第11話 アレクってこんなに沸点低いっけ?

「会いたかった! 俺様のスウィートハート!」

「ひいっ?!」


 クローバー伯爵邸に呼び戻されたシャルル卿は、私の姿を見つけるなり両手を広げて突進――まさに『突進』としか言いようのない勢いで向かって来た。さっぱりと短い、燃えるような赤髪に、やけに白い歯。暑苦しい笑顔を浮かべた、筋骨隆々の大男である。


 えっ、この勢いでハグされる感じ? ハグだけで済む? 潰されない? いや、ハグだって嫌だけど! どうにか逃げたいと思うものの、でも一応彼の中では『恋人』ってことになってるのよね?! えっと、受け止めるべきだったりする? でも絶対嫌なんだけど!


 逃げても良いのか、それとも応じた方が良いのかがわからず、思わず目をぎゅっと瞑る。


 と。


 ダダダダダ、という騒がしい足音がぴたりと止まった。と共に、ふわりと鼻腔をくすぐったのは、スパイシーなシダーウッドの香り。これは昔、私がアレクに贈った香水だ。そういうのが好みだなんて聞いたことはなかったし、むしろ香水なんてつける習慣はなかった、って言ってたっけ。だけど、気に入ってくれたのか、それとも、もらった以上は、と思ったのかはわからないが、それからずっと使ってくれているようだ。贈ったのはもう随分と前だからきっと使い切ってしまっただろうに、同じものを探し出して愛用してくれているらしい。彼はそういう律儀なところがあるのだ。


 恐る恐る目を開ければ、私の前に大きな背中があった。その肩越しに青ざめたシャルル卿の顔が見える。上背も身体の厚みもシャルル卿の方が勝っているのに、どうしてそんな顔をしているのだろうと思い、ちょっと背伸びしてみてわかった。


 彼の首筋に刃が当てられているのだ。


 アレク――っ!

 何やってんの!?

 何で剣抜いちゃったの?!

 ていうかあなた、私の後ろの方にいたはずよね?

 いつの間に移動&抜剣したわけ?! 怖い!

 

「この僕へ挨拶もなしにレディに突撃とは恐れ入ったな、シャルル卿。直ちにその手を下ろし、数メートル下がれ。さもなくば貴君の身体を二個口に分けてハート領に送り返すことになる」

「……っも、申し訳ございませんん! アレクサンドル伯爵ゥゥ!」

 

 スパァン、と勢いよく両手を下ろし、直立不動の姿勢で、ずざざざざ、と足を滑らせながら後退する。離れてくれたことについてはホッとしたけど、動きが気持ち悪いなこの人。それより待って、アレクいま二個口って言った? 切り分けるつもりでいる?


「良いか、まだ貴君がエリザの恋人かどうかは不確定だ。僕の許可なく彼女に近付くことは許可しない。僕の言葉はランスロット・クローバー伯爵のものと同義と思え。彼女に指一本でも触れてみろ。直ちにその腕ごと斬り落とす」


 腕ごといくの!?

 せめてその触れた指だけじゃない?!

 いや、指だけでも結構な処罰ですけど!?


 とまぁ、そんなハラハラのご対面を経て、である。

 

 私達は大きなテーブルに向かい合って座っている。私の隣にはアレクだ。そして向かいに座っているのはもちろんシャルル卿一人。

 シャルル卿はチラチラとアレクを気にしながらではあるが、しきりに私に向かって片目を瞑って何らかのアピールをしている。端的に言って気持ち悪い。


 年齢は私の三つ上の二十歳。

 その年相応の落ち着きがあるとは思えない。

 ただまぁ……イケメン、なのだろう。顔立ちは悪くない。さっぱりと短い燃えるような赤髪が、何だか炎のようだ。


 ケイシーがお茶とお菓子を運んでくれた。恭しく頭を垂れてシャルル卿の前にカップを置いたが、彼の視界に入らないところまで移動したところで、鬼のような形相をして、口の動きだけで「くたばれ」と言った。こーらっ。でも、うん、私も同じ気持ちよケイシー。でも言い方っていうのがあるからね。相手は一応男爵家のご子息様だから。そういう時はね、「おくたばりあそばせ」って言うの。後で私と練習しましょうね。


「アレクサンドル伯爵、エリザ嬢への発言をお許しいただけますか」

「許可しよう」

「ありがとうございます。エリザ嬢、まずは本当に無事で良かった。何者かによって後頭部を殴られたと聞いた」

「え、ええ、まぁ」

「一報を知らされた時は血の気が引く思いだったが、我がハート領の僧侶達の祈りが届いたのだろう! 君はこうして再び俺様に微笑みかけてくれている! 奇跡だ! 三日三晩飲まず食わず、不眠不休で祈らせた甲斐があった! やはり我がハート領の祈りの力だな! はっはっは!」

「三日三晩飲まず食わずですって?」


 あと、微笑みかけてはいません! これは失笑ってやつだから!


「しかも、不眠不休で、か。……僧侶とはいえ、領民を何だと」


 地を這うような低い声で、アレクが呟く。あまりにも低い声だったから、恐らくはシャルル卿にまでは届いていないだろう。ただでさえ彼はなんか浮かれているようだし。それよりも気になるのは、私の耳が、チャリ、という小さな音をとらえたことだ。これはアレクの剣についているチェーンが鞘にぶつかった音だろう。確認するのが怖いけど恐る恐る視線をそっちにやると、案の定グリップに手をかけている。ストップストップストップ! 待って、アレクってそんな沸点低かったっけ? 私、アレクが怒ったところなんていままで見たことなかったんだけど?!


 やめて、こんなところで! 


 そう思い、彼の手に触れてやめさせようとすると、


「!?」


 アレクがびくりと身体を震わせて、大きく目を見開いた。


 えっ、そんなにびっくりさせちゃった? それはごめんなさい!


「すぐにでも飛んでいきたかったが、面会謝絶とのことでそれも叶わず……。やっと許可が下りたのでこうして会いに来たというわけで……、って、アレクサンドル伯爵、いかがなされましたか? 体調が優れぬのでしたら、別室でお休みいただいても」

「お気遣い感謝する。が、僕はこの場を離れるつもりは毛頭ない。それよりも話したい事はそれだけか、シャルル卿」

「まさか。まだまだエリザ嬢に俺様の熱い思いを伝えきれておりません!」


 嘘でしょ、もう既にお腹いっぱいなんですけど。


「あぁエリザ嬢、俺様の太陽! 本当ならばいますぐにでも我がハート領に連れ帰りたい! けれど君は俺様のことを忘れてしまったという!」

「え、え――……っと」


 忘れるも何もないけどね。あなたとの思い出なんて数分前のやつからしかないから。


 反応に困っていると、アレクがテーブルに肘をつき、身を乗り出した。


「訂正せよ、シャルル卿」

「へ?」

「アレクサンドル様?」


 また!?

 今日は随分しゃべるじゃない?

 あなたそんなぐいぐい行くキャラだった?!


「エリザは貴君の恋人でも妻でもない。『連れ帰る』という表現は正しくない。エリザが帰るのはストーン領だ。言葉は適切に使い給え」

「は、はぁ。申し訳ございませんでした」


 いーや細かっ! 細かいんですけど! 良いよもう、そこまで私気にしてないし! でもまぁ、確かにそうではあるけどね?

 

「えーっと、ゴホン。連れ帰る……じゃないから……迎え入れ……る……? で?」


 シャルル卿が、ちら、とアレクを見る。何となく私も気になって横目で彼を見る。彼は小さく頷いた。これならオッケーらしい。


「迎え入れたいんだ、我がハート領に! エリザ!」

「呼び捨てなんて馴れ馴れしい。『エリザ嬢』だ」

「エリザ嬢!」


 だーから、細かいって! そんでシャルル卿もいちいち仕切り直さなくて良い、うるさいから!

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