの絵は――」


 そう口を開いて、私の手を取ったまま、絵の方へ歩き出す。くい、と優しく引かれ、私もそれに続いた。


「君は覚えていないかもしれないが、幼い頃、君はこの絵をすごく気に入っていて」


 と、砂漠の絵を指差す。


「夜の絵が好きだと言っていた。幼い僕達にとって、夜というのは、大人の時間だった。当然、外に出ることなんて叶わない。だからこそ、憧れがあったんだろう」


 そう話すアレクの横顔をじっと見つめる。表情はいつもと変わらないけれど、声色が微かに優しくて、昔を懐かしんでいるようだった。手を伸ばし、そっと、額縁に触れ、なぞる。


「いまの君は、この絵を見てどう思う?」


 問い掛けながら、私を見る。


「どう、って」

「大きくなれば、好みも変わるかもしれないと、思って」


 アレクは、言わなかった。

 私がこの絵を見て、ここに行きたいと言っていたことを。ただ単に、幼い頃の私が好きだった絵、としか。


「素敵な絵だと思うわ」

「……そうか」


 そこに触れなかったということは、アレクが忘れているか、あるいは、下手なことを言って連れて行く羽目になったら困ると思っているかだろう。私が覚えているんだもの、私よりもずっと記憶力の良いアレクが覚えてないはずはないし、ということは、つまりそういうことなのだ。さすがに夜の砂漠なんて、連れて行きたくはないのだ。荷物だって多くなるし。


 妙な沈黙に耐え切れず、話題を変えねばと、「アレクが好きな絵はどれなの? この中にある?」と尋ねる。すると彼はその隣にあったバラ園の絵を指差した。


「僕はこれが」

「素敵な絵ね」

「あぁ」


 そしてまた沈黙だ。

 やっぱり、ここから会話を膨らませる気はないらしい。

 彼はさっきまで額縁に触れていた手をすとんと下ろし、それをぎゅっと握り締めている。


 気を遣わせて無理にしゃべらせるのも悪いし、そろそろ部屋に戻った方が良いかしら。と、ここで思い出す。そうだ、デビッド卿とユリウス卿の話はどうしよう。いま話した方が良い? それとも、明日改めて? 


 私のことばかりに時間を取らせるのも申し訳ないから、いま言ってしまった方が良いような気もするけど、話が長くなっちゃったらそれも申し訳ない。ここを通ったのだって、気分転換とかそういうのかもしれないし。


 えぇ、それじゃあどうしようかな。

 あぁでもこの悩んでる時間ももったいない。


 そんなことをうだうだと考えていると、躊躇うようなトーンで「もし」とアレクが口を開いた。

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