5.シュタインベルクに さよならバイバイ

 十二歳になった。

 あれから二年間、毎日デバフ魔術と気絶就寝を続け、魔力もそれなりの量になった。とはいえまだ恩寵おんちょうスキルを正常に発動するには至っていない。……いや。一応発動自体はできるようにはなった。ただ魔力量がギリギリ過ぎて、発動するともれなく最悪な気分になるだけだ。発動したら身動きが取れなくなるのなら発動しない方がいい。そんな状態を正常とは言い難いだろう。

 ところでこの世界、一年が三六〇日しかない。一週間は六日で、五週間で一月、十二ヶ月で一年だ。一日はだいたい二十四時間だと思うが、時計がないし夜はさっさと寝てしまうから自信はない。

 今日は討伐暦六二一年の開拓の節、森の週の水の日だ。わかりやすく言い換えると十月の三週の二日目、つまり十四日だ。

 で、今日が何の日かというと、僕の旅立ちの日だ。

 家を追い出されるわけではない。この国の貴族の子女は十三歳から三年間、王都の学園に通うことになっているのだ。

 この冬が明けたら僕も通うことになるので、雪で道が通れなくなる前に、先に王都に入っておこうというわけだ。

 今頃王都の別邸ではマルティナ姉様を中心に僕の受け入れ準備をしているはずだ。……はずだよな?

 あの姉様だからな……。結局入学するまでにお転婆てんばは治らなかったし、同級生に姉様以上の天才がいるとは思えない。調子付いて猿山の大将にでもなっていないといいんだが……。

 というか姉様が入学してからの様子が全くわからないから、本当に王都にいるのかさえ定かではないんだよな。姉様のことを筆まめだと思っていたわけじゃないが、せめて一年に一通くらいは手紙を出してほしい。父様は「便りがないのは良い便り」とか言ってのほほんとしているし、母様は母様で特に触れないからいまいち緊張感がないが、普通もうちょっと心配にならないか? それともエックハルト兄様が一緒に報告しているのだろうか。

 エックハルト兄様は三番目の兄で、四つ歳が離れている。十六歳なので学園は卒業しているのだが、彼はそのまま高等学園に進学する道を選んだので王都に残っている。高等学園は学者などを志す若者が進学する専門学校で、学園──並べる時は中等学園と呼んだりする──で学ぶ内容よりもさらに踏み込んだことを学ぶそうだ。今は高等学園の寮で生活しているらしい。

 エックハルト兄様はマルティナ姉様と違って季節に一通は手紙をくれるので、ひょっとしたらそちらで何かしら報告しているのかもしれない。僕への手紙では特に姉様の名前が出たことはないが……。

 とにかく、国の端のシュタインハイム領から王都まで旅をしようと思えば一ヶ月以上時間がかかるので、十月に旅立つのだ。

「では父様、母様。また王都に着いたら手紙を書きます」

「道中気を付けてね。ミーナがいればあまり心配はいらないだろうけど、万が一ということもあるから」

 両親とコルネリア、使用人たちが屋敷の玄関まで見送りに出てきてくれている。

 広い馬車回しには二頭立ての馬車が一台停まっており、ミーナがそのすぐ近くに立っている。そのミーナが父様の言葉に頭を下げた。

「お任せください。平穏無事に三年過ごして帰ってきますよ」

 二年間ミーナに師事してわかったが、ミーナはめちゃくちゃ強い。

 魔術は言うに及ばず、剣、短剣、槍、盾、弓などいろんな武器の扱いに精通していて、変わったところでは鎌なんかも使えるらしい。鎌というのは手鎌じゃなくて、死神が持っているようなでかいやつだ。元々農具だから割とどこにでもあるものだが、武器として使う者はほとんどいない。当たり前だ。どう考えたって使い難すぎる。

 魔術と一緒に武器の稽古も付けてもらったが、どれもミーナの実力に遠く及ばないのがわかっただけだった。

 おまけに鍵開けや罠解除などの斥候技術も修めているというのだから帽子を取るしかない。

 ……つまりそれらすべてに習熟するだけの時間を過ごしているということなのだが、年齢トシの話をすると不機嫌になるので触れることはしない。

「お姉ちゃんによろしく」

 母様はそれだけ言って、屋内に戻って行った。コルネリアが母様と僕を見てオロオロしている。コルネリアは今七歳だが、まだまだ母様を理解できていないらしい。

 母様は合理的というか、コンパクトな人なのだ。あまり声に出さないし、態度も淡白に見えるので勘違いしやすいのだが、別に家族の情がないわけではない。逆に愛情深いと思っている。

 一言でさっさと帰ったように見えるが、申し送りや別れの言葉そのものは昨日の夕食時にも交わしているので、彼女の中では完了したタスクなのだろう。先程の「よろしく」も昨夜言い忘れていたから追加で伝えたというところだと思う。

 その証拠にくしゃくしゃになる寸前みたいな表情をしていた。態度や言動には出ないが、顔には出る人なのだ。

「行ってきます、母様」

 母様は僕の言葉に何秒か足を止めて、屋敷の中に入った。



 母様が戻った後もそこそこ話をしていたのだが、焦れたミーナから無言の圧力を感じるようになってきたので出発することにした。

「では、父様、ネリー。行ってきます」

「うん、行ってらっしゃい」

「行ってらっしゃい、アル兄さま」

 ミーナの手を借りて馬車に乗り込んだ。

 すぐにミーナも御者席に座り、手綱を引いた。馬車が動き出す。

 僕は窓を開けて、最後に声をかけた。

「行ってきます! たくさん手紙を書きますから、待っててくださいね!」

 窓から乗り出して大きく手を振った。父様もコルネリアも振り返してくれた。

 ──コルネリアはこれで屋敷に一人になってしまうなぁ。母様はああだし、父様は忙しいし、兄上たちはコルネリアの方が苦手にしているから、寂しい思いをさせてしまうけど、来年になれば姉様が戻ってくるからどうかそれまで耐えてほしい。

 僕は二人の姿が見えなくなるまで手を振り続けていた。



 出発から一晩経った。

 昨夜はミーナが作ってくれた料理を食べて、ミーナに見守られながら眠った。僕は雇い主側だし被保護者だしで、夜の見張り諸々は全部ミーナがやってくれることになったのだ。探知魔術と連動した警報魔術があると言っていた。

 安全が保証されていない場所で【ドッペルゲンガー】就寝をするのも不安があったのだが、ミーナに問題ないと言われたのでそのまま寝た。魔力切れで気絶入眠していることに、ミーナは気付いていたらしい。

 大層呆れられた。普通はそこまでやらないと。魔力が尽きる前に心が折れると。

 確かに何度かやったからわかるが、あの気分の悪さは何度も経験したいものじゃないし忌避する気持ちもわかる。だが僕の恩寵スキルの消費魔力量は現状の僕の保有魔力量とそんなに変わらないのだ。ちょっと調整すれば苦痛なく魔力を空にできるのであれば、やらない手はないだろう。

 ということをつらつら語ったらため息とともに許可が出たのだった。



 そんなわけで現在移動中である。

 馬車の上なので身体を動かす稽古はできないが、その分魔術の鍛錬を重点的にやっている。今もミーナの隣に座って教えてもらうところだ。

「ミーナ、夕べの魔術を教えてくれませんか?」

「夕べのというと、索敵警報呪文ですか? いいですけど、これはちょっと魔力の消費が大きいですから、もう少し細かくしたやつにしましょうか。索敵呪文なら消費も少ないですし、移動中も鍛えられてちょうどいいですね」

「それでいいです。どういう効果なんですか?」

「これもいくつかの魔術を組み合わせたものなんですが、大雑把に言うと、一定範囲内の動くものを感じ取るというものですね。大きさや生物かどうか、魔力の多寡も一緒にわかるようにして使ってますけど、基本は動きを察知する魔術です」

 動体検知ということか。動くと点灯するランプとか作れそうな魔術だ。

「どうやって使うんです?」

「必要なのは範囲の指定だけですね。これはどこの地点から──まあ大体は自分を中心に設定するので、自分から半径何シュリットなのかを決めて発動します。狭いとあまり効果がないですし、広すぎると入ってくる情報が多過ぎて煩わしいので、ちょうどいい距離を掴むのが重要ですね」

 シュリットというのはゲオルクラント竜王国で使われる長さの単位だ。この国の初代国王の歩幅から取られたもので、感覚だがメートルと同じくらいだと思う。ちなみに重さの単位はシュヴェアで、こっちは一シュヴェアの方が一キログラムよりちょっと重い……と思う。さすがに自信はないが、大きくは違わないと思っている。これも初代国王の体重を一〇〇分割したものだ。

 このことからわかるのは初代国王が一メートルの歩幅で歩く一〇〇キロ越えの巨漢だったということだが、前世よりも栄養状態が悪そうなこの世界でそんな巨人がいたとも思えないので僕は疑っている。

「ミーナは普段何シュリットで使ってるんですか?」

「私は半径三〇〇シュリットくらいですね。これくらいあれば近付かれる前には大体対応できるので」

 広いんだろうな、これ。三〇〇メートルを一瞬で移動できないと先制されるってどうなってるんだよ。

「アル様は初めてなので、とりあえず五シュリットくらいから始めましょうか。呪文は『我が領域の揺蕩ゆらぎを届けよ』ですよ」

 ところでだが、魔術で範囲や時間を指定する時、この国の単位で指定しても意味はない。何故なら魔術は森人エルフの国で開発されたからだ。

 森人は寿命の関係か時間の経過に大らかで、ミーナ曰く「秒だの分だのといったセコセコした単位は持っていない」そうだ。その割にはミーナは短命種的な時間感覚だが、そういうところがあるから国を飛び出したのかもしれない。よく知らないが。

 で、どうやって指定するのかというと、時間なら太陽の動きや星の動き、数を数える間なんて設定もできるが、距離あるいは長さの場合は目印を使ったり視界から決めたり、近場なら自分を基準にすることが多い。つまり竜王国初代国王がやったことと同じことをするのである。

 目を閉じて集中しながら考える。今回は五メートルなので、僕の身長が一四〇センチくらいだから、歩幅が大雑把に四〇センチで、……十二・五歩か。切り上げて十三歩だな。さらにこれを森人語に変換して……

「『我が一廓いっかくの揺蕩を届けよ』」

 術が完成すると、身体から抜けた魔力が周囲に薄く広がるのを感じた。馬の動きや車輪の回転が手に取るようにわかる。

「できましたね。その状態で私のことはどう見えますか?」

 僕の呪文の成功を確認すると、ミーナはそんな風にいてきた。

 何を言っているんだと思ってそっちを見ると、ミーナは身体をこちらに向けた状態で両手を上げたり下げたり広げたり、大きな動きを繰り返していた。どういうことだ? 探知では特に変な動きはしていなかったのに。目の前でひたすらうるさく動いているミーナと脳に届く座ったままのミーナで頭がおかしくなりそうだ。

「この術は広げた魔力が動かされたことを察知するものなんですが、身体から魔力を放出して上手いこと混ぜてやると、その認識を阻害することができるんです。結構簡単なので普通は動き以外の情報も集められるように改変したり、複数の手段を使います。覚えておいてくださいね」

「う、うん……」

 何食わぬ顔でわちゃわちゃ動くミーナの姿に圧倒されて、それしか言えなかった。

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