6.冒険者に おれはなる
「………………」
「……アル様、お尻が痛いんですか?」
馬車の中に戻ろうと御者席から立ち上がったところでそんなことを言われた。その通りである。
馬車にはゴムタイヤやサスペンションなんて洒落たものは着いておらず、振動がダイレクトにケツに伝わってくるのだ。今世で遠出が初めての僕の身体は早々に悲鳴を上げていた。
なんとなくすわりが悪いので改めて腰を下ろし、口を開いた。
「……揺れをやわらげる術ってないんですか?」
「ふふっ、そうですね。慣れた方が後々苦労がないですけど、まだ家を出たばかりですもんね。
お尻を浮かせたり厚めの敷物を用意したり、方法は魔術以外にもいろいろありますけど、私は水を使ってましたね」
「水?」
「魔術で水の敷物を作るんです。温度を変えれば冬でも温かいからいいですよ」
水のクッションということか。でも、
「お尻が濡れませんか?」
「そこは魔力で制御してますから。服も座席も乾いたままですよ」
と言うので早速使ってみることにした。
「『温熱の水塊を我が手に』」
呪文とともに手元に水の球が現れた。手から少し浮いているので濡れてはいないが、ほんのりと熱が伝わってくる。
「このままだとお尻に敷いてもお湯の中に浸かるだけなので、さらに手を加えましょう。必要なのは座れるくらいの弾力と、濡れないようにすることです」
ということはえーと……
「『我が水塊は
目の前に浮いていたお湯球が尻の下に移動した。ゼリー状の厚い水の層によって、身体に伝わる振動がかなりマイルドになった。座り心地も良く、冬の寒さに温水の温かみが嬉しい大変結構な代物だ。
そこでふと気付いた。これは、タイヤになるのではないか?
「ミーナ、これを馬車の車輪に付けることってできますか? 車輪の接地面に沿って、こう、まあるく……」
「え? はぁ。できますけど……?」
ミーナはよくわかってない様子だったが、一度馬車を止めて僕の言う通りの物を車輪に着けると表情を一変させた。
「すごい! 全然揺れないです! ああっ! なんで気付かなかったんだろう……! なんで……」
思った以上に感激してくれて嬉しいが、思った以上に感激していてちょっと引く。ずっとブツブツ言ってるし……。
ともかくこれで馬車の乗り心地は大幅に改善した。地球の自動車に比べればそれでも揺れるが、長い旅の不安が一つ解消されたと言っていいだろう。
この旅は王都を目指しているわけだが、それは言わば大目的地であって、道中には中目的地となる領地と、小目的地である街を経由することになる。
実家を旅立って三日目の昼前。僕達が辿り着いたのはそんな小目的地の最初の一つ、シュタインハイム辺境伯領の玄関口とも言える宿場町、オストシュタットであった。
オストシュタットは他領からフェルゼン大連峰のダンジョン群──その麓に広がる領都シュタインベルクを目指す冒険者や商人の最後の補給地点として重宝されている。またシュタインベルクを出て行く人間も必然的に寄るため、常に人の流れが絶えない。
特に今の時期は、僕達と同じように雪で道が通れなくなる前に行こうとする人で町の人口は一時的に増大していた。
ここでは食料と飼葉を補給して一泊、翌日出発することになる。水は魔術で用意できるので楽だ。
ところで今回の旅だが、荷物は食料など道中で必要になるものを除くと少ない。普段の生活に使う物は僕達よりも先に王都に送ったからだ。
それに加えて馬車も家紋のないごく普通の物で、僕とミーナの格好も普段の綺麗な服やメイド服ではなく、二人とも古着の上に革鎧、腰に短剣を帯びて冒険者然とした物にしていた。ミーナの装備は実際に冒険者時代に使用していた物だ。これは支給されなかったとかお金がないわけではなくて、リスクを考えた上でのことだ。
仮に僕がいつものシミひとつない綺麗な服、ミーナがいつものメイド服で旅をしたとする。護衛も付けず、メイドが御者を兼任する貴族のボンボンなんて、襲ってくれと喧伝しているようなものだ。たとえミーナが帯剣していたとしても見せ掛けだけと侮られるのが目に見えている。
ナメられないようにミーナが今と同じ鎧姿にしたとしても、僕の見た目がお坊ちゃまのままではやっぱり襲われるか、隙を見て攫われるのがオチだろう。
それなら二人とも冒険者として旅をした方が、女子供には違いないから侮られはするだろうけど、少なくとも積極的に狙う理由を一つ減らせるわけだ。
それにメイド服よりも断然動きやすいし、そもそも貴族の格好なんて二人旅で維持するのもミーナが大変だしね。合理的判断の結果ということだ。
僕たちは宿を取って昼食を済ませた後、この町の冒険者組合に来ていた。僕の冒険者登録のためだ。アリバイ作りというわけではないが、将来的に冒険者になるなら今なっても同じことだからと、登録しておくことにしたのだ。
組合施設の中は想像していたよりもかなり広かった。
まず目に入ったのは建物の奥に設けられたカウンターだ。役所や銀行のようにカウンターの向こうでは何人かいる職員が仕事をしているようだった。
視線を手前に戻すと建物入ってすぐは机と椅子が並べられていて、数人の冒険者と思しき人達が話をしながら食事をしていた。見回すと建物左側は厨房に繋がっていて、この机と椅子は待合室兼食堂ということなのだろう。
ミーナはそのまま席に挟まれた通路を進んでいくので付いて歩いた。建物右側の壁に紙がたくさん貼られているのが見える。あれが依頼掲示板だろうか。
いくつもある受付のうち、ミーナは正面のお姉さんのところへ真っ直ぐ進んだ。受付には椅子はなく、立ったまま応対してもらうようだ。座ったままのお姉さんが話しかけてきた。
「ようこそ、冒険者組合へ。ご依頼でしょうか?」
「いえ、この子の冒険者登録をお願いしたいの。それと私とのパーティ登録も」
言いつつミーナは懐から免許証サイズのカードをお姉さんに渡した。パーティ登録に使うのだろう。
しかしミーナが丁寧語以外で話してるのって初めて見るな。……メイドなのに僕にも父様にも敬語じゃないんだよな、ミーナって。使えないわけでもなさそうだし、変な距離感だ。
「冒険者登録ですね。ではこちらの書類に記入をお願いします。代筆が必要でしたら承りますが」
「必要ないわ。さ、アル」
「はい」
ミーナに呼び捨てにされたが、これも事前に決めていたことだ。冒険者として僕達を見た時に、明らかに若輩の僕に対してだけミーナが丁寧に接していたら不自然だからだ。
この旅での僕達はベテラン冒険者ミーナと新人冒険者アルだ。田舎から出てきた子供の面倒を見る
僕にはちょうどいい高さの机から羽根ペンを取り、こちら側に寄せられた書類を見た。
書類は簡単な物だった。名前と年齢に出身地、得意な武器くらいしか書くところがない。アーロイース、十二歳、シュタインベルク、武器のところには魔術と書いた。『森人が目をかける見習い魔術師』という設定だ。
「はい、大丈夫ですね。ほんとは実力テストがあるんですけど、ヴィルヘルミナ様の推薦ということで免除にしておきますね。パーティ登録も問題ないです。組合規則については聞かれますか?」
「私から言っておくから大丈夫」
「はい。ではまたお呼びしますので、お席でかけてお待ちください」
僕達はお姉さんの受付からほど近い席に向かい合って座った。
ミーナに冒険者組合のシステムを教えてもらう。
冒険者組合は入ると10級組合員となり、依頼を達成することで数字が小さくなっていくそうだ。
10級は見習い、9〜7級が駆け出し、6〜4級で一人前、3級からベテランとして扱われるらしい。
地道に依頼をこなしていれば誰でも昇級していくが6級から実技試験があるそうで、6級が一端の冒険者としてのボーダーラインとなっているとのことだ。
新人登録の際に3級以上の推薦があれば試験が免除になることも聞いた。その代わり推薦者が最初にパーティを組んで面倒を見る必要があるらしい。
それから1級の上に特級もあるそうだが、滅多にいないので覚えなくても問題ないと言われた。なんでも依頼達成とは別に条件があるそうだが、誰も知らないらしい。
「ミーナは何級なんですか?」
「ふっふっふー」
いや答えなさいよ。まあ昔からやってるそうだし1級でも全然驚かないけども。
その後一通り組合規則とやらも説明してもらったが、概ねお行儀よくお仕事しましょうみたいな感じだった。
「あんまり堅苦しいこと守らせようとしてもどうせできないしね。これくらいでいいのよ」
「はぇー、なるほど」
聞き終わったところでさっきのお姉さんに呼ばれた。見ていたかのようなタイミングだ。見ていたんだろうが。
「こちらがアーロイースさんの
お姉さんからミーナの物と似たカードを渡された。
「この後依頼はお受けになりますか?」
「後受けのやつにするからいいわ。ありがとね」
「はい。またのお越しをお待ちしていますね」
僕達は冒険者組合を後にした。
食料と飼葉を買って、宿に帰ってきた。預けた馬車に補給物資を積んでもらうよう宿の人に頼んで、部屋に戻る。
部屋に入って他人の耳がなくなったところでさっきから思っていたことを口に出した。
「そういえば僕、お金のことを全然知らないんですけど、どういう感じなんですか?」
子供とはいえ僕の歳でまったく知らないというのは不自然だ。知らないということは知らなくても困らなかったということだと、聞く人が聞けばすぐに思い至るだろう。だからここまで思っていても
「私もすっかり忘れてました。説明しますね」
ミーナは丁寧な口調で答えた。特に細かく決めていたわけではないが、二人きりの時は今まで通りでいくらしい。
「念の為基本的なことから説明しますね。
お金というのはお買い物や食事の対価として渡す金属のことです。金属は価値がありますから、その価値に見合ったものと交換できるということですね。お金にはいくつか種類があります」
僕にとっては当たり前のことだが、初めてお金に触れる貴族の坊ちゃんには必要な情報かもしれない。ミーナは財布からコインを一枚ずつ取り出して机の上に並べた。
「お金の単位はイェルで、この半銅貨一枚で1イェルです。こっちの銅貨一枚で2イェル、この大銅貨一枚で5イェルです」
半円の物、半円二つ分の丸い物、丸い物を縦に伸ばしたような物をそれぞれ指した。大きい方は丸い方を二つ並べたような大きさで、時代劇で見た小判のような形をしている。
サイズ感としては銅貨は百円玉よりちょっと大きいだろうか。五百円玉ほどはないと思う。それに日本の硬貨より厚みがあるように見える。
硬貨を取り出しながらミーナが続ける。
「その上の半銀貨が10イェル、銀貨が20イェル、大銀貨が50イェル。それから半金貨が100イェル、今は手持ちにないですが、金貨が200イェル、大金貨が500イェル。滅多に見ることはありませんがさらにその上に白金貨があって、それが1000イェルです」
目の前には半金貨までしかないが、硬貨がずらりと並んでいる。
「市場でのお買い物なら半銀貨があればよっぽど困りません。銀に見合う価値の物なんて平民にはなかなか縁遠いですからね。なので平民が主に使うのはこっちのお金です」
ミーナは今出した硬貨を一旦脇に寄せて、別のコインを出し始めた。
「これは
大鉄貨で50フント、鉄貨で20フント、半鉄貨で10フント分です」
黒ずんだコインが並べられた。
「鉄貨の下が
粒貨は半鉄貨よりも小さくて、なるほど粒みたいな大きさだった。
「平民が使うのは半粒貨から銅貨、高くても大銅貨までですね。単位もフントの方が多いと思います。
価格の感覚は慣れていかないと難しいですが、お昼に食べたシチューが一人90フント、補充に買ったお野菜が5フントから10フント、お肉が100フント前後ですね。
ただシチューは安くて美味しいお店という触れ込みだったのでお安め、お野菜もシュタインブルクから豊富に運ばれてくるので安めだったと思います。あのシチューなら他のお店だと多分130フントくらいしますね。
それとこの宿が二人で一泊2イェルですね。馬のお世話と馬車の預かりサービスが付いてるのでお高めです。馬車がなければ半分くらいになったかな」
お昼のシチューは結構肉も入っていて美味しかった。日本だと1400〜1500円くらいするだろうか。でも付け合わせのパンはこの世界標準の堅いやつだったし、そうするともうちょっと下がるかな? 1200〜1300円だとすると1フント=10円として考えれば感覚に合うだろうか。そういえば冒険者証の再発行に5イェルかかるってお姉さんが言ってたな。5000円か……。出したくない値段付けだし、こんなもんだろう。
「アル様のお財布も用意しないといけませんね」
ミーナの言葉で意識が現実に戻ってきた。
「そうですね。このままだとミーナとはぐれた時に、何も食べられなくなっちゃいます」
二人で笑って、それから明日の予定を話し合った。この町を発つ前に僕の財布を買うために市場へ寄ることになった。もっとも、財布そのものじゃなくて用立てるための端切れになるだろうけど。移動中に魔術で縫ってくれると言う。
自分の物を自分で買うのってこっちでは初めてだ。掘り出し物があるといいな。
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