第14話 馬上の思い出語りと、拭えない後悔

「わぁ、アレクサンドル様」

「おぉ、領主様だぞ」

「あら、聖女エリザ様とご一緒よ」


 アレクと私を乗せた彼の愛馬が、石畳の上をカツカツと優雅に歩くと、市場の人達が、彼を見上げて顔を綻ばせた。アレクは無表情の鉄仮面伯爵だが、領民の方では、「己に厳しく、浮ついたところもなく、真面目で堅実な御方」とそれを好意的に見ているらしい。無表情からそこまでわかるのすごいな。実際、アレクが真面目で堅実なのは間違いないし、浮ついているところなんて見たことがない。彼を尊敬の眼差しで見つめる領民達の姿から読み取れるのは、どうやら彼は『良い領主』らしい、ということだ。


 でも。


「やっぱりお二人がご婚約されているという噂は本当なのね」

「ご結婚が楽しみね」


 これについてはどうなのか。


 私達の婚約は内々のもので領民間では噂レベルだったし、またそれが白紙になったことなんて彼らは知らない。元々大々的に発表していなかったのだ。白紙になったも何も、元からそんな話はなかったようなものである。ただ、幼い頃から仲の良い男爵令嬢がいて、もしかしたら婚約するかも、という噂だけはあったのだ。


「アレクサンドル様、その、領民達が勘違いを――」

「構わない」

「でもこんな噂が立ってしまったら、いずれあなた様の婚姻に差し支えるのでは」

「構わない」

「でも」

「君の方が迷惑でなければ」

「私は、別に」

「なら構わない」


 やはり表情を一つも変えずに言った後で、ぽつりと「幼い頃」と語り出した。


「僕が馬に乗っているのを見て、君も乗りたがったことがあった。僕としてはそのつもりでいたんだが、両親に止められた。まだ危ないって。それから機会がなくて実現しなかったけど、僕はずっと君をこうして馬に乗せたかった」


 そういえば、そんなことがあったかも。乗りたいと言った時、アレクは「良いよ」と即答してくれたけれど、おじ様とおば様が真っ青な顔で止めに来たんだっけ。


「やっと念願が叶った」


 そう話す彼の声に嬉しさが滲んでいるようで、胸がじわっと温かくなる。


「エリザ」


 優しい声で名を呼ばれると、涙が出そうになる。彼はまっすぐ前を見据えていて、こちらに一瞥くれたりもしない。余所見をすれば危ないから、それは当然なんだけど。でも、もしかしたらいま、彼の目は柔らかく細められているのでは、なんて期待してしまう。何でしょう、と短く返事をすると、彼はまた落ち着いた声で話し出した。


「こういう、些細なもので構わないから、僕との記憶を少しでも思い出してもらえたら嬉しい」

「え、っと」

「欠片で良い。断片的で良いんだ。こんな思い出を僕だけが後生大事に持っているなんて、寂しすぎる」

「わ、わかりました」

「ただ、無理に思い出そうとしなくても良い。思い出そうとして思い出せるものでもないだろうし」


 それはそうだ。思い出したい、って気持ちだけで思い出せるならお医者様だって苦労はしない。いや、私は本当は全部覚えてるけどね?!


「……でしたら」

「うん?」

「アレクサンドル様が教えてください。私達の思い出を。アレクサンドル様が覚えている限り」

「僕が」

「そうです。そしたら思い出すかもしれませんし、思い出せなくても、そんな可愛らしいことがあったのだと、心に留めておきますから」

「わかった。それと――」


 ギッ、と手綱を握る手に力が込められたようだった。


「君さえ良ければ、以前のように接してほしい」

「以前の、ように……?」

「君は僕のことを『アレク』と呼んでいた。僕がそう呼んでほしいと言ったんだ。堅苦しい言葉遣いも不要、と。家族や友人に話しかけるように気安く接してもらいたい」

「ですが、私達はただの幼馴染みですし」


 近付いたら、きっと期待してしまう。婚約者でもないのに、もしかしたら、を期待してしまう。


「……訂正する。君はただの幼馴染みではない」

「え」

「あれは僕の失言だった。君が記憶をなくしたと聞いて動揺したんだ。すまない」

「じゃ、じゃあ――」


 やっぱり、婚約者のまま? 


「君は僕の幼馴染みだ」


 そう来たか――っ!

 あくまでも、あくまでも婚約者ではないのね! 幼馴染みなのね! 少しばかりランクアップはしたけど、そこは不動なのね!


「あーのーぉー!」


 がっくりと肩を落としていると、不満を隠そうともしない、間延びした声が聞こえてきた。この声の主はユリウス卿だ。私達の後ろ、きっちり三メートル離れたところから、両手を口元に当て、こちらに向かって声をかけている。


「ボクらのこと忘れておりませんでしょうかぁ〜」


 くりくりとした丸い目を細め、恨めし気に私達を見上げている。


「クローバー領ご自慢の市場を、伯爵自らご案内してくださるのでは?」


 挑発的にそう言い放ったのはデビッド卿だ。こちらは血色の良い薄い唇を歪めて嫌味たらしくにやりと笑っている。そしてその隣にいるのはやはり暑苦しい笑顔を貼り付けたままのシャルル卿である。


 アレクは三人にちらりと視線をやると、は、と小さく息を吐いた。それで、渋々、といった体でぽつりぽつりと案内を始めた。決して馬からは下りずに、だ。だから私はずっと彼の腕の中である。抱き締められているわけではない。身体だって密着しているわけではない。ただ、彼の、思っていた以上に太い腕が微かに掠るだけ。彼が一言二言しゃべる度に、その声が、私の耳を擽るだけだ。


 その度に涙が出そうになる。

 

 もしあの時、つまらない好奇心に駆られてあんな嘘をつかなければ、彼は形だけでも、婚約者として、もっと私を強く抱き締めてくれただろうか。この耳を掠める言葉だって、クローバー領の本年度の穀物の収穫量がどうだとか、この地方の工芸品は質が良いとか、そんなものではなかったかもしれない。

 

 アレクが願っていたのだという、いまのこのシチュエーションだって、もっとロマンチックだったはず。場所は市場だったかもしれない。だけどきっと、私は彼のたくましい胸に寄りかかって、どこそこの店で新作のスイーツが出たとか、せっかくだからこのまま領の外れまで足を延ばしてみようかとか、そんな楽しい話をしていたはずだ。


 抑揚に乏しい、けれど不思議と安心する彼の声を聞きながらそんなことを考えていると、どうやら馬が大きめの石を踏んだらしい。一瞬、軽くバランスを崩した。さすがに転倒するなんてことはないものの、それでも突然の揺れに驚いて身体が傾ぐ。


「――っと、すまない」


 そんな短い一言を添えて、アレクが片手で私の身体を支える。倒れ込むような形で、私と彼の身体が密着した。


「あ、ありがと」

「いや……」


 支えられた私よりも、支えた彼の方が驚いているようだった。馬が急に予測不能の動きをすることなんて、アレクは慣れているはずなのに、何に驚いたのだろう。不思議に思って彼を見上げると、黒曜石のような瞳が私を捉えた後で、わずかに揺れた。髪の隙間から見える形の良い耳が、ぶわ、と赤く染まる。


「アレク、耳が赤いわ。熱でもあるの?」

「ない、と思うが」

「そう? なんかいつものアレクと違うような……」


 そう口に出して、しまった! と思った。これでは彼の『いつも』を知っているようではないか。どうにか誤魔化さないと、と焦っていると、体勢を立て直そうと彼の胸に当てた手に、何やら小刻みな振動を感じた。それがアレクの心臓の音だと気付き、ほら、これ、と声を上げる。


「これ? これ、とは?」

「だ、だってほら、なんかすごくドキドキしてるしきっと熱が――、って、えっ、アレク? なんか大丈夫? あの、なんか、すっごいけど?!」


 いやもう、すっごいんですけど。

 もしかしてこの薄い皮膚のすぐ下に心臓があるのかしら? ってくらいの爆音でドックドックいってるんですけど! 中で誰か太鼓でも叩いてない?!


「ウッ、えっ、と。いや、その、僕は馬に乗っている時は、その、いつもこうで……」

「そうなの?! 乗馬ってそんなに過酷だったのね!? ごめんなさい、私そんなこと知らなくて! 呑気に乗ってる場合じゃなかったわね!」


 降りた方が良いかしら? いまからでも、と言うと、後ろの三人が色めき立つ。


「そうしよう、エリザ嬢! あぁ、アレクサンドル伯爵はそのままで! 伯爵は馬上で結構ですから!」

「さぁ、どうぞエリザ嬢。降りられないのなら、私が手を貸しましょう。何なら私の胸に飛び込んでくれても構いませんよ、マイスウィート」

「わーい、やったやった! エリザ嬢、こっちでボクらと楽しくおしゃべりしようよ!」 


 うげぇ、正直行きたくない。

 行きたくないけど、アレクの負担にはなりたくない。

 でも、行かないといけないのよね。それに一応私は、『この三人の中から恋人を探す』ということになっているのだ。厳密には恋人を探すふりをして、何らかのボロを出させる、というのが正しいんだけど。だから行かなくちゃ。


 降りねばと、もぞり、とお尻を動かす。

 

「いや」

「え」


 それを阻止したのは、アレクだ。

 私の腰に手を回し、ぐっと自身の方に引き寄せる。


「君はここにいろ」

「でも」

「念願叶ったと言っただろう。もう少し浸らせてもらいたい」

「そ、れは、構わないけど……」

「さらに願えば、欲深いと君は笑うだろうか」

「願うって、何を」

「願わくば、またこうして、君と馬に乗りたい」


 その、後ろの三人には聞こえないくらいの囁き声は、絞り出したように苦し気だった。たかだか幼馴染みと一緒に馬に乗るだけのことに、一体どれだけの勇気を振り絞っているのだろう。アレクの気持ちは全くわからないけど、私の返事なんて決まり切ってる。


「いつでも誘って。私もまた乗りたい」


 やはり小声でそう返す。

 そうか、とホッとしたように息を吐く彼に「でも」と添えると、瞼が微かに震えた。動揺している? まさか。


「出来ればあのうるさい三人がいない方が良いかな」


 こっそり後ろに視線をやってからそう言うと、今度は細く長いため息を吐いてから、「わかった。早めに片を付けられるよう、努力する」と突然鋭い声を出したので、喉がヒュッとなった。どうかどうか剣は抜かない方向でお願いします。

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