第三章 数歩離れた関係
side:エリザ
第15話 『スペード領の清き水』デビッド卿
市場の案内は、まぁまぁ穏便に終わった。それで、せっかくだから全員で食事をしようということになったのだけれど。
「アレクサンドル様、少々よろしいでしょうか」
表面上は和やかな会食の場で、デビッド卿が優雅な所作で挙手する。
「どうした、デビッド卿。口に合わないものでもあったか」
「いえ、お料理はどれも素晴らしいお味で。さすがは『実りの領』と誉れ高いクローバー領でございます」
「何よりだ。それで、どうした」
「私達は、エリザ嬢の恋人として、他領より遥々こちらへ――」
「貴君がエリザの恋人であるかはまだ確定してはいない。あくまでも、候補の一人だ。忘れるな」
「申し訳ございません。何せ私の中には彼女との密な思い出が、それこそ溢れんばかりにございます故、つい、『恋人』と申し上げてしまったまでで」
そう言って、眉を下げ、切なそうに私を見る。
いやいやいやいや! ない! ないから! 何その『密な思い出』って。何がどう密なのよ!
ちら、とアレクも私を見る。確認するかのようなその視線に、必死に首を横に振った。違うから! 断じて違うから!
「まぁ、私以外にも『恋人』を名乗る者がいたことに驚いてはいますけれど――あぁ、もちろん、真実の恋人はもちろん私なのですが、そう思い込むくらいは自由にさせてやりましょう。何せこれだけ魅力的な女性なのです。それに気付いているのが私だけのはずがないのですから。ああでも、ご安心ください、エリザ嬢。私の心はパラス山の万年雪のようにいつまでも溶けませんから、マイスウィート」
と、上手いのか何なのかわからないことを言って、私に向かってぱちりとウインクを飛ばす。シャルル卿といい、このデビッド卿といい、なぜ自領の山をいちいち引っ張り出して来るんだろう。山好きか?
「ただ、エリザ嬢に思い出してもらおうにも、これではあまりにも彼女との触れ合う機会が乏しすぎるのではないかと思うのです」
「ほう?」
「その手に触れることが出来たなら、身体を抱き締めることが出来たなら、耳元で愛を囁くことが出来たなら、よもやすべてを思い出せるかもしれないというのに、それが叶わないのです。思いが通じ合った恋人同士であれば当然のように出来ることが、いまの私には許されていない。それどころか、単なる幼馴染みと仰る伯爵の方が、彼女に近いようにお見受けするのですが?」
いちいち芝居がかったような動きをしながら(何なら気付けば立ち上がってすらいる)、そう訴えるデビッド卿である。ミュージカルでも始まるかと思った。
ちなみに、ルーベルトさんの話だと彼は――、
「『デビッド・スペード』様、こちらのお方は『スペード領の清き水』と呼ばれております」
「清き水? どういうこと?」
「パラス山の雪解け水が流れ込む、清流アテナ川から取ったそうで。清き水、つまり清流のように心清らか且つ冷静沈着な方であると」
「へぇ……」
確かに清流は『清らか』だろうけど、本当に心が清らかだったら記憶喪失の令嬢につけ込んで恋人を騙ったりしないんじゃないかしら。それに冷静沈着ってどこから出て来たの?! 清流にその要素ある? 清流って冷静なの? 意思あったっけ?
「それで『清く澄み切った清流アテナ川の輝きを背に受けながら永遠の愛を誓った』そうでございます」
「やっぱりこの方もそういう演出があるわけね……」
それでもまだ山火事よりはマシかしら。ただ、輝きを背に受けて、っていうのが少々気になるだけで。あれよね? 太陽の光がキラキラと反射して――みたいなことで良いのよね? 間違っても、こう、ザパーン! みたいな水しぶきではないわよね? そんな中で愛を誓い合いたくないんですけど?!
「ちなみにアテナ川は幅約三百メートル、落差四十メートルの『パラス・アテナの滝』が有名です」
「輝いてるの、絶対その水しぶきのやつじゃない!?」
びっちゃびちゃよ、だとしたら! そんなところで愛なんて誓いたくないんですけど!
「ちなみにプロポーズの言葉は『私と穏やかな家庭を築きましょう』、だそうです」
「文言はまともだけどシチュエーションが最悪ね。下手したら風邪を引いて穏やかなんて言ってられないことになるわよ」
スペードは騎士が力を持つ『騎士道』の領だ。もし、スート伯爵領が他領から攻め込まれたりした際には、このスペード騎士団が動くことになっている。となると、ここの騎士団が反乱を起こしたらとんでもないことになるのでは、と思ったが、実はスペード領は、その過酷な自然環境により、作物がほとんど育たないのである。
収入は主に、騎士の派遣料と、それから、領内にある鉱山から取れる鉱物と、それを使った工芸品のみ。その鉱物も、分厚い雪と氷のせいでそう大した量を発掘することは出来ない。それで、民を哀れんだランスロットおじ様が、派遣料に上乗せしてクローバー領の物資を援助しているのだそう。だから、下手な動きをすれば、それを止めるだけだ。
「でも、止めるだけなのでしょう? そんな呑気なことをやってる間に制圧されてしまったら……」
そうアレクに言うと、
「騎士団を持っているのは何もスペード領だけではない。確かに向こうは過酷な訓練にも耐えたスペシャリストかもしれないが、何のためにこちらに派遣させていると思っている」
「何のためって。警備とか、ではないのですか?」
「それもあるが、そう出番があるわけでもない。ウチに来ているスペードの騎士団は、あんな過酷な環境で生涯を終えるよりも、温暖で、実り豊かな我が領にい続けたいだろう。任期内は家族ごと受け入れているし、本人がどう思っているかはわからんが、少なくとも家族はそう思っているはずだ。それに彼らの主な職務内容は我がクローバー領騎士団のスキルアップだ」
もちろん任期内に何事もなければそれに越したことはないが、その場合は、引退後の余生をこちらで過ごせるよう手配済みなのだという。言われてみれば領内には、スペード領特有の雪焼けした浅黒い肌を持つ、やたら眼力の鋭い、ムキムキの老人をよく見かける。そういうことだったのか。
おじ様のもっともっと前の代から、そうやって来ていたらしい。それでこれまでも上手くやって来た、と。こういう言い方もなんだが、スペード領は高齢者が住むには環境が過酷すぎるのだ。彼らの福祉に回すだけの財政も正直厳しい。だから、高齢者をクローバー領に移住させることは、向こうにとっても都合が良い。
が、そこで、『賢者の石の聖女』の出番、ということらしい。
何せ『賢者の石の聖女』は鉱物を純金に変える力を持つのだという。ならば、そのわずかな鉱物をすべて純金に変えれば良い。財政難はこれで一気に解決である、と。
だから!
そんな力はありませんけど!
――っと、またしても回想が挟まってしまったが、とにもかくにも現在置かれている状況に不満があるらしいデビッド卿である。それについては他の二人も同様であるようで、うんうんと深く頷いている。お互いが恋敵同士とはいえ、こうなれば三対一の構図だ。
「良いだろう」
アレクは、言った。
「ある程度の接触は許可しよう」
と。
えっ、そんな、と私が驚いて彼を見ると、私に向かって軽く手を上げて見せた。黒曜石の瞳が「大丈夫だ」と言っている気がして、浮かせかけた腰を再び椅子に下ろす。
「だが、エリザが微かにでも拒絶の意を示した際には直ちに離れるよう。無理強いするようなことがあれば、斬る」
斬る――!
アレクの『斬る』出ちゃった――!
斬っちゃ駄目! そう簡単に斬っちゃ駄目!
まさかと思うけど、怪しいやつ全員斬れば解決とか思ってない!?
「斬る、ですか。アレクサンドル伯爵の剣の腕は我がスペード領にも轟いておりますが――、スートでも特に平和と謳われる『実りの領』の領主様は、随分と血に飢えていらっしゃるようですね。私を斬ってどうします。畑の肥料にでも?」
「貴君の血肉を肥やしにしたとて作物は育たん。穢れる。それと、貴君の領では、女性の意思を尊重せず、無理やり手籠めにするのが当たり前なのか? とんだ騎士道精神だな。聞いて呆れる」
「む、無理やり手籠めになど」
「ならば、問題あるまい。エリザ、デビッド卿は騎士の心を持つ紳士のようだ。ならば領内に彼の血が流れることはないだろう。安心し給え」
「は、はぁ……」
そうかな?
本当に安心して良いのかな?!
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