side:アレクサンドル
第8話 そんな卑劣なやつにエリザは渡さん
エリザが襲われてから、数週間。彼女を襲った犯人の手がかりは未だつかめない。一刻も早く捕まえて彼女を安心させたいのに。きっといまこの瞬間も、また襲われるかもしれないという恐怖に怯えているはずだ。ああ、もし僕が婚約者のままだったなら、彼女の肩を抱いてその不安を取り除くのに。
……なんて考えてみたけど、きっと実際には何も出来ないだろうな。肩を抱けるかどうかすら怪しい。だけど、四六時中そばにいて、目を光らせ、物理的な脅威からはきっと守ってみせる。
だが、そんな決意を固めたところで、僕はもう彼女の婚約者ではないのだ。ただの幼馴染みである。犯人を捕まえ、事件が解決したら、彼女は安心してこの屋敷を出て行くだろう。そう考えるとちょっと寂しいけれど。かといって、いつまでも犯人が捕まらないのは困る。一緒にいられて嬉しいのは僕だけで、彼女にしてみればこんな面白味のない堅物の幼馴染みと一つ屋根の下なんて、本当は嫌だろうから。早く自由を手にしたいはずだ。
彼女のためにも早く犯人を捕まえなくてはならない。
この檻から、そして僕から、エリザを解放するのだ。大好きだから一緒にいたいけど、大好きだからこそ手放さなくてはならない。
大丈夫だ、エリザ。僕はちゃんとわかってる。あともう少しだけ耐えてくれ。
彼女の写真を入れたロケットペンダントを握り締め、そんなことを考えていると、コンコン、とドアをノックする音が聞こえた。
「坊ちゃま、わたくしでございます」
ルーベルトである。
いそいそとペンダントをシャツの中にしまう。
「どうした」
そう言うと、彼はゆっくりと扉を開け、また深く礼をした後で、きゅっ、と眉を寄せた。どうしたどうした。もしや僕の祈りが届いて犯人が自首してきたか? そういうことなら拷問無しでスパッと処刑コースに減刑してやるが? と思ったが、どうやら違うらしい。
「その、ご客人が。スート領内の男爵家のご子息様なのですが」
「客? 僕にか? 男爵家の子息と言われても……一体どこの誰だ」
「いえ、その――……坊ちゃまにというよりは」
「何だ、誰にだ? 父上か? それならここには――」
「いえ、それが」
「どうした」
「エリザ様に」
「エリザに?」
彼女がここにいることを知る者は少ない。この屋敷の人間はもちろん、別宅にいる僕の両親と、あとはエリザのご両親であるクォーツ男爵とその妻のガーネット夫人、それから使用人くらいだろうか。まぁ、最近では騎士団を引き連れて屋敷周辺を散策しているようだから、その辺りの人間は知っているかもしれないが。……そう考えると結構いたな。
「僕が応対しよう。応接室に通してくれ」
「かしこまりました。ちなみに、その――……」
もじもじと指を遊ばせる仕草が気になって、腰を浮かせかけた状態で止まる。
「何だ」
「三名おられまして」
「何? 兄弟で来たのか?」
仲良し兄弟か?
「いえ、それぞれ無関係の他人同士ではあるのですが、その」
「どうしたルーベルト。歯切れが悪いぞ」
何やら長くなりそうだと椅子に座り直し、頬杖をつく。
「その――……、皆様目的が同じといいますか」
「どういうことだ?」
するとルーベルトは、僕のデスクまでやって来て、声を一段落とし、言った。
「皆様、エリザ様の『恋人』だと仰るのです」
「何だと?」
そうなると話は変わって来る。
「……ルーベルト、客人はどれくらい滞在出来そうだ?」
「坊ちゃま?」
「適当なマナーハウスにそれぞれぶち込んでおけ。互いに接触させるな」
「坊ちゃま?」
「調べろ、その三人を。どう考えてもエリザの恋人であるわけがない。恐らくは――」
ぐっと拳を握り締める。
「そいつらの中に犯人がいる。単独犯か、あるいは全員グルか」
「まさか!」
「もちろん、そいつが直々に手を下したわけではないかもしれんが。とにかく、素性を調べろ。男爵家だろう? 待たせとけ。ここで振りかざしてこその爵位だ。僕は伯爵だ。調査が終わるまで何日でも待たせて構わん。それが不満なら箱にでも詰めて送り返せ」
「かしこまりました」
くるり、と背を向けたルーベルトが「しかし――」と言ってちらり、とこちらを向く。
「なぜおわかりになるのです?」
「何がだ」
「エリザ様を襲った犯人、と」
爺にはさっぱり、と首を傾げるルーベルトである。
「勘だ」
「勘でございますか」
「そうだ。野生の勘、というやつだ」
「坊ちゃまは野生に生きてはおられないのでは」
「確かに。じゃあ、野生の勘ではないな」
「ないのですか」
「違ったな。でもその類のやつだ」
「成る程」
そこで納得したらしいルーベルトは、「それでは早速調査に入らせていただきます」と言って、部屋を出ていった。
野生というのは盛りすぎたが、いわゆる、ただの勘である。
何せ、怪しすぎるのだ。
エリザに恋人なんていない。だって彼女は僕の婚約者だった。ここ数年は手紙のやりとりが主だったが、ストーン家の使用人から逐一報告を受けているのだ。彼女に他の男の影がないかどうかを。彼女の方から、というのもそうだが、例えば、向こうから言い寄られて迷惑がっていないかなども。思わせぶりな視線を寄越すやつはいないか、使用人だって油断は出来ない。
だから、絶対に違う。
かといって、婚約が白紙になってからこの数週間のうちに愛を育んだというのも考えにくい。メイド長のケイシーも、侍女のリエッタも、騎士団長のマーガレットもそんなことは一切言っていなかった。それでも、屋敷内の使用人とこっそり、というのならまだわかる。イカン、考えるだけで吐きそうになるが、それならまだありうる話だ。ケイシー、リエッタ、マーガレットの目をかいくぐってこっそり逢瀬を――って駄目だ、想像だけで死にたくなる。でもまぁ、それならあるかもしれない。
けれども、男爵だ。
事件以降、男爵家の子息をここに呼んだ覚えはないし、接触もない。それは間違いない。
恐らく、エリザが殴られて記憶を失った、という噂を聞きつけてやって来たのだ。失ったのは僕の記憶だけとは思わなかったかもしれないが、それで僕との婚約も白紙になったことをどうにかして知り、これはチャンスと思ったのだろう。どうにかうまいこと丸め込んで恋人関係だということにし、彼女を手に入れようとしているのだ。
絶対に渡すものか。
ギリ、と歯ぎしりをする。
僕はもう婚約者ではないけれど、彼女の時間を奪ってしまった責任がある。僕の手で必ず幸せにするのだ。彼女には、彼女に見合った、最高の男性を見つけてやらなくてはならない。クローバー家の名に懸けても。ただ少なくとも、こいつらではない。絶対に。
傷心の彼女につけ込むような、そんな卑劣なやつらにエリザを渡すものか。
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