side:アレクサンドル

第5話 これは、僕への罰なのかもしれない

「なんということだ……」


 あれこれ済ませて自室に戻り、ベッドに顔面からダイブする。


「エリザが。僕のエリザが……」


 じわ、と滲んだ涙は早々にシーツへと吸い込まれていった。


 七歳の時、父のご友人であるストーン男爵に連れられてやって来た、同い年の女の子、エリザは、僕の初恋だ。一目見た瞬間に、もう絶対にこの子を僕の妻にするんだって心に決めた。ふわふわのアッシュブロンドに、意志の強さを感じる、深い藍色の瞳。透き通るような白い肌に初めて触れた時は、身体中に電気が走ったかと思った。こんなに柔らかくてすべすべした手に、僕のようなものが触れて良いんだろうかと思ったし、繋いだ手から、僕のそんな動揺が全部伝わってしまうのではないかと恐ろしかった。


 隠さなくちゃ。

 だって、気持ちが駄々洩れだなんて、恥ずかしい。


 気持ちが駄々洩れなのは恥ずかしいけれど、それでも好意は伝えたいし、出来ればエリザにも僕のことを好きになってもらいたい。だから、彼女が家に来るたびに、どうにか楽しませられないかと頭を使った。


 女の子は花が好きだろうと思って連れて行った温室はまずまずだった。たくさん質問をしてくれたエリザのあの真剣なまなざし。宝石のようなあの瞳に見つめられると、口から心臓が飛び出るかと思った。ころころ変わる表情が可愛らしくて、僕の胸は高鳴りっぱなしだった。


 本を読むのが好きだと聞いたから、屋敷内の図書室にも連れていった。彼女が好きだという作家は全部覚えた。父にお願いして、自分の小遣いを作家への寄付に回してもらった。どうかどうかもっと色んなお話を書いてください、僕の一番大切な人が大ファンです、僕も応援しています、と手紙を添えて。


 僕も彼女もまだ遠くまで出歩く許可をもらっていないから、せめて景色だけでもと展望台で望遠鏡を覗いた。キャッキャとはしゃぐ彼女が可愛くて、もっといろんな景色を見せたいと思った。クリスマスには世界の裏側まで見えるくらいの望遠鏡をお願いしたけど、さすがにそれはないとサンタクロースからの返事が来て、がっかりしたものだ。


 彼女にウチの自慢の料理長の美味しいスイーツを食べさせたくて、厨房に飛び込んだこともある。僕らが突然やって来たものだから、料理長はかなりびっくりしていた。それで、こっそりチョコレートをもらって食べたりもした。本当は季節の果物を使ったスイーツが好きだと知って、彼女が遊びに来る日は料理長に何度も何度もお願いしに行った。


 とにかく、僕の生活は彼女を中心に回っていた。


 父に毎日のようにお願いした。どうしてもエリザを僕のお嫁さんにしたい、婚約させてほしいって。父も母もまだ早いのでは、なんて言っていたけど、諦めなかった。あんなに素敵な女の子なのだ。早く婚約しないと、しっかり捕まえておかないと、他の男に取られてしまう。僕は必死だった。勉強もたくさんするし、乗馬も、ピアノも、バイオリンも、剣術もいまよりずっとずっと頑張るからと毎日のようにお願いして、やっとOKをもらったのが十歳の時だ。彼女にはまだ誰からの縁談も来ていなかった。良かった、間に合った。


 僕は元々表情に乏しいと両親からも言われていたのだが、決して無感情なわけではない。感情を表に出すのが苦手というだけだ。おまけに女性を喜ばせるような言葉だってとっさには出て来ない。聞けば父も昔は苦手だと言っていたけれど、さすがに僕ほどではなかったらしい。いまでは母が「もうわかりましたから」と呆れかえるほどの愛の言葉をすらすらと並べられるけれど、付き合い始めはそうではなかったのだと。


 まずは手紙から始めるものだと言われ、それなら出来そうだと色んな詩集を読み、それを引用してみたり、あとはもちろん僕自身の言葉で気持ちを伝えてみたりした。贈り物だって、全部自分で選んだ。彼女が気に入るよう、必死に選んだ。瞼を閉じて彼女の姿を思い出し、あの髪に似合う宝石はどれだろうかと考える。女性は流行り物が好きだろうし、たとえすぐに飽きることになったとしても、構わない。一時でも彼女のあの美しい髪を飾ることが出来たなら本望だ。そんなことを考えて。最高にわくわくする瞬間だった。

 

 だから、彼女が贈ったものを身に着けて会いに来てくれた時は天にも昇る気持ちだった。可愛い。とても似合う。天使のようだ。そんな言葉はいくつも浮かぶのに、僕の声帯を通過してくれない。たぶんたくさんありすぎて、喉で渋滞を起こしているのだ。ぐっ、と詰まって出て来ない。だから後で手紙で伝えることになる。


 エリザ。

 僕の女神。

 あともう少しで僕は君の夫になれるはずだった。

 堂々と君の隣に並ぶ権利を得て、肌に触れる許可を得て、そして。

 永遠の愛を誓うはずだった。

 どんな困難からも守り抜いてみせる、必ず幸せにすると、そう誓うはずだったのだ。


 なのに。

 

 まさかクローバー領内で、しかも、ウチの屋敷のすぐ近くのランスロット通りで、そんな陰惨な事件が起こるなんて思わなかった。彼女が『堅牢の石の聖女』じゃなければ即死だっただろう。


 生きていて良かった。

 それは本当に良かったけれど。

 まさか僕のことだけを忘れてしまうなんて。


 きっとこれは僕への罰なんだ。

 きちんと愛を伝えれらなかったから。

 彼女を守り切れなかったから。

 婚約者という立場に胡坐をかいてもいただろうし、領内の治安の良さに油断していた。


 きっとエリザは失望したのだ。

 何年経っても僕がこんなんだから。

 女性を一人で歩かせるような、気の利かない男だから。ストーン家まで迎えに行けば良かった。


 忘れられて当然だ。

 僕みたいな男と結婚したって、きっと幸せになれない。

 伯爵位が何だ。爵位なんて何の役にも立たない。

 そう思ったのだろう。


 だから忘れたのだ。

 僕のことだけきれいさっぱり忘れてしまったのだ。

 何もかもまっさらにして、新たに相手を見つけるために。


「エリザ……。うぅ、ひっく。ぐすん」


 ベッドに突っ伏したまま、僕はおんおんと泣いた。


 エリザとの婚約を白紙にしたことは、さっき執事のルーベルトに伝えた。

 新生活のための家財道具は直に届いてしまうが、それについてはうまいこと誤魔化しておいたので、予定通りに運び入れること。犯人が捕まるまでの間、彼女はここに住むこと。彼女はあくまでも僕の幼馴染み、大切な客人としてもてなすように。そう屋敷の皆にも伝えるように、と。彼にさえ伝えれば、あっという間に周知されるだろう。


 ルーベルトは泣いた。それはそれは豪快に泣いた。たぶんいまの僕よりも激しく泣いた。


「ふぐぅっ……! 坊ちゃまぁぁっ! それでよろしいのでっ?! ずっとずっとエリザ様のことをっ、ひぐぅっ……! おっ、お慕い申し上げていたではありませんかぁっ!」

「いまでもお慕い申し上げているよ。でも仕方ないんだ。彼女は僕のことだけを忘れてしまったんだから」

「ですが! 一からやり直す方法だってあるのでは!? もう一度エリザ様に猛アタックして――」

「良いんだ、ルーベルト。いい機会だ。彼女を僕から解放したい。僕が貴族達の間で陰で何と呼ばれているか知っているか? 鉄仮面伯爵だ。こんな、何の面白味もない無表情の堅物男より、彼女にはもっとふさわしい男がいるはずだ」

「ぼ、坊ちゃまぁぁぁぁぁ!」


 けれど彼もプロだ。

 ひとしきり嗚咽を上げた後で、シャキッと立ち直り、「坊ちゃまの覚悟、しかと受け止めました!」と言って、まつ毛に引っかかっている涙をハンカチで拭い、深く礼をして部屋を出て行ったのである。だから、この部屋は現在、僕一人だ。


 むく、と起き上がる。


 いつまでも泣いてはいられない。

 まずは、愛しいエリザを襲った犯人を何としても捕まえなくてはならない。生きていることを後悔するくらいに、それこそ「いっそ殺してください」と懇願するくらいの拷問の後に処刑してやる。絶対に許すものか。

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