4.魔法が使いTai

「アル様、朝ですよ。アル様、起きてください。アル様」

「ん……。おはよう、ミーナ」

「はい。おはようございます、アル様」

 肩を揺すられて目を覚ました。

 初めてスキルを使ってから二日目。昨日は昼寝をすると言って一度【ドッペルゲンガー】を使ったので、都合四度目の気絶からの目覚めである。さすがに四回目ともなると慣れたものだ。一瞬で眠れるからこれはこれで便利かもしれない。

 体を起こしつつ伸びをして、ベッドから立った。

「今日からは魔術の鍛錬を始めますから、がんばりましょうね。といっても、最初はお勉強からですけど」

 カーテンを勢いよく開けつつミーナが言った。

 着替えるため服のボタンに手をかける。いい歳まで生きた記憶が蘇ったから女の人がいるところで服を脱ぐのはちょっと気恥ずかしいが、とはいえこちらも十歳児だし気にしても仕方ない話ではある。思春期って何歳からだっけ。ミーナって美人だから気まずいんだよな〜。気がつくとこっち見てるし。そろそろ恥ずかしがってもいいのかな。

 ぐだぐだ考えている間に着替え終わった。ミーナは朝の支度を済ませて、僕の側で控えていた。視線を感じる。



 朝食後、勉強のため部屋を移動したら、先客がいた。

「あ! やっと来たわね。アルったらお寝坊さんなんだから」

「アルにーさまおそーい!」

 明るい金髪の美少女とピンクがかった金髪の幼女が向かい合って座っていた。二つ上の姉のマルティナと今年五歳になる妹のコルネリアだ。

 マルティナ姉様は絵に描いたようなお転婆てんばで、いつも勉強などどこ吹く風で遊び回っては、メイドたちを困らせている。だから勉強部屋に僕より先にいるなんて、明日は槍が降ることを心配するような事態なのだが、理由の見当は付いている。

「ミーナ! はやく魔法をおしえて!」

「まほー!」

 やっぱり。どこかから──十中八九父様からだろうが──魔法修行のことが漏れたのだろう。本来なら姉様は来年学園に入ってからじゃないと魔法に触れられなかったのだが、弟が学ぶなら自分もと考えたのだろう。いつになくやる気に満ちているように見える。

 コルネリアはいつもは消えてしまう姉が見えるところにいたから付いてきただけだろう。聞き分けのいい子だからあまり心配することはない。

「ティナ姉様、ネリー、おはよう。姉様、一緒に学ぶのはいいですけど、ミーナの言うことには従ってもらいますからね」

「わかってますって」

 大丈夫だろうか。返事が軽くて不安になるが、信じるしかない。

 僕も椅子に座り、黒板の方を向いた。

 この部屋は普段は勉強部屋として使っているが、もともとは会議室として作られたものだ。円滑な会議のために黒板を設置したのだが、ちょっと擦り合わせて終わる会議ばかりでついぞこの部屋が使われることはなかったため、子供たちの勉強用として宛てがわれたのだ。

 教壇のない黒板の前に、ミーナが立つ。

「それじゃあ魔術について、勉強していきましょうか。ティナ様は冬までですけど、学園でも役に立ちますから真面目に聞いてくださいね」

 言われてるぞ。姉様はさっきと同じ返事をするばかりだ。大丈夫かなあ。

「最初にきますけど、皆さんは魔術についてどれくらい知っていますか?」

 む。言われて考えてみる。

 魔術。魔力を使って望んだ結果を実現する魔法。スキルと違うのは、スキルはあらかじめ決められたことしかできないのに対して、魔術は自由に決められる。その代わりに魔術はスキルよりも魔力を多く消費する。

「よく誤解されるんですけど、魔法と魔術は別物なんです。私たち森人エルフは人の手で再現できるものを魔術、再現できないものを魔法と呼んでいます。だから身近なところで言うと、実は鑑定は魔法なんですよ」

「へぇー、そうだったんだ。なんか難しい言い方してるだけで同じだと思ってた」

 へぇー、そうだったんだ。声には出さない。アホに見えるから。

 姉様とコルネリアのお付きのメイドたちも部屋の後ろに立って聞いているのだが、彼女たちも姉様と同じような表情をしていた。どちらに驚いたのだろう。魔術と魔法の違いか、鑑定が魔法なことか。

「鑑定魔術の開発は昔から──カールハインツ様が生まれるよりももっと前から研究されています。やっぱりみんなもっと自由に、石無しで使いたいわけですね。もしも鑑定魔術が出来たらシュタインハイム領としては大打撃ですけど、幸い現在までそのようなことは起きていません」

 お祖父様は今六十歳くらいだったはず。それよりもさらに前だと一〇〇年以上続いていそうだ。

「ではその魔術とはなんなのかというと、ざっくり言ってしまうとこれは森人語です。森人の国で森人たちが主に遣っている言語ですね。魔力を乗せて森人語を話すと魔術になるんです。魔術のために最適化してるものもあるので魔術語と言ったりもしますけどね。だから魔術を学ぶというのは森人語を学ぶことなんですよ」

 僕としては「なるほどね〜」という話なのだが、横で聞いていた姉様のテンションが1オクターブくらい下がったのを感じる。その証拠に、さっきまでいていた口が閉じている。閉じているというか、引き結ばれている。

「面白くないですよね。でもこればっかりはどうしようもないので、諦めてくださいね」

 ミーナも苦笑いしている。こういう反応はよくあることなのだろう。

「そんなティナ様にさらに悪いお知らせなんですが、森人語はとても種類が多いです。表音文字──音だけの文字が一〇〇種類と、表意文字──一文字ごとに意味の違う文字がとてもたくさんあります」

 姉様の尻が微かに浮いた。

「それに加えて森人語の単語を覚えて、使いたい術ごとに呪文も覚える必要があります」

 ミーナが言い終わらない内に姉様は消えていた。



 それからはコルネリアと二人で森人語の勉強をした。

 当面の目標は表音文字──凪音なぎおと文字というらしい──を五十個、読み書き発音ができるようになることだが、嬉しいことに僕にとっては馴染みのあるものだった。

 文字そのものは初めて見る形だったのだが、なんと発音が日本語の五十音とほとんど同じだったのだ。脳内で五十音対応表を作ったことでかなり覚えやすくなった。

 そして驚きだったのだが、コルネリアの覚えがすごくよかった。幼いからだろうか。このまま行けば末は宮廷魔導士かもしれない。

「いいですね。アル様もネリー様も覚えるのがとても早いです。これならすぐにでも次に行けますね」

 ミーナにもお褒めの言葉をもらった。この調子なら大魔導士になるのも夢じゃないかも。……違う。魔力量を伸ばすのが目的だった。

「午後からは簡単な魔術を実際に使ってみましょうか」

 来たな、メインイベントが。午後のためにも残りを張り切って覚えた。



 昼食後、僕達は裏庭に来ていた。

 といってもコルネリアはいない。彼女もやる気はあったのだが、森人語の勉強はともかく、魔術を使うとなるとさすがに父様の許可が降りなかった。また、魔術を使う場にいて万に一つが起こらないとも言えなかったので、今頃は一人でふてくされながら遊んでいることだろう。

 その代わり午後から参加になった人物がいる。

「ついに魔術が使えるのね! 早くやりましょうよ!」

 マルティナ姉様だ。

 参加になったというか、無理やりくっついて来たのだが。

 向こうで立っている姉様付きのメイドがすまなそうな顔をしている。一応止めてくれたのだろう。

 今日も兵隊さんが訓練しているんだけど、またお邪魔するのも悪いので今日は始めから隅にいる。大したことをやるつもりもないしね。

「姉様はだめですよ。結局午前中いなかったんだから」

「えー、いーじゃーん」

 姉様が大声で駄々をこねる。

 一人の兵隊さんが姉様の大声に反応してチラリとこちらを見た。と同時に隊長らしき人に頭を引っ叩かれて、集中しろと怒られている。はい、よそ見してすみません。

「まあ、最初ならそんなに危ないこともないですから」

「よっしゃー!」

 姉様は両手を目一杯広げてガッツポーズを取った。

「その代わり、ちゃんと私の言ったことは守ってくださいね」

「わかってますって!」

 不安だ。



「魔術は、魔力を乗せて森人語を発することで形になります。まずはこの“魔力を乗せる”前段階、魔力の感覚を掴むところから練習しましょう」

 魔力。ステータスでも見たし魔力欠乏症にもなったしであるのはわかっているが、実感したことはないから曖昧な感じだ。魔力を消費すれば減った感覚があったりするのかもしれないが、今の所消費=気絶だからそれもわからない。

「一人で魔力の感覚を掴むのは難しいですから、私がサポートしますね。手をこちらに」

 差し出されたミーナの両手の平の上に手を重ねた。

「これは手合わせといって、こうやって手を繋いで魔力を循環させることで感覚を掴むきっかけにします。ゆっくり動かしますから、集中して……」

 目を瞑って意識を両手に向ける。

 ほんのり暖かい何かが右手から入ってきては、身体を通って左手から抜けていくのを感じる。これが魔力ということだろう。

 始めはグルグルと巡っていた魔力だが、次第に一周ごとの間隔が空いていき、ほとんど動かないようになった。入ってくることはなくなったが、身体の奥の方に微かな熱を感じる。

「わかりますか? それがアル様の魔力です」

 囁くような声でミーナが言った。手はもう離れている。

 これか。

 これが僕の魔力。

「感じ取れたら、その魔力を身体全体に広げて。薄く、隅々まで──」

 ミーナの声が染み込んでくる。魔力が言う通りに動くのを感じる。

「広げた魔力を今度は右手に集めて。右手の、人差し指の、指先まで──」

 魔力が動く。集まるに連れて右手が持ち上がっていく。

 今、僕は目を瞑って虚空を指さしている。

「続けて声に出してください。『水よ』」

「『水よ』」

 瞬間、指先から何かが抜けていった感覚があった。

「目を開けてください」

 見れば、指さすその先に、水の玉が浮かんでいた。

 大きくはない。テニスボールくらいの大きさだ。

「できましたね。これが魔術です」

「これが──」

「『水よ』!」

 なんだと思って振り返ろうとしたら突き飛ばされた。おまけにずぶ濡れだ。

「うおー! すげー! あたしも魔法使えたー!」

 まさか。

 姉様は手合わせをしていないはず。

 見様見真似でやったのか?

「これは……。ティナ様の前では迂闊に魔術を使えませんね」

 上から降ってきたミーナの声は小さかったが、なぜかはっきりと聞こえた。



 水浸しになった裏庭の後始末を兵隊さんにお願いして、僕たちはシャワーを浴びた。

 後で知ったことだが、姉様がなぜ毎日遊び呆けていられるのかというと、なんでもできてしまうからなんだそうだ。

 勉強は一度教えられれば忘れないし、剣術なども見ただけでできてしまうらしい。

 普段から遊んでいるところしか見たことなかったから知らなかったが、マルティナ姉様はいわゆる天才児らしかった。

 今日の魔術訓練はここまでということにして、ミーナと二人、部屋に帰ってきた。

 姉様にはミーナが言い含めていたが、どうだろう。あの感じだと一度痛い目に遭わないと懲りない気もするが、現状できるのは水を出すことだけだ。それともこれに味を占めて、本なり人伝てなりで勉強するだろうか。そうなったら手が付けられなくなりそうだが。

「ティナ様の前で大っぴらに魔術を使うと大変なことになりそうですから、もっと地味なやり方で魔力を伸ばしていきましょうか」

 それには同意見だ。姉様の前で攻撃魔術なんて使ったら、屋敷が吹き飛ばされそうだ。

「これは裏技なんですけど、自分に魔術をかけ続けるんです」

「どういうこと?」

「アル様は魔力量に関係するステータスがどれか知っていますか?」

 ステータスは先日見たばかりだが、それっきりだ。一箇所飛び出ているものがあったから、それが魔力を指しているのかと思っていたけど。

「ステータス表示のあの六角形は六つの値を表しているんですが、これはそれぞれ筋力、生命力、素早さ、器用さ、知力、精神力を指しています。この内知力と精神力が魔力量に関わっていることがわかっています。では、その二つが伸びる要因とは何か」

「魔力を使うことじゃないの?」

「魔力を使うこともそうですが、実は魔術を身体に受けることでも伸びるんです」

「……自分に魔術を使うと二倍伸びる?」

「かけ続ける必要はありますけどね。常に魔術を使っている状態と常に魔術を受けている状態を作り出すんです。その分負担も掛かりますけど、伸びはいいです」

「でも姉様にバレたらまた面倒なことになるんじゃいの?」

「常に受け続けるわけですから、火や水だと周りに影響が出ちゃうので、精神魔術を使います。これは受けた本人にしか影響がないですし、見た目にはわかりませんから、ティナ様も興味は持たないでしょう」

「精神魔術?」

「頭痛にさせるとか、怒りっぽくさせるとか、そういう内面に作用する魔術のことです。一日中頭痛になったりするのも辛いですから、知力低下の術を使いましょう。これなら他のことをするのにも影響が少ないですからちょうどいいです」

「……バカになったりしない?」

 そう言うとミーナは吹き出した。いつの間にかくっつくくらい近付いていた頭が、笑った拍子にこつんとぶつかった。

「大丈夫ですよ。ステータスに影響があるだけで、実際のかしこさに影響はありません」



 それから知力低下の魔術の呪文を教えてもらって、何度か練習して成功した。

「『我が叡智を奪え』」

 水を出した時よりも魔力を消費した感覚があったが、それだけだ。とくに頭が重くなったりもしていない。

「できましたね。この術は術者が解除するか、対象が死ぬまで続きますから、手間もかかりません。その代わり使っている間は継続的に魔力を消費しますから、気分が悪くなったら解いてくださいね。解除呪文は『叡智を奉還せん』です」

「『叡智を奉還せん』」

 唱えると、身体の奥の方がほんのり熱くなった。魔力の消費が止まって、回復し始めたからだろう。

「眠っていても効果は続きますから、ちょっとしたお昼寝なら問題ないかもしれませんけど、夜眠る時は解除してください。魔力が減り過ぎると寝苦しくなったり、また気絶しちゃうかもですから」

「わかった」

 魔力が底をついた時にどうなるかが気になるが、検証してもあまり意味は無さそうだから寝る時は素直に解除しよう。もっとも、結局気絶するのだが。

「これである程度までは上げられるでしょう」

「ずっと上げられるわけじゃないんだ」

「続けていると耐性スキルが生えてきちゃうんですよね。それ自体は悪いことじゃないんですけど。そうなったら別のステータスを低下させれば六つ分は保ちますから、その後はまたその時考えればいいでしょう」

 ひとまず魔力量を伸ばす準備はできたということだ。低下呪文と【ドッペルゲンガー】による全消費で当面は上げていくぞ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る