side:ケイシー(メイド長)
第12話 まったく、このネガティブ伯爵は!
エリザ様とシャルル卿の面談が終わった。シャルル卿はまだクローバー領内に滞在するつもりらしい――というか、エリザ様をハート領に『迎え入れる』まで戻らないとのことだったので、永住を覚悟すべきかもしれませんね。迷惑だからそれについては拒否したいんですけど。とっととお帰りやがれ。
それで、だ。
「……僕は出しゃばり過ぎただろうか、ケイシー」
自室に戻り、ベッドに突っ伏したアレクサンドル坊ちゃまが、そう尋ねてくる。ずーん、という効果音まで見えるような消沈ぶりだ。
坊ちゃまは幼少の時分から、何かあるとこうしてベッドにうつ伏せになり、枕に顔を完全に埋めてしまう。その状態でモゴモゴとその日のご自身について反省なされるのである。窒息してしまうのでは、と気が気ではなかったが、その辺はどうにかうまいことやっているらしい。誰も好き好んで窒息死したくありませんものねぇ。
「剣まで抜いて、シャルル卿の一言一言にケチをつけて、僕は狭量だ。エリザは僕に引いていたかもしれない」
ぐす、と鼻を啜る音まで聞こえる。人前では決して弱音を吐かないけれど、坊ちゃまは実は昔から泣き虫なのだ。ああおいたわしや、アレクサンドル坊ちゃま。
「そんなことはございませんよ。わたくしもあの方にはいちいち腸が煮えくり返る思いでしたから」
あと一歩でポットのお湯をぶっかけるところでしたよ! と言うと、
「それは駄目だ。そんなことをすれば君が罪に問われてしまう。どうしても耐えられない時は僕に言ってくれ。きっちり沸かし直してから僕がやろう」
と窘められた。
坊ちゃま、なんとお優しい。……沸かし直すって言った?
「僕はもうエリザの婚約者じゃないのに、つい身体が動いてしまうんだ」
「無理もありませんよ。だって坊ちゃまはずっとエリザ様をお慕い申し上げていたではありませんか」
「いまもずっとお慕い申し上げているよ、僕の方では」
「だったらどうして婚約を白紙になんて」
長身の坊ちゃまの身体をゆったりと受け止める特注のベッドが、今日は何だかいつもよりも大きく見える。いや、坊ちゃまが小さく見えるのだ。ああ、いつも威風堂々としておられるアレクサンドル坊ちゃまが、いまはこんなにも小さく幼気でお可愛らしい。
「だって。……ぐすっ。エリザは僕のことだけ忘れてしまったんだ。きっと僕のことなんて忘れてしまいたいんだ。彼女の人生の汚点なんだ。僕がちっともスマートじゃないから。僕はエリザにふさわしくないから。だから僕のことだけ忘れてしまったんだ。話し方だって、ものすごく壁がある。ずっと『アレク』って呼んでくれてたのに。アレクサンドル様なんて、あんな他人行儀で……。うぅ、ひっく」
「坊ちゃま……」
いや、あなたさっきエリザ様をばしっとお守りしましたよね? アレはかなりスマートだったのでは? それに、本来はアレクサンドル様とお呼びするものですよ? だって男爵令嬢と伯爵令息ですからね?!
まぁ剣を抜いていた部分に関しては、確かに少々エリザ様も驚いておられましたけれど、でもピンチに颯爽と駆けつけるヒーローにキュンと来ない令嬢はいないはず! しかもそれが白皙の美貌を持つアレクサンドル坊ちゃまなのですから! スラリと伸びた長い手足に、濡れたように艶めく漆黒の髪、黒曜石のような瞳! これでどれだけの令嬢を落としてきたか!
(※ただし表情筋は死んでいる)
「でも、もしもエリザ様が何もかも思い出されたらどうするおつもりなんです?」
「ふぇ?」
「エリザ様が坊ちゃまのことを思い出されたら、です。エリザ様は婚約中だと思っているはずですよ?」
「その時は……」
「白紙を撤回なさるので?」
「果たしてその権利が僕にあるだろうか」
さっきから身体は一ミリも動いていない。
ご尊顔だってずっと枕にめり込んだままだ。
だけれども、そこから何だかまた一段と「ずーん」と沈み込んだように思える。これ以上めり込みようがないのに、おかしいですわね。
「例え思い出してくれたとしても、一度は忘れてしまったような僕だ。気の利いた言葉も言えない、にこりと微笑むことも出来ない、エスコートもろくに出来ないようなこの僕に、再び婚約者を名乗る資格があるだろうか」
「ございますよ! 坊ちゃま、どうか自信を持ってくださいまし!」
「しかし……」
坊ちゃまは昔からこうなのだ。
エリザ様のこととなると、途端にネガティブになってしまうのである。とにかく一挙手一投足に自信がない。家柄も、容姿も、能力面においても、誰もが羨むほどの何もかも――表情筋は死んでるけど――を手にしているというのに、だ。
「坊ちゃま、わたくしはお二人が幼い頃からずっと見てまいりました」
「うん。いつもありがとう、ケイシー。君には感謝してもしきれない」
「もったいないお言葉でございます。それで、確かに坊ちゃまは少々表情がお固いですし、女性が喜ぶような言葉についてもあまり得意ではないのも存じ上げております」
ちょっと盛った。
表情が固いとかそんな次元じゃない。
ほぼほぼ機能していない、が正しい。
年に何回か、ふわっと頬が緩んだかな? みたいな瞬間はあるけれど、 あまりにレアすぎて、
「私、疲れているかもしれません。メイド長、申し訳ありませんが、少々休暇をいただいても?」
「ケイシーメイド長、もしかしたら私、悪い病気なのかもしれません。坊ちゃまが微笑むなんて、いよいよ幻覚が」
なんて言って休暇を申請する者が出るほどだ。
わたくしだって、これだけ長くお世話をしているというのに、実際に見たのは片手で数えられるくらいである。てっきりエリザ様と二人きりの時は違うのかと思ったが、エリザ様のお話では、そんなこともないらしい。
「ですが坊ちゃま。わたくしにはわかります。エリザ様は、ちゃんと坊ちゃまのことを好いておられます」
「……本当か?」
「わたくしが坊ちゃまに嘘を言ったことがございますか?」
「……ない、かな」
「ございませんとも!」
多少盛るのは嘘にカウントいたしませんから!
「エリザは僕のことを好きでいてくれたのかな」
「いてくれた、ではございません! いまでも、です!」
「でも、忘れられてしまったし」
ええい、このネガティブ伯爵がっ!
「坊ちゃまのエリザ様に対する思いはそんなものですかっ!」
つい大きな声が出てしまった。
普通の人間ならここでびくりと身体を震わせるところだが、そこはさすが次期クローバー家当主、いずれはスートを治める御方。ぴくりともしない。それどころか背後に「しーん」なんて効果音まで見えるようである。
「ふさわしくないと思うのなら、ふさわしい人間になればよろしいのですっ! 少なくとも幼少時の坊ちゃまはエリザ様と婚約するために、ふさわしい人間になろうと努力なさっておいででした! 過去の坊ちゃまに出来たことが、どうしていまの坊ちゃまに出来ないのですっ!」
勉強も、ピアノも、バイオリンも、馬術も、剣術も。
エリザ様にお会いする日以外は、自らみっちりとスケジュールを組んだ。ランスロット様もアルジーヌ様も「何もそこまでしなくても」とドン引きだったけれど、一度決めたことはやり抜くと言って、担当教師からの合格をいただくまで一日たりとも休まなかった。そうして、やっと許可を得たのだ。一目惚れしたのだというその令嬢と、生涯添い遂げるための約束を取り付けたのである。わずか十歳の子どもが、だ。
その当時を思い出しながら話す。全く、坊ちゃまにお説教なんて何年ぶりかしら。
すると坊ちゃまは、むく、と起き上がった。
さっきまでぐすぐす泣いていたとは思えない、いつもと変わらぬ無表情である。
「ありがとうケイシー」
そう言ってから、パァン! と両手で頬を叩く。結構本気の音がしてびっくりしたし、くっきり手形が残ってて痛々しい。全く、加減を知らないんだから坊ちゃまは。後で冷やすものをお持ちしなくちゃね。
「君の言葉で目が覚めた。僕は、エリザにもう一度好きになってもらえるように努力する。それで、今度は正式にプロポーズする。婚約なんて段階は踏まない。即結婚だ」
「坊ちゃま……! それでこそアレクサンドル坊ちゃまです!」
「犯人を絶対に捕まえる。血祭りに上げる。エリザにもう一度僕を見てもらう。そしてプロポーズ、結婚だ」
「ええ、ええ、そうですとも……!」
なんか一瞬物騒な言葉が聞こえた気がするけど気の所為でございますね!
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